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久しぶりに再会した幼なじみは、かつて僕の英雄だった頃の輝きを失っていた……切なさと次世代への期待に溢れる「故郷」。定職も学もない男が、革命の噂に憧れを抱いた顛末を描く「阿Q正伝」。周りの者がみな僕を食おうとしている! 狂気の所在を追求する「狂人日記」など、文学で革命を起こした中国現代文学の父、魯迅の代表作『吶喊』『朝花夕拾』から16篇を収録。
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Posted by ブクログ
吶喊より 孔乙已 コンイーチー 薬 小さな出来事 故郷 阿Q正伝 端午の節季 あひるの喜劇 朝花夕拾 ちょうかせきしゅう お長と『山海経』 百草園から三味書屋へ 父の病 追想断片 藤野先生 范愛農 付録 吶喊より 自序 兎と猫 狂人日記 藤井先生の解説、つき
・当時、中国は皇帝専制体制の下戦争に負け続け、国内に外国の軍隊が駐在する等、危機的な状況にあった。 ・当時、上記の危惧から民主化を謳う中国の知識人が、農民への啓蒙運動を開始。これを担ったのが文学であった。 ・民主化だけでなく、中国の”悪しき”伝統も啓蒙の対象となった。 Ex.)食人、纒足、科挙...続きを読む(←これは微妙だが、『孔乙己』にて悲惨さが仄めかされている) ・紀元前からの皇帝の専制ゆえ、中国(これはアジア諸地域に共通した性格だが)の従属的な人々は”奴隷根性”を捨てられなかった。(民主化が完璧な措置かどうかは分からないが、魯迅らはこれを正義とみなしている) 以上の前提知識(高校世界史の範囲)がある方が読みやすい。 華々しい歴史に終止符を打とうとしている当時の中国の悲惨な国民の現状と、魯迅の悲痛な思いがひしひしと伝わってくる。しかし、ちょっとしたブラック・ジョークのようなものが挟んでおり、クスリと笑える箇所もある。特に『阿Q正伝』にて主人公阿Qが役人に跪いたまま立てなくなってしまい、呆れられ「奴隷根性!…」と罵られた場面はかなり面白かった。 心に石が残るような誤読感の短編集。小・中学校の教科書に載っていた『故郷』に惹かれた方ならきっと満足すると思う。
待望の現代日本の魯迅研究の第一人者である藤井省三訳の本が出ました。 我が本棚で魯迅の翻訳本を探してみると、丸山昇訳や駒田信二訳や増田渉訳、そして一番よく読んで来た竹内好訳と、5冊程ありました。 今夜、久々に「阿Q正伝」や「狂人日記」など16編の魯迅をじっくり読むために、いつもは存分に腕を振るう料...続きを読む理も端折って、ラゴスティーナにお世話になって15分でカレーです。でも、一昨日から作っていたといっても信用してもらえる味です。 ええっと、そんなことより、7年前に73歳で亡くなった、コミューンに理想を求めたりした特異な中国文学者の新島淳良からも、魯迅と毛沢東を様々に学んだことを思い出したのですが、彼の魯迅の訳本があったのかどうか、本の山をかき分けて捜しましたが見つかりませんでした。 いざ、魯迅と交感の時は迫りし・・・・
20世紀初頭、清王朝から中華民国、中華人民共和国へと激しく移り変わっていく時代に、文芸による革命を信条に創作をつづけた魯迅の新訳作品集。魯迅は若い頃、日本へ留学して東京や仙台で7年余り暮らし、漱石や芥川の影響を受けた人です。 最初の短編「孔乙己(コンイーツー)」から心をぎゅっとつかまれました。「孔...続きを読む乙己」は馬鹿にされ舐められきってしまった、貧しい男です。科挙に受かるほどではないのだけど学はあるほう。彼に焦点を当てる意味とはいったい、と考えながら読んでいました。彼がひとときの楽しみのために通う酒屋、そして日々の暮らしのなかで、彼の周囲にいるあまり学のない庶民との対比、そして苦しい境遇に食い殺されて盗みを働きそれをあかるみにだされ、揶揄われ蔑まれる「孔乙己」。 読者は何を問いかけられているのか。こういった暮らしの苦しさや悲劇、愚かさを文学にすることで、この表現が、孔乙己と彼的な人物を馬鹿にしてしまうに違いないおのれの気持ちを、見直せるチャンスとして機能するのだろうと思えました。社会の倫理的欠陥をあぶりだして問いかけている、と。ですが、それだけを考えていくと、文学的目論見として少々あざとい感じがしてしまうのです。もっとこの短編の細部に注目して、とくにその愚かさの心理のメカニズムを読み手自身の内部からえぐりだすようにして考えてみたり、どうして孔乙己という男が社会的弱者にならねばならなかったのか、と社会学的に社会構造や世間の空気などを考えてみたりと、そういった読みを試みることにまた違った意義がありそうに思えるのです。つまり、短い小説ながら、引き出せる知見に満ちているに違いない匂いがするのでした。 次に、短編「故郷」。これは、故郷の実家を引き払うために帰郷する主人公の話です。その最後に書かれている彼の希望の感覚を知ると、希望を持つことに対しても油断をしていないし、希望と夢といったものとは違う捉え方をしているし、そこが中国人なのかもしれないという気づきがありました。去年、華僑の本を読んでうっすら残る現実主義のイメージとも重なるのです。生き延びるため、サバイブのための、長い歴史に磨かれた本性、あるいは民族性を見た気がします。 「故郷」も「孔乙己」や「阿Q正伝」のように、底辺で生活する社会的弱者が描かれています。引用をします。 __________ 「とてもやっていけません。六男も畑仕事が手伝えるようになりましたが、それでも食うに事欠くありさまで……物騒な世の中で……どこへ行っても金を出せというし、決まりっていうものがなくなりました……それに不作で。育てた作物を、担いで売りに行けば何度も税金を取られるんで、赤字だし、売りに行かなきゃ、腐るだけだし……」 (中略) 閏土(ルントウ)が出て行くと、母と僕とは彼の暮らしぶりに溜息をついた――子だくさん、飢饉、重税、兵隊、盗賊、役人、地主、そのすべてが彼を苦しめ木偶人(でくのぼう)にしてしまったのだ。母が僕に言った――不要品はなるべく閏土にあげよう、彼自身に好きなように運ばせたらいい。(p64-65) __________ →主人公は幼い頃にいっしょに遊びながら憧れた、同世代の子どもだった閏土。彼は使用人の子どもだったのですが、帰郷した主人公が彼との再会で、子どもの時分にはまぶしく輝いていたまるで英雄のような男の子が、そのまま英雄として大人になっておらず、煤けて輝きが失せたような人物になったことに、哀しみをや寂しいものを感じました。そののち、上記の引用のような気持ちになるのです。 この「故郷」を締めくくる最後の一文が名文です。引用します。 __________ 僕は考えた――希望とは本来あるとも言えないし、ないとも言えない。これはちょうど地上の道のようなもの、実は地上に本来道はないが、歩く人が多くなると、道ができるのだ。 __________ →魯迅は文芸で世の中を変えようと考えた人です。言葉を学び文学を味わうことによって大衆の知的レベルを上げ、その結果、世の中の悪しき倫理的欠陥が解消されていくと考えている。一人だけが勉強をするなど、ばらばらに、単発で行っていては道ができない、とこの引用から読み取ることはできると思います。多くの人が同じベクトルで(それは文学を読み、言葉を学ぶこと)進んでいけば、道すなわち希望が現れる、と魯迅は言っているように読めました。 代表作として挙げられる「阿Q正伝」の主人公・阿Qは憎めない悪漢で、やはり底辺でなんとか生きていて、学はなく、なんとか悪知恵のたぐいをしぼって生き延びている。この小説にはもうエンタメ要素があって、可笑しさを感じながら悲しみや憤りを感じられるような、読み手の感情の振幅に大きく影響する小説だと思いました。 また、魯迅のエッセイが『朝花夕拾』という作品集から多数選ばれているのですが、これがいいんです。「お長と『山海経』」がとくに。ユーモアが利いていて、そして微笑ましく、結びもぐっときました。村上春樹さんが好きな人に合いそうな感覚でした。カポーティの『クリスマスの思い出』が好きな人にもおすすめできます。 といったところです。解説によると、大江健三郎さんや村上春樹さんも魯迅を読みこんでいるそうです。この光文社の新訳は読みやすくて、近代小説が書かれた時代と現代との隔たりからイメージされるような堅苦しさはほぼないです。たとえばさきほども触れたエッセイに関していえば、魯迅の血の通った感情が文章に封じ込められていて、みずみずしさすら感じながら読めてしまいました。近頃思うのですが、時代の古い作品だからって、敬遠することはないですね。同じ人間が書いたものとしてそこに共感は必ずでてきますし。清少納言だって、ドストエフスキーだって、やっぱり同じ人間なので「姉さん!」「兄さん!」と思って読めちゃうものです。そして魯迅も、「兄さん!」感覚で読めること請け合いなのでした。
「故郷」で有名だと思っていたが、職場の同僚に聞くと、「知らない」と言われ、地方差で学生の時に習わない人もいることがわかった。 彼の作品を読んでいると、日本に対する好意のようなものが感じ取れ、日本人としては快い気持ちになる。魯迅本人は非凡な才能を持っていたのだろうが、作品からは素朴な雰囲気が漂ってお...続きを読むり、親しみが湧いてくる。
”そこで僕は自分に言い聞かせることにした。故郷は本来こんなものなのだ——進歩もないが、さりとて僕が感じているように悲しいとも限らず、悲しいのは僕が心変わりしたからなのであり、そもそも僕にとって今回の帰郷が、楽しいはずはないのだ。—『故郷』より(p.51)” 中国近代文学の父、魯迅の代表作16篇を...続きを読む収録。全体として、心理描写はあっさりしている印象だが、上手くまとまった作品が多い。解説によれば、魯迅には芥川龍之介の短編を集中的に読んでいた時期があるそうで、なるほどと。 中でも、書名にも選ばれている『故郷』と『阿Q正伝』、そして魯迅の自伝的小説『自序』が良かった。 『故郷』は、中学校の国語の教科書にも採用されているのでご記憶の方も多いかと思うのだが、「僕」が二十年ぶりに故郷に帰ってきた際の顛末を描いた作品。今回中学ぶりに読み返して、気になったのは次の一節だった。 ”僕は希望について考えたとき、突然恐ろしくなった。閏土が香炉と燭台を望んだとき、僕が密かに苦笑さえしたのは、彼がいつも偶像を崇拝していて、それを片時も忘れないと思ったからだ。いま僕の考えている希望も、僕の手製の偶像なのではあるまいか。ただ彼の願いは身近で、僕の願いは遠いのだ。(p.68)“ 「偶像」とは、語義通りには「崇拝対象を象って想像でつくった像」のことだが、おそらくここでは「手が届かないのに、手が届くフリをしている」ことと捉えるべきではないだろうか。「僕」=筆者自身を含めた中国知識人の抱く「希望」は、結局のところ閏土の偶像崇拝=旧い仕来り(=儒教?)と同程度のものでしかない、というのだ。 魯迅がこの短篇を通じて、立場・境遇はそれぞれ違えど揃って貧しさに喘ぐ国民たちの姿を描いたと言うのは正しい。また、それとの対比で、互いを思い合う次世代の宏児と水生に「僕」が国民団結の美しいヴィジョンを見ているというのも勿論その通りだ。しかし、その「希望」は本当に手が届くものなのか、という疑念が筆者の中にあるのである。つまり、筆者は時流に翻弄される中国知識人の有り様を乗り越えられるべきものとして描くだけでなく、彼の批判的な視線は知識人の掲げる理想そのものにまで及んでいるのだ。このような中国知識人に対する自己批判は、他の作品でも見られる。例えば『狂人日記』において、「食人」行為とは旧い仕来たりのナンセンスで凶暴な性質のことであり、しかしながらそれに唯一気づいた「僕」が周囲から"迫害狂(p.270)"として扱われるのは、新しい思想の孤立無援さを表しているというより寧ろ内面的なこと、すなわち掲げる理想の正しさを信じてはいても、圧倒的多数の周りの人とすれ違うことによる不安感・疎外感を表現したものだと、僕は読んだ。また、『自序』によれば、そもそも筆者の創作活動は「新しい社会」に対する失望から始まっているという。 上の一節は、こう続く。 “希望とは本来あるとも言えないし、ないとも言えない。これはちょうど地上の道のようなもの、実は地上に本来道はないが、歩く人が多くなると、道ができるのだ。(p.68)” 一人ひとりの力はたとえ微小でも、多くの人が同じ志を抱けば最後にはそこに大きな「道」ができる。だが、これを裏返して言うと、歩く人が少ないままだと社会は一向に変わっていかないということでもある。こうしたアンビバレントな感情の表現が、『故郷』の一番の魅力だと思う。 余談だが、洋上の「僕」が「地上の道」を頭の中に思い描いているというのも、考えてみると面白い。「『僕』は、地上の道を進む歩みには加わらない(加われない)」という解釈も可能かもしれないが、これは少し深読みのし過ぎか。 一方で、正直なところ、若干ピンとこなかったところがあるのも事実である。これは、僕が中国の習俗に馴染みがないため、戸惑ってしまったことが一つの原因としてあるのではないかと思っている。例えば、『薬』や『狂人日記』に登場する血饅頭。これは斬首刑に処された罪人の首から流れた血を蒸しパンに吸わせたもので、食べると肺病に効くそうだが、最初読んだとき何を言っているのかよく呑みこめなかった。また、科挙制度を知識としては知っていても、それが当時の中国社会にどのような影響を及ぼしていたのか、なかなか想像がつかない。それを前提として物語が語られる知識が残念ながら僕に欠けていて、実感を伴った理解には至らなかったという感じがある。 訳者まえがき 吶喊 (孔乙己/薬/小さな出来事/故郷/阿Q正伝/端午の節季/あひるの喜劇) 朝花夕拾 (お長と『山海経』/百草園から三味書屋へ/父の病/追想断片/藤野先生/范愛農) 付録—『吶喊』より (自序/兎と猫/狂人日記) 解説 年譜 訳者あとがき
魯迅が漢方医学に疑問を感じ日本に留学、医学を目指していたのが、なぜ文学に道を変えたのか、という「自序」に始まり、「自国の窮状を憂え、なんとかしたい」というような短編が、冷静な描写だが叫びの迸るような作品群になっている。 中でも中編「阿Q正伝」の内容は、現代のデストピア小説にも通じるものがあっておも...続きを読むしろい。たしかトルストイの民話風の作品にも、短いのがあった気がする。短絡的かもしれないが両雄とも、小説の気風として大陸的なものを感じる。悲惨だけれどもおかしみがあるようなところが。 わたしが読んだのは、竹内 好訳『吶喊』 (『魯迅作品集 1』 筑摩書房1966年発行より) 「自序」「狂人日記」「孔乙巳」「薬」「明日」「小さな出来事」「髪の話」「風波」「故郷」「阿Q正伝」「端午の季節」「白光」「兎と猫」「あひるの喜劇」「宮芝居」の14短編が収めてある 昔、教科書で習ったのは「狂人日記」「阿Q正伝」 この光文社文庫新訳には「明日」「髪の話」「風波」「白光」「宮芝居」はない。 この新訳も読んでみたい。
魯迅の代表作を新訳したもの。故郷、阿Q正伝のほか、狂人日記等を掲載している。明治期の日本文学の影響を感じさせる。魯迅の評価は、時代背景や新しい文体で書いたことも大きいのだろう。いつか原文でも読んでみたいと思った。
東京で近代文学を学んだ魯迅は 本国において、ブルジョア生活を満喫しながら共産党を擁護していた 大陸的なおおらかさというか、虫がよすぎるというのか ポストモダンのはしりと呼べるのかもしれないし ある意味では戦後日本を先取りする存在なのかもしれない そういう人物だった 作品には、自虐的な認識も反映されて...続きを読むいるように思う この本の解説では、大江健三郎や村上春樹に与えた影響について 論じられている 「孔乙己」 科挙の合格を志しながら、初級試験に受かることすらできぬまま ホームレスに落ちぶれたアル中おじさんのプライド 「薬」 人血饅頭を万病の薬とする野蛮な風習残りし時代に 奇跡の花が咲き誇る 「故郷」 身分の高い家の息子が、平等な世界を一瞬夢みる話 のんきなものだ 「阿Q正伝」 おれは絶対悪くない、ほんとのおれは世界で一番えらい そんな考え方で自分をなぐさめるみじめな男 その軽薄さはしかし、君子ならざるすべての人民に共有されるものだ 革命がそのことを一瞬だけ明るみにさらす 「端午の節季」 阿Qとは正反対に 人間みんな似たり寄ったり、という理屈で自分を慰める教師の話 みんな給料が出なくて困っている とはいえ、みんなで踏み倒せば借金も怖くないだろう しかし宝くじに当選するのはひとりだけだ… 「あひるの喜劇」 蛙とあひるの共存は可能か否か 共産独裁体制の未来を予見するかのようなユーモア作品 「藤野先生」 民族の敗北を素直に、率直に受け止めようとするところに 魯迅文学の原点がある 太宰治「惜別」の元ネタ小説 「范愛農」 出資と言い換える欺瞞によって賄賂を受け取りつつ 間違った人物ならば出資者といえども批判するのが公正というものだ そう嘯いて罵倒的論陣を張る新聞社 それに文句をつけたらつまらない人間というレッテルを貼られてしまう 「兎と猫」 兎を殺害した猫に復讐を企てる男の子 「狂人日記」 被害妄想者の日記が食人の風習を告発する
岩波文庫の竹内好訳を読んでから、この本を読んだ。 竹内好の日本語は見事だと思うが、原文の表現を生かし、現在の日本語で書かれた本書も大変良い。 魯迅の文体に近い訳になっているというだけでなく、注釈、解説が素晴らしい。竹内好の注釈も非常に詳しいが、この本の方がわかりやすい。例えば「阿Q正伝」で、阿...続きを読むQが県城に行ったあと、(竹内訳では「城内」)田舎に帰って、県城で誰でも「麻醤」を打っていると知識を披露する。竹内の注には「ごま味噌の意、麻雀と同音。このころは上層のごく一部でしか麻雀はやらなかった。」と書かれている。藤井注は「半可通の阿Qによる『麻将』すなわち麻雀の言い間違え。」とある。この注で、阿Qが都会に行った田舎者の常で、知ったかぶりして自慢していたということがわかった。同じく「柿油党」についても、竹内の注では意味が分からなかったものが、「『自由党(ツーヨウタン)』という言葉がわからず、似た音の『柿油党(シーヨウタン)』と解釈したもの」で、村人たちも阿Q同様、意味もわからぬまま感心していた、と読み取れた。阿Q正伝が伝えたかったことを考えれば、この辺のことが読み取れるかどうかはかなり大事なところだと思うが、竹内注では読み取れないのだ。(まあ、読み取れる人もいるんだろうけど、わかりやすい書き方ではない。) ただ、教科書に載っていた「故郷」をもう一度読みたいという人は、この本では同じ感動を得ることはできない。こちらの方が、より原文に近いのだろうが、高橋健二訳の「少年の日の思い出」や内藤濯訳の「星の王子さま」のように、その日本語訳があまりに広く長く読まれたため、たとえ多少間違っていても、なじみのある方に懐かしさを覚えてしまうのだ。竹内好は長い原文を短く切って、歯切れよく、印象深く訳している。「故郷」に関しては、竹内訳でよいではないか、と思ってしまう。 『吶喊』には入っていない「藤野先生」や『吶喊』の「自序」の漢方医のことを詳し書いた「父の病」も入っていて、魯迅の代表作が網羅されている。値段は岩波よりちょっと高いが、これから買うなら絶対にこちらが良い。訳者による解説も大学の講義のようで面白い。
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故郷/阿Q正伝
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