(上巻のレビューから続く)
下巻のポイントは概ね以下である。(尚、ヒトラーが何を考えていたのかという視点なので、批判的解釈は加えていない)
◆ドイツ民族の未来は、人口増加・資源確保・農地拡張のための領土の拡大にかかっており、植民地政策ではなく、地続きのヨーロッパ大陸内部への進出が必要である。国境は固定的なものではなく、民族の力に応じて変化すべきものであり、国家は生存圏の拡張のために戦う義務がある。
◆平和主義は民族を弱体化させかねず、戦争は生存競争の自然な手段である。国家は常に軍備を増強し、国民に戦闘精神を植え付けるべき。戦争は恐れるものではなく、民族の力を証明し、未来を切り開くための手段である。
◆国際市場や輸入に依存する経済は危険であり、国家は自給自足を目指すべき。農業は重要であり、領土拡張によって食料と資源を確保する戦略が必要。経済活動は個人の利益ではなく、民族の生存のためにあるべきであり、国家はそのために計画的に産業を組織しなければならない。
◆ナチ党は国家の前衛であり、民族再生のために機能すべき。党は厳格な階層構造と規律を有して、忠誠心と能力により人材を選抜し、政権獲得後は、司法・教育・報道などを掌握し、党と国家を一体化させることで民族目的を実現する体制を築く。
◆ドイツ民族は世界秩序を再構築する使命を負い、アーリア人種の覇権を確立すべき。個人の幸福や自由は民族の存続に従属し、国家はそのために全ての力を集中すべき。歴史は力によって決定されるのであり、民族の強化と拡張が至上価値である。
ドイツ出身の著名なジャーナリストであるセバスチャン・ハフナー(1907~99年)は、著書『ヒトラーとは何か』の中で「今日の世界は、それが私たちに気に入ろうが入るまいが、ヒトラーがつくった世界である・・・かつて歴史上の人物で、さして長くない生涯のうちに、これほど根底から世界をひっくり返し、しかもその影響があとあとまで長く続いた人間が、ヒトラーをおいて他にいただろうか」と書いており、私は、それを意識して、二つの問いを立てて本書を読み進めた。
一つは、当時のドイツ人の中でヒトラーは特別だったのか、また、特別だったとすれば、何が特別だったのかである。この点については、第一次世界大戦後のドイツでは、敗戦、経済危機、ヴェルサイユ条約の屈辱から、国民の不満が極限に達し、また、反ユダヤ主義、民族主義、議会制への不信も広く存在しており、ヒトラーの思想は極端であったものの、当時のドイツ社会で完全に孤立したものではなかった。そうした中で、ヒトラーが特別だったのは、大衆心理を理解し、カリスマ性と卓越した演説力を持ち、政治戦術に長けていたという点なのである。
もう一つは、現代の国際情勢において、ヒトラーを他山の石とするなら、どういう視点を持つべきかであるが、こちらは枚挙にいとまがないであろう。単純なスローガンで人々を扇動し、(移民や反対政治勢力という)敵を設定して社会の分断を煽り、選挙や議会を軽視して民主主義制度を形骸化するアメリカ。議会制民主主義を否定して指導者に権力を集中し、民族主義に基づいて少数民族を弾圧する中国。国家主義のもと他国への侵攻を行うロシア。そして、反ユダヤ主義というタブーを逆手にとって、自ら民族主義・国家主義に基づきパレスチナを絶滅させんとするイスラエル。。。ヒトラーの思想・政治手法の全てではなくても、その一部または多くを実践する国は少なくない。
私は、「人間はもっと賢くなれる。もっと良い社会を作れる。」と考えるという意味で、理想主義者であり、「リベラル」である(但し、成長至上主義・科学万能主義は否定するし、「人間は過去に学ぶべき」という意味での「保守」には賛同する)。よって、仮に、今後ヒトラーのような素養を持った人間が現れても、「ヒトラーの悲劇」が再び起こることはないと信じているのだが、それは、民衆・社会が成熟し、そのリスクを見抜けることが前提なのだ。
究極の「他山の石」として、一度触れておいてもいい一冊かもしれない。
(2025年12月了)