あまりにも美しい表紙と耽美な装丁に吸い寄せられて手に取った。
「あなたは、誰?」
この一文でこの幻想譚は始まる。
1800年代後半から1900年代前半まで活躍した画家(もちろん架空の人物であろう)ショーンは、妻のディアーナをモデルに描いた「東方ノ乙女」という肖像画で、一躍時代の嬰児となった。ショ
...続きを読むーンの画風は見たままを見たまま描くといったもので、作中では「天使派」と呼ばれている。
そんなショーンの作品を見ようと、1970年に今は古びた無人の赤煉瓦の屋敷…かつてはショーンの自宅兼アトリエであった屋敷・通称「夢幻の館」に、美術研究家カーライルが足を踏み入れた。
そこで見つけた未完の肖像。
その肖像には、顔が描かれていなかった。
描きかけというわけではない。この絵は一体…?
そのような謎を残して、舞台はショーンたちが生きていた時代のアイリノス(嘆きの花の町)へ。
かつてはショーンを中心にたくさんの芸術家たちが集っていた夢幻の館。
賑やかななか、訪れる皆から美しい、本物の女神のようだ、モデルになってくれと懇願されるディアーナはなんともいえない思いをする。
「東方ノ乙女」を見ながら、この絵にあるのはやはり私ではない。ショーンが描いたものはもちろん、他の誰がディアーナを描いても、やはりディアーナにはそれが自分とは思えない…
私を通して、私ではない何かを他の人たちは見ている?
そしてまたショーンも、取り憑かれたようにディアーナを描き続けずにはいられなかった。
その不思議な現象について、最後まで読んだうえでわかるような、わからないような…でもなんなのだろうこれはと、読後も考え込んでしまう。
これは、幻想的な女神譚、とでも言えばいいのだろうか。
それとも私がこの本を通して読んで想像してきたのは、果たして「女神」と呼べるものだったのだろうか?
作中の人物たちとともに翻弄され、頭を抱えているのだろうか?
美しい、とは、なんなのだろうか?
第三章・魔都の女神のエピソードが他の章の中でも異質で、それでいてこの物語の答えを一番表現しているように思えた。
わからないと思うなら、ただのよくわからない物語と一蹴してもいい。
でも、私はつい、白き女神の肖像というタイトルを眺めながら考えてしまう。
見たままを描いたはずのものが「見たまま」ではなかったら?少し身震いがする。それ以外にも思うところはあるのだが、うまく言葉にならない。
正直バッドエンドなのか、幻想的なよくある物語なのかすらわからない。
でも読後もどこか惹きつけられる。自分の目に映る世界が全てではないような気がしてくるからか?
なぜなのか誰か教えてくれないか?
いろんな人の感想がききたくなるお話だった。
美しい表紙の貴女は誰なのだろう?