大学生の時、留学も視野に入れて、というより日本語の哲学研究書があまりにも難しくて、よくPodcastを聞いていた。それはナイジェル・ウォーバートンのPhilosophy Bites(哲学の齧り)であった。ひとつ15分ほどの番組で、ある主題についてウォーバートンのインタビューで第一人者が最前線の研究を語りながら聞き手を案内する充実した内容で、いまも続いている。本書は編者あとがきで言及されているように、その日本語版といった趣のある哲学史入門である。
本書のインタビュー形式であるからこその臨場感は、全ての読者を哲学史のいわば「急所」へと招くものである。従来の哲学入門や哲学史入門で、わかるようなわからないようなつかみどころのない思いをしたことはないだろうか。本書はそういった人に向けて書かれている。研究書をいきなり読んでもなかなか見えてこない隙間が実に手際よく埋められていくのが壮快な一冊である。
開口を飾る千葉雅也氏の哲学史を学ぶことについてのインタビューでは、哲学史を学ぶことが哲学そのものであることがありありと語られる。古代をめぐる納富信留氏との対話では、氏の著書で語られるところの「不知の自覚」「ソフィストとは何者か」、そしてパルメニデスの衝撃がこれ以上なくくっきりと提示される。中世の山内志朗氏との回では、この時代について懐かれがちなわかりにくさが、実に明快な仕方で解きほぐされていく。そして最後に控えているルネサンスについての伊藤博明氏との回では、中世同様に等閑視されがちなこの時代を代表する人々が、如何に幅広い関心のもとに思索を重ね、それが陰に陽に私たちの思想的風景に影響を及ぼしているのかをうかがわせる。
全編を通して実に生き生きと語られる哲学史は、読者が知りたいことを聞いてくれる編者である斎藤哲也氏の軽妙な問いかけによって立体的なものとなっている。「無知の知」という言葉の誤解を解くなかで語られる無知(アマティア)が思いこみであるという指摘は核心を突くものである。また、中世においてアラビア経由で現存のアリストテレス著作の大半が西洋に受け入れられ、そしてルネサンスにビザンツ経由でプラトンの全体像が受容される過程などは、読者がまさに知りたいことであろう。しかし、その全体像として受け入れられたものからこぼれているもの(例えば詩学や政治学)が後に、さらに現代の解釈学へと繋がっていくことをも予想させる。
ここまで読んでくださった読者は、それでは哲学に既に関心がある人のための本であるかと思ってしまうかもしれない。しかし、Philosophy Bitesがそうであったように、ここで語られる哲学史は哲学そのものが何であるかを時代時代に明らかにするものであるので、純粋に哲学入門としてもおすすめできるのである。実に痒いところに手が届く、画期的な哲学(史)入門である。