人生の処世術を深めるために、机の横に常に置いておき、毎日、何度も少しずつ繰り返し読んでいきたい。
置かれた立場、また時期によっても、響くところが変わってくると思うのだが、現在、自分として記録しておきたい箇所は以下の通り。
以下引用~
・富貴や名誉も、徳望によって得たものは、たとえば自然の野山に咲
...続きを読むく花のようで、ひとりでに枝葉が伸び広がり十分に茂ってゆくものである。(これに対して)事業の功績によって得たものは、たとえば人口の鉢植えや花壇の花のようで、移しかえたり、捨てたりまた植えたりされるものである。もし権力によって得たものであれば、たとえば花瓶に差した切花のようで、その根がないのだから、しぼむのはたちどころの間である。
・真に清廉なる者には、清廉という評判は立たない。清廉という評判が立っている人は、実はそれを手段とする欲張りな人である。また、真に巧妙な術を体得した者は、巧妙な術などは見られない。巧妙な術を用いる人は、実はそれがまだ板につかない全く拙劣な人である。
・悪事をなして、人がそれを知ることを恐れる者は、悪事をなす中にもなお善に向おうとする心がある。(これに反して)善行をなして、人が早くそれを知ってくれるようにと願う者の方が、善行の中にも悪に向おうとする心があるものだ。
・苦しんだり楽しんだりして、修行を重ね練磨して作り出した幸福であってこそ、その幸福は永続する。
また、疑ったり信じたりして、苦心を重ね考え抜いた知識であってこそ、その知識は本物になる。
・まだ成就していない事業の完成をあせるよりも、すでに完成している事業を永く保ち発展させる方がましである。また過去の過失をいつまでも後悔するよりも、将来の失敗を早く予防する方がましである。
・文章というものは、最高の域に達すると、特別に珍しい技法があるものではなく、ただぴったり合った表現をするだけである。人格も、最高の域に達すると、特別に変わった点があるものではなく、ただ自然のままだけである。
・人を信用する者は、人は必ずしも皆が皆、誠実であるとは限らないが、少なくとも自分だけは誠実であることになる。(これに反して)人を疑う者は、人は必ずしも皆が皆、偽り欺くとは限らないが、少なくとも自分がまず偽り欺くことになる。
・他人のあやまちは許すがよいが、しかし自分のあやまりは決して許してはならない。また、自分のつらいことはじっと耐え忍ぶがよいが、しかし他人のつらいことは決して見逃してはならない。
・自分の功績に得意になり、自分の学問を見せびらかすのは、みな自分以外の外の物にたよって人間として生きているに過ぎない。この人たちは知らないのだ。心の本体が玉の輝くように明らかで、本来の光りを失わなかったならば、たとえ少しの功業もなく、一字も読めなくとも、正々堂々たる人間として生きていけるということを。
・つまらぬ小人どもを相手にするな。小人には小人なりの相手があるものである。また、りっぱな君子にこびへつらうな。君子はもともとえこひいきなど、してくれないものである。