青田麻未の作品一覧
「青田麻未」の「女の子のための西洋哲学入門」「環境と文学の彼方に エコクリティシズムと新しい創造の時代」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
- 作者をフォローする
- フォローすると、この作者の新刊が配信された際に、お知らせします。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで201万冊以上配信中!
「青田麻未」の「女の子のための西洋哲学入門」「環境と文学の彼方に エコクリティシズムと新しい創造の時代」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
ビジネス・実用
小説・文芸
ビジネス・実用
Posted by ブクログ
日常美学の入門書。わかりやすくかつ面白かった。
まず美学という学問分野が「美」についての学問というよりも「感性についての学問」である、という点が重要ですね。美学という言葉自体に「自分の美学を貫く」といった信念的な意味もあるのでなおさら「美」という崇高なものについての学問のような印象を受けてしまう。もはや感性学と訳を変えた方が良いのでは。
そしてその美学の対象は芸術美学、自然美学、日常美学の3つに分けることができる。本書はこの中でも比較的新しい日常美学を解説する。
家具などの機能に対する感覚、掃除・片付けや料理といった家事との関わり、家の周辺環境である地元、日常の中にあるルーティーンなど日常美学の視点に色々な角度から触れさせてくれて色々な気づきがあった。
まずは感性の学問ということで、ポジティブな感性だけでなくネガティブな感性についても洞察の対象であるという否定美学の視点はなるほどなと思ったし、「新規さ」と「親しみ」といったものも日常美学で扱われるというのも面白かった。
新規さと親しみは他の分野にも応用可能というか示唆に富むものだと思う。例えば対人支援においては受益者が経験しにくい新規さへのアクセスを支援する場合(例えば体験格差に対するアクティビティ機会の提供プログラムなど)もあるし、一方でそうした体験が「新規」であるということ自体に格差を見るという視点もあり得る(学習支援や居場所等のボランティアスタッフが話を聞いてくれてる存在として関係が持てるというのは当初は新規の経験だが、厳しい環境でなければ当たり前に得られていたであろうそのような関係に「親しんで(慣れて)」いくことが重要、など)ので、社会的プログラムの意義や価値判断とも日常美学というのは大いに関わり得る、学びかいのある分野だなと強く感じた。
Posted by ブクログ
ちびまる子ちゃんを例に挙げ、机の上のきれいさがそのままその人の評価やパーソナリティを決定づけることになりうることに深く納得した。たしかに、机上が整理されている人を見ると「この人は自分の身の回りのことをしっかり行える自立した人なんだな」という印象を持つ。机の状態に対して放った言葉である「きれい」や「きたない」がその向こう側の人に対しても評価をしていることになりうるというのは確かに無意識のうちにしていた。
私が印象的だったのはp184の部分。著者がフィンランド滞在中に撮った写真で、著者がその場所に対して注ぐまなざしが大きく変化したかを示していたというパート。
私もオランダに留学したばかりのときはすべてのものが目新しくて、オランダらしい自転車と運河のセットの写真や、花束や風車といった風景に感動し、気取った構図で取られた写真をインスタグラムに挙げていた。
それに比べて、帰国を迎えるころに撮った写真たちはとても地味。風車や自転車、運河などは撮るはずもなく、トラムステーションに捨てられたゴミや、スーパーの前に無造作に捨てられたゴミの写真や、当の昔に見慣れた大学や町の景色だった。
これらを見ると、やっぱり私もあのロッテルダムでの生活の肌触りーー肌寒い空気や日本よりも歩きにくく警戒しながら歩いたあの地面の感触を、思い出せる。
引用:「美学者の津上英輔は、散歩のことを『小観光』と呼んでいます。散歩は、地元のような日常的な環境のなかにいながら、通勤ルートなどの日常生活の制約を逃れて自由に立ち回ることを許してくれます。
vlogを見ると、自分との生活とあまりにも異なって、余裕があるように見えて焦燥感を抱いてしまうこと、わかるー!!となった。
でも見てしまう。自分の日常の中で主体的に選択できる瞬間を探せるようにしたいと思って、疲れたときはvlog見てしまうよねぇ。
Posted by ブクログ
「日常」というワードにほのぼの系を連想していたが、本書で展開する議論は想像を上回る骨太。生半可な態度では理解するのが難しいところもあり、日常美学は学問であることをまじまじと認識させられる。
美的=感性的を基軸に、日常に潜む美的経験や美的性質について検討していく。21世紀に生まれた新しい学問であるため、断定的な定説というものは少なく著者の主張が述べられていく構成となる。執筆期間にあたる著者個人的な出産・育児経験を下地に論理を構成しいるので、学問として突き放されるのではなく親近感が持てる。
「世界制作」というキーワード。
美術芸術はどこか崇高なもので日常生活から切り離された体験であるという一般認識は私にもある。しかし、個人が営んでいる日常に感性を働かせる意識を持つことで、個人から世界へと影響を広げ世界における認識を良い方向へ転換していこうという働き。
日常美学をきっかけとして、日々の暮らしを新しい視点で見直す。美的な経験を生みだす。忙しさにかまけてつい見逃してしまう些細な感情の揺らぎに自発的に耳を傾けて、ちょっと思考していこうかな、という思いに至るのです。
Posted by ブクログ
「グノーシセアウトン」(汝自身を知れ)
古代ギリシャ語のこの言葉から始まる、「思考する人生」への賛歌のような哲学入門書。
現代の「女性」哲学者20人による執筆であることはもちろん、翻訳者も全て「女性」哲学者、その数13人!
白人男性主体の西洋哲学にあって、白人のみならずアジア系アフリカ系であったりする女性哲学者達が、20の項目それぞれについて、確固たる哲学の知識とともに、もともと「男の子用」だった世界に「男の子用」ではない場所を作るために、全ての人に開かれるべき門を作ってくれている。タイトルには女の子とあるが、もちろん全ての人に、だ。
ただやはり、女性として、白人以外として、抑圧された経験があるからこその、エンパワメントされる内容ではあり。
ある時代のある場所に於いては、白人の奴隷であって、男性の為に尽くす存在であって、中絶などもってのほか、学問など必要無く、黙って言うことを聞くものであった側、自分の本心をひた隠す側だった者達。
考えることを放棄しなければ生きられない、そもそもそれをおかしいと思うこともない、そんな時代にあっても、考え、実行した人は居た。ボーヴォワールをはじめ、フリーダ・カーロ、ハンナ・アーレント、マーガレット・アトウッド、ジュディス・バトラー、、、この本で初めて知ったアンナ・モランディという解剖学者、「闇の左手」のアーシュラ・K・ルグウィン、ラディカル・フェミニズム運動の成果として「コンシャスネス・レイジング」を興したシュラミス・ファイアストーン、、みんなそれぞれの仕方で、思考し、表現した。
様々な実在する/した女性と、物語や映画のなかの女性を例に挙げながら、アイデンティティ、自己知、論理学、科学、人種、ジェンダー、怒りなどについて、回り道を敢えて選ぶようなやり方、つまり哲学していくことが、どんどんと内部に潜っていく感覚の思考実験のようであり、とても深く苦しく心地良かった。
例えば「言語」の章。実際には全ての人に当てはまるにも関わらず、ステレオタイプ的に女性に用いられることが多い言葉について。
「がさつabrasive」「感情的emotional」「小うるさいstrident」などなど、それら記述と評価を混ぜこぜにする言葉のことを「厚い語」と呼ぶ。これを会話に使用することで、反論する為の労力が二倍にも三倍にもなりまた、正確に反論することが難しいそうだ。「そんな意味で言ったんじゃないよ」で済まされてしまう。
「技術」の章ではフランケンシュタインを例にとり、技術と倫理哲学について深く考察している。chatGPTや画像生成、生活が便利になり人によっては楽しめるこのような技術の無邪気な害について、アルゴリズムによる相対的な結論を客観的とみなしてしまうような倫理観の欠如について、考えるべき点があまりに多いなと感じた。
「吟味のある人生を生きたい。」
今はこのように言葉にして表すことができるが、若い女であった頃、どうしたいかわからないが、ただ楽しいだけで良いというのは違う、という感覚が常にあって、そうすると「生意気」「否定的」「和を乱す」などネガティブなイメージがついて回り、好き好んでそう思われたいわけではもちろんないのでイヤな気持ちになることもあった。
歳を重ねて、フェミニズムに出会い(自分の考え方に名前がついたような気持ち)、ハイデガーの「存在と時間」で決定的に哲学の世界に落ちて、深く潜るように思考を巡らせることが自分が「生きている」感覚なのだとわかった。
本のなかに何度となく出てくる「批判的に思考する」ことは、決してマイナスではないのだと改めて勇気を貰えた気がした。
ボーヴォワール、読まねば。読みたい本がたくさん増えた!