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「ネオ高等遊民」の「一度読んだら絶対に忘れない哲学の教科書」「ゆる古代ギリシア哲学入門 クセつよ逸話で学ぶ31人」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「ネオ高等遊民」の「一度読んだら絶対に忘れない哲学の教科書」「ゆる古代ギリシア哲学入門 クセつよ逸話で学ぶ31人」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
ビジネス・実用
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Posted by ブクログ
「日本初の哲学系YouTuber」による、古代ギリシア哲学への理解を、「学説」のみでなく、「逸話」も交えて捉え直すことで、より深めようとする試み。
この試みによって深められた、それぞれの「哲学者像」と「学説の真意」は、従来からある周知の読み解きなのだろうか?
もし、著者が新たに描き出した「哲学者像」と「学説の真意」だったとしたら、それは本当にスゴイ仕事ではないか!
(わたしには、それを判別できない)
古代ギリシアの哲学者たちなんて、すでに二千年年以上も、あらゆる批評・論考がされつくしているはずである。
YouTuberである著者のネオ高等遊民が、新たな解釈を提示したのだとしたら、まさに「市井の哲学研究者」による偉業ではないか!
著者のYouTubeは、初期のころから視聴していたが、その発信の中核は「哲学の勉強の仕方」であり、著者自身の思索そのものを発信することは、ほとんどなかった。
修士まで哲学を学んだ著者は、哲学の巨人たちによる、膨大な思索の蓄積を目にして、萎縮してふるまっているのだろう。
本書においては、著者自身の思索や探究を深めていく熱意が、しっかりと表現されている。
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浅学なわたしには、古代ギリシア哲学の見取り図がないため、まずは「学説」を概観する形で、読み進めることになった。
「学説」であろうが「逸話」であろうが、とにかく、自分自身の思索のインスピレーションを得たい。
それが、愚鈍な四畳半哲学者なりに、入門書を読む理由である。
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ストア派の哲学をはじめて知り、衝撃を受けた。
その「学説」ではなく、「逸話(=生き方)」にである。
実践できているかはさておき、わたしの価値観に、驚くほど似ているからだ。
「こうありたい」という、わたしの人生観を、きちんと言語化して整理してくれているようであった。
勇気づけられる一文を引用するだけで、わたし自身が何を求めているのかが、おのずと見えてくる。
p.249 逆に言えば、どれほど病んでいても貧しくても、それは悪ではありません。(…)有用性や利益がないことがポイントです。
p.253 (…)彼らの生がすでに満ち足りていたからです。(…)死は欠損ではなく、生の完了です。
しかし、ストア派とわたしでは、価値観の源泉となるものは、まるで違う。
ストア派の根幹は、「アパテイア」という「無受動」であること、能動である自然の原理に自己の魂を同調させること、であるらしい。
(残念ながら、現代科学を知っている身からすれば、この理論は、ほとんど意味がない)
対して、わたしは、自己の内側の宇宙が充実していることを重視し、それだけが、この世の虚無のなかで、唯一、確かなものだと思っている。
社会的な富や名声、実利的な健康や生命そのものよりも、自己の心の中に、豊かで広大な宇宙が広がっていることに、人間として生きることの意味を感じるのだ。
いっぽうで、そんな孤立的で自己中心的な価値観に釘を刺す一文もある。
p.255 (…)積極的に人々に善をもたらすというより、ただ泰然自若としているだけです。そのせいで「消極的」とか「非社会的」などとネガティブな評価をされることがあります。
これは、まったくその通り。
耳が痛い指摘である。
この論点について考える時、つまり、自分は他者の役に立っているのかを考える時、わたしは、中村哲という人物が気になって仕方がない。
「憧れている」のではなく「敬服している」というほうが正確だ。
我欲を捨て、アフガニスタンに暮らす「まったくの他者」のために命を燃やし、命を落とした、本物の偉人である。
残念ながら、わたしは、中村哲のようには生きられないだろう。
ただ、人類史上でも最も稀な、力強い「善」の存在を、彼に見るのだ。
存在すると思えないものが、本当に存在したことに驚かされるのだ。
そして、情けない自分に苦悶する…いや、苦悶するフリをするのだ…。
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「ストイック」の語源である「ストア派」の師匠が、「犬儒学派(キュニコス派)」であることは、示唆に富んでいる。
汚い野良犬を意味する「犬儒学派」という呼称と、わたしが自分自身を「四畳半哲学者」と自嘲してきたことは、どうしたって響き合ってしまう。
これが何を意味するのか?どう解釈すべきか?時間をかけて思索したい事象である。
甕を住居とした、シノぺのディオゲネスは、著者から「はっきり言って異常者です」と評されている。
もちろん、哲学者に対しては、最大の褒め言葉であろう。
ディオゲネスの「逸話」は、世俗の価値観に与しない、野良犬のような「世捨て人」としての魅力だけでなく、もっと挑発的な価値観や思想のインスピレーションになる気がする。
「通貨を粗悪なものに改鋳した」という「逸話」は、テロリズムそのものである。
「おまえの願いを叶えよう」とすり寄ってくる為政者の甘言に対し、「日陰にしないでくれ(そこをどけ)」と返答したという「逸話」は、アナキズムを想起させる。
このような犬儒学派の「逸話」からは、「反権力こそが、究極的な自由を得る道へと導く」というインスピレーションを得られるのではないか。
無論、その結果が、「良くも悪くも」である。
IT起業家の間で、「ストイックに働くための自己啓発書」としてストア派が読まれているのとは、真逆のインスピレーションだと言えよう。
著者のお気に入りという「逸話」には、さらに重要な示唆がある。
弁論の練習中におならが出てしまったことを深く気に病んだ哲学徒に対し、ディオゲネスの弟子クラテスは、「おならが出るのは自然なことだ」と励ましながら、自分もおならを出した。
著者は、この逸話について、
p.240 (…)哲学が人を救う力があることを示す、数少ない実例(…)偉そうに道徳的教訓を語っていただけでなく、他人に寄り添える人間だったことを示していますね。(…)現代で哲学者と呼ばれる人々は、他人のためにおならを出せるのでしょうか。
と書いている。
これは、胸に迫る文章である。
正直に言って、涙が出た。
先述したとおり、わたしは、中村哲のようには生きられないだろう。
利己的で、傲慢で、愚鈍で、劣悪な人格だからだ。
でも、いつか誰かのために、おならを出すくらいならできるかもしれないではないか…。
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本書の中で何度も語られており、また、YouTubeでの発言からも推察されるが、著者自身、「哲学を学ぶこと」と「自分の哲学を実践して生きる」ことの間で、もがいているようだ。
これが、現実というものであろう。
本書が引用している数々の「逸話」は、もちろん、後世の「作り話」である。
人間は、自分が考えたとおりに純粋に生きることなどできない。
それでも、自分が生きる道しるべを、自分自身で作るしかないのだ。
p.287 「哲学するふりをするのではなく、本当に哲学すべきである。」
エピクロスの箴言
「本当に哲学する」とは、何だろうか。
そして、わたしは、どこまでできるだろうか。
Posted by ブクログ
古代・中世・近代・現代のそれぞれの区分に15名の哲学者を挙げて個人の業績と時代全体を覆う思想感を解説。
ただでさえ難解な哲学の話題にくわえ、数ページで話題が変わるので目まぐるしいのはこのシリーズのコンセプト上しょうがない。悲しいかな「一度読んだら絶対忘れない」は叶いそうもないが、限られた行数で哲学者たちの業績の要所を的確に汲み取ることに成功している、と感じるのだ。
本書を端緒として、興味のある哲学者の思想に触れてみるという流れに乗ってみようという人の出現を期待する。私は、イギリス経験論の爽やかさに惹かれることの再認識と、中世哲学の神秘主義への親しみを獲得するに至りました。
Posted by ブクログ
本書は読んだらすぐに面白さが伝わる本である。哲学書って難しそう、哲学者って気難しい人たちなんだろうな、そんなことを思う人にこそ手に取ってほしい一冊である。確かに、哲学者たちは気難しい。けれども本書の哲学者たちの考え(教説)をその生きざま(逸話)から読み解くというスタイルは、実に生き生きとどんな人たちがどんなことを考えたのかを、手短にかつ面白く伝えてくれるものである。ひょっとすると無味乾燥に思われてしまう断片集が、哲学者の生きざまを集めた人類の宝であるとさえ思わせてくれる本である。
ディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』には噂話のような逸話がたくさん描かれている。ともすれば哲学的な深みがないのではないかと思われてしまう哲学者列伝が近年哲学研究の資料としても見直されつつあることは納富信留氏の『ギリシア哲学史』からも感じ取れることである。今回の著者の『ゆる古代ギリシア哲学入門』にも書かれているように、哲学者列伝はエピクロスの教説に関しては第一級の資料でさえある。本書はその哲学者列伝の特に面白い箇所を通して哲学者たちの息遣いを感じさせてくれるものである。
本書を手にとってまず感じたのは面白さを伝えるだけでなく、資料を読み解こうとする読者への細やかな配慮である。それぞれの哲学者にまつわる印象的な証言を短い紙幅で次々に取り上げながらも実に生き生きと描き出す力技には脱帽した。本書はゆるっとサクッと読めるにもかかわらず、それぞれの原典が読者にとって身近に感じられるようにさせてくれるものである。中でも印象的だったのはアナクシメネスの空気についての箇所で、思わず本棚からカーク/レイヴンの『ソクラテス以前の哲学者たち』を引っ張り出して原文を確かめてしまった。また、ピュタゴラスの箇所では、「え?ひょっとして、ピュタゴラスってプラトン主義者なんじゃないの?」みたいなアナクロニスムを感じてしまうほどの思想的近さを考えたり、口内炎をきっかけに死を選んだクレアンテスなどなど、思いがけず学説上も深く考えさせてくれたり、哲学者を身近に(あるいは遠く?)感じさせる小話がちりばめられている。
プラトン自身の紹介のページ数は少ないものの、古代ギリシア哲学入門にふさわしく、プラトン著作の引用は豊富である。何を隠そう人間尺度説を唱えたプロタゴラスの教説はプラトンに基づいているのだから、ソクラテスの前に連なるソフィストたちの証言の大半はプラトン著作からということになる。ただ、プラトンを実際に読むと、プロタゴラスの人間尺度説が『テアイテトス』に書いてあったりと著作をまたぐことが往々にしてある。そうしたソフィストたちの鋭い問いかけを彩り豊かなキャラクターたちとのやり取りのなかで浮き彫りにすることで、プラトンが数々の著作を通して何を表現していたのかが生き生きと再現されていることもまた、本書を稀有な入門書にしている。
本書は、その叙述を通しておのずと読者はどの著作のどんな箇所にどんなことが書かれているのかを案内されてしまう、実に心憎い一冊である。本書は多分に余白を含んだ古代哲学を実に生き生きとした人物描写を通して身近に感じさせてくれる骨太な古代ギリシア哲学入門である。ぜひ手に取って読んでみて、その面白さを確かめてほしい一冊である。