企業で新規事業を検討する時、「ニーズ調査」を根拠とする事が多くある。しかし、調査してわかるような「ニーズ」や「社会課題」は、他の企業にも見えるものである。みんなに見えている「おなじ」課題から出発し、ロジカル・シンキングすると、どこかにあるような「おなじ」ものになってしまう。
デザインは「おなじ」を誘発する。たとえばアフォーダンスのように。「ちがう」を誘発させないことを目的としている。ロジックやデザインと違い、アートは徹底的に「ちがう」を作り出そうとするもの。
アート・シンキングは「身体」に重きを置く、なぜなら「身体」は「ちがい」を生み出す「変化」と「異質性」の源だからである。身体はプログラムと...続きを読む 違い「再現性」がない。これは「身体」が持っている3つの「ちがい」による。
「部分によるちがい」「個体差によるちがい」「変化するちがい」である。
アートは多次元的である。ルネ・マグリットのパイプや、マルセル・デュシャンのトイレなど、素材の奥にある世界を見なければならない。アートを見るには「アートとして見る」独特の姿勢が必要である。あるものを1次元で見るのではなく、多次元的に見なければならない。1次元的にしか見れない社会は文化的に皮相である(テレビの批判など)。
アートは、アーティストの環世界のあり様を外在化させたものであるが、「触発」という仕方でそれを見る人の「環世界」を変化させる力を持つ。
人はそれぞれちがう環世界にいて文段されているが、アートを通してそれぞれの環世界は影響しあえる。
優れたアートがすぐに理解されないように、世界を変えてしまうようなアイデアは既存の価値観では「分からない」ものである。「分かる」ということはむしろ「イノベーション」ではない。「分からない」ことからしかイノベーションは起こらない。つまり「分からない」はイノベーションの必要条件であり、「正解」はイノベーションの敵。
技術は表現のツールを増やすだけではなく、知覚そのものに作用し、それを変容させている。
ロジカル・シンキングは例えれば説明文であり共通理解を確認するもの。
デザイン・シンキングは例えればコピーであり共感を生むもの。
アート・シンキングは例えれば詩であり多様な体感を生むものである。
「正解」や効率に慣れている人にとっては「詩」や「アート」はムダに思えたり、難解に思えたりします。しかし、むしろそのモヤモヤした動的な状態から生き生きとした新しい価値は生まれる。
固定概念に縛られた、新しいものに目向きもしない消費の仕方では、やがて価値の総量が目減りして枯渇してしまう。「アート」で既存の枠組みでは理解できない価値を生み出し、価値の総量を増やす。
「実物の代わり」「願掛け」などのラスコーの絵画から、「信仰」の対象のエジプトのピラミッドの中の絵などから、キリスト教をはじめとする「宗教」のためのもの「イコン(偶像)」になり、中世になり、貴族お抱えの「権力」を示すためのものになり、ルネサンスに技術が発展して「再現」できるようになり「人間」がテーマになった、さらにルネサンスを超克するものとしての「近代」がきて、ルネサンス期の天才の地位の高まりを経て、「作者」に自我の高まりと矜持が生まれなた。自律的で自立的なアートが目指されるようになった。「再現」をはなれて「自分」の探求にアートは変化した。絵画の主題は更に変化して、シュルレアリスムは「無意識」抽象画は「構成」を描いた。近代のあと「ポストモダン」のアートは更に「作者性」も解体して、ディシャンのレディメイドなどをはじめとしてアートは作者が作るものですらなくなる。作品は作者ではなく、偶然が作り出したり、展示する銀色のキャンディを持ち帰るように観客に指示するフェリックス・ゴンザレス・トレスの作品のように、観客との相互作用で作られるようにもなる。
「アート」は「真」「善」「美」に挑み「違い」を生み出すもので、普遍ではなく個別的なもので、不変ではなく変化するもの。時代や社会の常識を揺らし、拡張する。変化のモーメントこそがアート・シンキングである。
理屈やデザインは明確な方向性があり、それに触れた人を明確な方向に向かわせるが、一方、アートは「触発」させ、様々な、バラバラな方向に分散させる。
価値とはあくまで自分から相手に伝えるもので自分がまず起点になるべきで、その上で相手との掛け算で生むべき。相手に同化すればわからなくなる。同化すると相手の考えと「おなじ」になるだけ、そうすると自分のプラスアルファを付け加えられない。相手に形だけ合わせて自分の価値を減らすのは本末転倒である。まず「自分」だけの価値を最大化する。
「自分」のかたちはわからないので形を知るためには抵抗が必要である。抵抗に当たり、抵抗に押し返されてしまう部分。押していける部分。「自分」のかたちはいびつである。
一般に、人は「できる」ことの中に価値を見出しがち。「できる」ことが「自分」と思っている。スキルや能力は後から変化できる可塑性を持っている。アート・シンキングはどうしても変えることが出来ない自分を起点にする。「こうありたい」と思うものに人はたいていなれるが、どうしても変えられない部分に自分はある。「自分」とは、イデアのようにあらかじめ原型として静的に「存在」するものではなく、しかし、全く変えてしまえるものでもない。常に更新され、変化しつつ、逃れようとするたびに戻って来る動的なプロセスである。
役割の違う3つのシンキング
ロジカル・シンキング
目的 顕在的課題の解決
特徴 分析的
手法 MECE、ピラミッドスクラクチャー
デザイン・シンキング
目的 潜在的課題の解決
特徴 共感的
手法 エスノグラフィ、プロトタイピング
アート・シンキング
目的 価値の革新
特徴 衝動的
手法 自分起点、触発
これらの何をつかうかの判断が大切。
「1:9:90の法則」で雪だまのように中心に行くほど熱意が高い。会社でも人数が増えると「ロジック」が支配的になり、「本来の価値」を見失ってしまうので注意。中身のない価値は空虚である。成長したあとも中心にある「核」を忘れずに確認することが重要であり、そのためにアートシンキングに立ち戻ることが大切。
自分を隠す3つの罠として「大きいものに隠れる」これは肩書や社会的役割などに引っ張られること。
「欠損を考える」これは何か社会通念的なあるべき姿を軸に考えてしまうこと。歴史ある街から比べて自分の街は統一感がなくしょぼい、これは歴史ある方が良いという通念に従っている。統一感がないという軸を起点に見れば長所にもなりうる。
「当たり前だと思う」自分のことは自分ではわからない。自分の性質は外部の刺激でないとわからない。
「他分」を取り外して最後の最後のこれがなくなったら自分じゃなくなる!というところまで取り外して残ったのが自分である。
自由は自分に理由がある。
他由は他人に理由がある。