魯迅の作品一覧
「魯迅」の「阿Q正伝」「阿Q正伝・藤野先生」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「魯迅」の「阿Q正伝」「阿Q正伝・藤野先生」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
小説・文芸
少年・青年マンガ
Posted by ブクログ
学生時代教科書に載ってたいくつかの短編以外も急に気になって、初めて自分から魯迅の一冊を読んだ。
魯迅先生は僕の最も尊敬している人間の1人で、10年前仕事で仙台に行った時も、魯迅がかつて留学した時使っていた教室を見学したり、当時使用していたノート(確か)や成績簿の展示を見たりしたくらい。勉強が嫌いだったので基本的に教科書に載っている文章こそ嫌いになりがちだが、こころから感心していたのは魯迅の文章くらいだった。特に「故郷」は、今回読み返してもほとんど一文も忘れていなくて当時は確か全編暗記してたような気がする。
やはり魯迅先生は偉大な作家だけではなく、筆を武器にして戦う戦士だなぁと改めて感じた。少しずつ他の作品集も読んでいこうと決めた。
Posted by ブクログ
”そこで僕は自分に言い聞かせることにした。故郷は本来こんなものなのだ——進歩もないが、さりとて僕が感じているように悲しいとも限らず、悲しいのは僕が心変わりしたからなのであり、そもそも僕にとって今回の帰郷が、楽しいはずはないのだ。—『故郷』より(p.51)”
中国近代文学の父、魯迅の代表作16篇を収録。全体として、心理描写はあっさりしている印象だが、上手くまとまった作品が多い。解説によれば、魯迅には芥川龍之介の短編を集中的に読んでいた時期があるそうで、なるほどと。
中でも、書名にも選ばれている『故郷』と『阿Q正伝』、そして魯迅の自伝的小説『自序』が良かった。
『故郷』は、中学校の国語の教科書にも採用されているのでご記憶の方も多いかと思うのだが、「僕」が二十年ぶりに故郷に帰ってきた際の顛末を描いた作品。今回中学ぶりに読み返して、気になったのは次の一節だった。
”僕は希望について考えたとき、突然恐ろしくなった。閏土が香炉と燭台を望んだとき、僕が密かに苦笑さえしたのは、彼がいつも偶像を崇拝していて、それを片時も忘れないと思ったからだ。いま僕の考えている希望も、僕の手製の偶像なのではあるまいか。ただ彼の願いは身近で、僕の願いは遠いのだ。(p.68)“
「偶像」とは、語義通りには「崇拝対象を象って想像でつくった像」のことだが、おそらくここでは「手が届かないのに、手が届くフリをしている」ことと捉えるべきではないだろうか。「僕」=筆者自身を含めた中国知識人の抱く「希望」は、結局のところ閏土の偶像崇拝=旧い仕来り(=儒教?)と同程度のものでしかない、というのだ。
魯迅がこの短篇を通じて、立場・境遇はそれぞれ違えど揃って貧しさに喘ぐ国民たちの姿を描いたと言うのは正しい。また、それとの対比で、互いを思い合う次世代の宏児と水生に「僕」が国民団結の美しいヴィジョンを見ているというのも勿論その通りだ。しかし、その「希望」は本当に手が届くものなのか、という疑念が筆者の中にあるのである。つまり、筆者は時流に翻弄される中国知識人の有り様を乗り越えられるべきものとして描くだけでなく、彼の批判的な視線は知識人の掲げる理想そのものにまで及んでいるのだ。このような中国知識人に対する自己批判は、他の作品でも見られる。例えば『狂人日記』において、「食人」行為とは旧い仕来たりのナンセンスで凶暴な性質のことであり、しかしながらそれに唯一気づいた「僕」が周囲から"迫害狂(p.270)"として扱われるのは、新しい思想の孤立無援さを表しているというより寧ろ内面的なこと、すなわち掲げる理想の正しさを信じてはいても、圧倒的多数の周りの人とすれ違うことによる不安感・疎外感を表現したものだと、僕は読んだ。また、『自序』によれば、そもそも筆者の創作活動は「新しい社会」に対する失望から始まっているという。
上の一節は、こう続く。
“希望とは本来あるとも言えないし、ないとも言えない。これはちょうど地上の道のようなもの、実は地上に本来道はないが、歩く人が多くなると、道ができるのだ。(p.68)”
一人ひとりの力はたとえ微小でも、多くの人が同じ志を抱けば最後にはそこに大きな「道」ができる。だが、これを裏返して言うと、歩く人が少ないままだと社会は一向に変わっていかないということでもある。こうしたアンビバレントな感情の表現が、『故郷』の一番の魅力だと思う。
余談だが、洋上の「僕」が「地上の道」を頭の中に思い描いているというのも、考えてみると面白い。「『僕』は、地上の道を進む歩みには加わらない(加われない)」という解釈も可能かもしれないが、これは少し深読みのし過ぎか。
一方で、正直なところ、若干ピンとこなかったところがあるのも事実である。これは、僕が中国の習俗に馴染みがないため、戸惑ってしまったことが一つの原因としてあるのではないかと思っている。例えば、『薬』や『狂人日記』に登場する血饅頭。これは斬首刑に処された罪人の首から流れた血を蒸しパンに吸わせたもので、食べると肺病に効くそうだが、最初読んだとき何を言っているのかよく呑みこめなかった。また、科挙制度を知識としては知っていても、それが当時の中国社会にどのような影響を及ぼしていたのか、なかなか想像がつかない。それを前提として物語が語られる知識が残念ながら僕に欠けていて、実感を伴った理解には至らなかったという感じがある。
訳者まえがき
吶喊
(孔乙己/薬/小さな出来事/故郷/阿Q正伝/端午の節季/あひるの喜劇)
朝花夕拾
(お長と『山海経』/百草園から三味書屋へ/父の病/追想断片/藤野先生/范愛農)
付録—『吶喊』より
(自序/兎と猫/狂人日記)
解説
年譜
訳者あとがき