藤原道長の作品一覧
「藤原道長」の「ビギナーズ・クラシックス 日本の古典」「新版 御堂関白記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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小説・文芸
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Posted by ブクログ
春に京都博物館で陽明文庫名宝展へ行ったので、
その繋がりで今更ながら読んで見ようと思いました。
読みながら博物館へ行く前に読めば良かったなぁと思いました。
面白すぎです。
解説に助けられてなのですが、
行間にある背景を知ると思わず吹き出してしまう事柄が続きます。
ライバル達の動向や、頼りない親戚、苦手な漢文、
そしてとうとう後世の一族子孫のために書き残しているはずの『日記』を
読まれたくないと言い出す始末。
現代との価値観は異なることもあり、自分で何を理解できているか分かりませんが、
人間らしい喜怒哀楽が垣間見えて道長という人が好きになりました。
日記に書いたこと、書かなかったことと思いを馳せると楽しいです。
一息に読み進めるというよりは、ゆっくり、ゆっくりと味わいながら読みました。
もっと読みたかったです。
でもまさか、自分の日記が国宝になっているなんて、道長もびっくりでしょうね。
(追記:そしてついにユネスコの世界記憶遺産に登録されましたよ、道長さん
2013/09/15)
Posted by ブクログ
道長が政権を握った当時の公卿は、摂関家の一族が多くを占めていた。そのような中で、道長は父方こそ藤原北家の嫡流であったものの、母方は受領層の出身であり、決して家柄に恵まれていたとはいえなかった。このことは、道長にとって大きな負い目であったのではないかと推測されている。そのため道長は天皇の血を引く二人の妻との間にそれぞれ七人、六人もの子女をもうけた。二人とも最後の子を出産したのは四十代であるが、当時は四十歳で長寿の祝いが行われ、その後は老後と考えられていた時代であった。それでも子を産ませ続けたことから、身分の低い女性との間に生まれた子を除き、自らの血筋を後世に残そうとする強い執着が感じられた。後一条天皇の土御門第行幸では、三后(三人とも天皇の皇后になった道長の娘たち)と東宮敦良親王が対面し、やがて東宮妃となる六女・嬉子や、妍子所生の禎子内親王、さらに正妻・源倫子もその場に列していた。その光景を目の当たりにした道長は、「私は気を失うほど、生きてきた甲斐のある者である。言葉では言い尽くせない。未曽有のことである」と言ったそうだ。若い頃の道長は、漢文が苦手で母方の家柄にも負い目を抱えていたため、周囲から高く評価される存在ではなかった。しかし、そのような不利な立場から努力を重ね、最終的には天皇三代の外戚となり、自らも未曽有と記すほどの栄華を築いた。一方で、後継者の代では同じように子孫に恵まれず、摂関政治は次第に行き詰まっていくことを考えると、道長の成功は子宝と時運に恵まれたとも言える。本当に漢文が苦手なことがよく伝わる日記だった。