今井宇三郎のレビュー一覧
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人生の処世術を深めるために、机の横に常に置いておき、毎日、何度も少しずつ繰り返し読んでいきたい。
置かれた立場、また時期によっても、響くところが変わってくると思うのだが、現在、自分として記録しておきたい箇所は以下の通り。
以下引用~
・富貴や名誉も、徳望によって得たものは、たとえば自然の野山に咲く花のようで、ひとりでに枝葉が伸び広がり十分に茂ってゆくものである。(これに対して)事業の功績によって得たものは、たとえば人口の鉢植えや花壇の花のようで、移しかえたり、捨てたりまた植えたりされるものである。もし権力によって得たものであれば、たとえば花瓶に差した切花のようで、その根がないのだから、しぼ -
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この本の内容を、物心が付く頃から自分に教えてくれる人がいたなら、どんなに良かっただろうと思う。
『菜根譚』は明代の末期に洪自誠という人によって書かれたという。
どの頁を読んでも、何百年も前に生きた賢人が知恵を授けてくれるという有り難さ、古典の素晴らしさを感じた。
我々が、一から経験し失敗してやっと悟って、としていると短い人生では時間が足りない。
古人の経験と知恵の上に乗り、よい人生を歩むために古典を読むべき、と言われる意味を痛感する本だった。
人の世で生きる知恵が盛り沢山で、心に染みる言葉が沢山あった(特に前半)。
どんな本を読むのか、読む本を選ばなければいけな、とつくづく思えた本。
繰り -
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前編222、後編135の話があり、処世の術を説いたのは前編。でも後編も読んでみて良かった。学べることは多かった。
学ぶことが多すぎて、1回読んだだけでは頭に入りきらない。
この手の古典は、読んで自分のものにするのには1回や2回読んだだけでは身につかず、何度も読んで想像し、自分のものにする作業が必要と感じた。
読んでみて、大事だな、と感じたこと。
1歩引くことや、
厳しすぎず甘すぎず、
功名心にかられてはいけないこと、
正しいことを求めること、
大過ないことも大事なことであること、
良いことをしても、褒められることを求めてはならぬこと、
小事も手ぬかりせず、人が見てないからといって欺くこ -
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・『後集 四八項』
機動的
機び(気持ちが)、動くは(動揺していれば)、
弓影(弓の影)も疑いて、蛇蝎キカツ(蛇や、蠍ではないか)と為し(思い)、
寝石(草むらの石)も視て、
伏虎フクコ(虎が伏せているのではないかと)と、為す(思い込む)
此の中(動揺している中では)、渾スベて(すべてが)、
是れ殺気なり(殺気に満ちてしまうのである)
念(雑念が)の息ヤめる(収まれば)は、
石虎(暴虐の人物)も海おう(海のカゴメのように穏やかに)と作ナすべく(感じられ)、
蛙声アセイ(騒がしい蛙の声)も、鼓吹コスイに当アつべし(鼓ツヅミや笛の音のいように、聴こえてくる)。 -
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逆境の中にいるとき、身の周りのすべてのことが実は鍼(はり)や薬となり、自分の信念(節操)を研ぎ、行動を磨いている。順境にあるとき、目の前のすべてが、刃や戈(ほこ)になって、肉を溶かし、骨を削っている。
世渡りの秘訣は、(譲って差し支えないものについては)相手に一歩を譲ることである。こちらが一歩を退くことで、こちらは一歩を進めている。
花は半開を看、酒は微酔に飲む。この中に大いに佳趣あり。
多情の女は男狂いの果てに尼になる。のぼせやすい男は思いつめて仏道に入る。かくして神聖なるべき寺院が、いつも淫(みだ)らな女やよこしまな男どもの集まる巣窟となる。 -
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本のタイトルすら読めなかったが、訳が上手いのか 頭に入りやすかった。
中でも 際立っているのが
24「清いものは常に汚れたものから生まれ、光り輝くものは常に暗闇から生まれる」だから 潔癖にならず、汚れや けがれを 全て飲み込め とまで言っている。その通りだと思う
他にも 何となく 聞いたことがあったり、知らぬうちに実践していたり しているのもあり 汎用性の高さに驚いている
80「未完成をあせるより 完成したものを長続きさせる方がまし。過去を後悔するより将来の失敗を早く予防する方がまし」
109「老後の病気は若い時に摂生しなかった報い、下り坂での災いは 盛んな時に無理をした罰」
15 -
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ところどころ現代の日本では当てはまらないのではないかと思われる提言もあるが、全体的にはためになった。
道教や儒教の思想を強く感じさせる内容で、読んでると心がおだやかになるような気がする。かもしれない。
ポイントは、すべての物や事象は、自分の心次第で変化するということ。
<我貴くして人これを奉ずるは>
栄位のゆえに我を人が尊ぶのは、この身につけた高い冠や大きな帯のためである。微賎のゆえに我を人が侮るのは、この身につけたもめんの衣服とわぐらくつのためである。そうともすれば、もともと我を人が尊ぶのではないから、どうして喜んでおられようぞ。もともと我を人が侮るのではないから、どうして腹を立てておられよ