落語が業の肯定なら、文学は倒錯の肯定。このことを執拗に教えてくれたのは谷崎潤一郎。この文豪の描く妖しくも奥深い文学に描かれる食の描写は、小洒落たグルメなんていう生易しいものではなく、まぎれもなく「倒錯した悪食」そのものである。
本書は「痴人の愛」のナオミが日にビフテキ3皿を平気で平らげるように、食
...続きを読む欲旺盛な妖艶な悪女たちの食いっぶりから、谷崎自身の「三日に一遍は美食をしないと、とても仕事が手につかない」と語るほど食に取り憑かれ、和洋中の美味珍味を追い求めていく自堕落な美食家の横顔も遺漏なくすくい上げる。
谷崎は美食をこう定義する。
「美食の味は、色気やお洒落をそっちのけにして、牛飲馬食するところにあるのだ」。
多くの女性と情交を結んだ谷崎は食の世界においても、まごうことなき変態であった。尽きることのない食い意地。そこにはグルマンや食通といった気取った姿はなく、まさに全身全霊で貪り食うといった凄まじさ。この食い意地こそが、生涯を文学に駆り立てた原動力であり、料理を通して母の想い出に浸ることのできる記憶装置ようなものでもあった。
多淫と多食。色と食。舌と口を縦横に駆使し貪り食った谷崎潤一郎。千ベロは中島らもの造語だけど、谷崎先生には「全ベロ文豪」という称号を捧げたい。