大貫隆の作品一覧
「大貫隆」の「グノーシスの神話」「終末論の系譜 ――初期ユダヤ教からグノーシスまで」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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ビジネス・実用
Posted by ブクログ
聖書入門は様々な形がある。聖書の概略を記したり、時代背景に焦点を当てたり、聖書の成立そのものを説くものもある。本書は聖書の有名な箇所を紹介して聖書の世界へと招く入門書とは一線を画す本である。むしろ本書が企図しているのは様々な形で聖書を読もうとしたけれども挫折したという経験がある人のための入門書である。しかし読み了わって気が付くことは本書が優れて聖書学的な見地に立って聖書への案内をしていることである。
教会で語られる聖書の内容から離れて、虚心坦懐に聖書に向き合おうとする読者にとって、何の手掛かりもなしに聖書を通読することは躓きの種である。その躓きの原因がどこにあるのかを本書は明らかにしている。聖書は様々な文章の集合体であり様々な書き手が様々な場面に応じて書き記したものが集められたものなのである。しかしそれぞれの文章にはまとまりがあるのでそのまとまりに注目して読み進めることが必要であることを本書は説いている。そのまとまりは旧約聖書に至っては数百年の歴史を扱うものでさえある。新約聖書ではそれぞれの記者の意図するところを読み解くことが重要になってくるのである。
著者の『イエスという経験』は聖書を学問的に読み解くことを通してその文字の奥に見出されるイエスの姿に肉迫しようとするものであり、聖書学研究の豊かな成果を生き生きと伝えてくれるものである。それに対して本書は聖書を読むときに抵抗があるとすればどこに抵抗があるのかに着目している。その叙述は時に聖書のことを知ろうと思って本書を手に取る読者を当惑させる記述もあるかもしれない。しかし聖書を読み進める中で感じる違和感の一つひとつに読者が本当に聖書を読み解くことへの招きがあることを知らせてくれる本なのである。聖書に対する過度な期待や思い込みを退けながらも、聖書の中に広がる豊かな世界を垣間見させてくれる一冊と言える。
『イエスという経験』で詳しく取り上げられることでもあるのだが、本書ではキリスト教の使徒信条が「基本文法」として取り上げられ、その「基本文法」を手掛かりに聖書を理解することが提案される。それぞれの文書が使徒信条のどの部分に焦点を当てた文書であるのかを意識することが、それぞれの文書の理解を深めさせてくれ、その成立の経緯やそれぞれの聖書記者の苦悩をさえ感じさせてくれるのではないかというのである。そのこと、つまり「基本文法」に照らして聖書を読むことが前著より簡潔にくっきりと提示されており、その意味で新約聖書学への案内ともなっているのである。本書の最後の部分の「聖書の読書案内」は外典をも含めた聖書の一つ一つの文書への案内となっており、それぞれの文書の要約に留まらず、生き生きとその内容を伝えてくれるものである。
本書は読者を選ぶかもしれない。『イエスという経験』を読んで本書を読む読者はそれほどの抵抗を覚えることはないと思う。しかし聖書を読んで躓いた人々の声を拾い上げてそれに答えようとする本書は、聖書を金科玉条のごとくに読む態度から離れて、書かれている内容への違和感を解きほぐすことを通して聖書のそれぞれの文書の書き手の想いを聞き分けることを促しているのである。
Posted by ブクログ
グノーシスといわれる一連の宗教(主義)を、手に入る数少ない文献を断章の形で並べて、底に共通しているもの(神話)を提示しようという意欲的な著作です。それぞれの断章はやはり難解なところも多く、解説も手を貸していただけているのですが、読みこなすのは大変でした。それでも全体としてのグノーシス主義とは何なのかを読みながら、頭でなく体に覚えさせることが出来ました。それが分かったのは最後の章になって、現代にグノーシスの考え方が残っていること、ただグノーシスらしい考え方ですがそれとは対極にあった考えであること、それをグノーシス(認識)し、本来の場所に導くこと、これらを読んだときでした。この最後を肌感覚で分かるために、グノーシスの感覚を本書の大半を通して読む価値はあったと思います。
Posted by ブクログ
読み応えのある本だった。私は子供の頃、教会に通ったこともあるし、近親者にキリスト教の信者もいる。信者ではないが、キリスト教は宗教として身近な存在であるであることは確かだ。クリスマスしかり。この本の中で、著者は「聖書」を「全て正しいことを書いてある本」として盲目的に受動的に読むのではなく、能動的に一つの書物として読むべきである、と主張している。中でも私が印象的であったのは、「声」それも「多声性(ポリフォニー)」ということについて書かれていたことだ。「多声性」が個々に十分に認識されることが「交響性(シュンフォニー)」となり、「一体性」となる、というくだりが一番心に残る。