## 感想
この本で書かれている方たちが亡くなられた戦争からは、まだ100年も経っていない。
歴史上でみれば、ごく最近。
多くの方の手記に、
「人間性を失いたくない」
というような言葉が見られる。
戦争は、それだけ人間を獣にしていくことであった。
まだまだたくさん学び、日本を支えていくはずだった人たちを駆り出し、死なせてしまう。
手記にある言葉は軍の検閲がかけられているから、本当に学生たちが言いたかった胸の内とは違うかもしれない。
けれど、それでも滲み出る、軍への不信感、もうすぐ消えると分かっている自分の命への悲しみや悔しさ、その中にあっても自分を高めていこうとする精神。
「文字に飢える」状況にある学生たちがたくさんいた。
「本が読みたい」と言う人が多かった。
極限の環境にいながら、少しでも学びたいという姿勢に心を打たれる。
「本書は戦死者たちの精神の納骨堂」という言葉があとがきにある。
戦争で亡くなったひとたちの気持ちに報いるには、平和な世を作り、それを続け、戦争をしないこと。
そうも書かれているが、世界では多くの場所で争いが起きている。
日本も巻き込まれる可能性もある。
平和は、勝手にそこにあるわけではなく、誰かが汗と涙と血を流して築いてきたものなのだと、再度認識させられる一冊だった。
## メモ
飛行機に乗れば器械に過ぎぬのですけれど、いったん下りればやはり人間ですから、そこには感情もあり、熱情も動きます。愛する恋人に死なれた時、自分も一緒に精神的には死んでおりました。天国に待ちある人、天国において彼女と会えると思うと、死は天国に行く途中でしかありませんから何でもありません。明日は出撃です。(p19 上原良司)
クロオチェのように「自分自身の批判」を持ちそれを活かすことによって、わたしたちは立派になれると思います。(p29 吉村友男)
軍隊生活において私が苦痛としましたことの内で、私の感情/繊細な鋭敏なーが段々とすりへらされて、何物をも恐れないかわりに何物にも反応しないような状態におちて行くのでないかという疑念ほど、私を憂鬱にしたものはありません。私はそうやって段々動物になり下ってしまうよりは、いつまでも鋭敏な感情に生きつつ、しかも果敢な戦闘を遂行したい衝動にかられています。(p34 大井栄光)
兵もまた一人の人間である(p57 田辺利宏)
我々は決して犬猫にあらず、なぐられて動く動物にあらず。自分は自分を得ず。(p67 山岸久雄)
俺は負けたくないのだ。一切のことに何でもいいから負けたくないのだ。人生に負けたくない。眼に見えぬ人生の誘惑に負けたくない。俺は飽くまで俺という人間を守り通していきたい。(p70 柳田陽一)
一ヶ年の軍隊生活は、遂に全ての人から人間性を奪ってしまっています。二年兵はただ、我々初年兵を奴レイのごとくに、否機械のごとくに扱い、苦しめ、いじめるより他何の仕事もないのです。噂に聞いていた、汽車遊び、重爆撃機遊び等、やらされました。(p86 福中五郎)
先週の日曜、やはり便所の中で母へ手紙を書いた時は涙がとまりませんでした。母には元気で張り切っているとは書きましたが、僕の気持は死人同様の悲惨なものです。こんな手紙を書いたのを二年兵にでも見つかれば恐らく殺されるでしょう。(p89 福中五郎)
俺の子供はもう軍人にはしない、軍人にだけは・・・・平和だ、平和の世界が一番だ。戦に敗れたら日本人が敵国からこういう目に合わされるのだ。絶対に戦さにだけは負けてはならぬ。(p90 川島正)
今夜は月の美しい夜だ。旅の身に、戦友の不幸、自分は!もし!妻はどうなるだろう・・・・・。生自分の妻であってほしい、永遠に。ひとりよがりかなあ。月にものを言ったんだよ、失礼。(p93 篠崎二郎)
長年積んで来た浅いながらのこの学識と、きずき上げた人格をもって、自分の力相応に社会的に思う存分振舞って、何かの形の役立ちを見なければ生れて来たかいのなき苦しみを、しみじみ感じてはじっとしておれないのだ。(p97 篠崎二郎)
任運無作(p99 篠崎二郎)
国家とは果して人類にとって必然的に生じなければならぬ社会団体なのだろうか?ただ、歴史的に存在していたから今なお維持されているというにすぎぬのであるまいか。(p103 平井摂三)
まるでこの世の中は終らない音楽をかなでているようなものだ。死が到る所におどり、楽章は血だらけになっている。死がまた楽符の上に踊り出す。どれ、俺も指揮棒の折れぬうちに踊ろうか。(p118 浅見有一)
人間こんなに自由にあこがれるとは。(p123 上村元太)
「人は生れ、人は苦しみ、人は死ぬ」(p131 上村元太)
今後いかなる熱しい現実に置かれても俺は相変らず歩いて行く、コツコツと自らの道を踏みしめて行く。俺の志が単なる志に終ったとて何んの恥じることがあろう。(p165 中村勇)
一体私は陛下のために銃をとるのであろうか、あるいは祖国のために(観念上の)、またあるいは私にとって疑いきれぬ肉親の愛のために、さらに常に私の故郷であった日本の自然のために、あるいはこれら全部または一部のためにであろうか。しかし今の私にはこれらのために自己の死を賭するという事が解決されないでいるのである。(p187 菊山裕夫)
僕が死んだ時肉親を除いて、と思うと、誰がいるか。すこし淋しい。然しここに真剣な一つの生があったとじてくれる人がいたら、これほど尊い事はない。真剣に生きる、これ以外の何もない。(p190 菊山裕夫)
一度や二度敗けたって、日本人の生き残る限り、日本は滅びないのだ。はや我々は「上の鯉”であるらしい。悲観している訳ではないが事実は認めねばならない。苦難の時代を越えて進まなければならぬ。(p197 佐々木八郎)
反動であろうとなかろうと、人として最も美しく、崇高な努力の中に死にたいと思う。白虎隊は反動的なものであったかも知れない。しかし彼等の死は崇高である。美の極致である。形に揺われることを僕は欲しない。後世史家に偉いと呼ばれることも望まない。名もなき民として、自分の義務と責任に生き、そして死するのみである。(p199 佐々木八郎)
単に国籍が異るというだけで、人間として本当は崇高であり美しいものを尊敬する事を怠り、醜い卑劣なことを見逃す事をしたくないのだ。(p207 佐々木八郎)
世界が正しく、良くなるために、一つの石を積み重ねるのである。なるべく大きく、据りのいい石を、先人の積んだ塔の上に重ねたいものだ。不安定な石を置いて、後から積んだ人のも、もろともに倒し、落すような石でありたくないものだと思う。(p208 佐々木八郎)
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(p204 佐々木八郎)
自分の短い一生はもう幕切れに近づいたらしい。戦争に参加してしまえば、もうそれで自分は一生を閉じたのだ。万一にも生きて帰れたら、そしたらそこで新しい一生の幕が上げられるのだ。そこで新たに設計して新たな生活を築こう。短い一生を回顧して、思い出ずるままに何か書き残して置きたい。(p213 松岡欣平)
近頃の私はまた、「生きている」だけの私に過ぎないような気がする。「生きている」だけの私は「死んでいる」私に、同値でまでないにしても、等値である。(p244 中村徳郎)
生かされているのではいけない。生きるのだ。飼われているのであってはならない。(p246 中村徳郎)
星の世界から望遠鏡で見るならば、傑作な芝居が展開されているのだ。この歴史を作る大芝居の1/1000の役割よりは大なるRolle 〔役割〕がこの俺にもあるのだ。(p279 山中忠信)
人間は、人間がこの世を銀った時以来、少しも進歩していないのだ。今次の戦争には、もはや正義元々の問題はなく、ただただ民族間の憎悪の爆発あるのみだ。敵対し合う民族は各々その滅亡まで戦を止めることはないであろう。恐しき哉、浅ましき哉。人類よ、猿の親類よ。(p284 長谷川信)
毎日多くの先輩が、戦友が、塵芥のごとく海上にばら撒かれて、そのまま姿を没してゆく。一つ一つの何ものにもかえ難い命が、ただ一塊の数量となって処理されてゆくのである。(p298 竹田喜義)
くれぐれも身体は大切に。神のような気持を持ちつづけてくれ。貴様が俺の妹であってくれたことは貴様の幸より実は俺の幸だったよ。しっかりと生きて行ってくれ。(p335 尾崎良夫)
私は今宣言する! 帝国海軍のためには少くとも戦争しない。私が生きそして死ぬとすれば、それは祖国のためであり更に極言するならば私自身のプライドのためであると。私は帝国海軍に対して反感こそ持て、決して好意は持たない。私は今から私自身のこころに対して言う。私は私のプライドのためならば死に得るけれども、帝国海軍のためには絶対に死に得ないと。(p391 林憲正)
苦しもう。苦しみを貫くことより解決の道はないからだ。苦しい中にこそ真心も希望も輝き始めるからだ。それゆえに自分の現在を甘受しよう。感謝し一層闘志を出そう。捨石たらん意志すらひしがれんとする生活。だが、それは未だ自分が弱いからだ。(p419 住吉胡之吉)
あと半蔵、自分はかく測き出る心情を書いて飽きないであろう。素直に自分の気持を書いてゆきたい。またありのまま書ける気持に入りたい。自然を讃え、生命をよろこび、苦しみに耐えつつ、この日記になにか記し残すべき一日一日でありたい。戦火にこの日記も灰に帰すであろう。だが書きに書く。(p426 住吉胡之吉)
日本は負けたのである。全世界の憤怒と非難との真只中に負けたのである。日本がこれまであえてして来た数限りない無理非道を考える時、彼らの怒るのは全く当然なのである。今私は世界全人類の気晴らしの一つとして死んで行くのである。これで世界人類の気持が少しでも静まればよい。それは将来の日本に幸福の種を遺すことなのである。私は何ら死に値する悪をした事はない。悪を為したのは他の人々である。しかし今の場合弁解は成立しない。江戸の敵を長崎で計たれたのであるが、全世界から見れば彼らも私も同じく日本人である。彼らの責任を私がとって死ぬことは、一見大きな不合理のように見えるが、かかる不合理は過去において日本人がいやというほど他国人に強いて来た事であるから、あえて不服は言い得ないのである。彼らの眼に留まった私が不運とするより他、苦情の持って行きどころはないのである。日本の軍隊のために犠牲になったと思えば死に切れないが、日本国民全体の罪と非難とを一身に浴びて死ぬと思えば腹も立たない。笑って死んで行ける。(p445 木村久夫)
もしも人々のいうようにあの世というものがあるなら、死ねば祖父母にも戦死した学友たちにも会えることでしょう。それらの人々と現世の思い出話をすることも楽しみの一つとして行きましょう。また、人のいうように出来るものなら、あの世で蔭ながら父母や妹夫婦を見守っていましょう。常に悲しい記憶を呼び起させる私かも知れませんが、私のことも時々は思い出して下さい。そしてかえって日々の生活を元気づけるように考えを向けて下さい。私の命日は昭和二十一年五月二十三日なり。もう書くことはない。いよいよ死に越く。皆様お元気で。さようなら。さようなら。(p465 木村久夫)