作品一覧

  • グールド魚類画帖:十二の魚をめぐる小説[新装版]

    グールド魚類画帖:十二の魚をめぐる小説[新装版]

    小説・文芸

    4.0
    1巻4,455円 (税込)
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 英連邦作家賞受賞作品 「ブッカー賞」を受賞した『奥のほそ道』が日本でも大好評を得た、タスマニア出身の鬼才による、「英連邦作家賞」受賞作品。 時代は十九世紀、本書の主人公「ウィリアム・ビューロウ・グールド」はイギリスの救貧院で育ち、アメリカに渡ってから画家オーデュポンから絵を学ぶ。しかし偽造などの罪で、英植民地タスマニアのサラ島に流刑となる。 科学者として認められたい島の外科医ランプリエールは、グールドの画才に目をつけ、生物調査として、彼に魚類画を描かせる。ある日、外科医は無残な死を遂げる。 グールドは殺害の罪に問われ、海水が満ちてくる残虐な獄につながられる。絞首刑の日を待つグールド……その衝撃的な最期とは? 歴史、伝記、メタフィクション、マジックリアリズム、ポストコロニアルなどの趣向を凝らした、変幻自在の万華鏡。奇怪な夢想と驚きに満ちた世界が展開される。 「大傑作」(『タイムズ』)、「『白鯨』の魚版」(『ニューヨーク・タイムズ』)など、世界で絶賛の嵐を巻き起こした、作家の代表作。 色刷り魚類画十二点収録。
  • 奥のほそ道

    奥のほそ道

    小説・文芸

    4.5
    1巻3,762円 (税込)
    ブッカー賞受賞!「傑作のなかの傑作」と絶賛 過酷な〈死の鉄道〉建設と、ある女性への思い 1943年、タスマニア出身のドリゴは、オーストラリア軍の軍医として太平洋戦争に従軍するが、日本軍の捕虜となり、タイとビルマを結ぶ「泰緬鉄道」(「死の鉄路」)建設の過酷な重労働につく。そこへ一通の手紙が届き、すべてが変わってしまう……。 本書は、ドリゴの戦前・戦中・戦後の生涯を中心に、俳句を吟じ斬首する日本人将校たち、泥の海を這う骨と皮ばかりのオーストラリア人捕虜たち、戦争で人生の歯車を狂わされた者たち……かれらの生き様を鮮烈に描き、2014年度ブッカー賞を受賞した長篇だ。 作家は、「泰緬鉄道」から生還した父親の捕虜経験を題材にして、12年の歳月をかけて書き上げたという。東西の詩人の言葉を刻みながら、人間性の複雑さ、戦争や世界の多層性を織り上げていく。時と場所を交差させ、登場人物の心情を丹念にたどり、読者の胸に強く迫ってくる。 「戦争小説の最高傑作。コーマック・マッカーシーの『ザ・ロード』以来、こんなに心揺さぶられた作品はない」(『ワシントン・ポスト』)と、世界の主要メディアも「傑作のなかの傑作」と激賞している。
  • 第七問

    第七問

    小説・文芸

    4.0
    1巻2,970円 (税込)
    ベイリー・ギフォード賞受賞のメモワール 終末的未来を描いた小説家、原爆開発の端緒を開いた物理学者、〈死の鉄路〉から生還した父と家族、流刑地だった国と人々の歴史を描く。
  • Fashion Climbing ビル・カニンガムのファッション哲学、そのすべて

    Fashion Climbing ビル・カニンガムのファッション哲学、そのすべて

    ビジネス・実用

    5.0
    1巻2,530円 (税込)
    彼にファッションを撮られ、ニューヨーク・タイムズに掲載されることはニューヨーカーにとっての最高のステータスだった……。カニンガムが自らの人生を生い立ちから告白、記者として純粋なファッションへの評価を貫いた武勇伝、その哲学を語る。帯に水原希子の推薦文、巻末に三宅一生の解説文を掲載予定!
  • 血みどろ臓物ハイスクール

    血みどろ臓物ハイスクール

    小説・文芸

    3.8
    1巻1,320円 (税込)
    少女ジェイニーの性と暴力をめぐる彷徨譚。詩、日記、戯曲など多様な文体や、イラスト、引用を駆使して紡ぎだされる愛と狂気の物語。現実と神話が混淆する伝説的カルトクラシック。

ユーザーレビュー

  • 第七問

    Posted by ブクログ

    『ときどき思う。なぜわたしたちはそもそもの始まりに繰り返し戻るのか、なぜわたしたちは、自らの人生と呼ぶ織物の後ろに「なぜ」に応える真実が見つかるかもしれないと、一本の糸を探してはそれを引っ張り、織物をほどこうとするのだろうか、と。だが真実などありはせず、「なぜ」しかない。そしてさらに近づいて見てみれば、その「なぜ」の後ろにまたもう一枚の織物が現れる。そしてその後ろにまたもう一枚、またもう一枚と現れ、いつしかわたしたちは忘れ去る』―『第一章/2』

    リチャード・フラナガンを初めて読んだのは十年程前、「グールド魚類画帖 十二の魚をめぐる小説」。そして「奥のほそ道」。これらは小説に分類され、「奥のほそ道」はブッカー賞を受賞。個人的に「シュレーディンガーの猫を追って」のフィリップ・フォレストと印象の重なる作家であり、時に混同さえしてしまう小説家。一方で、本作は「歴史」について考察する一作であり、その分類に属する著作に対するベイリー・ギフォード賞を受賞。ただし、読めば解ると思うけれど「グールド魚類画帖」や「奥のほそ道」と比べて、書きぶりに大きな違いはなく、読んだ印象も同じ象限に着地する。そのことは、訳者あとがきの中でも言及されているが、一八五一年の「白鯨」に対する書評が題辞として引用されているところを見ても、作家が分類に拘っていないということが見て取れる。

    『作者は、この作品が歴史なのか、自伝なのか、地名集なのか、悲劇なのか、恋物語なのか、年艦なのか、感傷的な恋愛劇なのか、空想物語なのか、説明する労を取っていない。あれやこれやで成り立っているのかもしれないし、そうではないのかもしれない。問うたとて、答えはあるのだろうか。
    『白鯨』書評、ホバート・タウン・マーキュリー紙、一八五一年』

    ではこの本はどんな本なのだろう、そもそも「第七問」とは何を意味しているのだろう、とぼんやり考えながら読んでいると、幾らも頁を捲らない内に二つ目の問いに関する答えに辿り着く。それはチェーホフの短篇の一つにある皮肉な問い掛けであり、それは「答えの無い問い」ということなのだ、と。けれど、調べてみると、チェーホフの短篇「狂った数学者の提起した問題」には同じような不条理な問いが八つあることが判る。ならば他でもない第七問を取り上げた意味は何なのだろう。それもまた頁を進めるに従って徐々に見えて来ることだが、鍵となる言葉は「指示」であり「愛」なのだ、と。

    『戦争には倫理に依拠した計算法があるふりをする。実に多くのことができるふりをする。だが戦争においては、単純な算数すら可能ではない。(中略)あの青い朝に散った無数の知られざる死者の魂は捉えられず、計測を拒み、メトリクスを嘲笑う。それら死者の魂は数字の外に在る。チェーホフは、答えを提示するのではなく必要な問いを投げかけるのが文学の役割であるということを信条としていた。チェーホフ最初期の短篇の一つに、学童に出す暗算の問題のパロディがあり、そのなかの第七問が好例である ―― 一八八一年六月一七日水曜日、ある列車が、A駅を午前三時に出発してB駅に午後十一時に到着する予定でしたが、出発直前になって、午後七時までにB駅に到着せよとの指示がありました。より長く愛するのはだれでしょう、男でしょうか、それとも女でしょうか』―『第一章/17』

    終戦を広島で戦争捕虜として迎えた父の足跡、日本の敗戦を象徴してしまう新型爆弾、その爆弾を投下する任を追った機長の母親の名前を冠したエノラ・ゲイ号の乗組員の逸話、原爆という言葉を生み出した空想科学小説家H・G・ウェルズの科学的洞察と乱れた私生活、ウェルズが後年記した科学理想郷的著作、その著作に霊感を受けて空想の兵器を現実のものへ変えて行く役割の一端を担う異才レオ・シラードの生涯、と、身近な存在から作家の思索は次々と「連鎖反応」を起こし展開していく。それは一見足元の地点から遠い地平線への飛躍のようだけれど、その連鎖反応の根源には常に作家自身の心の傷があり、言及される過去の困難、苦悩は決して他人事、あるいは客観的な歴史解釈のようなもので合理的に説明され得るものではなく、自身と地続きな問題なのだということが繰り返し示唆される。それは、全ての形の「戦争」「侵略」「差別」と関係があり、タスマニアの歴史にも、それを歴史の必然のように見なす大英帝国的史観にも、ウェルズの書いた「宇宙戦争」にも、地球を襲う火星人という「概念」にも、人間の腹黒い本質が表れているのだ、と。

    そして「第七問」に対する作家の答えのような一文に行き着く。

    『わたしはこういったことを理解しようと、解決しようと、一篇の小説を書いた。それを書いているあいだ、書くという行為は知り得ないものを知ろうとする方法だと思っていた。書き終えてみると、自分がなにひとつ理解していないことがわかった。―― より長く愛するのはだれだろう』―『第八章/16−17』

    しかし、本書がどこか郷愁に満ち、他人事とは思えない寂寥感を読むものの内に共鳴させるのは、著者が決して大きな問題を大上段に振り被って切り捨てるような考察を下さないからであり、差別する側ではなく差別される側の視点が常にそこにあるからだとも言える。そう解って来ると冒頭に引用した自問の意味が更に一段深い所で響き出すのだ。ただし、作家自らが語る作家や作家の家族の逸話がどこまで客観的な事実なのかは、作家自身すら確信を持てないでいる。歴史を語るとは記憶を言語化することに他ならないが、記憶は記録ではなく、感情の起伏による解釈や後年の自己保身のための修正の施されたものに過ぎないのだから。郷愁が須らく愛おしさと結びつくのは記憶が受け入れ易いものに作り直されているからなのだ。

    『わたしはどの年に最も雨量が多かったか、あるいは一九六四年や一九六五年の雨量が多かったとするのは正しいか記録をあたることもできるが、わたしが記述しているのは記憶であって事実ではなく、そしてわたしたちは事実によって自分自身を知るのではなく、記憶――その詐術、その回避、その沈黙、そのでっち上げ、その避けられない疑問――によってわたしたちになり、あの狭い居間でゆっくりと円を描いて動き、そのあいだ雨は絶え間なく降りつづき、下地のないトタン屋根を叩きつけ、窓をかすめ、テレビはまた意味をなさず、父は別のダンスと昔の記憶に身をまかせ、わたしたちはともに父の過去をゆっくりと円を描いてめぐる』―『第六章/4』

    頁が進むにつれ、大きな問題は、小さな問題と裏腹の問題であることがますます明らかとなってくるのだけれど、それは作家の幼少期の記憶、祖母の記憶、父の記憶、母の記憶と濃密に絡み合う。そのことを作家自ら終盤の第九章にこんな風に記している。

    『描くことができない夢を実現することはできない。そしてときにわたしたちは、自分が他人の夢や悪夢に住みついていることに気づき、新たに夢を見る。あなたが今読んでいるこの本は、わたしの父母と故郷の島への、消え去った世界への愛を綴った短い手紙であり、それ以上のものではない』―『第九章/17』

    決して「短い」とは言えないけれど、確かに本書は去ってしまった人々や世界への語りかけとして読むのがしっくりと来る。その意味で、本書の目的は第九章までで完結しているとも言えるのだけれど、そもそも著者がそのような思索をすることになった経緯が第十章に記されている。この章を読んだら、翻訳されていない作家の最初の小説「Death of a River Guide」を読んでみたくなった。

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    2026年09月07日
  • 奥のほそ道

    Posted by ブクログ

    凄まじい本だった。圧倒的。まず描写力がすごい。体験した本人しか書けないんじゃないかと思うような、各人の具体的な感触、思考の流れ、感情。臨場感ありすぎ。
    物語の構成も凄い。語られていく断片が徐々にパズルのピースのように埋められていき全貌を露わにし新たな意味を表す。
    父親の経験を基に12年をかけて書かれた本。この本には血肉があり、何人もの個人的な叫び、痛み、疑問があり、人類全体の持つ闇、結局のところ暴力とは何なのか、人が人を虐げ続けることとは何なのか、という恐怖や絶望もある。
    そして欺瞞や、一つの嘘が人間を壊してしまうということも。
    これからもこの本に書かれている一つ一つの文章について考える必要があると思った。

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    2022年09月30日
  • Fashion Climbing ビル・カニンガムのファッション哲学、そのすべて

    Posted by ブクログ

    生前、自身について多くを語らなかったビルカニンガムの生い立ちを知ることができる貴重な一作。
    彼の哲学や信念はこうして誕生したのか、と深く感銘を受けた。
    本質を見る目、ファッションに対する情熱、行動力、センス、公平さ、全てにおいて右に出る人はいるのだろうか…。
    自分に嘘をつかず、人を欺かず。
    こうした存在がまたファッション界に現れることを切に願う。

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    2021年10月28日
  • 奥のほそ道

    Posted by ブクログ

    凄い深みのある作品。
    感想もさらっと出てこない。
    前半、場面や時間があちこちに移るので読むのに苦労するが、後半それが繋がりだすと俄然物語に引き込まれていく。読み終わると再度前半を読み返して理解を深めていくことになる。
    戦争の虚しさ、残酷さは他の無数の作品で語り尽くされてはいるが、著者は声高らかに戦争の反対を訴えるわけでもなく、日本軍の残虐行為を非難するわけでもなく、虐待する側、される側双方の戦前、戦後の人生を描いていく。
    著者は相当日本文化を研究したんだと思う。
    日本の俳句を絡めて極めて興味深い作品になっています。

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    2020年08月20日
  • 血みどろ臓物ハイスクール

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    文庫の帯は岸本佐知子先生「ワイルドで奥深くて崇高な、世にも美しい言葉のテロ。姐さん、一生ついていきます。」
    単行本訳者あとがきに、ナックルダスターで武装して会いに行ったという挿話。
    文庫版訳者あとがきの、バイク用ヘルメットを脇に、階段を駆け下りてきたアッカーの姿が目に浮かぶ、という結び。
    それらに惹かれ、抵抗感を抱きながらも、つい購入。
    というのも、生活がそのまま詩を吐くような破滅的天才の創作を、やや忌避しているからだ。
    うまく浮かばないが、中島らも「今夜すべてのバーで」に登場する天童寺不二雄が物を書いたとして、あまりに自分とかけ離れすぎているだろうから。
    しかしそんなことなく、キャシー・アッカーは大変知的に文芸作品をブッ込んでいる。

    また著者の写真を見ると、どうも「マッド・マックス 怒りのデス・ロード」のフュリオサを思い出してしまうが、
    フュリオサそのものでは、もちろん、ない。
    フュリオサは「強姦を撥ねつける」側だが、キャシーは「強姦する」側と見做せようか。
    しかしその「強姦する」は限りなく「強姦される」に近いともいえる。

    ウィキペディアで「セックス・ポジティヴ・フェミニズム」という概念を初めて知る。
    確かに自分の躰を自分で使って何が悪い。
    フェミニストは性忌避者という自分の思い込みは、すでに前時代のマチズモにどっぷり浸されていたのだ。
    伊藤野枝やアギレラやマドンナやジャネット・ジャクソンの名を見て、さらに納得。
    脱線するが大杉栄と伊藤野枝の子供の名前……魔子、エマ、エマ(え、同じ!?)、ルイズ、ネストルなど……笑ってしまった。
    森鷗外と通じる。やはり前から気になっていた「村に火をつけ、白痴になれ」を読もう。

    閑話休題。
    ストーリーはあるようなないような。
    ファック関係にある父から疎まれ、不良とつるみ中絶を繰り返し、売春業者に売られても業者のペルシャ人に恋し、脱出した先でなんとジャン・ジュネと会い同質の者同士分かり合えるかと思えばやはり捨てられ、死に。
    筋だけ見ると下降線を描いている(のでフェミニストには受けが悪いとか)が、むしろ語りのテンションは上昇するばかりだ。
    地の文。イラスト。戯曲風会話。童話のパロディ。有名作品の読書感想文。異国語で作詩。コピペ。有名人を導入。などなどなど手法の饗宴ゆえに。

    しかし内面は孤独で愛を求める。「愛してよ」と罵詈雑言で言い換え続けるような。
    とはいえ発せられる言葉は終始えげつない。この乖離の面白さと切なさよ。
    連想するが、たとえば桜庭一樹「私の男」で「新鮮な肉だとよ、お嬢さんたち。あたしゃもっと若いけど、こちとらタフで堕落した腐れビーフ。わがオマンコは赤しオエッ」てなことを言う娘を、父は愛しぬけるか?いやー無理でしょう。

    引用したい言葉多数。
    ネット上で拾い集めた作者本人の挿話……山形浩生の「アホだら帝国」あとがき、や、エッセイ「病がくれたもの」とか……も興味ぶかい。
    ある時代のある種の作家と片づけることもできなくもないが、読後、私の中に確かに根付いた。これから育つかもしれない。

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    2019年04月24日

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