ポストアポカリプス小説は古今東西多々あれど、文明が崩壊した日本において、お伽噺と化してしまった在りし日のコミケを夢見る4人の少女を描いた作品はまずないのではないでしょうか。
通常よく見るポストアポカリプスSFの展開としては、原因となったAIの暴走との人類存亡をかけた戦いや、核戦争後の生存者を見つける旅や、種の保存を命題とした壮大なものが多くみられますが、本作は表題にあるように「コミケ」へ行くことが題材。とても日本的で、サブカルチックな命題であり、これこそジャパニーズSFでしか成しえないSFといえるでしょう。
かといって、内容は決してコミカルでライトなだけではありません。
むしろ、徐々に失われていく文明。そのアーカイブの消失により器具の取り扱い法や病気の対処は口伝でのみ伝えられ、二度と修復できない文明の遺産を壊さないように使っていく。いま、もし電気もガスもなく、上下水も管理できなくなり、物流が停止し、一次生産が人手でしか維持できなくなったとき、われわれの生活はどうなるかという恐怖が克明に書かれています。
なかでもこの小説では、特に文化度の低下による倫理観の退化を顕著に描かれています。恐らくは文化レベルが室町時代かそれ以前程度まで落ちているのでしょうか、貨幣制度はなくなり、多くは自給自足ができる最低限の人間が集まるだけとなっています。中には小作を使って中規模な村を形成し、昔の野武士集団が山賊をとなったように徒党を組んだあぶれ者が、そういったコミュニティを定期的に襲うようになっている。そんな世界で生きている4人の少女が立場の違いを超え、うち捨てられていたマンガという在りし日の文明の欠片によすがを求め、そのマンガの中の生活に憧れを抱いて現実の厳しさを紛らわせている。いまではこの4人だけが、在りし日の文化的な生活を知っている4人であり、作品中で一番啓蒙的なはずなのに、現実は厳しく実際は高校生活すらがSFであり、夢物語であるということを思い知らされてしまいます。
しかし、いつの日か日本各地の漫画家が理想を描いたマンガが一堂に会するマンガの祭典、「コミケ」に行くのだという夢をかなえるために、マンガという聖書を手に文化を啓蒙していく使徒として、4人はコミケという理想郷を目指して過酷な旅を始める、いわば第二の創世記たる物語となっています。
思えば作者のカスガ氏の作品に触れたのは、四半世紀近くも前のインターネットサイト「朝目新聞」。そこに掲載された「明日のナージャ」のパロディ漫画を見たのが最初でした。
その後氏の作品を追い求めるものの、当時北海道の最東端近くに過ごす貧乏学生には手に入れる手段も、その方法を教えてくれる知恵も同志も無かったため、ただただ検索サイトで見つけた、筒井康隆の「虚航船団」を題材にした氏の一連の作品群等をみて、その無念を晴らすような日々でした。
しかし、上京後にやっと手に入れたスマートフォンで氏のSNSアカウントを見つけフォローすることができ、そのおかげで見逃すことなくいまこうしてこの作品を手にしている。そういった自分の実体験は、この小説の内容と登場人物の想いに少なからず被っているようで、感に堪えません。
コミケという一見サブカルで一段低く見られがちなマンガ文化というものが、この作品の世界においては至上の娯楽であり文化的要素となっている。しかし4人の少女以外には中傷され、愚にもつかない扱いをされている。これはひと昔前の小説や俳句に対する扱いと全く被るもので、「学校に行き文章を学ぶと本を読むようになり、仕事をしなくなる」と真剣に懸念した当時の父母と同じ心境のようです。またそれに対抗して啓蒙活動にいそしんだのが正岡子規や夏目漱石であり、主役の4人はいつかこれらの文豪と並び、文化の担い手になるのではないでしょうか。
形態は変われども漫画や小説は、ただの娯楽ではなくて、何か心を動かす力があるという力強いものでありということをこの小説で感じ、4人の聖歌も必ず成果が生まれるように思います。
マンガも描かれるカスガ氏の小説。いつか自身でのコミカライズを期待しております。