長谷川岳男の作品一覧
「長谷川岳男」の「一冊でわかるギリシャ史」「古代ローマ検定 公式問題集」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「長谷川岳男」の「一冊でわかるギリシャ史」「古代ローマ検定 公式問題集」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
ビジネス・実用
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Posted by ブクログ
スパルタ。
レオニダス、ペロポネソス同盟盟主、ペロポネソス戦争の勝者、そしてスパルタ教育の語源程度の知識しかなかったが、よりその姿を知れる本書に出会えた。
価値観の共有(ホモノイア)を目指して、30歳まで共同生活を強いて、厳しい肉体鍛錬をすることで、エウノミアと呼ばれる良き秩序を実現する。それはリュクルコスの改革と呼ばれ、アテナイと並ぶ強国になるが、ペロポネソス戦争を契機に没落していく。大きな原因は人口の減少。だが、しぶとくローマ支配下でも生き延びていく。スパルタは中世、近代において大カトーやプルタルコスの高評価からの「幻影」に引っ張られ、不安定な国際関係時代はプロパガンダに、安定期には無視される。非常に波瀾万丈な古代ポリスの姿が感じられた。
Posted by ブクログ
古代ギリシアのスパルタが強国を維持したのは、公教育。
その実態と成り立ち、対外関係での時代の変遷を解き明かし、
スパルタの伝説と幻影についてを語る。
・はじめに スパルタ教育の元祖
第一章 テルモピュライの戦い 第二章 スパルタ人の創造
第三章 エウノミア 第四章 ギリシアの覇者
第五章 リュクルゴス体制のほころび
第六章 スパルタの黄昏 第七章 永遠のスパルタ
・おわりに
・スパルタ関係参考文献リスト
・あとがき
古代ギリシアは戦乱の嵐。
乱立するポリス、ペルシアの侵攻、対峙するアテナイ。
それらに立ち向かうスパルタが強国を維持し、その強さが
語り伝えられたのは、国制と公教育にあった。
リュクルゴスの改革による、支配体制の確立は、
二人の王の共存と長老会、民会、そして5人のエフィロス。
加えて公教育と経済的平等、市民身分の確定にあった。
7歳からの男子の市民に成るための、私よりも公を尊ぶ教育は、
団結心、肉体や精神の鍛練など、30歳までの集団生活で
徹底的に叩き込まれた。女子の立場も他のポリスとは違う。
ペロポネソス戦争でアテナイを降伏させての絶頂。
しかし転落の道を歩むこととなる。
市民数の減少、貧富の差などでの国制に加えて、
反スパルタとの戦争、特にテーバイ。同盟と離反の繰り返し。
ペルシア、マケドニア、そしてローマの侵略。
ついにギリシア全土と共にローマの属州に成る。
その後荒廃したが、現在は地方都市として存続する。
古代スパルタは鎖国的環境であり、残した史料は皆無だが、
前4世紀初頭の理想化での「ラケダイモン人の国制」の記述や
アテナイでの記録や伝承が、クリティアス、プラトンや
アリストテレスに影響を与える。その理想化は幻影。
ローマ人、ルネサンス期、トーマス・モアやルソー、
グローヴァー「レオニダス」、ナポレオン、
ドイツのナショナリズムの勃興、優生思想、ナチス、
冷戦時代の映画や劇画、米軍の推薦図書となった「炎の門」等に
幻影の影響は深く関わってくることになる。
スパルタの歴史や実体に関する本が少なかったので、
この本と出会えたことは実に有難かったです。
関連年表だけでも、如何にこの時代のギリシアの戦乱が
多かったことの凄まじさ。その中で国を守るための手段が
教育になったこと。スパルタ市民の戦闘の強さが伝わり、
その教育からの伝承と幻影が生まれ、後世にまで影響した、と。
テルモピュライの戦いでの全滅に至るスパルタ兵300人と
クセルクセス一世の奮闘が後世へのスパルタのイメージに
繋がっていったのも、なるほど。
加えて、平野耕太「ドリフターズ」4巻のテーバイ神聖隊、
あ~史実なんだなぁと納得しました。よく調べたなぁ。
Posted by ブクログ
今年2014年に(テルマエ・ロマエ人気に乗じて?)初開催される「古代ローマ検定」の公式問題集、兼テキスト。
この前半部のテキスト部分が、案外いい感じ。
ローマ建国神話から帝国滅亡までを30章、約120ページで概観する。
紙幅の関係で、基本は事件と重要人物を列挙するスタイルながらも、折に触れて社会情勢や政治経済文化についても言及し、かつ大学受験レベルを超越した細かい知識に触れていく。
これだけコンパクトかつマニアックにローマの通史をまとめている本はほかに知らない。
そのバランス感の良さは、検定を受ける受けないは別にして、古代ローマについて興味がある人なら流れの整理用に蔵書しておいていい一冊だと思う。
Posted by ブクログ
日本でスパルタのみを扱った本は2冊しかないらしく、本書は最後に出たスパルタ本の出版から24年後(昨年)に刊行された。
やはり現代日本において、「元祖スパルタ教育」は忌避されやすい対象なのかね。まぁ映画『300(スリーハンドレッド)』(※)でもそうだったけど、最盛期のスパルタさん、教育から国家体制と、生活の全てが凄まじかったからな…。
それで国内の秩序を保てていたのがまた信じられない。
(※)R15+指定。戦闘シーンやら何やらが壮絶なので、その類が苦手な方はお控えになった方が良いかもしれません。
ちなみに私は16歳の頃に友人と鑑賞し、「レオニダス(主人公でスパルタの王)かっけー!!」と2人で唸っていました。
「スパルタ兵は個々でも強靭だが、集団となると世界最強である。なぜなら彼らはあらゆる面で自由ではなく、法(ノモス)という名の主君がいて、[中略]この主君の命ずるままに行動する」(P 40)
男児は将来の兵士として鍛えられ、虚弱あるいは身体障害のある子は山に棄てられた。無事兵士となれば、戦死は「美しい死」とされ、逆に生還した者は村八分にされた。女児は剛健な男子を産むために充分な食事を与えられ、早いうちからスポーツに取り組むことをよしとされた。
男女ともに鋼の肉体を持つ国。そのため「人こそが城壁」と、衰退期まで城壁を造っていなかったという。さすがに度肝を抜かれるわ…!
国家体制もえらく極端だ。
焼き物等スパルタで作られた芸術品はあったものの、基本的に贅沢は禁止。指導者たちの衣類や食事は、一般市民と変わらないものとされたため、経済格差は抑えられていた。王の息子も、長子以外はみな一般市民に混じって、兵士としての教育や訓練を受けていたという。
外交面においては、外国人の追放、市民も渡航など外部との接触を禁止された。
これは鎖国か戦時中か。「欲しがりません 勝つまでは」どころか、国が滅ぶまで欲しがれないシステムになっているよ…
古代ギリシア史と並行してのスパルタ史解説だったので、段々小難しくなっていくわ、カタカナ名の海に溺れるわで、難儀した。そのくせアレクサンドロス大王といった、まだ馴染みのある歴史はサクッと済ませているから、人によったら疲れが出てくるかも。
まぁ私は「スパルタの内情さえ分かればそれで良い」という心持ちだったので、途中から斜め読みでしたがσ^_^;
プライベート(個人)よりも公共(国)を大事にする。そんな国としての在り方が物議を醸してきたスパルタだが、後世になると結構な物好きもいたようだ。
プラトンやアリストテレスに『社会契約論』のルソー。
第一次世界大戦に負けたドイツの若者は、テルモピュライの戦い(前述のレオニダス率いる300人の騎兵隊とアケメネス朝ペルシアの大軍の間で行われた戦争)になぞらえて、敗因を騙し討ちに遭ったからだとする等、勇猛なスパルタ兵士と自分達を重ね合わせていた。
その気運を大いに利用したのが、ヒトラーである。
この先の話も初耳ばかりで、これまた度肝を抜かれていたが、スパルタにはこれからも驚かされ続けると思う。その度に、己の貧弱さを思い知るのか。
Posted by ブクログ
ふと我に返った時、古代ギリシャと現代ギリシャには断絶があることに気付いた。
古代ギリシャは都市国家として歴史に残っている。
オスマン・トルコの支配域はその領域を含んでいる。ビザンツしかり、ローマしかり。近代に至るまで、ギリシャの姿はない。
現代ギリシャを誕生させたものはなんなのか。
ヨーロッパの暗黒時代、という。また、西ローマ帝国が滅亡した後、その文化の継承者は西欧ではなくアラビアだったという(なぜか東ローマ帝国がスルーされていることに長らく気付けなかった)。アラビアではローマの文化だけではなく、ギリシャのものも大いに読まれたという。ローマによって支配されていても、書物がまだ大きく流通していなかった7世紀までギリシャなるものは確かに息づいていたことになる。
p.85 西ローマ帝国が滅亡した後、東ローマ帝国のユスティニアヌス1世は、古くからのローマの法律をまとめた『ローマ法大全』の編纂を命じた。これは東ローマ帝国のみならず、近代に入るまでヨーロッパ各国の基本となった。ローマ敵国の公用語だったラテン語で書かれていた。しかし、ユスティニアヌス1世が新たに定めた法律はギリシャ語で書かれていた。このことは、帝国の政治中枢の主要な民族構成がギリシャ系の人々だったことを表している。
p.89 7世紀。ヘラクレイオス朝では、公用語がラテン語からギリシャ語になった。皇帝は「インペラートル」(ラテン語で「命令権の保持者」の意味、とくに「軍司令官」を指す)から、「バシレウス」(ギリシャ語で「王」の意味)と呼ばれるようになった。
西欧ではローマ教会の最高指導者である教皇を中心に、聖職者や貴族階級の間でラテン語が使われ続けたことで、ビザンツ帝国と西欧諸国の文化的な違いが大きくなっていく。
p.107 13世紀以降のビザンツ帝国では、十字軍が建国したラテン帝国によって一時的に国土の主要部分を占領された影響で、自らをローマ人と考える意識が弱まり、むしろギリシャ人と考えるようになったという。ニカイア皇帝テオドロス2世は、古代ギリシャ人と同じように、あえて自国を「ヘラス」と称している。
p.115 オスマン帝国の支配後、正教会の聖職者の間ではギリシャ語が用いられた。
p.120 イスタンブール在住のギリシャ人有力者はファナリオテスと呼ばれた。ファナリオテスには、ギリシャ語やトルコ語ばかりでなく、ラテン語やイタリア語など外国語に通じた人物も多く、しだいに通訳として重用されるようになる。通訳官の要職はファナリオテスの名門が占めるようになった。
栄枯盛衰の世の中にあってもギリシャ的なものは残った。しかし、それは近代にギリシャが新生した決定的な理由ではないとも思える。
本書によれば、決め手はフランス革命後に芽生えた国民国家の概念と読める。それを後援した勢力の思惑としては、オスマン・トルコ弱体のためならなんでもよかったのかもしれない。ビザンツではなくギリシャであったのは、宗教的な理由(おとぎ話と同程度となった多神教より、正教会という現実に存在する宗派の方に忌避感がある)と、美術品などに由来する古代への憧憬であろうか。
英仏露は、自らの作品である近代国家に、王家という刻印を押した。ギリシャに由来しない、他所の国の王家をギリシャ王家としたのだ。新生した国家にとって、それが良かったのか悪かったのか。最終的に排除されたということは、現代には不必要なものだったということにはなろう。
列強につけられた東欧、中東の傷跡は、決して消えないものなのかもしれない。