大貫隆のレビュー一覧
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グノーシスといわれる一連の宗教(主義)を、手に入る数少ない文献を断章の形で並べて、底に共通しているもの(神話)を提示しようという意欲的な著作です。それぞれの断章はやはり難解なところも多く、解説も手を貸していただけているのですが、読みこなすのは大変でした。それでも全体としてのグノーシス主義とは何なのかを読みながら、頭でなく体に覚えさせることが出来ました。それが分かったのは最後の章になって、現代にグノーシスの考え方が残っていること、ただグノーシスらしい考え方ですがそれとは対極にあった考えであること、それをグノーシス(認識)し、本来の場所に導くこと、これらを読んだときでした。この最後を肌感覚で分かる
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読み応えのある本だった。私は子供の頃、教会に通ったこともあるし、近親者にキリスト教の信者もいる。信者ではないが、キリスト教は宗教として身近な存在であるであることは確かだ。クリスマスしかり。この本の中で、著者は「聖書」を「全て正しいことを書いてある本」として盲目的に受動的に読むのではなく、能動的に一つの書物として読むべきである、と主張している。中でも私が印象的であったのは、「声」それも「多声性(ポリフォニー)」ということについて書かれていたことだ。「多声性」が個々に十分に認識されることが「交響性(シュンフォニー)」となり、「一体性」となる、というくだりが一番心に残る。
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Posted by ブクログ
ネタバレ宗教書というのは、仏典でも聖書でもそうですが、怪しい。って思いませんか?
科学万能の時代ですよ? どうしてもあら捜しの対象となったり、「あり得ない」奇跡の内容に、白けてしまったり、信者ってこれを100%信じているの?みたいに思ったりしませんか?
世界の約3割が信じるというキリスト教にあっても、「聖書の一字一句すべてが神の霊感によって書き表されています」とか言う人を見ると、あ、違う世界の人なんだ、いい人かもしれないけど、まあ分かり合えることはあるまい、とか、自分から扉を閉めたくもなります。
にもかかわらず、やっぱり気になります。
非現実的とか、話の筋に統一感がかけているとか、現代科学と矛盾 -
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聖書は読みにくい。
私は旧約聖書も新約聖書も頭から読もうとして、それぞれ出エジプトと使徒行伝で挫折しました。
別にキリスト教徒というわけではなく、文学理解の補助線として読んだので、何とか通読できた創世記や四福音書でさえ、かなり苦行だった覚えがあります。
本書の第一部では、学生アンケートをもとに聖書の読みにくさを整理しているのですが、共感すること頻りでした。
聖書を読むのに挫折した人が読めば、あるあるばかりでしょう。
第二部、第三部は、そもそも読み通せない聖書を読むための考え方や聖書の成立などについての解説。
キリスト教徒視点よりも研究者視点の方が強いので、信者でない人にとって神父や牧師の説 -
Posted by ブクログ
聖書はなぜ読みにくいのか、という問いを立て、答えていく。
第一に単独で通読して理解できるように作っていない。預言書は複数のテキストを貼り合わせたものだから時代の違う記述が途中で混ざってくる。長いものを先に、短いものを後に配列しているので、文脈が異なる。
第二に、神を主語にして書いてあるから、なじみのない人には意味がわからない。
第三に、キリスト教会の伝統的な読み方が一般の人にも影響しており、それ以外の読み方をするべきではないという規範になってしまっている。
聖書は自分本位に読むとよい。そうすることで、自己と世界を新しく了解することができよう。
「真の経験は遅れてやってくる。」 -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
聖書は信仰をもつ人だけが読むものなのか?本書は聖書を、広く人びとに開かれた書物として読むための入門書である。
特定の教派によらず、自主独立で読む。
聖書学者の著者が、自身の経験と思索をもとに提案する「わかる読み方」。
キリスト教に関心がある人はもちろん、西洋思想を学ぶ人にも格好の手引きとなる。
[ 目次 ]
1 聖書の読みづらさ―青年たちの声と私の経験(「正典」と「古典」であるがゆえの宿命;聖書そのものの文書配列の不自然;異質な古代的世界像;神の行動の不可解)
2 聖書をどう読むか―私の提案(キリスト教という名の電車―降りる勇気と乗る勇気;目次を無視して、文書ごとに読む;異質な -
Posted by ブクログ
「聖書の面白さを得々として謳う入門書や概説書は枚挙に暇がない。本書はそれとは逆の道を行く。聖書の読みづらさにすでにつまずいた経験のある人は、実は無数にいるに違いない。その読みづらさの理由をていねいに解きほぐすことこそ、これから初めて聖書を読もうとしている方々にとっても、もっとも親切な聖書入門になるはずである。」(「あとがき」 p. 208)
とある通り、よくある「入門書」とは違って、
読みにくく感じることが当然であって、
どうしてそう感じるのか、
どう考えれば、もっと読みやすくなるのか、
といった視点で書かれている。
この本でいう「読み方」というのは大部分、態度の話で、
実際の解釈の仕方という