あらすじ
酷薄な状況の中で、最後まで鋭敏な魂と明晰な知性を失うまいと努め、祖国と愛する者の未来を憂いながら死んでいった学徒兵たち。一九四九年の刊行以来、無数の読者の心をとらえ続けてきた戦没学生たちの手記を、戦後五○年を機にあらためて原点に立ちかえって見直し、新しい世代に読みつがれていく決定版として刊行する。
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Posted by ブクログ
亡くなった学生の手記の記録。何故か高学歴の人が多い。未来ある若者の死は尊いがもっと視野を広げて取り上げてもよかったのではと思うところもあった。
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## 感想
この本で書かれている方たちが亡くなられた戦争からは、まだ100年も経っていない。
歴史上でみれば、ごく最近。
多くの方の手記に、
「人間性を失いたくない」
というような言葉が見られる。
戦争は、それだけ人間を獣にしていくことであった。
まだまだたくさん学び、日本を支えていくはずだった人たちを駆り出し、死なせてしまう。
手記にある言葉は軍の検閲がかけられているから、本当に学生たちが言いたかった胸の内とは違うかもしれない。
けれど、それでも滲み出る、軍への不信感、もうすぐ消えると分かっている自分の命への悲しみや悔しさ、その中にあっても自分を高めていこうとする精神。
「文字に飢える」状況にある学生たちがたくさんいた。
「本が読みたい」と言う人が多かった。
極限の環境にいながら、少しでも学びたいという姿勢に心を打たれる。
「本書は戦死者たちの精神の納骨堂」という言葉があとがきにある。
戦争で亡くなったひとたちの気持ちに報いるには、平和な世を作り、それを続け、戦争をしないこと。
そうも書かれているが、世界では多くの場所で争いが起きている。
日本も巻き込まれる可能性もある。
平和は、勝手にそこにあるわけではなく、誰かが汗と涙と血を流して築いてきたものなのだと、再度認識させられる一冊だった。
## メモ
飛行機に乗れば器械に過ぎぬのですけれど、いったん下りればやはり人間ですから、そこには感情もあり、熱情も動きます。愛する恋人に死なれた時、自分も一緒に精神的には死んでおりました。天国に待ちある人、天国において彼女と会えると思うと、死は天国に行く途中でしかありませんから何でもありません。明日は出撃です。(p19 上原良司)
クロオチェのように「自分自身の批判」を持ちそれを活かすことによって、わたしたちは立派になれると思います。(p29 吉村友男)
軍隊生活において私が苦痛としましたことの内で、私の感情/繊細な鋭敏なーが段々とすりへらされて、何物をも恐れないかわりに何物にも反応しないような状態におちて行くのでないかという疑念ほど、私を憂鬱にしたものはありません。私はそうやって段々動物になり下ってしまうよりは、いつまでも鋭敏な感情に生きつつ、しかも果敢な戦闘を遂行したい衝動にかられています。(p34 大井栄光)
兵もまた一人の人間である(p57 田辺利宏)
我々は決して犬猫にあらず、なぐられて動く動物にあらず。自分は自分を得ず。(p67 山岸久雄)
俺は負けたくないのだ。一切のことに何でもいいから負けたくないのだ。人生に負けたくない。眼に見えぬ人生の誘惑に負けたくない。俺は飽くまで俺という人間を守り通していきたい。(p70 柳田陽一)
一ヶ年の軍隊生活は、遂に全ての人から人間性を奪ってしまっています。二年兵はただ、我々初年兵を奴レイのごとくに、否機械のごとくに扱い、苦しめ、いじめるより他何の仕事もないのです。噂に聞いていた、汽車遊び、重爆撃機遊び等、やらされました。(p86 福中五郎)
先週の日曜、やはり便所の中で母へ手紙を書いた時は涙がとまりませんでした。母には元気で張り切っているとは書きましたが、僕の気持は死人同様の悲惨なものです。こんな手紙を書いたのを二年兵にでも見つかれば恐らく殺されるでしょう。(p89 福中五郎)
俺の子供はもう軍人にはしない、軍人にだけは・・・・平和だ、平和の世界が一番だ。戦に敗れたら日本人が敵国からこういう目に合わされるのだ。絶対に戦さにだけは負けてはならぬ。(p90 川島正)
今夜は月の美しい夜だ。旅の身に、戦友の不幸、自分は!もし!妻はどうなるだろう・・・・・。生自分の妻であってほしい、永遠に。ひとりよがりかなあ。月にものを言ったんだよ、失礼。(p93 篠崎二郎)
長年積んで来た浅いながらのこの学識と、きずき上げた人格をもって、自分の力相応に社会的に思う存分振舞って、何かの形の役立ちを見なければ生れて来たかいのなき苦しみを、しみじみ感じてはじっとしておれないのだ。(p97 篠崎二郎)
任運無作(p99 篠崎二郎)
国家とは果して人類にとって必然的に生じなければならぬ社会団体なのだろうか?ただ、歴史的に存在していたから今なお維持されているというにすぎぬのであるまいか。(p103 平井摂三)
まるでこの世の中は終らない音楽をかなでているようなものだ。死が到る所におどり、楽章は血だらけになっている。死がまた楽符の上に踊り出す。どれ、俺も指揮棒の折れぬうちに踊ろうか。(p118 浅見有一)
人間こんなに自由にあこがれるとは。(p123 上村元太)
「人は生れ、人は苦しみ、人は死ぬ」(p131 上村元太)
今後いかなる熱しい現実に置かれても俺は相変らず歩いて行く、コツコツと自らの道を踏みしめて行く。俺の志が単なる志に終ったとて何んの恥じることがあろう。(p165 中村勇)
一体私は陛下のために銃をとるのであろうか、あるいは祖国のために(観念上の)、またあるいは私にとって疑いきれぬ肉親の愛のために、さらに常に私の故郷であった日本の自然のために、あるいはこれら全部または一部のためにであろうか。しかし今の私にはこれらのために自己の死を賭するという事が解決されないでいるのである。(p187 菊山裕夫)
僕が死んだ時肉親を除いて、と思うと、誰がいるか。すこし淋しい。然しここに真剣な一つの生があったとじてくれる人がいたら、これほど尊い事はない。真剣に生きる、これ以外の何もない。(p190 菊山裕夫)
一度や二度敗けたって、日本人の生き残る限り、日本は滅びないのだ。はや我々は「上の鯉”であるらしい。悲観している訳ではないが事実は認めねばならない。苦難の時代を越えて進まなければならぬ。(p197 佐々木八郎)
反動であろうとなかろうと、人として最も美しく、崇高な努力の中に死にたいと思う。白虎隊は反動的なものであったかも知れない。しかし彼等の死は崇高である。美の極致である。形に揺われることを僕は欲しない。後世史家に偉いと呼ばれることも望まない。名もなき民として、自分の義務と責任に生き、そして死するのみである。(p199 佐々木八郎)
単に国籍が異るというだけで、人間として本当は崇高であり美しいものを尊敬する事を怠り、醜い卑劣なことを見逃す事をしたくないのだ。(p207 佐々木八郎)
世界が正しく、良くなるために、一つの石を積み重ねるのである。なるべく大きく、据りのいい石を、先人の積んだ塔の上に重ねたいものだ。不安定な石を置いて、後から積んだ人のも、もろともに倒し、落すような石でありたくないものだと思う。(p208 佐々木八郎)
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(p204 佐々木八郎)
自分の短い一生はもう幕切れに近づいたらしい。戦争に参加してしまえば、もうそれで自分は一生を閉じたのだ。万一にも生きて帰れたら、そしたらそこで新しい一生の幕が上げられるのだ。そこで新たに設計して新たな生活を築こう。短い一生を回顧して、思い出ずるままに何か書き残して置きたい。(p213 松岡欣平)
近頃の私はまた、「生きている」だけの私に過ぎないような気がする。「生きている」だけの私は「死んでいる」私に、同値でまでないにしても、等値である。(p244 中村徳郎)
生かされているのではいけない。生きるのだ。飼われているのであってはならない。(p246 中村徳郎)
星の世界から望遠鏡で見るならば、傑作な芝居が展開されているのだ。この歴史を作る大芝居の1/1000の役割よりは大なるRolle 〔役割〕がこの俺にもあるのだ。(p279 山中忠信)
人間は、人間がこの世を銀った時以来、少しも進歩していないのだ。今次の戦争には、もはや正義元々の問題はなく、ただただ民族間の憎悪の爆発あるのみだ。敵対し合う民族は各々その滅亡まで戦を止めることはないであろう。恐しき哉、浅ましき哉。人類よ、猿の親類よ。(p284 長谷川信)
毎日多くの先輩が、戦友が、塵芥のごとく海上にばら撒かれて、そのまま姿を没してゆく。一つ一つの何ものにもかえ難い命が、ただ一塊の数量となって処理されてゆくのである。(p298 竹田喜義)
くれぐれも身体は大切に。神のような気持を持ちつづけてくれ。貴様が俺の妹であってくれたことは貴様の幸より実は俺の幸だったよ。しっかりと生きて行ってくれ。(p335 尾崎良夫)
私は今宣言する! 帝国海軍のためには少くとも戦争しない。私が生きそして死ぬとすれば、それは祖国のためであり更に極言するならば私自身のプライドのためであると。私は帝国海軍に対して反感こそ持て、決して好意は持たない。私は今から私自身のこころに対して言う。私は私のプライドのためならば死に得るけれども、帝国海軍のためには絶対に死に得ないと。(p391 林憲正)
苦しもう。苦しみを貫くことより解決の道はないからだ。苦しい中にこそ真心も希望も輝き始めるからだ。それゆえに自分の現在を甘受しよう。感謝し一層闘志を出そう。捨石たらん意志すらひしがれんとする生活。だが、それは未だ自分が弱いからだ。(p419 住吉胡之吉)
あと半蔵、自分はかく測き出る心情を書いて飽きないであろう。素直に自分の気持を書いてゆきたい。またありのまま書ける気持に入りたい。自然を讃え、生命をよろこび、苦しみに耐えつつ、この日記になにか記し残すべき一日一日でありたい。戦火にこの日記も灰に帰すであろう。だが書きに書く。(p426 住吉胡之吉)
日本は負けたのである。全世界の憤怒と非難との真只中に負けたのである。日本がこれまであえてして来た数限りない無理非道を考える時、彼らの怒るのは全く当然なのである。今私は世界全人類の気晴らしの一つとして死んで行くのである。これで世界人類の気持が少しでも静まればよい。それは将来の日本に幸福の種を遺すことなのである。私は何ら死に値する悪をした事はない。悪を為したのは他の人々である。しかし今の場合弁解は成立しない。江戸の敵を長崎で計たれたのであるが、全世界から見れば彼らも私も同じく日本人である。彼らの責任を私がとって死ぬことは、一見大きな不合理のように見えるが、かかる不合理は過去において日本人がいやというほど他国人に強いて来た事であるから、あえて不服は言い得ないのである。彼らの眼に留まった私が不運とするより他、苦情の持って行きどころはないのである。日本の軍隊のために犠牲になったと思えば死に切れないが、日本国民全体の罪と非難とを一身に浴びて死ぬと思えば腹も立たない。笑って死んで行ける。(p445 木村久夫)
もしも人々のいうようにあの世というものがあるなら、死ねば祖父母にも戦死した学友たちにも会えることでしょう。それらの人々と現世の思い出話をすることも楽しみの一つとして行きましょう。また、人のいうように出来るものなら、あの世で蔭ながら父母や妹夫婦を見守っていましょう。常に悲しい記憶を呼び起させる私かも知れませんが、私のことも時々は思い出して下さい。そしてかえって日々の生活を元気づけるように考えを向けて下さい。私の命日は昭和二十一年五月二十三日なり。もう書くことはない。いよいよ死に越く。皆様お元気で。さようなら。さようなら。(p465 木村久夫)
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遺書だと思い購入したのですが、日記や手紙が多く少し戸惑いました。しかし、殆どの人達が現代人と同じ様に自由で平和な世の中を望みそれでも、日本は負けてはならない、勝たなければいけない、だから私は戦うのだ、と自分の気持ちを整理し必死になって戦い続けたのだと思うと我々現代人がらその意志を継ぐ必要性を感じました。
もっと多くの戦争を知らない世代がじっくりと読むべきだと思います。
Posted by ブクログ
太平洋戦争に徴収され命を落とした戦没学生の手記集。本の存在は昔から知ってましたがやっと読みました。遺書ではなく手記なんですよね。もちろん遺書的なものもあるし、遺書でなくとも悲壮感のあるものが多いのですが、それでも徴兵前や徴兵後の日々の中でみんな色々なことを感じ、考えてながら生きていたことが日々の日記や、短歌や詩、家族や知人への手紙の中に表れています。失われてしまった声に耳を寄せると共に、高学歴ではなく手記を残す習慣のなかった多くの若者たちにも想いを馳せたい。今後も多くの人に読まれ続けていってほしい本です。
Posted by ブクログ
毎年8月になると、戦争関連の本が読みたくなる。本書は前に一度読んだことがあったものの、今回はより深く心に感じるところがあった。
それぞれの方の亡くなった日を確認して、掲載されている文書が亡くなるどれくらい前に書かれたものなのか、という点に着目しながら読むと、なんともいえない切なさが増してくる。
自分の死期をある程度予測できていた(特攻・刑死など)人と、おそらく予測できていなかったであろう(戦死・病死など)人とで、文から伝わってくるものも異なる。前者はある種の諦観や、人生の整理といった感じが強く、後者は当然ながら、自分の命がまだ続くものという前提で、本当に日常の記録といった感じ。「●●がしたい」「□□が食べたい」など、未来へのささやかな希望が書かれているのを見ると、実に切ない気持ちになる。
日々の生活で、不満に思うことやストレスなどは尽きないが、家族とともに「当たり前の日常」を普通に過ごせていること自体が、とんでもない幸せなことなんだと、つくづく思う。
たぶんこれからも、ちょっとした不満やいらだちはついてまわるだろうが、生まれる時期がわずか半世紀ずれただけで、過酷な運命を強いられ、それでも最期まで気高く生きた諸先輩方が確かにいたということを忘れず、感謝と謙虚の気持ちをもって、生を全うしたい。
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戦没学生の手記集、今読んでも胸が締めつけられる。辞世の歌を遺している若者も多い。いくつかを引く。「手折りたる土筆なつかし故郷の妹がつみしも同じこの季節(ころ)」「わが妹は母しなければとつぐ今日誰が帯結び粧いするらん」「赤き実を雀ついばむ袋路に吾をまつらんか幸薄き叔母」「ふるさとの背戸に匂わん野いばらの白き花がきいまもつづくや」「かくてこそ人も果てなむ爆雷に打たれて魚数多浮きおり」「蒼く澄みて鷗の遊ぶこの波の底うすぐろき死の光あり」「硫黄島雨にけぶりて静かなり昨日の砲爆夢にあるらし」「しまらくのいのちにあればむらさきのけむりの舞はかなしかりけり」「おののきも悲しみもなし絞首台母の笑顔をいだきてゆかん」
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"戦争とは若者を否が応でも大人にさせる。死を意識した生活を強いられる。太平洋戦争時に若者が恋人や親に宛てた手紙を集めたのが本書。
仮に、私が当時にいって同じような体験を強いられたときにこんなコメントは書くことができないだろう。
一つ一つを大切に読み続けたいと少しずつ読んでいった。
今の平和にあらためて感謝するとともに、襟を正しておてんとうさまに恥じない生き方を誓う。
そんな気持ちにさせてくれる。"
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本書は、第二次世界大戦で命を落とした若者たちが残した手記、遺書を集めたものである。死を目前にした若い命が、過酷な運命とどのように対峙したのか、赤裸々な葛藤がここにある。恐怖に打ち震え、己の悲運を嘆くもの。死に挑んでまだ学問への執着を失わないもの。残してきた若妻と幼子の将来を心配するもの。家族、特に母親に対しての親不孝を悔いるもの。と、さまざまであるが、ほとんどの人に言えることは、過酷な運命が、彼らの精神を急激に成熟させたことである。これにより、どの遺稿を読んでも極めて純度の高く、読むもの胸を締め付ける。その生々しい臨場感は、息苦しいほどである。特に、木村久夫氏(戦犯として死刑)による本書最後の遺稿は、正に「世に住む日々」の葛藤ドキュメンタリーである。これを読み、涙が出ないものは人ではないだろう。
Posted by ブクログ
現代の私たちは、輝かしい青春、そしてその若き命を犠牲にせざるを得なかった彼らに誇れるような国を作れているのだろうか。彼らの青春の日々、命を奪った悲しき歴史。彼らは。今の日本をみて何を思うのだろうか。
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第二次大戦により戦没された方々の手記。
家族や友人、恋人を守る為に、死を前提とした戦地に赴く若者達の思いが綴られていて読むのが凄く辛かった。
検閲を潜り抜けるために書けることにも制限があるが彼らが国に対しての疑問や矛盾を感じ取っていたことは充分伝わってきた。
もっと学びたかっただろうし、もっと生きたかっただろうに欺瞞と葛藤を抱えながらも静かに諦観し、無残に散っていった命を思うと涙が止まらなくなった。
今、私が享受している平和は彼らが切り開いてくれた道。この本の中で息づく魂を無駄にはしたくないと思う。
Posted by ブクログ
長く手に取らずにこの歳になりましたが、ついに繙きました。未来ある若者にこのような文章をしたためることを余儀なくさせる日が二度と来てはならないと思います。
Posted by ブクログ
何度も読み返したい。
自分が毎日どれだけふわふわ生きてるのかと思い知らされる。
明日はないかも、今日死ぬかも、隣の人にはもう会えないかも、日本はどうなるんだろう、家族は
半端じゃない覚悟と葛藤があったんだろうなと思う。
この人が日本の政治を担っていたらどうなっていたか、、と思うことも多々
1回目は彼らに、2回目はその銃前銃後に思いを馳せて。
Posted by ブクログ
もっと早く読めばよかった。
これまで戦争に関する本は何冊か読んできた。
だけど。
時間を、自由を、望みを、そして命まで。
理不尽に国家に奪われた人たちの本当の「言葉」。
これ以上心に重く響くものはなかった。
そして、時間の過ぎ行くままに生きてるのを恥ずかしく思った。
今の私は彼らが渇望したものを持っているのに。
Posted by ブクログ
絶対に読んでほしい。
まず、この本の初版発行が戦後すぐであること、
戦争を賛美する手記を
あえて載せない決定を下すまでの過程
その後何十年間にも渡って増版の度に
編集後記でそのことについての議論が行われたことが
すべて載せられている点において、高く評価したい。
今まで勝手に考えていた戦時中の若者のイメージを、
覆すことがいくつもあった。
ほとんどのひとが18~20代前半。
その聡明さ、ひたむきさに尊敬の念を覚えた。
とにかくできるだけ多くのひとに読んでほしい本です。
Posted by ブクログ
心からご冥福をお祈りしたいと思いました。多くの命が理不尽に消えた事実を決して忘れてはならないのです。死を前にして、きっと彼らは心の底から悔しかったのではないかと想います。なぜ、自分は死ななければならないのか、納得した死など無かったはずです。多くの方々の死によって今の私たちがあるのだということに感謝しなければなりません。
Posted by ブクログ
念願の靖国神社への参拝が叶い万感の思いだった。
ちょうど気象庁の桜開花宣言の撮影をしていた。
靖国神社の桜が標本木とは知らなかった。たぶん、意味があるんだろうな。
Posted by ブクログ
改竄されているという声もあるからわからないけれども、ただ読んだところで自虐史観を持つことはなかった。考えさせられることは山ほどあったけど。私は普段ほとんどフィクションしか読まないので、この痛々しいまでのノンフィクション作品は衝撃的だった。
時代が違うというだけで、考え方、知性、感性、洞察力、文章力………こんなに差が出てしまうなんて。中身もさることながら彼らの文章は本当に見事だ。理知的に観察しているように見えても、誰もがある種の熱を秘めながら、詩的に、繊細に言葉を紡いでいる。当時の学生たちの精神の高さを思わずにはいられない。
私と同じ歳の人間も、同じ大学の人間もいた。
彼らが希求した平和を貪りながら、今の日本を見ながら、これでいいのかという疑問の念がやまない。
本当に、人の考え方を変えてしまうような作品だ。
Posted by ブクログ
ことばのひとつひとつが重い。
74名の戦没学生による遺稿集で、日中戦争期、アジア・太平洋戦争期、敗戦の3部構成。
氏名、生年月日、出身、学歴、入隊日、死因と階級、死亡時の年齢がまず記されている。
出版当時の時代背景からの編集意図は感じるけれど、学生が犠牲となったこと、その背後に無数の声なき言葉たちがあるかと思うと虚しく、途方もない。
Posted by ブクログ
本書は、1995年(平成7年)に出版された、第二次世界大戦末期に戦没した日本の学徒兵の遺書を集めた遺稿集『きけ わだつみのこえ』の新版である。
本新版が刊行されるまでには、いくつかのステップを踏んでいるが、巻末にある日本戦没学生記念会(わだつみ会)の「新版刊行にあたって」によれば、概ね次の通りである。最初に発行されたのは、1947年(昭和22年)に東京大学協同組合出版部により編集された、東大生だけを対象とした『はるかなる山河に』で、「戦没学生が最後まで失わなかった人間性」に光を当てたものになっていた。その後、1949年(昭和24年)に遺稿の対象を全国の高等教育機関に広げた『きけ わだつみのこえ』の初版が刊行されたが、朝鮮戦争の危機が間近に迫っていたという時代背景から、遺稿の取捨選択が行われ、「“人間性”より“平和”」に力点をおく編集であったという。そして、本新版は、『きけ わだつみのこえ』の刊行をきっかけとして1950年(昭和25年)に結成されたわだつみ会が、前二版の長所を維持しつつ、「当時の学生たちが侵略戦争を担わされるにいたった冷酷な事実を直視し把握することができるよう」に、という問題意識のもとに再編集されたものだという。また、わだつみ会は、戦争を知らない若者が増え、また、ベトナム戦争が激化しようとしていた1963年に、「『きけ わだつみのこえ』の足らざるところを補正」するとの編集方針の元で、続編『戦没学生の遺書にみる15年戦争』を刊行したが、それは1966年に『弟二集 きけ わだつみのこえ』に改題されて、現在も刷を重ねている。
なお、「わだつみ」(わたつみ)とは、記紀神話に出てくる「海の神」(海神・綿津見)で、転じて海・海原そのものを指す場合もある言葉である。
本書には74人の遺稿が収められており、全篇に、家族や友人への愛、死に対する無念と覚悟、日本の将来への願い、(たまたま検閲を免れたと思われる)戦争や軍部への批判など、溢れる思いが綴られている。
佐々木八郎(東京帝国大学経済学部/1945年4月、沖縄海上で昭和特攻隊員として戦死/22歳)・・・「世界が正しく、良くなるために、一つの石を積み重ねるのである。なるべく大きく、据りのいい石を、先人の積んだ塔の上に重ねたいものだ。不安定な石を置いて、後から積んだ人のも、もろともに倒し、落すような石でありたくないものだと思う。出来る事なら我らの祖国が新しい世界史における主体的役割を担ってくれるといいと思う。また我々はそれを可能ならしめるように全力を尽くさねばならない。」
中尾武徳(東京帝国大学法学部/1945年5月、琴平水心特攻隊員として沖縄南西海上にて戦死/22歳)・・・「浪に消される痕であっても、足跡の主の力づよい一足一足が覗かれる。もり上った砂あとに立ち去った人の逞しい歩みを知る時、私は力づけられる。誠に我々は過去を知らず、未来を知らない。しかし現在に厳然と立つ時、脚に籠る力を知る。」
若くして戦場に散った学徒兵のこうした思いに、我々は今後も責任をもって応えていかなければならないのだ。
戦争の記憶を風化させないための材料の一つとして、受け継いでいくべき記録である。
(2020年12月了)
(尚、本書を巡る批判などについては、この後、保坂正康著『『きけ わだつみのこえ』の戦後史』を読んで、改めて考えてみたいと思う)
Posted by ブクログ
自分も学生であるから、この本を読み、出陣していった学生の方々の身と自分の身を照らし合わせることは当然行った。この方々に対してお気の毒だとはすごく思うが、それに対して自分は根性がないとか、しっかり生きていない、などとは思わない。自分がもし戦地に赴くことになったり、学問を続けることができなくなったとしても、その時には、自分ができることをしっかりやったと思うし、様々な覚悟もしたと思う。それとは別に、戦争で亡くなられた学生の方々の存在とその思いは心にとめておこうと思った。
Posted by ブクログ
読み進めるのが辛い本だった。
この手記を書いた人達は学業半ばにして戦地に赴いた。
そし亡くなった。彼らの心の声がここにはある。
厳しい検閲の中、残った貴重な声だ。
現在の首相他、政権についている面々には是非この戦没学生の声に耳を傾けてほしい。
Posted by ブクログ
戦争中に兵士として亡くなった学徒の手記を集めたものである.
文章から滲み出る当時の大学生の高い教養レベルをまざまざと感じることができる.当時の日本の若き頭脳が失われたことは日本にとっても大きな損失であろう.
この本を読むと英霊の眠る靖国神社に手を合わせないわけにはいかなくなるであろう.
Posted by ブクログ
第二次世界大戦中散っていった学徒兵たちの手記集。
帝国大卒の兵士の手記が多い事もあるが、この時代の学生は多くの書物を読み一人一人が一端の論者であったことに感嘆した。
もっと古典読まんとなぁ
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出征前に学生達が書き残した生の声を聞きながら、自分だったら最後に何を書くだろう、何をするのだろう、誰のためなら死ねるだろうか誰のためでも死にたくないのだろうか、と考えてほしい。
『はっきり言うが俺は好きで死ぬんじゃない。
~(略)~
東京はもう桜が散りかけているでしょう。私が散るのに桜が散らないなんて情けないものですね。
散れよ散れよ桜の花よ、俺が散るのにお前だけ咲くとは一体どういうわけだ』
(「きけわだつみのこえ」より、大塚あき夫)
Posted by ブクログ
どんなふうに編集されたんだか。この本が語るのあくまで一部の空気。
日記は、人に読まれることを想定して書くもの。「SEXしたかった」「あいつは心底嫌い」など、汚いことが書かれていてもおかしくはないのだけれど。
大義名分のもと戦死することに格好つけて最後に良い文章を残すもんだろ。
といろいろ考え巡らそうが、心ひきこまれる文章に、なんだか共感でき感動。
おいらは「浅見雄一」の日記がすきだな。
Posted by ブクログ
戦時中の書記集。どうして読もうと思ったかな?色々なところで紹介されているので、題名は知っていたが、読むのは始めて。
戦時中の時代背景情報に詳しく無いので、最初「読みづらいな」「資料としては生の声で良いものだな」と思うが、それでもパラパラと目が止まる箇所を読み進んで行くと考えさせられたり、はっとするところがいくつも。
もし戦争に行くことになったらどうするのか?を考える。今ではなく、戦時中では拒否することは難しいし、お国の為と行っただろうな。でも、もう子を持つ身の意見で、この本に登場するような若者の立場であれば、苦悩だろうね。
今であれば、自国が攻められたら、戦うかな。
兵舎でのイジメについて。今では考えられないくらい暴力、上下が厳しい様相がわかる。自分は耐えられただろうか?また、上級生になっても暴力を振るわないでいれるだろうか?
今のままそういうシュチュエーションに放り込まれたら、暴力の連鎖を少なくとも自分は断ち切れると思うが、そういう時代に育ち、大きくなっていれば、難しいのだろうね。
時代のせいにするのは好きではないが、そういう要素が大きいケースなのだろうなとは思う。