1210円
447p
「だって、いかに細心の注意を払い、いかに力量を発揮しようと、原作がもつ本来の香気と風姿を伝えることはどうしても無理ですからね。」
—『ドン・キホーテ 前篇一 (岩波文庫)』セルバンテス, 牛島 信明著
「なぜかと言えば、いやしくも歴史家たる者、あくまでも精確を期し、真理を求めるべきであり、決して感情に左右されたり、なんらかの利害や恐れ、あるいは私怨や愛憎に影響されたりして真理の大道から足を踏みはずすようなことがあってはならないからである。あくまでも重要なのは真理であって、その母たる歴史は時間のライバル、出来事の保管所、過去の証人、現在の手本にして教訓、そして未来への警告なのである。」
—『ドン・キホーテ 前篇一 (岩波文庫)』セルバンテス, 牛島 信明著
「 「恋をしないなどということはありえない」と、ドン・キホーテが答えた。「いや、思い姫をもたない遍歴の騎士など存在するはずがないと言うべきであろう。なんとなれば、そうした騎士たちが恋をしていることは、ちょうど空に星があるのと同じように、当然でもあれば似つかわしくもあるからで、まったくの話、恋をしていない遍歴の騎士が登場するような物語などあったためしがござらぬ。そして、もし恋をしていないような場合には、それは嫡出にして正統なる騎士とはみなされず、庶出のあやしげな騎士ということになりましょう。すなわち、遍歴の騎士道という城砦に堂々と大手門から入ったのではなく、まるで盗っ人か追いはぎのように塀を乗りこえて侵入した徒輩とみなされますのじゃ。」」
—『ドン・キホーテ 前篇一 (岩波文庫)』セルバンテス, 牛島 信明著
「わたしは神様に授けられた生来の分別により、美しいものは何でも人の愛情を誘うということを承知しています。しかし、美しきがゆえに愛されている者が、愛されているがゆえに、自分を愛している相手を愛さねばならないという理屈には、どうにも合点がいきません。おまけに、美しきものを愛するのが醜い人間ということだって大いにありうることでしょう。そして醜きものは一般に嫌悪に値するわけですから、例えば「僕は君が美人だから君を愛す。僕は醜い男だが、君も僕を愛さなくてはいけないよ」などという言い方は、とてもおかしいと思います。また、たとえ双方が美しさにおいて対等であったにしても、それだからといって互いに同じような好意が芽生えるとは限りません。というのも、美しいものがすべて愛をかきたてるわけではなく、中には単に目を喜ばせるだけで心をとらえないといったものもあるからです。それに、もしすべての美人が人の愛欲をかきたて、心まで奪ってしまうとしたら、この世の人びとの気持はいったいどの美人に行きつくべきか分からず、混乱してさまよい歩くことになりましょう。この世に美人は数限りなくいるわけですから、それを追い求める心も無限ということになるからです。それにまた、これまでわたしが聞き及んだところでは、真の愛というのは幾人かの人に分割できるようなものではなく、しかも当人の自由な意思によるものであって決して無理強いされるものではないということです。わたしもまったくそのとおりだと思いますが、もしそうなら、どうして皆さんは、わたしが皆さんに愛されているというただそれだけの理由で、わたしの気持を無理無体になびかせようとなさるのですか?」
—『ドン・キホーテ 前篇一 (岩波文庫)』セルバンテス, 牛島 信明著
「ところで、どうでしょう、もし神がわたしを美人にお造りになるかわりに、醜女になさっていたとして、その場合、皆さんがわたしのことを愛してくれないからといって、わたしが愚痴をこぼすとしたら、それはまっとうなことでしょうか? さらに言えば、今のわたしにそなわっているこの美しさは、別にわたしが選んだものではないんです。つまり、わたしが望んだわけでもお願いしたわけでもないのに、神様が無償でこのような美しさをお与えくださったのだ、ということを御理解ください。毒蛇が毒をもっているからといって、なるほどそれで人を殺しはするものの、その毒が自然によって授けられたものであってみれば、とがめられるいわれはないのと同様、わたしも美しいからといって非難されることはないはずです。慎み深い女性の美しさというのは、言わば、遠くの炎、あるいは鋭利な剣のようなもので、それに近づきさえしなければ、火傷をすることも怪我をすることもないのです。貞操と美徳は魂を飾るものであり、この二つをそなえていない肉体は、たとえ美しくても、まともな人間の目には美しく映らないでしょう。すなわち、慎み深さこそ肉体と魂を最も美しく飾る要素の一つなのですが、そうだとしたら、美しいがゆえに男に好かれている女がどうしておのれの慎みを棄てなければならないのですか、それもただ自分の快楽のために力と知略の限りをつくして、わたしに慎みを棄てさせようと努めている男の意を迎えるために?」
—『ドン・キホーテ 前篇一 (岩波文庫)』セルバンテス, 牛島 信明著
「わたしは自由な人間として生まれてきました。そして、自由に生きるために人気のない山野を選んだのです。このあたりの山の木々がわたしの友だちで、渓流の澄んだ水がわたしの鏡です。わたしは樹木や小川に向かって思うことを話し、自分の美しさをさらけだします。わたしは遠くで燃える火であり、彼方に置かれた剣なのです。わたしの姿を見て恋心をつのらせた殿方たちの迷いを、わたしは言葉でもって覚ますように努めてまいりました。恋の成就に対する願いというものが希望によって支えられるとするなら、わたしはこれまでグリソストモにも他の人にも、つまりわたしを恋慕した殿方の誰にも希望を抱かせたことなどありませんから、あの人を殺したのはわたしのつれなさでは決してなく、むしろあの人自身の理不尽な執拗さであったと言うほうがよほど理にかなっていましょう。あの人のわたしに対する想いはきわめて誠実なものだった、だからわたしはそれに応える義務があったのだという非難には、わたしはこう反論することができます。つまり、いま墓穴が掘られているこの場所であの人がわたしに善意に満ちた気持を打ち明けてくれたとき、わたしはあの人に、自分の願いはいつまでも孤独のなかで過すことであり、わたしのそうした 世の果実とわたしの美しさをわがものとして享受できるのは、ただ大地だけであるとはっきり言い、御期待にはそえないことを伝えたのです。ですからわたしの拒絶にもかかわらず、あの人が望みのない執念を燃やしつづけ、風にさからって無謀な航海を続けたあげく、みずからの狂恋の海原のただ中で 死したところで何の不思議がありましょう。もしわたしがあの人をその気にさせるようなことをしたなら、それこそわたしは自分の心を欺いたことになりましょうし、また、あの人を喜ばせていたとしたなら、わたしは自分の良心や主義主張に背いたことになりましょう。でも、あの人ははっきり断わられたのに諦めようとせず、別に嫌われたわけでもないのに絶望してしまったのです。」
—『ドン・キホーテ 前篇一 (岩波文庫)』セルバンテス, 牛島 信明著
「白装束の男たちはいずれも小心な、武器を持たない人たちだったので、刃向かうどころか、即座に逃げ出し、手に手に松明をかざしたまま野原に散っていったが、その光景ときたら、なにか喜びに満ちた祝祭の夜の仮装パーティででもあるかのようだった。一方、喪服に身を包んだ者たちは、踵まで届くような長い衣のため、裾が足にからんで思うように動きがとれなかったので、この時ばかりはおのれの身になんら危険を覚えることのなかったドン・キホーテによって存分に打ちのめされたあげく、憮然としてその場から立ち去った。それというのも、蹴ちらされた男たちはみなドン・キホーテのことを、あれは人間ではない、自分たちが輿で運んできた死体を奪わんとして、地獄から立ち現われた悪魔に違いないと思ったからである。」
—『ドン・キホーテ 前篇一 (岩波文庫)』セルバンテス, 牛島 信明著