作品一覧

  • 論争 関ヶ原合戦(新潮選書)
    4.7
    1巻1,650円 (税込)
    「淀殿や三奉行は三成派」「直江状は偽書」「小山の評定は後世の創作」「戦は一瞬で終わった」「関ヶ原は戦場ではない」「問い鉄砲はなかった」……。四百年を経た今も日本史上最大の野戦について激しい論戦が繰り広げられている。そのうち、注目を集めた新知見を、第一人者である著者が吟味し、総合的な歴史像を構築する。
  • 関ヶ原合戦 家康の戦略と幕藩体制
    4.1
    1巻1,155円 (税込)
    秀吉没後、混沌とする天下掌握への道筋。豊臣政権内部で胚胎した諸問題はやがて家康と三成の2大勢力形成へと収斂してゆく。東西に分かれた両軍が衝突する慶長5年9月15日。戦いはどのように展開したのか。関ヶ原に未だ到着しない徳川主力の秀忠軍、小早川秀秋の反忠行動、外様大名の奮戦、島津隊の不思議な戦いなど、天下分け目の合戦を詳述。(講談社学術文庫)
  • 決戦! どうぶつ関ヶ原
    3.9
    1巻1,320円 (税込)
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 天下分け目の戦いといわれる「関ヶ原合戦」。慶長5年9月15日(1600年10月21日)、徳川家康が率いる東軍7万5000と石田三成が率いる西軍8万2000が、激突した。   国を二分した大合戦の一日を、作者コマヤスカンが、戦国武将をタヌキやサル、ゴリラなど、どうぶつたちに模し、史実にもとづきながら描く。どうぶつ武将たちのユーモアがいっぱいちりばめられた描写と、形勢が一目でわかる鳥瞰図で、複雑な戦いの模様を、ページをめくりながら面白く理解できる傑作! 関ヶ原合戦を知らない人でも、動物の運動会を見るように楽しめ、気がつけば深く楽しむことが出来るます。同時に、歴史ツウも思わず笑ってしまう仕掛け満載です。 --あらすじ-- 慶長5年9月15日(1600年10月21日)。徳川タヌキ家康率いる東軍と石田サル三成率いる西軍が、岐阜県・関ヶ原に集結した。戦場たちこめた霧がうっすらと晴れたころ、開戦の合図とともに、宇喜多ホーホー秀家、島ゴリラ左近と黒田カラス長政や福島イノシシ正則が激突。両軍一歩も譲らない攻防がくり広げられます。  戦いを左右する、小早川カエル秀秋はどちらの軍につくのか? 毛利ライオン秀元は山を下りるのか? 戦いのゆくえはいかに……。 ※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 『日暮硯』と改革の時代 恩田杢にみる名臣の条件
    -
    1巻640円 (税込)
    享楽と華美の元禄時代の後、バブル崩壊により真田松代藩は財政破綻に瀕した。その松代藩がなぜ奇跡的な再建に成功したのか? この改革と指導者の理想が描かれた『日暮硯』は、すでに江戸時代から多くの共感を得て「政治のバイブル」=政治的な腹芸の書として広く読み継がれてきた。本書では、物語としてのみ読まれてきた松代の藩政改革の史実性を再検証する。さらにこの改革の特異性と成功の条件を、改革に失敗した久留米有馬家・岡崎水野家・阿波蜂須賀家や米沢上杉家などの事例と比較しつつ解明し、指導者のあるべき姿を浮き彫りにしていく。 【目次より】●『日暮硯』を読む ●恩田杢と松代藩宝暦改革 ●18世紀における諸藩の改革 ●『日暮硯』と改革の論理など イザヤ・ベンダサンの『日本人とユダヤ人』で「政治天才」といわれ、上杉鷹山と並び称せられる松代藩の名家老・恩田杢にみる改革成功のためのリーダーの条件を、現代的視点で読み解く意欲作。
  • 武士道の精神史
    -
    侍の気構えと行動を規定してきた「武士道」。軍国主義につながったとして、マイナスのイメージも持たれる一方、日本人の美徳を支える倫理的礎として肯定的なイメージを持っている人も、これまた多い。歴史的にみれば武士道は、武家社会が発展した中世に自然発生し、『甲陽軍鑑』等の書物で明文化されていくが、戦闘なき徳川時代になって精神的な「徳義」へと転回した。やがて武家以外の庶民階級にも浸透して、一般の生活経済倫理にまで影響を及ぼすようになっていく。「武士道」の豊かなる実態の歴史を、実証主義史学の方法を用いつつ鮮やかに描き出し、その本質に迫る。
  • 豊臣大坂城―秀吉の築城・秀頼の平和・家康の攻略―
    -
    1巻1,232円 (税込)
    豊臣秀吉は四度の工事を経て、自らの根城(ねじろ)を惣構えで固めた難攻不落の巨城へと変貌させた。秀頼統治下の大坂は「パクス・オーザカーナ」ともいうべき繁栄を謳歌するが、徳川豊臣二重公儀体制のバランスが崩れた時、両軍は激突、城は灰燼に帰した。その城内の様子や真田丸などの堅固な防御を、考古学的発見と歴史的文献を駆使して再現する。
  • 論争 関ヶ原合戦(新潮選書)

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    ネタバレ

    今までのイメージとは違う点がいくつもある。
    小山評定にしろ、合戦後の論功行賞知行替えなど。
    小山評定の時点で豊臣恩顧の大名は「内府ちがひの条々」についてまだ知らなかったというのも見逃せません。
    そしてこの合戦が完全に東西雌雄を決する合戦とは一概には言えない。
    秀忠遅延の件も家康からすると頭の痛い問題だった。
    徳川主力の本体が不在なのである。
    遅延が無ければもっと早く雌雄が決していたかもしれないし、豊臣恩顧の大名の知行が大きく増える可能性が低かったかもしれない。
    しかしそれでもほぼ一日で雌雄が決するとは家康も三成も思っていなかったことであろう。
    この勝利により家康の天下統一が完全になったとまでは

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    2023年01月14日
  • 論争 関ヶ原合戦(新潮選書)

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    これぞ日本史のダイナミニズム。最新の知見から振り返る関ヶ原の戦い。

    講談、映画、ドラマから歴史小説など定説となっている部分も多い戦国時代。実際のところはどうだったのか、それを一次資料を基に見直していくのが歴史学。本書は三成襲撃事件の実態、直江状の真贋、三成と兼続の事前通謀の有無や最近出てきた関ヶ原合戦は瞬時に終わった説などを検証する。

    400年以上たっても覆ることの多いのが歴史の面白いところ。ただしフィクションにもそれなりの面白さがあるので、うまく割り切って楽しんでいきたい。

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    2022年11月13日
  • 決戦! どうぶつ関ヶ原

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     コマヤスカンさんによる,関ヶ原の戦いを,上から見下ろした地図上にかいたもの。
     それぞれの武将と軍が実に細かく地図上にかかれています。

     東軍総大将は,たぬき組の徳川タヌキ家康。
     西軍総大将は,さる組の石田サル三成。

     そのほか,石田三成の軍師の島ゴリラ左近,たこ組の安国寺タコ恵瓊,東軍のからす組黒田カー長政など,昨年「軍師官兵衛」にはまったオイラには思わず,そう,それ,それ(笑)という武将ラインナップ。

     とにかく,慶長5年9月15日(西暦だと,1600年10月21日)午前6時から午後3時までの,一日の戦況が見開きで事細かにかかれています。
     読み聞かせには全く向きませんが,関ヶ原

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    2015年04月19日
  • 関ヶ原合戦 家康の戦略と幕藩体制

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    [江戸前夜、天下両分]東西両軍が激しく争い、その結果が江戸時代の幕を開けることにつながった関ヶ原の合戦。戦に至るまでの経緯からその戦闘及び戦略の特徴、そして合戦がその後の政治体制の形成に与えた影響を考察した一冊です。著者は、クラシック音楽への造詣も深い歴史学者である笠谷和比古。


    (失礼ながら)思いも寄らない傑作に出会ってしまいました。「なぜ重要な先陣に家康は豊臣系武将を配置せざるを得なかったか」、「なぜ緒戦が拮抗していたにも関わらず、家康を取り囲むようにしていた3万人もの軍勢を最後の最後まで合戦に投入できなかったか」などの問いを手がかりにしながら、合戦の全体像を描いていく様はお世辞ではなく

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    2014年10月13日
  • 関ヶ原合戦 家康の戦略と幕藩体制

    Posted by ブクログ

    その後400年の歴史を決定付けた関ヶ原の真実が裏の裏までよく見える。本題ではないとはいえ、大阪の陣の記述が大変そっけないのが唯一の不満。
    征夷大将軍とその世襲という既成事実ができた。また合戦を約150年繰り返したため一度軍事衝突が生じれば、小勢力の小競り合いでなく数万単位へと合戦の大規模化が生じてしまう。すでに全国の大名は戦国の黄昏を感じていたことだろう。
    それが将来の禍根となるであろう豊臣の排除へと向かったんじゃないかな。

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    2013年04月17日

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