作品一覧 2023/09/27更新 石橋湛山研究―「小日本主義者」の国際認識 試し読み フォロー 自衛隊の誕生 日本の再軍備とアメリカ 試し読み フォロー 政治家・石橋湛山研究―リベラル保守政治家の軌跡 試し読み フォロー なぜ世界で紛争が無くならないのか 試し読み フォロー 鳩山一郎とその時代 試し読み フォロー マッカーサー フィリピン統治から日本占領へ 試し読み フォロー 1~6件目 / 6件<<<1・・・・・・・・・>>> 増田弘の作品をすべて見る
ユーザーレビュー 自衛隊の誕生 日本の再軍備とアメリカ 増田弘 日米の政治外交史、石橋湛山などの研究で知られる増田弘氏の著作。 戦後の再軍備関係を研究しているなら、増田氏の"Rearmament of Japan"の史料集の名を知らない人はいないだろう。 その増田氏が執筆した戦後の再軍備過程を描く著作なので、期待して読んだのだが、この新書あまり高く評価...続きを読むできない。 もちろん、膨大な一次史料に立脚した信憑性の高い研究だとわかるのだが、いかんせん文章に面白味が全くない。何か年表をそのまま文章にしたかのような文章で、内容が頭の中に入ってこない。(もちろん、これは私の勉強不足でもあるのだが…) 研究書としては分量が足りないし、新書としては内容が専門的すぎる。帯に短し襷に長し、と言ったところだろうか。 Posted by ブクログ マッカーサー フィリピン統治から日本占領へ 増田弘 マッカーサーについて、フィリピン軍事顧問時代から朝鮮戦争時の国連軍司令官解任までの調査に基づき、その人間像を明らかにしたもの。二次大戦における個々の戦闘や日本占領期の施策については詳細の記録が残っているが、バターンボーイズの調査を通じマッカーサーという人物を軸に縦にそれぞれの出来事を450頁に簡潔に...続きを読むまとめられている。「終章」でマッカーサーの人間像についてまとめられているが、それまでの分析が的確であり、説得力があった。 Posted by ブクログ マッカーサー フィリピン統治から日本占領へ 増田弘 GHQのマッカーサーが日本に来る前に何をしていたのか―日輪の遺産を読んで、マッカーサーは親子2代でフィリピンを統治していたときに莫大な遺産を作っていたと聞いて、気になって読んでみました。マッカーサーは一度日本に敗れ、フィリピンからオーストラリアに逃げた。そしてそこで一緒に逃げた部下たちで組閣し直し体...続きを読む制を立て直して、フィリピンを再奪回し、その奪回後の占領政策でのテストを経て日本の占領政策を進めていった。社会の教科書にはそこまで書いていなかったので、初めて知ったマッカーサーの姿がたくさんありました。そして偉い人の部屋が大きい理由に得心できたのもこの本でした。そうか考えるとき、歩きながら考えをまとめる人は昔から多かったんだ。そんなこんなで、歩きながら考えることの効果を改めて見直したのでした。 Posted by ブクログ マッカーサー フィリピン統治から日本占領へ 増田弘 ハルバースタム著の朝鮮戦争でマッカーサーの人となりに興味がわいたので読んでみた。フィリピン統治時代から第二次世界大戦を経て日本統治に至るまでの流れにおいても、朝鮮戦争時代におけるマッカーサーとは本質的に変わらず、朝鮮戦争での解任は起こるべくして起きたと認識させられる。 ハルバースタムがマッカーサーの...続きを読む負の面を大きく描いたのに対し、本作では正の面にも焦点を当てて描いており、一言では語り切れないマッカーサー像を補完している。その結果、全体としてまとまりにかける印象があるが、そこがまた面白い。 Posted by ブクログ マッカーサー フィリピン統治から日本占領へ 増田弘 東洋英和女学院大学国際社会学部教授(日本政治外交史)の増田弘によるマッカーサーの評伝。 【構成】 第1章 フィリピンとの邂逅 第2章 バターンボーイズの誕生 第3章 日米開戦前夜からマニラ脱出まで -1941年10月から同年12月まで- 第4章 マニラ陥落と第一次バターン攻防戦...続きを読む -1942年1月初旬から2月初旬まで- 第5章 コレヒドール島脱出計画 -1942年2月初旬から2月下旬まで- 第6章 マッカーサー一行のコレヒドール島脱出 -1942年2月下旬から3月中旬まで- 第7章 第二次バターン攻防戦と”バターン死の行進” -1942年2月初旬から5月上旬まで- 第8章 オーストラリアからフィリピンへ -1942年3月から1944年10月まで- 第9章 フィリピンから日本へ -1944年10月から1945年8月まで- 第10章 日本の非軍事化・民主化 -1945年8月から1947年12月まで- 第11章 ワシントンの対日政策転換とマッカーサーの抵抗 -1948年1月から1950年6月まで- 第12章 朝鮮戦争とマッカーサー解任 -1950年6月から1951年4月まで- 終章 著者の増田弘は、『石橋湛山』(1995年)『公職追放』(1996年)『自衛隊の誕生』(2004年)などの占領期の実証的研究で知られている。 扱う題材は、日本史上で最も有名な外国人の一人であるアメリカ陸軍元帥ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)である。一般的にマッカーサーと言えば、戦後占領期に日本に君臨した連合国軍最高司令官(SCAP)として知られている。 本書の大きな特色は、1945年の占領期に限定するのではなく、その前段となる戦前のフィリピン時代から軍人・行政官としてのマッカーサーを描き出そうとするものである。 敢えてフィリピン時代から説き起こすことで、SCAPの隷下として占領行政を担ったGHQのメンバーの中核となった「バターンボーイズ」とマッカーサーとの関係が明らかにされている。 太平洋戦争開戦直後において、日本軍の侵攻を食い止められず、マニラ湾西岸のバターン半島とその南のコレヒドール要塞に部下の将兵を残して、単身脱出を図らざるを得なかったことは輝かしい軍歴を持つ軍人マッカーサーにとって屈辱の記録であった。そして、その苦境をともにした少数の側近たちが「バターンボーイズ」であった。 戦中におけるフィリピン政府とマッカーサーの関係について、従来の研究をベースにしながらもより詳細な検討を行っているところに、本書の研究上の成果があると言えるだろう。しかし、政治史の流れとしては、バターン攻防戦からコレヒドール脱出までの側近との細々としたエピソードが続くのはやや冗長と感じる。日本占領期への連続性を論じるなら、日本軍から奪還後のフィリピン復興行政をより詳細に論じた方がよかったのではないかと思う。 その一方で、フィリピン→オーストラリア→フィリピン→日本という動きを追っていくことで、軍司令官としてのマッカーサーの権限拡大が提示されており、竹前英治『GHQ』などで紹介されていた「GHQの沿革」がより明快に理解できる。 また、後半の日本占領期については、著者の「朝鮮戦争以前におけるアメリカの日本再軍備構想 (一)(二)」という論文に基づいて、占領政策の転換と日本再軍備のテーマをめぐる東京のマッカーサー、ワシントンの陸軍省と国務省という3者の対立関係が簡潔に描かれている。 この中でマッカーサーとワシントンの反目が、徐々に再軍備容認へと傾いていく様子が時系列で説明されている。 しかし本文で述べられているようなマッカーサーが滔々と述べる再軍備反対の根拠は、いかにも建前ばかりである。平和憲法への自負や根っからのロマンチスト、楽観主義といったフィリピン以来の人物像を重ねあわせていけば、単なる自信過剰な最高司令官という印象を与えかねない。 個人的には、マッカーサーの日本再軍備反対の根拠を説明するためには、柴山太(愛知学院大学)が指摘するように、マッカーサーはソ連侵攻時には沖縄から発進させる爆撃機によって原爆4発を朝鮮半島に投下する緊急戦争計画を立案していたことを考慮に入れる必要がある。つまり、マッカーサーが日本再軍備をせずに沖縄と日本駐留米軍によってどのような防衛戦略を構想していたのかということが、マッカーサーの反対の実証的根拠になるのではないだろうか?残念ながら本書ではそういうことには踏み込まれていない。 マッカーサーはその英雄的とも言うべき個人的な資質や性格で語られやすい人物である。ただ、その反面、事態の推移の根拠をマッカーサーの個性にし過ぎるきらいがあるように感じる。本書は、フィリピン時代からの「経験」「人脈」という点に着目し、戦後日本に君臨したマッカーサー像を掘り下げようとしたものであり、アプローチの方向性は大いに共感できる。しかし、掘り下げが側近達の人物像という極めて主観的でミクロな分析になりがちであり、司令官としてのマッカーサーがどのような情報に基づいて、どのように判断し、どこに指示を出したのかという事実関係を俯瞰的に見られていないように感じられた。 本文460頁と新書の中ではかなりボリュームが大きく、これまで日本ではほとんど知られていなかった「バターンボーイズ」とマッカーサーの関係を一次史料を駆使して明らかにしたことは大いに評価できるが、司令官マッカーサーの歴史的な評価という点ではやや物足りない。 Posted by ブクログ 増田弘のレビューをもっと見る