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「人よく菜根を咬みえば、則ち百事なすべし」。菜根は堅くて筋が多い、これをかみしめてこそものの真の味わいがわかる。明代末期に三教(儒仏道)兼修の士洪自誠が自身の人生体験を基にかみしめて味わうべき人生の哲理を簡潔な語録の形に著わした。本文庫版には注と解説に校注者の研究水準の高さが充分に盛り込まれている。
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Posted by ブクログ
洪自誠の例えがとてもわかりやすく、すんなり入ってきた。自然や身の回りのよく通り過ぎてしまうような当たり前のこととリンクしていることが多いと学べた。これからも中庸の考え方を意識して何事も捉えて行きたい。
人生の処世術を深めるために、机の横に常に置いておき、毎日、何度も少しずつ繰り返し読んでいきたい。 置かれた立場、また時期によっても、響くところが変わってくると思うのだが、現在、自分として記録しておきたい箇所は以下の通り。 以下引用~ ・富貴や名誉も、徳望によって得たものは、たとえば自然の野山に咲...続きを読むく花のようで、ひとりでに枝葉が伸び広がり十分に茂ってゆくものである。(これに対して)事業の功績によって得たものは、たとえば人口の鉢植えや花壇の花のようで、移しかえたり、捨てたりまた植えたりされるものである。もし権力によって得たものであれば、たとえば花瓶に差した切花のようで、その根がないのだから、しぼむのはたちどころの間である。 ・真に清廉なる者には、清廉という評判は立たない。清廉という評判が立っている人は、実はそれを手段とする欲張りな人である。また、真に巧妙な術を体得した者は、巧妙な術などは見られない。巧妙な術を用いる人は、実はそれがまだ板につかない全く拙劣な人である。 ・悪事をなして、人がそれを知ることを恐れる者は、悪事をなす中にもなお善に向おうとする心がある。(これに反して)善行をなして、人が早くそれを知ってくれるようにと願う者の方が、善行の中にも悪に向おうとする心があるものだ。 ・苦しんだり楽しんだりして、修行を重ね練磨して作り出した幸福であってこそ、その幸福は永続する。 また、疑ったり信じたりして、苦心を重ね考え抜いた知識であってこそ、その知識は本物になる。 ・まだ成就していない事業の完成をあせるよりも、すでに完成している事業を永く保ち発展させる方がましである。また過去の過失をいつまでも後悔するよりも、将来の失敗を早く予防する方がましである。 ・文章というものは、最高の域に達すると、特別に珍しい技法があるものではなく、ただぴったり合った表現をするだけである。人格も、最高の域に達すると、特別に変わった点があるものではなく、ただ自然のままだけである。 ・人を信用する者は、人は必ずしも皆が皆、誠実であるとは限らないが、少なくとも自分だけは誠実であることになる。(これに反して)人を疑う者は、人は必ずしも皆が皆、偽り欺くとは限らないが、少なくとも自分がまず偽り欺くことになる。 ・他人のあやまちは許すがよいが、しかし自分のあやまりは決して許してはならない。また、自分のつらいことはじっと耐え忍ぶがよいが、しかし他人のつらいことは決して見逃してはならない。 ・自分の功績に得意になり、自分の学問を見せびらかすのは、みな自分以外の外の物にたよって人間として生きているに過ぎない。この人たちは知らないのだ。心の本体が玉の輝くように明らかで、本来の光りを失わなかったならば、たとえ少しの功業もなく、一字も読めなくとも、正々堂々たる人間として生きていけるということを。 ・つまらぬ小人どもを相手にするな。小人には小人なりの相手があるものである。また、りっぱな君子にこびへつらうな。君子はもともとえこひいきなど、してくれないものである。
この本の内容を、物心が付く頃から自分に教えてくれる人がいたなら、どんなに良かっただろうと思う。 『菜根譚』は明代の末期に洪自誠という人によって書かれたという。 どの頁を読んでも、何百年も前に生きた賢人が知恵を授けてくれるという有り難さ、古典の素晴らしさを感じた。 我々が、一から経験し失敗してやっと悟...続きを読むって、としていると短い人生では時間が足りない。 古人の経験と知恵の上に乗り、よい人生を歩むために古典を読むべき、と言われる意味を痛感する本だった。 人の世で生きる知恵が盛り沢山で、心に染みる言葉が沢山あった(特に前半)。 どんな本を読むのか、読む本を選ばなければいけな、とつくづく思えた本。 繰り返し読みたいと思う。 いろいろな訳がありますが、自分にはこの岩波の訳がすっと入りました。
性格にしても生活にしても素朴で普通が一番というのが、一つこの本が持っているメッセージだと思います。 無意識に思い上がってるような時、落ち込んでいる時など、気持ちのアップダウンを調整してくれる本、読む度に重要な気づきを与えてくれる本として枕元に置いておき、この先ずっと付き合っていきたいと思える本です...続きを読む。
前編222、後編135の話があり、処世の術を説いたのは前編。でも後編も読んでみて良かった。学べることは多かった。 学ぶことが多すぎて、1回読んだだけでは頭に入りきらない。 この手の古典は、読んで自分のものにするのには1回や2回読んだだけでは身につかず、何度も読んで想像し、自分のものにする作業が必...続きを読む要と感じた。 読んでみて、大事だな、と感じたこと。 1歩引くことや、 厳しすぎず甘すぎず、 功名心にかられてはいけないこと、 正しいことを求めること、 大過ないことも大事なことであること、 良いことをしても、褒められることを求めてはならぬこと、 小事も手ぬかりせず、人が見てないからといって欺くことせず、投げやりにならないこと、 人から加えられる害を防ぐ心がけは持たねばならず、欺かれてもあらかじめ推測して偽りを見破る心構えをすること、 人生においては、少しだけ減らすことが肝。人付き合い、発言、思案すること、利口ぶること。
・『後集 四八項』 機動的 機び(気持ちが)、動くは(動揺していれば)、 弓影(弓の影)も疑いて、蛇蝎キカツ(蛇や、蠍ではないか)と為し(思い)、 寝石(草むらの石)も視て、 伏虎フクコ(虎が伏せているのではないかと)と、為す(思い込む) 此の中(動揺している中では)、渾スヘ...続きを読む゙て(すべてが)、 是れ殺気なり(殺気に満ちてしまうのである) 念(雑念が)の息ヤめる(収まれば)は、 石虎(暴虐の人物)も海おう(海のカゴメのように穏やかに)と作ナすべく(感じられ)、 蛙声アセイ(騒がしい蛙の声)も、鼓吹コスイに当アつべし(鼓ツヅミや笛の音のいように、聴こえてくる)。 触フるる(触れるものすべてが)、処倶トコロトモに(たちまちに)、 真機シンキ(真実の働き)を、見る。 /訳/ 気持ちが、動揺していれば、 弓の影も疑って、蛇や、蠍ではないかと思い、 草むらの石を見て、 トラが伏せているのではないかと、思い込む。 動揺している中では、すべてが、 殺気に満ちてしまうのである。 雑念が収まれば、 暴虐の人物も海のカゴメのように穏やかに、感じられ、 騒がしい蛙の声も、鼓ツヅミや笛の音のいように、聴こえてくる。 触れるものすべてが、たちまちに、 真実の働きを、見る。 ・『前集 八七項』 静中(静かななかで)の念慮澄徹チョウテツ(考えが澄みきっている)ならば、 心の真体(心の本当の姿)を、見る。 間中(ちょっと暇にしているなかで)の気象従容ショウヨウ(気持ちの持ちようがゆったりしている)ならば、 心の真機(心の本当の働き)を識シる。 淡中(あっさりしているなかで)の意趣沖夷チュウイ(おもむきが安定している)ならば、 心の真味(心の真の味わい)を得ウ(得る)。 心を観じ道を証するは、此の三者に如シくは無し。 /訳/ 静かななかで、考えが澄みきっているならば、 心の本当の姿を、見る。 ちょっと暇にしているなかで、気持ちの持ちようがゆったりしているならば、 心の本当の働きを識る。 あっさりしているなかで、おもむきが安定しているならば、 心の真の味わいを得る。 ・『後集 九十四項』 文以拙進 文(文を作る修行)は、 拙セツを(不器用を)以て(誠実に守ることで)進み(進歩して)、 道(道のために修行)は、 拙を(不器用を)以て(誠実に守ることで)成る。 一の(この)拙(不器用)の字、無限の意味あり(含まれている) /訳/ 文を作る修行は、 拙さを誠実に守ることで進歩して、 道のための修行は、 拙さを誠実に守ることで成就する。 この拙の字、無限の意味が含まれている。 ・普通、拙というのは、悪い意味で使われることが多いです。 しかし、菜根譚では拙によって、文章は進んでいき、道も拙によって成就するといっています。 拙というのは、必要以上の飾りや巧みな技がまったくありません。つまり、よくいうと純朴なものや素朴なものということです。そこに、無限の力があるといっています。 拙は、そういった不器用な粗削りのなかにこそ、いままで気づかなかった確信をとらえていたりすることがあるそうです。 対義語は、巧という字です。『巧』の境地にいる間は、自分となかなか向き合うことはありません。自分の鎧を何もかも取り外して、自分のなかの拙と対峙して、大切に守ることで進んでいくのだとすれば、 飾れない、ということが、逆に長所だということを考えると、可能性がすごく広がっていくように思えました。
入社時より、折にふれ、何度も読み返してきた座右の書。仏、儒、道の三教に通じた洪自誠による人生訓で、役にたつ珠玉の言葉がちりばめられている。 最初に購入した本は、表紙も破れ、背表紙もほつれてしまい、バラバラになるないように、セロテープで補強して読み返していたが、見かねた女房が 今年になりBook Of...続きを読むfで発見し、再購入してくれた。 定年まじかになり、台二の人生を送るべき、改めて、今後も座右の書として都度、美見返してみる。 また、原書である中国版にもあたってみたい。
菜根は堅くて筋が多い、これを噛みしめてこそ、ものの真の味わいがわかる。明代末期の浩自誠による名著。 P110の「天、我に薄くするに福を以てせば、吾、吾が徳を厚くしてこれを迎えん」の下りにしびれた。 読むのに時間かかり過ぎた。もっと早く読めるようになりたい。
個人的には『論語』と並ぶか、それ以上の古典だと思う。 一つ一つが独立した話なので『論語』より読み易いかと。
学生時代に読んだ、五指に入る本。 謙遜、節制などの道徳が、古臭くなく腑に落ちていく感覚は稀有な体験だった。 『論語』と同じく自分の基礎になっていると感じる本。 西宮〜岐阜〜岡山と一緒に持っていったように、一生そばに置いておきたい本。
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