作品一覧

  • 源氏物語 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典
    4.1
    1~30巻539~1,254円 (税込)
    源氏物語の全体が分かる楽しい1冊。わずらわしい文法などの障壁を取り払い、こなれた現代語訳によって、古文の力がなくても十分古典の面白さが分かる。原文も現代語訳も総ルビ付き。ビジュアル面も豊富。 ※本作品は紙版の書籍から口絵または挿絵の一部が未収録となっています。あらかじめご了承ください。
  • 新版 御堂関白記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典
    4.0
    1巻1,760円 (税込)
    摂関政治の頂点を極めた藤原道長の日記『御堂関白記』。著名な「この世をば」の歌が詠まれた夜の狂騒、政敵たちとの優美な暗闘、自身の病――、華やかな王朝文学の背後で、政務に邁進し、苦悩する道長の人間臭い実像を活写する。ユネスコの「世界の記憶」にも登録された自筆本等の現存する膨大な記事から、研究の第一人者が真実を伝える鮮烈な条を抽出して現代語訳。絶頂期を築いた男の視点から、平安貴族たちの正体に迫る。 平安時代というのは、ともすれば『源氏物語』に代表される文学作品を基にして考える傾向が強かった。平安貴族が実際に恋愛と遊宴にばかり熱中しているように誤解している人が多かったのである。しかし、女房文学も一面での真実を伝えているとはいえ、平安貴族の真実の姿、特に男性貴族によってとり行なわれる政務や儀式は、古記録を読み解くことによってしか解明できない。 『御堂関白記』の現存三八二四条の記事のなかから、比較的短めで初心者の方にも面白いものを選んで、現代語訳、訓読文、原文で掲げた。原文は誤字・脱字や漢文の誤りも、原文のとおりにした。長い記事については、なるべく一部のみを抜粋して掲げた。興味を持たれた方は、現代語訳でも訓読文でもいいから、『御堂関白記』の他の条もご覧になっていただきたい。『御堂関白記』と道長、ひいては平安貴族のすごさを、きっと実感していただけるものと思う。【はじめにより】

ユーザーレビュー

  • 御堂関白記 藤原道長の日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典

    Posted by ブクログ

    今ふたたび「光る君へ」の世界に立ち返る!
    この世を我が世って思ってるパーフェクト道長ではなく、日記をサボったり字が思い出せなかったり文法がぐちゃぐちゃだったりの道長w飄々とした感じが文面から伝わってきて、柄本佑さんのキャスティングぴったりだったと思う★

    0
    2025年12月01日
  • 御堂関白記 藤原道長の日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典

    Posted by ブクログ

    解説で背景がわかり、わかりやすくおもしろかった。単に道長の日記だけでは無味乾燥、おもしろくなかっただろう。入門書としてのビギナーズ・クラシックスの利点だ。

    今まで、定子、清少納言、枕草子側からの道長像を見ることが多かったので、弱点もある道長も知れて親近感がわいた。
    また当然のことながら枕草子などにも登場する人物がたくさん出てきて、それらの人々の当時の立場も知ることができた。

    0
    2023年11月22日
  • 御堂関白記 藤原道長の日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典

    Posted by ブクログ

    すごく好き
    道長も人間だったのだなぁと感じる
    注釈でちょいちょい道長のこと漢文かけないだのなんだのdis ってるのも面白い

    0
    2023年09月26日
  • 御堂関白記 藤原道長の日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    春に京都博物館で陽明文庫名宝展へ行ったので、
    その繋がりで今更ながら読んで見ようと思いました。

    読みながら博物館へ行く前に読めば良かったなぁと思いました。
    面白すぎです。

    解説に助けられてなのですが、
    行間にある背景を知ると思わず吹き出してしまう事柄が続きます。

    ライバル達の動向や、頼りない親戚、苦手な漢文、
    そしてとうとう後世の一族子孫のために書き残しているはずの『日記』を
    読まれたくないと言い出す始末。

    現代との価値観は異なることもあり、自分で何を理解できているか分かりませんが、
    人間らしい喜怒哀楽が垣間見えて道長という人が好きになりました。

    日記に書いたこと、書かなかったことと

    0
    2013年09月15日
  • 新版 御堂関白記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    道長が政権を握った当時の公卿は、摂関家の一族が多くを占めていた。そのような中で、道長は父方こそ藤原北家の嫡流であったものの、母方は受領層の出身であり、決して家柄に恵まれていたとはいえなかった。このことは、道長にとって大きな負い目であったのではないかと推測されている。そのため道長は天皇の血を引く二人の妻との間にそれぞれ七人、六人もの子女をもうけた。二人とも最後の子を出産したのは四十代であるが、当時は四十歳で長寿の祝いが行われ、その後は老後と考えられていた時代であった。それでも子を産ませ続けたことから、身分の低い女性との間に生まれた子を除き、自らの血筋を後世に残そうとする強い執着が感じられた。後一

    0
    2026年07月10日

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