作品一覧

  • うまれるものがたり

    うまれるものがたり

    ビジネス・実用

    3.5
    1巻1,478円 (税込)
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 出産をめぐる家族の物語を、写真+文章で綴る写真集 妊娠・出産をめぐる6つの家族のものがたりを、フォトグラファーであり、自身も3人の子の母である著者が撮影・執筆。普通分娩、帝王切開、不妊治療を経た妊産婦さんや、その家族のお話のほか、きょうだいがうまれるときの上の子のお話など、著者の目線から見た“ものがたり”は、どこか自分や自分の家族のことのように身近に感じられます。そして最後の死産のお話は、悲しいものがたりでありながらも、清々しい読後感を与えてくれます。「この世にうまれること」そして「新しい命を迎えること」について、「感じる」と同時に「考える」ことのできる貴重な一冊です。
  • 鶏まみれ

    鶏まみれ

    小説・文芸

    4.6
    1巻2,420円 (税込)
    【推薦】白石正明さん(編集者) 「大変なものを読まされてしまった。 夜明け前の食鳥処理工場で顔までべっとり血と汚物にまみれ、 午後には風の谷の鶏舎でヒヨコとともに陽を浴びる一人の小柄な女性。 彼女が語り出したのは、「生き物」と「食べ物」をつなぐ壮大なスケールの、 とびきり自前の人類史だった。 生と死が風車のようにくるくる回っている。 私はもはや感動が追いつかない。」 ***** 〈命をめぐり、考え、生きた日々の記録。〉 リストラ失職した夫が「養鶏しようかな」と言う。では最後は肉か? と資格取得のため食鳥処理場に通い始めた。 夥しい数の鶏と働く人々。 私たちの肉はこんなふうに支えられていたのか。 感謝や驚きとともにさまざまな〝なぜ〟も湧きあがる。 ある日、同僚に訊ねようと顔を覗き込んだとき、何かちがう気がした。 この問いは社会に向けるものではないか── 〈『山と獣と肉と皮』『ニワトリと卵と、息子の思春期』に続く最新刊〉 ***** 【目次】 序章 それは見てはいけないものか? 第1章 踏み越えて、向こう側へ 第2章 なぜここは 第3章 ニワトリと卵とお金と、殺すこと 第4章 変わりゆく中で 第5章 どこへ向かうのか あとがき *****
  • 長崎と天草の教会を旅して

    長崎と天草の教会を旅して

    ビジネス・実用

    3.7
    1巻1,478円 (税込)
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を写真と文章で紹介する新しいガイドブックです。 世界遺産登録にむけ活動が行われている「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」にまつわる、写真集兼ガイドブックです。 本書は、フォトグラファーで長崎在住の繁延あづささんが、約2年間の歳月をかけて、長崎と熊本・天草の教会やその集落を撮影し執筆した書籍で、彼女独自のあたたかい視線で、キリシタン集落の人々が通った教会や集落が紹介されています。 紹介される構成資産は、大浦天主堂、野崎島の集落跡、外海の出津集落、平戸の聖地と集落、原城跡など12。 また、2016年秋までの構成資産に含まれていた、日野江城跡なども紹介しています。さらに、野崎島の集落跡では、モデルのKIKIさんと一緒に著者が旧野首教会をはじめ現地の構成資産を訪れ、その歴史と魅力を描き出しております。
  • 山と獣と肉と皮

    山と獣と肉と皮

    小説・文芸

    4.4
    1巻1,760円 (税込)
    「かわいそう」と「おいしそう」の境界線はどこにあるのか?   山に入るたび、死と再生のダイナミズムに言葉を失いつつも、殺された獣を丹念に料理して、一家で食べてきた日々——。   獣を殺す/料理する/食べる。 そこに生まれる問いの、なんと強靭にして、しなやかであることよ。 いのちをめぐる思索の書。 母として、写真家をして、冒険者として。 死、出産、肉と皮革を、穢れから解き放つために。——赤坂憲雄氏、推薦! 【目次】 はじめに 序章  獣の解体と共食 第1章 おじさんと罠猟 第2章 野生肉を料理する 第3章 謎のケモノ使い 第4章 皮と革をめぐる旅 おわりに

ユーザーレビュー

  • 鶏まみれ

    Posted by ブクログ

    もう そりゃあ 大変な仕事なんだから
    やっても やっても ぜんぜん
    終わりがない 時間が 続くんだから

    数年前にフランスの食肉工場で
    働いている友人の I さんから聞いた
    ことを ありありと 思い出した

    彼は ダンサーが本業なのだが
    確実な収入源になるその食肉工場での
    体験を面白おかしく話してくれた

    その時は 笑いながら話してくれたけれど
    そんなふうにでもしていなければ
    話せないだろうな と
    この一冊のおかげで 改めて
    その時の 彼の様子を思い返している

    当たり前になってしまっているけれど
    私たちが食べている肉は
    自分が食肉にしたものではない

    食べている時は
    おいしさが優先してしまって
    誰が どのように どれだけの
    手間をかけて‥
    が 完全に抜け落ちてしまっている

    時々 知り合いの猟師さんから
    「野の肉」をいただくこともある

    それらの「肉」が背負ってきた
    それぞれの「生きていたモノ」が
    手元、いや口元にまでやっきた
    その 越し方 を
    ここまで 興味深く 軽妙に しかも深く
    考えさせられ、思い巡らせてもらえた
    一冊はそうありません

    0
    2026年10月03日
  • 山と獣と肉と皮

    Posted by ブクログ

    表紙や序盤に出てくる写真に、初見はギョッとしてしまいます。本文を読んでいる中で、肉を食べるとは生き物の命をいただいた上で成り立ってることだよな、と改めて実感しました。普段、スーパーでパックに入った肉を買ってると、恥ずかしながら意識にのぼるこたがなかったです。

    0
    2026年10月02日
  • 鶏まみれ

    Posted by ブクログ

    大阪の商店街の真ん中で育った私が幼稚園から帰ってきてからの時間の過ごし方は、自分の親の店を飛び出し、近所のいろいろな店先をのぞくこと。かしわ屋(大阪で鶏肉店のこと)や肉屋の店内はさすがに子どもは入れてくれなかったけれど、ショーケースを通じて肉が切り分けられる様子などを見るのが好きだった。私たちが日ごろ口にする食品としての肉類が商品となる前の状態、つまり生の肉の塊を私は見慣れていたつもりだった。だがこの本を読み、そういう店先の肉類は「きれいにされた」あとの状態だと気付かされた。そしてさらに、そういう肉が「生きていた」ことに、私たちの日常生活はいかに目を向けないようにできているかも。

    また、繁延さんと同じく、私もイノシシ猟に同行させてもらったことがある。もちろん銃猟。ただしチームで行動する猟師たちの行動は大多数の人がイメージする高齢者が鉄砲かついで…というものとは全然ちがう。GPSや無線を駆使し、車一台よりも高価な猟犬を操って、無駄玉を使わずしとめる。獲物を追うときはさすがに熱を帯びるが、私が見た猟の印象はあくまでクール。このたとえを許してもらえるなら、まるでグリーンベレーのように計算ずくだ。

    だが獲ったイノシシの解体作業は見せてもらえなかった。もちろん私が素人という前提があるが、解体はいわゆる"職人仕事"らしく、あまり人には見せない“秘伝”のものらしい。だが1つ強調しておきたい。しとめた直後のイノシシはまだ温かいのだ。いや、むしろ熱いと言った方が近いかもしれない。猟師の方々はその熱さを実感しながら解体している。スーパーに並ぶ冷たい肉をさわるのとは違う。体温つまり生命にじかに触れているのだ。それは何よりも生命の尊さを感じられる瞬間だ。これを残酷、残忍、残虐という人間のほうが私には偽善者に見えて信用できない。

    私にはそういう背景があったので、繁延さんが養鶏業を営もうと考え、鶏を自分で捌いて肉も売る構想を描き、そのための食肉処理衛生管理者の資格を得るために食鳥処理場という“現場”に就職する話は、私が幼時に近所で白衣を赤く汚して働いていたおっちゃんやおばちゃんを思い出させ、いわゆる読み流すことはできなかった。今まで人間が生きるために他の生き物の生命を奪い食べることに関しては数々の本が出ているが、飾らず朴訥に日記のように語る繁延さんの一言一句はどんな本よりも私の心に染みた。

    それと私が興味を引かれたのは、繁延さんが再三、食鳥処理に携わる人が低い地位や賃金体系に置かれている矛盾を指摘しているところ。一般の人だけでなく、従事者自身が、それは当たり前であり、言っても始まらないという雰囲気に囚われていることを率直に書いている。これはどんな経済学の本よりも現実の経済活動の矛盾を提示したものだと思うし、イデオロギーや学術的なものに染まっていない分だけリアルだ。大学で経済学を学ぶ学生にとっての良質な参考書たりうるとまで私は思っている。

    余談だけど、繁延さんの名前はどこかで見たことがあったが…と思っていたが、思い出した。雑誌「母の友」に「生きる現象」という題で、生まれたばかりの赤ちゃんを胸に抱く母親を撮った写真とエッセイが載っていた。あまり見ない苗字だから記憶がつながった。あの繁延さんだったのか。生まれたての場面と死の場面。それは地続き。繁延さんは両方を間近に見ている。だからこういうリアリティが書けると思えた。先入観ぬきに読んでほしい。

    0
    2026年09月23日
  • 鶏まみれ

    Posted by ブクログ

    凄まじい本です。著者の日々の生活にまつわる労働と感情と行動と思索、そのそれぞれと直結した言葉が、読んでいる自分のいる場所を揺さぶってきました。「知らなかった」では収まりのつかない「知ろうとしてこなかったこと」「見ようとしてこなかったこと」「考えようとしてこなかったこと」が次々と襲いかかってくる感じ。そして食とか、格差社会とか、外国人問題とか、高齢化のこととか、ジェンダーのこととか、労働問題とか、教育のこととか、いのちとか、生産性とか、この本棚でもちょいちょい気になっているテーマがこの一冊の中で絡み合ってくるのです。著者の身体と思考の重なり合いから生まれるつぶやきのような文章がページをめくるごとにどんどん積み重なっていきます。その言葉が生まれるのは夫と庭先養鶏の延長としての養鶏場を始めようとしている家庭という場所と、食鳥処理衛生管理者資格取得のために働き始めた食鳥処理場の二つの現場から。記される文字も家庭の言葉は明朝体、工場の言葉はゴシック体で分けられています。明朝がプライベート、ゴシックがパブリックって感じですが、それぞれの違いと触発が絡みあい、まさに「鶏まみれ」になっていくのです。「鶏まみれ」は「命まみれ」であり、そして「血まみれ」なのです。この本のP174〜175に気になってしょうがない箇所があります。
    『ある本のなかにこんな一節を見つけた。
    「穢れとは何か。人の死にまつわる穢れがあり、女性の月経・出産にかかわる穢れがあり、そして、 敵の肉や皮革処理がもたらす穢れがある」
    (赤坂憲雄『東西/南北考 いくつもの日本へ』より)
    私の目はこの2行に釘づけになった。出産を撮影し、狩猟の撮影しながら肉を食べ、ときには 死に関わる撮影もする私にとって、この符合は思ってもみないことだった。穢れを撮ってきたつ もりはまったくない。急に胸騒ぎがしてきた。
    (『山と獣と肉と皮』より)
    また、でてきた。』
    この引用はゴシックなのですが最後の『また、でてきた。』だけ明朝なのです。現代社会の不可視化領域「穢れ」がこの本で自分を揺さぶるテーマなのではないか?と考えています。どうでもいいけど、この本の読書中に初めて全国チェーンの極安焼鳥店で食事をしましたが徹底的にシステム化されたオペレーションと味に「生き物」と「食べ物」の分離を感じてしまいました。この本で語りかける言葉は日常生活にかなり揺らぎを与えているようです。

    0
    2026年09月23日
  • 鶏まみれ

    Posted by ブクログ

    素晴らしい本に出会ってしまった。

    育てる鶏と食する鶏と親鶏と若鶏と、まさに鶏まみれ。しかし、それは鶏だけにとどまらない。社会のしくみ、そして人生観、死生観への深い考察に誘われてゆく。
    読み終えて時間が経っても考えてる、ずっと。
    考え続ける。

    0
    2026年09月21日

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