入不二基義の作品一覧
「入不二基義」の「足の裏に影はあるか?ないか? : 哲学随想」「あるようにあり、なるようになる 運命論の運命」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
- 作者をフォローする
- フォローすると、この作者の新刊が配信された際に、お知らせします。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで201万冊以上配信中!
「入不二基義」の「足の裏に影はあるか?ないか? : 哲学随想」「あるようにあり、なるようになる 運命論の運命」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
ビジネス・実用
ビジネス・実用
小説・文芸
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
小説・文芸
Posted by ブクログ
私の好みとしては本書の第6章がすこぶる良かった。デイヴィドソンについての本を最近読んだばかりのせいかもしれない。
ただ解説者の野矢茂樹さんが言っている通り、分岐の可能性もあったと思う。つまり、理解不能なものが一つであることはできなくてゼロ個以上のどこかであるとも考えられる。物質を分割しても一種類の素粒子とは限らないように。
私は私がいなくても世界は存在していて、むしろ私が、いるのが邪魔だと思っていたこともあった。最近はどちらかというと、私なしではこの世界が存在しなくなるという方向に向かっていた。反復していくという発想はなくもなかったが、元気づけられたことは確かだ。
永井均さんがネッカーキューブが二通りに見えるが、こっちのほうが見やすいと言っていたのを思い出す。実在論か相対主義もそれと似ているように思えた。
Posted by ブクログ
本書は単独作としては6年ぶりとなる入不二基義の哲学書である。前作『足の裏に影はあるか? ないか?』が随想集であったことを思えば、『時間と絶対と相対と』以来実に8年ぶりの哲学書ということになる。しかし待った甲斐があり、入不二本人があとがきで「主著」と位置づけているくらい、量的にも質的にも入不二哲学の集大成とも言うべき内容に仕上がっている。
『時間と絶対と相対と』の最終章「運命論から何を読み取るべきか」をさらに展開し徹底したこの作品は、もともと講談社の月間情報誌『本』に連載されたものであったが、単行本化の過程で大幅な加筆・修正がなされており、入不二哲学初心者はもちろんのこと、連載を読んでいた読者にとっても買って損のない一冊となっている。
冒頭のプロローグからして気合が入っている。「概念を動かしてみる」と題されたそれは、それだけで一篇の哲学論文とも呼べるほどクオリティーの高いものである。もっとも運命論とは関係ないようにも見えるその導入部に、読者は一瞬戸惑うかも知れない。しかし冒頭で入不二が宣言しているように、本書は単なる運命論の本ではない。運命という概念が覆されるほどの破壊力を持った、正に副題「運命論の運命」にふさわしい革新的な哲学書である。
「運命」とは不思議な言葉である。「運」とは偶然であり、「命」とは必然である。排他的とも思える二つの語が結合して一つの言葉を形成している。それゆえ「運命論」と「決定論」は似ているようで異なる。さらに運命論/決定論には「解釈的運命論」や「因果的決定論」があるが、本書で扱うのは「論理的運命論」である。それは感情的解釈や物理的法則とは無縁の、論理法則のみに基づいた運命論である。
そんな論理的運命論においてキーワードとなるのが「現実」という概念である。排中律(「PまたはPの否定のどちらかである」)というツールを使って、現実の全一性と唯一性があぶり出され、論理と現実の複層的な対立が明らかにされる。入不二哲学独特の極めて抽象的な議論であるが、現実という得体の知れない怪物が、入不二言語によってからめ取られてゆく様は爽快ですらある。アリストテレス、ディオドロス・クロノス、リチャード・テイラー、マイケル・ダメットらの考察が俎上に載せられ、しかもいずれの哲学者にも与することなく、入不二は論理的運命論を超越した形而上学的運命論の高みへと飛翔してゆく。
「運命論を本書のような仕方で考察したものは、これまでには無かっただろうし、今後も現れることはないだろう」という自信に満ちたあとがきの言葉は、全力を出し切ってやるべきことをやったアスリートの勝利宣言のようにも聞こえる。『相対主義の極北』『時間は実在するか』と並び、入不二哲学の現時点での到達点ともいうべき名著である。
Posted by ブクログ
哲学者入不二基義氏による初のエッセイ集である。既刊の序文を中心に構成された第ⅰ部、時間論的な哲学エッセイを集めた第ⅱ部、時事ネタを含む日常的エッセイの第ⅲ部、そして付録のプロレス論、どこから読んでも入不二哲学の魅力に触れることができる。
同氏の既刊書はよくもあしくも本格的な哲学書がほとんどだったため、その分かりやすさとは裏腹に一般読者にとっては不当に馴染みの薄い哲学者であったが、本人をして「こういう本をずっと書きたいと思ってきた」と言わしめた本書は、読者を選ばぬ読みやすさと哲学ファンをも納得させる深さを兼ね備えた好著となった。
個人的には第ⅱ部の書き下ろし三篇が最も刺激的であり眩暈すら覚えた。普段何気なく見過ごしている常識が入不二製の哲学メスによって解剖されてゆくさまは芸術的ですらあり、少なくとも表現力においては3N(中島義道・永井均・野矢茂樹)を凌いでいるのではないかと思われる。付録のプロレス論は再録であるが、独創性はもちろんのこと後に開花する入不二哲学の萌芽が見られ興味深い。
松田行正氏の手による装丁も地味でありながら挑発的であり、「無さ」にこだわる入不二哲学を具現しているかのようである。入不二哲学のみならず哲学そのものの入口へと誘ってくれる本書は、一人でも多くの人に読んでもらいたい一冊である。
Posted by ブクログ
哲学者入不二基義氏のデビュー作でありながら入手困難の状態が続いていた幻の名作が、ちくま学芸文庫に殿堂入りして帰ってきた。春秋社版を読み損ねていたわれわれファンにとっては待望の文庫化である。
「あらゆる真理は相対的である」という相対主義の考え方を、相対主義自身に適用するとどうなるか。相対主義もまた相対的にのみ真であるということになってしまい、自己論駁に陥るのではないか。
ここで「枠組み」という概念が重要になってくる。「Sは枠組みXにおいては真であり、枠組みYにおいては偽である」という主張が成り立つためには、枠組みXでも枠組みYでもない、両者を俯瞰する枠組みZが必要であろう。しかしその枠組みZが絶対的であるということは相対主義に反する。一方で枠組みZもまた相対的であるとするならば、落差は反復され枠組みは完結しない。
かくして相対化の徹底によって枠組みは無限に更新され蒸発する。だがそのような枠組みを超越した観点が一つだけ残る。それは「私たち」である。いかなる枠組みもそれが枠組みとして認知される以上は、それを認知する「私たち」がいなければならない。枠組みの外延を国境線に例えるならば、「私たち」の外延は無限に後退する地平線になぞらえることができる。
そのような「私たち」にも、しかし外部が存在する可能性を入不二は指摘する。それはもはや地平線から離れた宇宙のような最果ての地、「ない」よりもっと「ない」こと、「私たち」の未出現(BEFORE WE ACCEPT)である。――無をあくまでも存在の否定形としてとらえた自由論者サルトルが、外部によって形成される「われわれ」を主張したのに対し、無限に拡張する「私たち」を提唱する入不二が、その後運命論を語り始めることになるのは興味深い。
次著『時間は実在するか』(講談社現代新書)と並んで、日本哲学界の独創的古典として残るべき名著である。読者を選ぶメタフィジカルな哲学書ではあるが決して難解ではなく、読破に自信のない読者には野矢茂樹氏による素晴らしい解説からまず読むことをお薦めしたい。