水俣病闘争史を丁寧かつわかりやすく簡潔にまとめてくださった貴重な作品。ほとんど知識がなくても、石牟礼道子さんの本を読んだくらいでも、難しくなく、丹念に時系をたどり関係者の関わりを辿りその時々の患者さんのお気持ちをたどり世の中を辿ることができる。
石牟礼道子さんの苦悩、今時の流行りの言葉となってしまっ
...続きを読むて居心地悪いが、端的に自分のこと、自分ごととして、自分自身との戦いとして水俣に捧げられたお時間生き様。闘争手段、型式の上最後はお金のことにしかならない終わって終わりきれない闘争。70年ごろの、チッソ本社立てこもりなどのはげしくも熱のこもった闘いぶりも余すことなくシッカリと書かれている。共闘する知識人として日高六郎さんや見田宗介さんのお名前も。
当時もひどい企業論理、行政の対応であったが、今まさに腐敗しきり嘘と言い逃れと証拠隠滅などなどを常套手段にダブルスタンダード政治を政権与党がやっている有様で今であればさらにひどい対応がなされるかもしれないと、
それは、73年の裁判における原告勝訴の判決文のなかで、
裁判には限界があるとした上で、
企業側とこれを指導監督すべき政治・行政の担当者による誠意ある努力なしに根本的な公害問題解決はあり得ない
という異例コメントがでたがそのようなことは企業政治行政未だにお構いなし努力なしな問題ばかりではないか、と思う。
水俣の海に生きた人たちの、お金をもらっても嬉しくもなんともない闘い、毎日食べていくことだけでも想像できないようなぎりぎりの闘い、水俣病になりおかげで人と出会えたという言葉、思いを苦しみやそれでも生きて笑える瞬間があることを言葉に紡いでいく様が本当に胸に迫る。
水俣病が発覚した頃の、新日窒、業界団体、行政の知らぬ存ぜぬ関わり無かったこと原因不究明を団結して決め込んだとき、
第二組合と第一組合になり、第一組合が同じように会社に搾取される者として、1人の人間、労働者として水俣病患者と共に闘わないできたことを恥じ反省する恥宣言のとき、
ハンストやテント村で闘いながら、弁護団や告発する会や市民会議、それぞれの立場に違いが顕著となってしまったとき、
裁判闘争に一定勝利しながらも誰もがまだまだ終わっていないという気持ちであったとき、それぞれの時それぞれの立場をほんとうに真摯に描き記されていて、
どの局面でも、全く2020年代ニッポン進歩してないのね、ヒューマンになれてないのね、石牟礼道子さんたちが人間はもうダメになってしまったけどいずれゴキブリやネズミが字を読むようになって理解いただけるかもしれないからとにかくしっかり記録していきましょうと始められた活動。なんとも肩身が狭く。本を読んでも読んでもなんの役にも立たない自分。水俣にもお伺いしたことがある、美しい海に驚き美味しいお刺身をいただきお話をお伺いしたことを記憶の彼方から引き出しながらなんの役にも立っていない自分を恥と思う。著者の米本浩二さんや河出書房新社さん、美しい装丁、感謝。