礫川全次の作品一覧
「礫川全次」の「史疑 徳川家康事蹟 覆刻版+現代語訳」「史疑 幻の家康論 新装増補改訂版」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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Posted by ブクログ
この本を読んで痛感したこと。それは、漢文を読む力と日本の神様の知識があれば、もっともっと理解が深まったということ。今後古文献を自分で読みたいと思っている自分としては、すこしずつ慣れるようにしつつ、解説付きの本も取り入れていくようにしようと思う。
人身御供、人柱。昔話や民間伝承や現在の物語の題材にもなっているので、意外と馴染みのあるテーマであるように感じたが、歴史上は記録に残りにくいものでもあるので、専門家達の間では大きな議論のテーマであったことが感じられた。
主に柳田國男(否定派)と加藤玄智・中山太郎(肯定派)の論文が多く、批判も交えているので研究の仕方の勉強としても面白いし、当時の論争が目に見えるように編集してあるので面白く読めた。
編集者の中山太郎への敬愛を感じるものだった。
また、編者は論文を読んでいて引用した資料に興味を持ち、論文自体よりその資料により魅力を感じたり、それがなかなか調べられなかったりしたので本書を作ったと。
確かに論文の多さと構成がよく調べられていて情熱を感じた。
印象に残った点
○隠居制度は姥捨て山から転じてできた制度であるということ。
○人身御供は神様に備えるという意味と思っていたが、「神様を食べる」という意味もある。人間を一人神様に選び、その人を殺して食べる風習やキリスト教の葡萄酒とパンがそれにあたるという。そういう見方をするのかと衝撃的だった。
○5月に機織りをしないという風習。水の神は女性であり、機を織ると考えられて入り、水の恩恵を最も必要とする田植月だけはその水の神の真似をするようなことはしないと。
○仏教や儒教の教えによって生贄の風習をやめたという事例も多い。儒教の教えから、人を捧げるように要求する神様は淫祠邪教の神であるからそのような者に捧げる必要はないと説いてやめさせたと。神様を否定せず説得できる場合もあるのか。
○人身御供の名残り転化した風習として、厄を受ける人を決め、沐浴させ、その人を象った土人形を殺す真似をする。その場で死ぬ訳ではないが、5年以内に死ぬとかいう噂になって村にはその期間は捉えられないよう出歩くものがなくなった。
○くしなだ姫の考察。櫛になったのではなく、串に刺されたということでは。女性が犠牲になって田の神になるという信仰は多い。オナリ信仰等。
○生贄自体は女より男の方が数多いが、なぜ伝承になるのは女が多いのか?それは劇的になるからだけではなく、奴隷、妻妾として略奪する場合もあったからだと。
○背景として、山の民海の民が生活物資不足や女が足りないために里に下りて強奪する。襲撃をおそれて村も女物資を用意していた。
○皇居の二重櫓から人骨。記録にないから人柱はなかったの論調に対し、今夜妻が孕んだなどと日記に記録する人はふつういない。記録にないからわが子ではないということがないように記録がないから人柱がないということにはならない。(南方熊楠)
○古代は王の死後人柱を燃やして立ち上った煙をみて霊が下りてきたといった。そのような幽霊観もあった。
○飲料が気化するのを見て、太陽神が飲んでいると古代の人は思った。
Posted by ブクログ
「日本人はいつから働き過ぎになったのか」
日本人の勤勉さについて歴史的に検証している。検証はすべて仮説として断定していないところが奥ゆかしい。
マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』が念頭にあり、近代資本主義がプロテスタンティズムの倫理の精神に支えられていると言うことから、日本におけるプロテスタンティズムの倫理に代わるものは何かという議論と言える。
その元は江戸中期における浄土真宗に起源があるようで、勤勉に働くと言うことが宗教性を持ち、日本の近代資本主義の発展に寄与したと考えられる。
現代に至るまでには幕末から明治の激動を経て武士の倫理が庶民へ影響したこと、福沢諭吉の「学問のすゝめ」、明治政府による二宮尊徳の再評価などが、勤勉に働くことが暮らしを豊かにするという考えを後押ししている。
また、戦中の「最高度の自発性」といった滅私奉公をベースとした精神主義、戦後の終身雇用、年功序列、企業内組合を通じた労働者の企業への参加意識が自発性・自主性を高めついには過労死や過労自殺までに勤勉さを先鋭化したと言うことらしい。
著者は最後になぜ怠惰ではいけないのかと反問しているが、周りを見る限り既にそれほど勤勉な人がいるようには思えないのは気のせいだろうか。どちらかと言えばいい加減な人が多くなりまわりに迷惑をかけることが多くなっているのではないだろうか。少々疑問を感じた。
Posted by ブクログ
過労死に至る日本人の「勤勉性」のルーツを分析するもの。
江戸中期の浄土真宗本願寺派の教義の中に、「勤労のエートス(社会の倫理的雰囲気)」が生まれ、全国に徐々に拡大していく。
その後、明治維新後の新政府が、欧化政策を進める一方、日本のアイデンティティを守るため、国家の基軸として、皇室を据え、その模範的人物として、二宮尊徳の孝行、勤勉、を再評価し、修身の教科書に採用することとした。
このため、急速に日本人は勤勉化していくこととなり、勤勉的な人の人数が怠惰的な人の人数を上回ることとなった。
その後、第二次世界大戦の敗戦後に広まった自由主義・民主主義が、日本人の勤勉性と結びつくことにより、参加意識を高め、自発的に働くことを「働きがい」と感じ、より一層勤勉な労働者が増加してきた。
ここまでは、真の自発的な勤勉であると言える。
しかしながら、昭和40年代以降、年功序列型の賃金体系を見直すために、導入された「能力主義」が、「意欲」や「やる気」も考慮要素とする「日本型能力主義」の導入により、その様相は一変する。
業績、能力だけではなく、「意欲」「やる気」も評価項目とされるため、自発的であることを装う必要が生まれる。すなわち、自発的隷従である。
政治学者の渡辺治氏の言葉を引用しているが、「労働者は外的強制のもとでは、過労死になるまで働くことはない。過労死が社会問題化するのは、労働者が層として企業のために外見的には自発的に忠誠を尽くす構造があるからである。」
本書は、具体的な解決策は提示していないものの、歴史的な流れを踏まえて分析しており、非常に興味深かった。