作品一覧

  • マウントドレイゴ卿/パーティの前に

    マウントドレイゴ卿/パーティの前に

    小説・文芸

    4.3
    1巻733円 (税込)
    家柄と知性、すべてに恵まれた外務大臣は、自分が見た恥ずべき夢を格下のライバルに知られていると悩んだ末に……「マウントドレイゴ卿」。南方駐在員の夫を亡くして帰国した長女が明かした夫の秘密とは……「パーティの前に」。みずからも様々な側面を持つ文豪モームが、偉大と卑小、高貴と下劣、引き裂かれた人間性を鋭く描き、その不可解さを浮き彫りにする珠玉の6編。
  • キム

    キム

    小説・文芸

    4.5
    1巻1,650円 (税込)
    植民地時代のインド。英国人孤児のキムは現地民に溶け込み逞しく暮らしていたが、チベットから聖なる川を探しに来たという老僧に感化され、弟子として同道する。だが現地語と変装が得意な彼は英国軍の目にとまり、やがて重大な任務を担うことになる……。ノーベル賞作家の代表長篇。
  • 私が本からもらったもの 翻訳者の読書論

    私が本からもらったもの 翻訳者の読書論

    小説・文芸

    -
    1巻1,760円 (税込)
    あなたが本からもらったものは何ですか? 「光文社古典新訳文庫」創刊編集長の駒井稔を聞き手に、8人の翻訳者が語る本にまつわる数々の思い出。 「WATERRAS BOOK FES」の「翻訳者×駒井稔による台本のないラジオ」待望の書籍化! 「最も原始的なタイムマシン、あるいは書物の危険な匂い」(貝澤哉)と「本箱の家」(永田千奈)、2つのエッセイも収録。 本は人生最高の贈り物である。読書のおもしろさを語り尽くした一冊。(書肆侃侃房) 【目次】 はじめに 駒井稔 第1夜 鈴木芳子(ドイツ文学) 第2夜 貝澤哉(ロシア文学) 第3夜 永田千奈(フランス文学) 第4夜 木村政則(英米文学) 第5夜 土屋京子(英米文学) 第6夜 高遠弘美(フランス文学) 第7夜 酒寄進一(ドイツ文学) 第8夜 蜂飼耳(日本文学) あとがき 駒井稔 【著者】 駒井稔 1956年横浜生まれ。慶應義塾大学文学部卒。1979年光文社入社。広告部勤務 を経て、1981年「週刊宝石」創刊に参加。ニュースから連載物まで、さまざまなジャンルの記事を担当する。1997年に翻訳編集部に異動。2004年に編集長。2年の準備期間を経て2006年9月に古典新訳文庫を創刊。10年にわたり編集長を務めた。 著書に『いま、息をしている言葉で。──「光文社古典新訳文庫」誕生秘話』(而立書房)、編著に『文学こそ最高の教養である』(光文社新書)がある。現在、ひとり出版社「合同会社駒井組」代表。 鈴木芳子 1987年早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了。ドイツ文学者・翻訳家。『ベビュカン』にて独日翻訳賞マックス・ダウテンダイ・フェーダー・東京ドイツ文化センター賞受賞。訳書にショーペンハウアー『読書について』『幸福について』、フォイヒトヴァンガー『宮廷画家ゴヤ』、ヒュルゼンベック編著『ダダ大全』、ローゼンクランツ『醜の美学』ほか多数。 貝澤哉 1963 年東京生まれ。早稲田大学大学院ロシア文学専攻博士課程単位取得退学。早稲田大学文学学術院教授。著書に『引き裂かれた祝祭 バフチン・ナボコフ・ロシア文化』(論創社、2008 年)、共編著『再考ロシア・フォルマリズム 言語・メディア・知覚』(せりか書房、2012年)。翻訳に、ゴロムシトク『全体主義芸術』(水声社、2007 年)、ナボコフ『カメラ・オブスクーラ』『絶望』『偉業』(光文社古典新訳文庫、2011、2013、2016 年)など。 永田千奈 1967 年東京生まれ。フランス語翻訳者。訳書にシュペルヴィエル『海に住む少女』、ラファイエット夫人『クレーヴの奥方』(光文社古典新訳文庫)、ロマン・ガリ『凧』(共和国)など。 木村政則 英米文学翻訳家。著書に『20 世紀末イギリス小説──アポカリプスに向かって』(彩流社)。訳書にミュリエル・スパーク『バン、バン! はい死んだ』『ブロディ先生の青春』『あなたの自伝、お書きします』(河出書房新社)、サマセット・モーム『マウントドレイゴ卿/パーティの前に』、D・H・ロレンス『チャタレー夫人の恋人』、ラドヤード・キプリング『キム』(光文社古典新訳文庫)、クリストファー・イシャウッド『いかさま師ノリス』(白水社)など。 土屋京子 翻訳家。1956年生まれ。東京大学教養学部卒。訳書に『ワイルド・スワン』(ユン・チアン)、『EQ~こころの知能指数』(ゴールマン)、『トム・ソーヤーの冒険』『ハックルベリー・フィンの冒険』(トウェイン)、『ナルニア国物語』全7巻(C・S・ルイス)、『仔鹿物語』(ローリングズ)、『秘密の花園』『小公子』『小公女』(バーネット)、『あしながおじさん』(ウェブスター)、『部屋』(ドナヒュー)ほか多数。 高遠弘美 1952年3月、長野県生まれ。現在明治大学商学部・大学院教養デザイン研究科教授。著書に『物語 パリの歴史』(講談社新書)『七世竹本住大夫』(講談社)『乳いろの花の庭から』(ふらんす堂)他、翻訳に『珍説愚説辞典』(国書刊行会)ロミ『完全版 突飛なるものの歴史』(平凡社)レアージュ『完訳 Oの物語』(学習研究社)プルースト『失われた時を求めて』(光文社古典新訳文庫、全14巻予定。個人全訳中)、最新刊にF・ピション『プルーストへの扉』(白水社)があるほか著作多数を数える。 酒寄進一 1958 年生まれ。ドイツ文学翻訳家。和光大学教授。2021 年、コルドンの〈ベルリン〉3 部作で日本子どもの本研究会第5回作品賞特別賞受賞。主な訳書にヘッセ『デーミアン』、ヴェデキント『春のめざめ ―子どもたちの悲劇』、ブレヒト『アルトゥロ・ウイの興隆/コーカサスの白墨の輪』、 シーラッハ『犯罪』『罪悪』『刑罰』『コリーニ事件』、ザルテン『バンビ 森に生きる』、フィツェック『乗客ナンバー23の消失』、ゼーターラー『キオスク』ほか多数。 蜂飼耳 1974 年神奈川県生まれ。詩人。立教大学文学部教授。詩集に『食うものは食われる夜』『顔をあらう水』『現代詩文庫 蜂飼耳詩集』など。文集に『孔雀の羽の目がみてる』『空を引き寄せる石』『秘密のおこない』『空席日誌』『おいしそうな草』など。書評集に『朝毎読』、絵本に『うきわねこ』(絵/牧野千穂)など、童話集に『のろのろひつじとせかせかひつじ』など。古典文学の現代語訳に『虫めづる姫君 堤中納言物語』『方丈記』がある。
  • チャタレー夫人の恋人

    チャタレー夫人の恋人

    小説・文芸

    4.1
    1巻1,870円 (税込)
    上流階級の令夫人コニーは、戦争で下半身不随となった夫の世話をしながら、生きる喜びのない日々を送っていた。そんなとき屋敷の森番メラーズに心奪われ、逢瀬を重ねることになるが……。身分や地位を超えて激しく愛し合う男女を描いた至高の恋愛小説。過激な性描写ばかりが注目されてきた従来の作品イメージを覆す新訳。登場人物たちの苦悩や絶望はきわめて現代的であり、今を生きる我々にとって隣人とも呼べる存在だ。
  • 日陰者ジュード

    日陰者ジュード

    小説・文芸

    4.0
    1巻2,486円 (税込)
    学問の道を志す貧しいジュードは、本を取り寄せて自学しつつ、生活のために石工の見習いとなる。進学の見込みもないうちに、奔放なアラベラと結婚するものの、その関係はすぐに破綻してしまう。そして今度は知的で進歩的な考えを持つ従妹スーに惹かれ、ふたりは同棲を始めるが……。近代人の悲劇的運命を描いたハーディの代表作。

ユーザーレビュー

  • チャタレー夫人の恋人

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    表現が卑猥で出版当初は禁書とされていましたが、卑猥な部分は極々一部で、平坦で軽やかな書き言葉で綴られていて読みやすかったです。

    妙齢で花盛りの女性が、下半身不随の夫と平穏に過ごせるわけないじゃないですか、増して子供が欲しい女性にとって。現代で言うと、機能不全によるセックスレスかなあ。愛情のない政略結婚で、近くにオスがいたらメスになってしまうわけで。

    0
    2026年09月08日
  • キム

    Posted by ブクログ

    序盤からがっつり心を掴まれ、そのままハイスピードで読み終わってしまった。
    本の厚みからして長そうだなとは思ってたけど、私はそんなに気にならない、むしろ終わってしまうのが切なくなってしまうほど、キャラクター達に感情移入してしまった。
    コロコロと展開のスピードが速いのと章ごとに転換していく形式なので(元々連載してたからね)、長編苦手!飽きそう!って人でも楽しめると思う。

    修行僧の旅って聞くと過酷だったり質素だったり、険しいものを想像してしまうけど、人の温かさが全面に出ている。何度目頭が熱くなったことか…
    旅の序盤とラストでは旅をしたキムや老僧に限らず、価値観の変化や成長が伺える。そこでまた目頭が…

    さらにとても個人的だけど、私が世界史受験だったから宗教やら民族やらゴロゴロ出てくるのが結構ポイント高かった。
    これだけの人たちを登場させて、街並みやら暮らしやら細かく描写ができるのは、作者が現地を知ってる証拠だし、没入感も高まり読み手として嬉しかった。

    ただ、自分も読んでて麻痺してしまったのが、これがキム達がイギリスのインド支配を推し進める側で動いているということ。
    あまりにも物語が面白すぎて、この時代設定も何もかも歴史上本当にあったことだって忘れてしまっていた。
    きっとキムもその深刻さをわかっていない。彼にとってはただのゲームでしかない。キムが怪しい依頼に目を輝かせてしまったように、私もキムを読んで心を奪われてしまった。

    0
    2026年09月04日
  • 日陰者ジュード

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    ネタバレ

    日陰者ジュード
    キリスト教
    運命、自然主義
    学歴、結婚、収入、
    とても現代的な貧困小説。キリストの歩みではないか。誰よりも、ジュードが。
    たくましいアラベラ。哀れなスー。
    キリストの人生を歩めず、放浪へと飛ばされるスー。
    女性の疎外という現代的なテーマ。

    これは一体なんだ。今でいう高学歴貧困か。
    知識と学歴、そして収入は比例しない。大学は金持ちにのみ開かれている。女性がどれだけ結婚や不倫という通俗から反発しようと、社会から埋め込まれた罪の意識は消えない。自分の人生が惨めになれば、罪の意識は高まる。キリスト教よりも、道徳という宗教がスーを縛り付ける。そしてお金と仕事は、ジュードに永遠の大学への憧れと軽蔑をもたらす。

    なんて現代的な、どうしようもない小説なんだ。
    ハーディは天才だ。

    0
    2026年04月08日
  • マウントドレイゴ卿/パーティの前に

    Posted by ブクログ

    『ジェイン』の大人の会話満喫

    モームの短編6作品を掲載。冒頭作品の『ジェイン』を推す。英国の大人社会の会話が何と言ってもいい。毒と品とテンポが心地よく、読んでいて楽しい。読後、大人の趣味を満喫した気になる。主要人物のジェインは、本当のことを言うだけで周囲の人を笑わせ魅了して急に人生の階段を駆け上がっていくのだけれど、本当のことは、どんな飾られた話よりも、面白いのかもしれない。

    0
    2026年03月29日
  • キム

    Posted by ブクログ

    1485

    513P

    イギリス領インド時代のインドでの話だから、現在のパキスタンも含まれてて、私が行ったラホールとかパンジャーブとかが含まれててアツい。

    ラドヤード・キップリング
    イギリスの小説家、詩人で、イギリス統治下のインドを舞台にした作品、児童文学で知られる。ボンベイ (ムンバイ) 生まれ。19世紀末から20世紀初頭のイギリスで最も人気のある作家の一人で、代表作に小説『ジャングル・ブック』『少年キム』、詩『マンダレー』など。「短編小説技巧の革新者」とみなされ[1]、児童向け作品は古典として愛され続けており、作品は「多彩で光り輝く物語の贈り物」と言われる[2][3]。1907年にノーベル文学賞を、41歳の史上最年少で、イギリス人としては最初に受賞[4]。他にイギリス桂冠詩人、爵位などを打診されたが辞退している[5]。キプリングの評価は時代ごとの政治的、社会的環境によって変わり[6][7]、20世紀中にも対称的な見解が見られ[8][9]、ジョージ・オーウェルは「イギリス帝国主義の伝道者」と呼んだ[10][11]。評論家のダグラス・カーは「未だ解決されない、文化と文学の歴史における心情面の距離や彼自身の位置について触発させる作家である。しかしヨーロッパ帝国主義退潮の時代では、帝国の行跡についての議論での好適な通訳者と見なされている。加えて彼の残した作品への評価の高まりが、その再認識を必要とさせている。」と述べている[12]。「東は東、西は西」East is East, West is West ( 東と西のバラード(英語版)) という言葉を遺したことでも知られる。2度ほど来日し、日本についての研究資料も残している。

    キム (光文社古典新訳文庫)
    by キプリング、木村 政則
     多様なのは、ジャンルだけにとどまりません。作中人物たちの国籍、民族、あるいは宗教もそれぞれ異なっているのです。キム一人の素性を考えてみても、インドで生まれ育ったイギリス人という複雑さを帯びています。キムと旅をする老人は、遠くチベットからやってきた位の高い仏僧です。その一方で、しばしばローマ・カトリックとイングランド国教会の聖職者が顔をのぞかせます。インドの人間にしても、決してひと通りではありません。信仰されている宗教は、ヒンドゥー教、イスラム教、シク教、仏教、そしてジャイナ教と多岐にわたります。民族の構成にしても、ベンガル人、パターン人、あるいはラージプート人と幅が広く、「インド人」と簡単にくくれる存在では断じてありません。話されている言葉も、英語はいうまでもなく、ウルドゥー語、ヒンディー語、パンジャービー語、ヒンドゥスターニー語など、各場面で自在に変わっていきます。

     以上のことをまとめると、ヴァルナとは、バラモン(祭司)、クシャトリヤ(王侯・戦士)、ヴァイシャ(市民)、そしてシュードラ(労働者)からなるヒンドゥー教の身分制度となります。ただし、ヴァルナに含まれない人々も存在しました。たとえば、糞尿の汲み取り、道路の清掃、水運びなど、ヒンドゥー教の浄・不浄の観点に基づいて禁忌とされる仕事に従事する者たちです。「パリア」あるいは「アチュート」などと呼ばれ、決して触れてはならない者、いわゆる「不可触民」として社会生活のあらゆる側面で差別を強いられていました。

     このヴァルナという身分制度が、長い歳月を経て、さらに細分化されていきます。つまり、同じ階級の中にもそれぞれ、職業、出身地、血縁関係などで結びつけられた集団が生まれたのです。この集団のことを「ジャーティ」(本来の意味は「生まれ」)といい、その数はいまや数千にも及ぶといわれています。ジャーティは決して変えることができず、職業は世襲で、他のジャーティとの婚姻あるいは飲食時の同席の禁止など、多くの規制を受けています。

     ほかにもたとえばイギリス人が現地人を「黒人」あるいは「黒い奴」などと呼んで差別する傾向にあったことなど、まだまだ記すべきことはありますが、訳語の工夫、詳細な訳注、ルビの活用──旧称や現地人の発音を右横に明記──などにより、滑らかに読み進められるようにしました。あとは、本書を手に取るだけです。いますぐキムと手を携え、壮大な冒険の旅に出てみてください。

     キムはぶらぶらと近くの煙草屋に向かった。潑剌とした感じのイスラム教徒の娘がいた。キムは香りのきつい葉巻を恵んでもらった。イギリス人の習慣を取り入れたがるパンジャブ大学の学生たちが買っている銘柄だ。大砲の下に戻ってきたキムは煙草に火を点け、膝にあごを乗せた姿勢で考え事にふけっていたが、しばらくするとやおら立ち上がり、ニラ・ラムの貯木場のほうへと消えていった。

    「なぜ知る必要があろう。中道を行くのに身分の高いも低いも関係はない。弟子にした以上、この手から奪う者、奪おうとする者、奪える者はいない。よろしいか、あの弟子がいなければ、聖なる川は見つけられん」老僧は重々しく 頭 を振った。

    「とにかく蛇が大嫌いなんだ」いくらインドになじもうと、白人の血が流れていては、蛇への恐れは抑えようがない。 「生を全うさせてやりなさい」とぐろを巻いたコブラがしゅうしゅうと音を立て、頭巾のような頭部を開きかけた。「お前に早く 解脱 が訪れんことを」そう願いをかけてから、老僧は静かに問いかけた。「おい、蛇よ。聖なる川は知らんか?」

    「ああいう者たちが」老婦人はきっぱりとした口調になって、キンマの葉を口に入れた。「ああいうインドに長くいる者こそが、正義を守るんだよ。この国を知り、この国の習慣に通じているからね。それに引き換え、欧州から来たばかりの連中ときた日には。白人の女に乳を与えられ、こちらの言葉を書物で覚えたものだから、疫病よりもたちが悪い。諸王にしたら害悪さ」そう言うと、老婦人は誰にともなく長々と語りだした。一人の若くて無知な警察官が、山の小国を領土問題で混乱に巻き込んだという。その国王は老婦人の九番目のいとこだったそうだ。話の締めくくりに、宗教とは無縁の書物から言葉が引かれた。

     ともあれ、こんな経験は初めてだった。その気になれば、このインドという茫洋たる神秘の世界にいつでも逃げ込める。そう、天幕もなければ、聖職者も大佐もいない世界に。それまでは、先方の希望とあらば、せいぜい点数を稼ぐとしよう。そんなふうに考えるところが、やはりキムも白人だった。

    ハリーは苛立たしげに指を鳴らした。「連中の陣地に潜り込むことなど、この私にすれば児戯に等しい。通訳を買って出るもよし。頭が弱いふりをしたり、空腹を訴えたりして、そのまま居つくこともできる。そして、いったん入り込んだら、可能な限り情報を盗む。ここの奥様を相手に医者の先生を演じるようなもの。じつにたやすい。ただし、私は不幸なことにアジア人でして、それは時に応じて深刻な欠点となります。わけてもベンガル人ですから、意気地がありません」

    「いえ、神の創造物ではなく、進化の過程で誕生したにすぎません。絶対的な必然性から生じたものです。まあ、どちらにせよ、無益な存在。とにかく、そう、臆病者なのです。昔、ラサに向かう途中、首を刎ねられそうになりました。そのせいで、目的地に行くのは断念したほどです。正直、腰が抜けて、おいおい泣きました。残酷な拷問にかけられるのかと早合点しましてね。とはいえ、今回の二人組から責め苛まれることはありますまい。しかし、不測の事態には備えておきませんと。緊急の際、誰か西洋の方がいてくれたらと思うわけです」ハリーは咳払いをして、カルダモンの実を吐き出した。「あくまでも個人的な依頼ですから、一蹴していただいて構いません。あの老師と大事な約束がおありかもしれない。いえ、君なら老師の気をどこかへ逸らすことができるでしょう。それとも、私のほうで何か食いつきそうな餌を撒きましょうか? とにかく、私が例の二人組を探し出すまでは、少なくとも局の一員として連絡を絶たずにいてください。君のことは、デリーで友人から話を聞いて以来、高く評価しています。もちろん、この一件が片付いたら、報告書に名前を出しておきますので。立派な勲章になるでしょう。さあ、これで洗いざらい打ち明けました」 「そういうことだったのか。いまの話だけど、まあ、最後のほうは信じてもいい。でも、前半のほうはどうなんだい」

    それを聞いたキムは、今日の旅が無事に済んだことを喜ばずにはいられなかった。なにせ体の節々が悲鳴を上げている。下を向きすぎて頭はくらくらし、岩場の割れ目にぐいぐいと足先を突っ込んだせいで、指が痛くてたまらない。いまの喜びに匹敵するのは、聖ザビエル校の四百メートル走で優勝して、同輩から称賛を浴びたときくらいのものだろう。山歩きのおかげで、体内から油分と糖分が抜けた。また、過酷な峠を登りきるたびに乾いた空気を喘ぐように吸い込んだせいか、肺が強くなり、胸骨が硬く盛り上がっている。何度も傾斜を下りたから、ふくらはぎと太ももに筋肉がついた。

    「それなりに世間を見てきてわかったことがある」所狭しと並べられた料理越しに老婦人は言った。「いまの世の中には二種類の女しかいない。男から力を奪い去る女、そして男に力を与える女。昔の私は力を奪い去るほうだった。でも、いまは力を与えるほうだよ。これ、いまさら坊さんぶるのはおよし。軽く聞き流すがいい。いまはぴんと来なくても、また旅に出たら効いてくるから。ご覧よ」最後の一言は、女主人の慈悲深さを倦むことなく褒め称えている老女に向けられたものだ。「この子ときたら、肌がつやつやじゃないの。毛を梳いたばかりの馬みたいにね。宝石を磨いて、踊り子にくれてやるようなもんだ。そうだろう?」

    ともあれ、国民的な作家として絶大な人気を誇っていたキプリングは、やがて国家の象徴という絶対的な地位へと祭り上げられながら、大英帝国に凋落の兆しが見えだすやいなや、文学者としての評価は急激に落ち、それから長年にわたって保守反動の帝国主義者という悪評を浴び続けたのでした。

    すでにラホールには、両親が住み暮らしていました。父親がメイヨー美術学校の校長とラホール博物館の館長を務めていたからです。一八八二年、キプリングがまだ十六歳のときのことでした。 『文武日報』というのは、パンジャブ州で最大の発行部数を誇っていた日刊紙です。キプリングは編集補佐として雇われたのですが、人員の不足は否めず、すぐさま精力的に働かざるを得なくなりました。実際、インドの各地へと取材に出かけ、そして記事を書いています。その中でも、一八八五年、新たな総督となったダファリン卿がアフガニスタンの首長と会見した際に記者として同行したことは特筆に値するでしょう。

    インド在住のイギリス人に向けて書かれたものでありながら、その題材のみならず、横溢した異国情緒が英米の広い読者の心に強く訴えかけました。それだけではなく、主要な新聞の書評でも取り上げられ、名立たる作家たちから賛辞を呈されました。

    キプリングはイギリスの文壇にたやすく入り込むことができました。けれども、本人としては、かえって自分の立場がわからなくなってしまったようです。というのも、アメリカを訪れたときには、その俗悪性と地方性に愕然とする気持ちを覚えたこともあり、やはり自分は典型的なイギリス人なのだと認識を新たにしたのですが、いざイギリスに来てみれば、本来は自分が属するべき故郷のことを外国としか思えなかったからです。

    さらには、イギリス人として初めてノーベル文学賞を獲得しました。キプリングが四十一歳のときです。これは受賞者として最年少の記録であり、現在に至るまで破られてはいません。

    ある見解によれば、キプリングが『キム』の原型ともいえる作品を思いついたのは、ラホールの『文武日報』に勤めていた時期にさかのぼります。一八八五年三月七日付の日記に、「今日、『マザー・マチューリン』の着想を得た」とあり、この話の中に、ラホールでアヘン窟を営む混血のアイルランド人が出てくるのです。実際に着手もしており、一八八五年に叔母イーディスへ宛てた手紙、および翌年に別の人物へと宛てた手紙を読むと、順調に書き進めていた様子がうかがわれます。この長篇は未完に終わりましたが、その原稿は数年にわたり保持されました。

    『キム』はまず、一九〇〇年十二月から翌年十月まで、ニューヨークの月刊誌『マクルーアズ・マガジン』に連載され、一九〇一年の一月から十一月までイギリスの月刊誌『カッセルズ・マガジン』に連載されました。そして修正を施したのち、一九〇一年十月にイギリスとアメリカで出版されました。

    キプリングは『キム』を書くに際して、多くのものに依拠しました。たとえば、幼少期を過ごしたボンベイでの体験に基づいて、インド自体の雰囲気、あるいは使用人たちから聞かされた物語や歌といった要素が物語に加味されています。もちろん、ラホールとアラハバードで新聞記者として過ごした時代を見落とすわけにはいきません。ほかには、大きな情報源として、父ジョン・ロックウッドの貴重な経験と豊富な知識が助けになりました。そもそも、小説に登場する館長の人物造形が、実際にラホール博物館で館長を務めていた父親に立脚しています。

    0
    2024年10月10日

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