現代政治における、「アウトサイダー」について様々な研究者が語る本。
著者の水島治郎さん曰く、「アウトサイダー」とは、従来の政治秩序の周縁部に出自を持ち、「外部」の立場から既成政党や既成の政治家を批判し、既存の政治の「変革」を訴える政治主体のこと。
この著者はポピュリズム研究でも有名なので、この本を構成する論文の中でも、議論の主体が「アウトサイダー」なのか「ポピュリズム」なのか分からなくなることがあった。その意味でも、「アウトサイダー」という用語が、この混沌とした現代政治を表すためにしっくりくる言葉だとは思うのだが、人口に膾炙するにはもう少し時間がかかるような気がする。
「アウトサイダー」という政治主体は、得てして「ポピュリズム」的手法を使う、という理解が正しいのだろうか。それこそ、既成政党の中でも、小泉純一郎のようなポピュリズム的手法を取る人もいるわけで。
以下、考えたことを簡単にまとめる
●アウトサイダーのジレンマ/アウトサイダーの行く末
アウトサイダー政党には、ジレンマが生じうる。はじめは「アウトサイダー」として耳目を集めても、政権を主導することで、「インサイダー」化し、「新たなアウトサイダー」の標的とされうる。日本維新の会なども、はじめはアウトサイダーとして注目されつつも、今は与党化してインサイダーとなっている。
ただ、トランプ大統領は共和党の候補として2回も大統領になっており、政治的立場としてはインサイダーっぽいが、いまだにアウトサイダー的な振る舞いをし続けている。
そう考えると、アウトサイダーには3つの結末が待っていると考えられる。①インサイダーとなり、主流化する。彼らはインサイダーとなることで今迄のアウトサイダー的姿勢を取ることはできない。②インサイダーとしての立場を得つつも、「敵」を作り続けることでアウトサイダー的振る舞いを続ける。③アウトサイダーのままあり続けるアウトサイダー。これは政党の存続としては「賢い」姿なのかもしれない。議席を得ることで存在感を得、主要政党の政策を右や左に寄らせつつ、政策の責任を問われるのは主要政党。自身は政治的目的を達成しながら、政権党の責任を追求することができる。
●アウトサイダー政治家とアウトサイダーメディア
アウトサイダー政治家とアウトサイダーメディアの存在、これは大きいのはその通りだと思う。アウトサイダーメディアは既成メディアの正当性を批判し、規制政党も批判する。アウトサイダー政治家も規制政治家を批判して、既成メディアも批判する。アウトサイダーメディアとアウトサイダー政治家は相互に利用し合う。
そもそもメディア自体、何か資格が必要なものではなく、「半専門家」。今では発信の手段さえあれば誰でもジャーナリストを名乗れる社会では、簡単に誰でも「メディア」となれるわけだから。
●中間団体の欠如
アウトサイダーが存在感を増しているのには、中間団体の欠如も大きいだろう。政治家と有権者が直接つながるポピュリズム的手法は、こうした中間団体が欠如した社会では大きい。その意味で、政党政治の負荷が増大している。問題があれば運動ではなく投票を通じて政党政治によって解決することが期待されている。「動員」の政治が主体になっているのかもしれない。
●空き家選挙運動とアウトサイダーの排除について
空き家選挙運動が非常に示唆的であった。法秩序の外にあったアウトサイダー的な空き家占拠運動は、一定の役割を果たしていた。それを明示的に追いやることは問題の解決にはなり得ない。アウトサイダー的な考え方を単純に追いやっていいのか。ということは非常に示唆的な点だと思う。
●アウトサイダーと二次的選挙
アウトサイダーの存在感を強くする一因となる、「二次的選挙」の役割にも注目すべきだと思われる。欧州では、EU議会選挙といった二次的選挙で存在感を増す。特にイギリスでは小選挙区制、二大政党制だが、その選挙で存在感を増すことができる。
翻って日本で言うと二次的選挙は市長選・知事選などの地方議会選挙がある。ここにおいて存在感を増すことがアウトサイダー政治家にとっては重要なところなのだろう。
●参議院は防波堤なのか?
参議院は、「組織票」を中心とするため防波堤的ではあるが、上記でも述べたような「存在感を増す」という点では、防波堤の役割をはたしているかと言われると、微妙なのかもしれない。「議席数」という観点では防波堤的な役割を果たすのかもしれないが、世論や争点設定では強い影響力を及ぼすのかもしれない。存在感を増すことで主要政党の政策論点をコントロールさせるという点では、参議院選挙であろうと既成政党への影響力は強いのかもしれない。
●左派ポピュリズム政党の伸長について
左派ポピュリズム政党が大きく成長するには
①急進左派の内部で主導権を握る
②急進左派が中道左派を上回るまで議席を増やし、
③両者で左派ブロックを形成する。
という道があるが、これは長い道のりを要する。
あるいは、イギリスのジェレミーコービンや、バーニーサンダースのように、中道左派政党に入り勢力を拡大していくという道も示されている。
ただ、日本においては後者はあり得ないような気もする。要するに、例えば中道左派政党が左派ポピュリストを担ぎ上げた場合、どうだろうか、ということだと思う。それは起こりえないような気がする。
伝統的な左派としての共産党の存在があるからだろうか。急進左派にウィングを伸ばせば、中道左派は離れる。自民党が包括政党として未だに存在感を持っている中で、中道左派政党がそうした選択肢を取ることは難しいと思われる。それこそ自民党がより右に手を伸ばせばありうるのかもしれないが、今のところはそのような動きはなさそう(高市政権で右派に揺り戻したとは言え、あくまで参政党に流れた票を戻すための右への揺り戻しであり、そこまで大きく右に流れることはないように思える。安倍政権の路線の継承にある程度、ある程度現実路線を踏襲するのだと思われる。)。
というかそもそも支持母体たる労働組合が共産党との連携を望んでいない中で、急進左派にウィングを伸ばすことは、共産党との競合関係をどうするかという議論は避けて通れない。共産党を押しのけていけばいいのかもしれないが、そうした選択が集票として戦略的なのかどうかと言われると微妙なところである。
こうした、政権中枢に食い込みうるポピュリストと言えば、右派ポピュリストだろうか。ただ、日本における右派ポピュリストはどのようなものなのだろうか。
米国との関係がある中で、右派のような自国主義に走ることの現実的メリットはない。そうなると参政党の掲げる外国人問題という、皆が共感しやすい問題に着目すること、「日本人ファースト」というキャッチコピーは非常に当為即妙なようなものに思える。