トクヴィルの作品一覧
「トクヴィル」の「アメリカのデモクラシー」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「トクヴィル」の「アメリカのデモクラシー」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
ビジネス・実用
Posted by ブクログ
知っていても読んだことはない(言及される機会が多いので読んだ気になっている)古典だが、岩波文庫版は良訳と聞いたので読んでみた。
一言でまとめると、
1800年代前半の建国間もないアメリカを見たトクヴィルが、フランスやイギリスをはじめとする欧州諸国と比較したうえでアメリカを「民主主義の先進国」としている。
…ここまでは教科書どおりの記述といってもよい。
読んでみて思ったのは、現代日本の私たちにとってアメリカの政治制度は「そういうもの」として半ば自明の存在になっているが、(当時のヨーロッパから見ると)異質で特殊なものだということだ。
トクヴィルが特に強調しているのが司法、とりわけ連邦最高裁について。現代日本人は「司法権の独立」を当たり前のこととして受け入れているが、それは決して当たり前ではない。
そもそも法治主義と言っても誰が法律を定めるかという論点があり、ヨーロッパでは「法律は王が定める(あるいは王が承認する)」ものであり、司法が(独立して)その是非を論ずるという議論と整合させるのが難しい。よって最高裁判所の機能は貴族院(上院)が持っていたりして、イギリスなどは2009年に連合王国最高裁判所が設立されるまでは貴族院が最高裁判所だった。
その代わりというべきか、アメリカでは具体的な訴訟の解決に必要な範囲で憲法判断をする(付随的審査制)のであって、憲法裁判所が具体的事件から離れて憲法判断をする大陸法(特にドイツ)とは異なる。
(ここまでの話、大雑把に書いたので正確じゃないかもしれない)
付随的審査制などのブレーキがあるものの、トクヴィルはアメリカにおいては独立性の高い司法が専横することを懸念している。それは具体的な判事の人選ということではなく、システムとして国民の意思を離れて暴走し得るという指摘である。
トクヴィルが指摘するまでもないのだろうが、アメリカの「民主主義(人民主権)」はヨーロッパの古いしがらみにとらわれずに作り出したからこそ、不純物が少ない、一貫した制度で成り立っている。
そしてそれはニューイングランドに移住した清教徒によってつくられたという。
トクヴィルは、ハドソン川以北(ニューイングランド)と以南では民主主義の浸透度合いに差があるとしている。「以南」は比較的豊饒な土地で奴隷使用に適していて地主(資本家)が生まれやすいかったともいう。(トクヴィルの執筆は南北戦争前です)
この南北比較はアメリカの「反知性主義」の源流についての話でもあるし、その比較において相続法のあり方に触れていることも含め、かなり興味深い。
文庫本全4冊のうちの1冊目を読み終えただけだが、この1冊目が最も面白いのではないかという気がしている。果たして。。。
Posted by ブクログ
全4巻の最終巻である本巻では、自由と平等についてのトクヴィルの省察が理論的に深められるが、その核心的なエッセンスを列挙すれば以下の如くである。
★平等な社会は人々の境遇を不安定にし、虚栄心を蔓延させる。
「デモクラシーにおいては、境遇の変化が大きいので、人々の特典はほとんど常に獲得して間もないものである。・・・そのような特典はいつ何時失われるかも知れないので、彼らは警戒を怠らず、特典をまだ有していることを見せびらかそうとする。・・・民主的国民の執拗であくなき虚栄心はこのように境遇が平等で壊れやすいことに由来する」(p114)
★平等が進展すればするほど、些細な不平等に人は敏感になる。
「人々が特権に向ける憎悪の念は特権が稀になり、小さくなればなるほど増大する・・・境遇がすべて不平等である時には、どんなに大きな不平等も目障りではないが、すべてが斉一な中では最小の差異も衝撃的に見える。・・・平等への愛は、これが満たされるにつれてまた大きくなる。」(p222)
★自由は平等の確立を援けるが、平等の確立は自由の存続を危うくする。
「市民は刻々行政の統制の手に落ち・・・新たに得た個人の独立のなにがしかを毎日行政に差し出すに至っている。」(p250)
「平等の勝利が確実になるにつれて彼らは最初こそ平等になれるように自由であらんと欲したが、自由の援けを得て平等が確立するにつれて、平等は彼らが自由を保持することを一層困難にした。」(p251)
最初の二つは物事の両面であり、平等意識と格差意識の淫靡な共犯関係を語り尽くして余すところがないが、最後に示されたように、それが結果的に平等の護持者としての国家権力の肥大化を招き、ひいては個人の自由を侵食するというのがトクヴィルの最終的なメッセージと言えるだろう。
Posted by ブクログ
『アメリカのデモクラシー』は1500頁に及ぶ大著であり、時間のない人のために全四分冊のうち一冊選ぶとすれば、躊躇なくこの第2巻上を奨める。第1巻で提起された自由と平等のパラドックスが文明論的に掘り下げられ、トクヴィルの最も独創的な思考が凝縮されている。平等の進展がいかにして多数者の専制あるいは自発的な隷従に結びつくかが多面的に考察されている。
各人の諸条件が平等になれば、社会の固定的な障壁は取り払われ、人間関係は流動的になる。人々は孤独に耐えられず、自分を導いてくれるものを探し求める。そこで拠り所となり易いのは「世論」であり、新聞が有力な社会的勢力となる。また人々の紐帯が弱まることが専制政治の温床となり、個人はか弱い存在であるが、個人の集合を代表し、全員を掌握する「後見的権力」としての国家が強大になる。今日の大衆社会の到来を正確に予言しており、デュルケム『自殺論』のアノミー論、あるいはフロム『自由からの逃走』やリースマン『孤独な群集』の議論を先取りしている。
こうした状況を前にして、自由を守る手だてとしてトクヴィルは何を考えたか。1巻では結社や地方自治、陪審制などのアメリカの諸制度や習慣の意義が論じられたが、本巻でトクヴィルが取り上げており大変興味深いのは宗教の役割である。「人間は信仰を持たないならば隷属を免れず、自由であるならば、宗教を信じる必要がある。」とトクヴィルは言う。政治にせよ宗教にせよ、人は全く権威のない状態には耐えられない。この深い人間洞察を前提に、宗教と自由の補完関係、裏を返せば無神論と専制の親和性を見事に言い当てている。