あらすじ
ギリシャとはどういう国か。その歴史を図やイラストを使いながらわかりやすく、ていねいに描く。コラム「そのころ、日本では?」「知れば知るほどおもしろいギリシャの偉人」も役に立つ。
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Posted by ブクログ
ふと我に返った時、古代ギリシャと現代ギリシャには断絶があることに気付いた。
古代ギリシャは都市国家として歴史に残っている。
オスマン・トルコの支配域はその領域を含んでいる。ビザンツしかり、ローマしかり。近代に至るまで、ギリシャの姿はない。
現代ギリシャを誕生させたものはなんなのか。
ヨーロッパの暗黒時代、という。また、西ローマ帝国が滅亡した後、その文化の継承者は西欧ではなくアラビアだったという(なぜか東ローマ帝国がスルーされていることに長らく気付けなかった)。アラビアではローマの文化だけではなく、ギリシャのものも大いに読まれたという。ローマによって支配されていても、書物がまだ大きく流通していなかった7世紀までギリシャなるものは確かに息づいていたことになる。
p.85 西ローマ帝国が滅亡した後、東ローマ帝国のユスティニアヌス1世は、古くからのローマの法律をまとめた『ローマ法大全』の編纂を命じた。これは東ローマ帝国のみならず、近代に入るまでヨーロッパ各国の基本となった。ローマ敵国の公用語だったラテン語で書かれていた。しかし、ユスティニアヌス1世が新たに定めた法律はギリシャ語で書かれていた。このことは、帝国の政治中枢の主要な民族構成がギリシャ系の人々だったことを表している。
p.89 7世紀。ヘラクレイオス朝では、公用語がラテン語からギリシャ語になった。皇帝は「インペラートル」(ラテン語で「命令権の保持者」の意味、とくに「軍司令官」を指す)から、「バシレウス」(ギリシャ語で「王」の意味)と呼ばれるようになった。
西欧ではローマ教会の最高指導者である教皇を中心に、聖職者や貴族階級の間でラテン語が使われ続けたことで、ビザンツ帝国と西欧諸国の文化的な違いが大きくなっていく。
p.107 13世紀以降のビザンツ帝国では、十字軍が建国したラテン帝国によって一時的に国土の主要部分を占領された影響で、自らをローマ人と考える意識が弱まり、むしろギリシャ人と考えるようになったという。ニカイア皇帝テオドロス2世は、古代ギリシャ人と同じように、あえて自国を「ヘラス」と称している。
p.115 オスマン帝国の支配後、正教会の聖職者の間ではギリシャ語が用いられた。
p.120 イスタンブール在住のギリシャ人有力者はファナリオテスと呼ばれた。ファナリオテスには、ギリシャ語やトルコ語ばかりでなく、ラテン語やイタリア語など外国語に通じた人物も多く、しだいに通訳として重用されるようになる。通訳官の要職はファナリオテスの名門が占めるようになった。
栄枯盛衰の世の中にあってもギリシャ的なものは残った。しかし、それは近代にギリシャが新生した決定的な理由ではないとも思える。
本書によれば、決め手はフランス革命後に芽生えた国民国家の概念と読める。それを後援した勢力の思惑としては、オスマン・トルコ弱体のためならなんでもよかったのかもしれない。ビザンツではなくギリシャであったのは、宗教的な理由(おとぎ話と同程度となった多神教より、正教会という現実に存在する宗派の方に忌避感がある)と、美術品などに由来する古代への憧憬であろうか。
英仏露は、自らの作品である近代国家に、王家という刻印を押した。ギリシャに由来しない、他所の国の王家をギリシャ王家としたのだ。新生した国家にとって、それが良かったのか悪かったのか。最終的に排除されたということは、現代には不必要なものだったということにはなろう。
列強につけられた東欧、中東の傷跡は、決して消えないものなのかもしれない。
Posted by ブクログ
1ポリス200平米×1,000以上。
日本の市町村が一つのポリスと同じくらいの規模(面積)と考えるとイメージしやすい。日本の市町村は1,700くらいらしい。
英語表記を翻訳するとヘレネス共和国。「ギリシャ」は南イタリア・シチリア一帯を表すラテン語の地域名「グラエキア」が由来。
紀元前6世紀頃奴隷のアイソポスがイソップ童話をつくった。そんなに古い話とは知らなかった。奴隷の割合は人口の15〜40%くらい。
東ローマ、610年頃ヘラクレイオス朝に、皇帝の呼び名がインペラートル(ラテン語で「命令権の保持者」「軍司令官」)からバシレウス(ギリシャ語で「王」)に変わり、国名がビザンツ帝国に。聖職者や貴族階級はその後もラテン語使用。ビザンツ帝国と西欧諸国の文化的な違いが大きくなる。
1830年頃独立、歴史上初めてギリシャという国ができる。
ギリシャ人の中でも、オスマン帝国時代に優遇されてた官吏とか正教会の聖職者とかはトルコ寄りだし、民主はロシア寄り。
世界大戦の時期に入るとドイツ派とイギリス派に分かれたり。
Posted by ブクログ
ギリシア通史をざっと概観するには最適。
ただし、内容は淡々としているので、面白みにはやや欠ける。
それでも、ギリシアを中心とした地中海世界のダイナミズムにはワクワクさせられる。
Posted by ブクログ
先史時代から現代までのギリシャの通史。監修が専門家ということでこのシリーズの中では比較的安心して読める一冊と思う。読みやすくコンパクトにまとまった記述で文化面にも気が配られていてバランスも良い。一気に読破してしまえるだろう。しかし、一部、あれっ? と思う記述もある。コンスタンティノープル遷都や単性論の叙述は正確性を欠くし、ヘラクレイオスによるギリシャ語公用語化の記述は旧説そのまま。このあたりは監修者の専門外の時代のようなので仕方がないとも言えようか。基本的にはギリシャ史入門はまずはこの一冊と言ったところ。
Posted by ブクログ
ギリシャ史を全く知らない私が、とりあえずギリシャ史に触れるには良い本。
ローマやトルコの配下になったり、領土も小さくなったり大きくなったり、
苦労しているのですね。クレタ島は領土になったが、キプロスは問題を抱える。
イスタンブールはギリシャのものにしたいのだろうな?
以下備忘録
紀元前2600 ミノア文明
紀元前1600 ミケーネ文明
紀元前800 ポリス成立
紀元前776 古代オリンピック開催
紀元前492~371 ペルシア戦争してアテナイやスパルタやテーバイが覇権
紀元前337 マケドニアが覇権(アレキサンダー大王)
紀元前146 ローマの属州
395 東ローマ帝国
610~1453 ビザンツ帝国(偶像崇拝禁止、ギリシア正教、十字軍、
1453~ オスマントルコ
1821 ギリシャ独立戦争
1832 ギリシャ王国成立(王様はバイエルンから)
1896 近代オリンピックアテネ開催(3年前には国家破産)
1913 第二次バルカン戦争でマケドニア南部とイピロス獲得
1914 第一次世界大戦 当初中立も国王退位させて連合国側に
1922 エーゲ海の島々もギリシャ領
このあと 共和制、君主制、
1944 第二次世界大戦 当初中立も連合国側になるがドイツに占領される
その後内戦 キプロス問題
1967 クーデターで軍事政権
1974 民主政権成立 君主制から大統領(儀礼的な役割)制へ
国語はディモティキ(古代ギリシャ語ではなく口語に近い)に一本化
1991 マケドニア独立の名前に反対 北マケドニアに
2002 貨幣がドラクマからユーロに
2010 2004年アテネオリンピックの借金等で欧州ソブリン危機を招く
2019~ ND(新民主主義党)キリアコス・ミツォタキスが首相