米本浩二のレビュー一覧
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題名通り、水俣病に関しての闘争の歴史を通史的・俯瞰的に整理した書籍だ。「水俣病闘争に興味をもった人がすぐにアクセスできて、闘争を見渡すことができる簡便な一冊」をつくることが執筆動機であり、それは成功していると思う。
水俣湾周辺の漁村で水俣湾からとれた魚を食べた猫たちが多数死んでいっていることが分かったのが1953年のことである。後にチッソ水俣工場から排出される廃液に含まれる有機水銀が原因であると分かるが、当時は、原因不明の中枢神経系疾患とされた。そして、患者は猫だけではなく人間も含まれるようになる。この年の12月に、水俣病認定第一号患者の方の発症が記録されている。
その後、原因をめぐって、ま -
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水俣病闘争史を丁寧かつわかりやすく簡潔にまとめてくださった貴重な作品。ほとんど知識がなくても、石牟礼道子さんの本を読んだくらいでも、難しくなく、丹念に時系をたどり関係者の関わりを辿りその時々の患者さんのお気持ちをたどり世の中を辿ることができる。
石牟礼道子さんの苦悩、今時の流行りの言葉となってしまって居心地悪いが、端的に自分のこと、自分ごととして、自分自身との戦いとして水俣に捧げられたお時間生き様。闘争手段、型式の上最後はお金のことにしかならない終わって終わりきれない闘争。70年ごろの、チッソ本社立てこもりなどのはげしくも熱のこもった闘いぶりも余すことなくシッカリと書かれている。共闘する知識人 -
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石牟礼道子は、多くの作品を残した作家であるが、私にとっては、「苦海浄土」の作者である。水俣病を扱ったこの作品は、多くの方が読んだ傑作であるが、私も、この「苦海浄土」を読んで、深く心を動かされた者の1人であった。
本書は、「苦海浄土」の作者の石牟礼道子の評伝。評伝の筆者は、米本浩二という方で、石牟礼道子や水俣病に関しての多くの著作を持たれている。私は、以前に「水俣病闘争史」という本を読んで、これもとても印象に残っている。
筆者、あるいは、解説者の方も述べているが、ここで取り上げられている石牟礼道子は、とらえどころがないというか、どんなに正確に精密に伝記を著したとしても、そこから「こぼれ落ちる」 -
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著者は、2014年から数年かけて石牟礼道子の評伝を書くために、石牟礼道子のもとへ何度も通った。新聞記者なので、評伝を書く前にも石牟礼道子にはあっていた。2017年3月に出版。2018年、読売文学賞評論・伝記賞を受賞。そのひと月後2018年2月に石牟礼道子は90歳で亡くなる。石牟礼道子の生きている間に、聞き取り、資料を調べ本となった。石牟礼道子の才能を発見した渡辺京二は、50年以上石牟礼道子の作家活動を支援してきた。本書を読むと渡辺京二が書くといいよと言ったようだ。石牟礼道子の作品は、たくさんある。本として40冊以上ある。
本書は、石牟礼道子、渡辺京二の両者が読んでいるということに、意味もある。 -
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石牟礼道子については、苦海浄土第一部、椿の海の記等は読んでいるが、主要な著作も網羅はしていない、という読書歴である。読んだものはすべて素晴らしいと思っているが、次々と読み進めるには覚悟がいる、と思うので、少しずつ、読もうと思っている。だから、この評伝も、そんな状態で読んでよいのかな、と思いながら手に取った。
だが、読んでよかったと思う。石牟礼道子は、これだけ身近にインタビューを重ね、著作を浚っても、それでも汲みつくせぬところがある、とわかったからである。本書は石牟礼道子本人にも、もちろんその盟友渡辺京二にも、そして家族や水俣病の運動をともにした人びと、代用教員時代の教え子まで取材を重ねて、石牟 -
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ネタバレ水俣病闘争史
著者:米本浩二
発行:2022年8月30日
河出書房新社
水俣湾周辺の漁村で多数の猫が死に、「奇病」が発見されてから、80年近くになるが、水俣病問題はまだ解決していないことは、あまり知られていない。詩人で作家の石牟礼道子の名は知っているが、彼女自身を水俣病認定患者だと思い込んでいる人は案外多いかもしれない。「公害の原点」と言われ、四大公害病の中でも一番知られているはずの水俣病は、実は詳細があまり知られていない。もちろん、水俣病に関する本はたくさん出ているが、通史は持ち運びにも難渋する大部の書物らしく、闘争を見渡せる簡易な一冊を目指して上梓されたのが本書だそうだ。
毎日新聞記 -
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石牟礼さんの書くものが大好きで、近しい人(渡辺京二や伊藤比呂美や池澤夏樹なんか)が書いたり語ったりしている石牟礼さんもとても魅力的なので、誰か石牟礼さんの伝記を書いてくれないかなあとずっと思っていた。特に夫の弘さんや息子の道生さんが妻を、母をどう思っていたのかが知りたいという気持ちがずっとあった。
当時の田舎の女は、嫁しては夫に従い、老いては子に従うというのが当たり前であり、嫁の立場で家族の世話もそこそこに物を書くだけでもかなり批難されるのに、水俣病の人達の精神的柱となってともに戦うなんて、許されないことだったのではないかと思う。当時の熊本で石牟礼さんを支持する一般人も少なく、針のむしろだった