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結構当たり前の事言ってたけど、結局は当たり前のことに帰結するし、当たり前の事を当たり前にする事が一番難しいんだろうなと思う。
西川善文
三井住友銀行元頭取、日本郵政元社長。1938年奈良県生まれ。1961年大阪大学法学部卒業後、住友銀行に入行。大正区支店、本店調査部、融資第三部長、取締役企画部長、常務企画部長、専務等を経て、1997年に58歳で頭取に就任し8年間務める。2006年1月に民営化された日本郵政の社長に就任するも、政権交代で郵政民営化が後退したため2009年に退任。著書に『ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録』(講談社文庫)などがある。2020年に死去、享年82。
仕事と人生 (講談社現代新書)
by 西川善文
仕事ができる人の資質とは何か。一つ挙げるとすれば「頭の中をきちんと整理整頓できる」ことが大事だと私は思う。 仕事にはいろいろな要素がある。そのすべてをクリアしようなどと欲張らず、整理整頓してみる。そして「本質は何か」を考える。言い換えると、その仕事のツボがどこにあるかをつかむのである。
これまでにいろいろな人にお目にかかったけれども、頭の中が整理されている人かどうかは話しているうちにわかってくる。頭の中が整理されている人は何事もシンプルにしか語らない。 徹底的にポイントを絞ってシンプルに考えることは、ビジネスパーソンには絶対に欠かせない手法である。というのは、「あれもこれも」と考えていると、なかなか前に進まないからだ。当然のことだが、すべてを対象にしていたら収拾がつかなくなる。その結果、結論を出せず、行動できない。見方を変えれば、「あれもこれも」は優柔不断の温床と言っていいかもしれない。
では、シンプルに考えるにはどうしたらいいか。まず、頭の中を整理整頓する。次に「本質」をつかみ、それを基点にして絞り込む。そうするとポイントは一つか、二つ、多くても三つまでだろう。四つ、五つになると、焦点がぼやけているから考え直すべきである。そもそも物事というのは、本来、それほど複雑なものではない。よくよく考えれば、ポイントは二つか、三つぐらいしかないのが普通だ。四つはともかく、五つも六つも考えるなど、愚の骨頂だと私は思う。
その点で、伊藤忠商事の会長になられた瀬島龍三さんは舌を巻くほど見事だった。直接話したことはないが、一九七六(昭和五一) 年から翌年にかけて行われた安宅産業と伊藤忠の合併交渉で、当時、副社長だった瀬島さんが伊藤忠側の責任者を務めた。瀬島さんは陸軍士官学校を出た軍人出身で、戦争中は参謀本部の参謀として活躍し、ソ連のシベリア抑留から復員すると、伊藤忠の 越後 正 一 さんにスカウトされて入社したという異色の経営者である。
本質をつかむのは簡単にできることでない。しかし、あまり「難しい、難しい」と言って深刻に考える必要はない。一〇〇点満点でなく七〇点ぐらいで手を打つと割り切ればいいのである。 社会で私たちが直面するのは学校のテストとは異質の問題であり、現実を相手にする以上、なかなか一〇〇点満点は取れない。完璧な答えを追求するのではなく、「ここまでわかればいい」と割り切る。六〇点が当落の境目だとすれば、そこに一〇点上乗せした七〇点で御の字だと私は思う。
住友銀行の頭取就任時のスピーチ草稿に「経営は、失敗を全体として一定範囲内(経営として許容できる範囲内) に収める技術ともいえる。完ぺき主義、満点主義からは何も生み出せない」と加筆した。失点ばかりを気にしていたら得点できなくなる。だから、失敗は三〇点以内に抑え、七〇点を目指せばいいのである。
プロセスを減らせば、権限を現場に与える必要が出てくるので、大幅な権限委譲を実行した。その際、判断を委ねた現場の責任者に対して、「決断を下すにあたって、八〇パーセントの検討で踏み出す勇気を持ってほしい」と求めた。私の経験から言って、八〇パーセントの自信があれば、たいがいは正しかったからである。
奇しくも自衛隊で幕僚長を務めた人が「八〇パーセントの情報で判断せよ」と語ったのだそうだ。戦争で一〇〇パーセントの情報を入手したときは、時すでに遅しということなのだろう。 「七〇点でいい」と言いながら、一方で「八〇パーセントで決断しろ」と言うのは矛盾していると受け取る人もいるだろう。七〇点は目標値であるのに対して、八〇パーセントは判断するときの目安である。そう理解していただきたい。
ところが、真面目な人ほど、そういう割り切りが苦手であり、枝葉末節にこだわってしまう。真面目すぎると、かえってマイナスに働くわけだが、そういう部下には「少し頭を切り替えたらどうか」と上司がアドバイスしてあげるといい。上司が一言いうだけでもずいぶん違うはずだ。
それから、「間違ったらまずい」という気持ちが強い優等生タイプの調査員には、結論を明快にしない人がいた。間違ったからといってペナルティがあるわけではないのだけれども、とにかくリスクを負わないように書く。こういう人たちはあまり出世しなかった。
だが、ともすると、人は他人の力を借りずに仕事をしようとするものだ。特に真面目な人ほどそういう傾向が強い。しかし、何でもかんでも自分だけで対応するのは無理と心得たほうがいい。現実問題として自分にできないことはできない。そこで、できないことは誰かにやってもらう。正確に言えば、「他人の力を借りる」のである。
そこで中央経済社という専門書の出版社から出ている『会計ハンドブック』という分厚い本を夜、帰ってから読んで独学した。特に指示があったわけではなく、帳簿を読むには勘定科目くらいきちんと理解していないといけないし、決算のからくりを理解していなければ仕事ができないと考えたからだ。勉強すると意外に面白く、またここで得た知識が調査部でずいぶん役に立った。 この調査部時代に私は得意分野を確立した。それは粉飾決算を見抜くことである。企業の業績はわりと簡単に悪くなってしまうが、これをよくするのは難しい。業績が悪くなる一方だと、それをこらえようとするあまり粉飾決算をする場合がある。一度ごまかすと途中でやめるわけにいかないので、粉飾がどんどん進行し、最後にはお手上げになって倒産に至る。当時は銀行の自己資本が少なかったから、融資先の倒産によって受けるダメージは大きい。それだけに粉飾決算を発見して、早く対処することが重要だった。
私は一九七二(昭和四七) 年の春、三三歳のときに海外の視察旅行に行かせてもらった。参加した団体旅行はヨーロッパを回るものだったが、その後、一人でアメリカを訪れた。観光のためではない。銀行がM&Aの仲介をするというテーマを持っていた。それが貸し出しも含めて新しい一つのビジネスモデルになるのではないかと考えていたのだ。 実は旅行の前に「銀行が企業の合併・提携をお手伝いすることが、この先に大きなビジネスへと結びついていく可能性がある」と、私を海外に行かせてくれた上司で後に頭取になる 巽 外 夫 部長に伝えていた。どうしてM&Aに着目したかというと、これもまた調査部での経験が元になっていた。
しっかりした記憶はないが、「何が得意か」「スポーツは何をやったか」「どういう法律が好きか」、そういったことを訊かれた気がする。また、磯田さんは「大学のときはラグビーに明け暮れていたから、私はほとんど勉強していない」「住友は預金量の順位で言えば上から四番目だ」「これからは大衆化をしなければならない」という話をしていた覚えがある。短い時間だったけれども、磯田さんが住友銀行に誇りを持っていることが感じられた。
調査部には六年半いて、次に審査部へ移り、その巽さんが直接の上司となった。そして、一九七二(昭和四七) 年の春、巽部長から「海外に行ったことないだろう。一度行ってこい」と言われた。当時はEC(ヨーロッパ共同体) が誕生していて、ヨーロッパがどう変わってきているのかを視察する団体旅行に参加させてもらった。
ところで、海外に私を送り出してくれた巽さんは、その時点で自分が海外に行ったことはなかった。東洋工業(現・マツダ) の再建を担当し、アメリカのフォードと提携して出資を受ける交渉がデトロイトで行われた一九七九(昭和五四) 年になって、初めて日本の外に出た。今と違い、プライベートで簡単に海外旅行ができる時代ではなかった。会社がお金を出して海外に行けたのは恩恵と言っていい。
まず、その人の性格を把握する。それから、得手不得手、つまり何が得意で、何が得意でないかということを押さえる。たとえば、営業という仕事にしても、新規開拓が得意な人もいれば、既存の顧客を相手にすることが得意な人もいる。新規開拓を得意とする人が必ずしも既存の顧客相手の営業を不得手とするわけではないが、得意とする仕事を与えたほうが本人のやる気や満足度、ひいては成果が違ってくる。
年齢以上に問題なのは、入社年次や出身大学を念頭に置いて考えることだ。こういう人が組織の中に一定数いることは仕方がないとしても、それが主流となったら、その組織は弱体化を免れず、結果を出せなくなる。
市場営業本部が担当するのは債券などの投資業務と外国為替などのディーリングだ。投資とは安いときに買って長期保有し、高くなったときに売る。ディーリングは売買を繰り返して収益をあげる。そのどちらにおいても、宿澤さんは指揮者としての勘が鋭かった。ラグビーのポジションはスクラムハーフだったから、試合全体を見通しながらゲームを組み立てる頭脳と瞬時の判断に対応する頭脳、その両方が鍛えられたのかもしれない。同時に、彼は部下指導と育成がうまく、鍛えられた優秀な部下たちがよく働いたことも大きかったと思う。
多くの人は、今何をやらなければならないかはわかっている。だが、それがなかなか実行に移せないときがある。外的な要因としては、強い反対がある場合に人はしばしば実行するのを躊躇する。内的な要因としては、失敗を恐れたり、責任を取りたくなかったりすると「わかっていてもやらない」ことになりがちだ。そういう障害を乗り越えていく上で勇気は不可欠なものである。前に出る勇気もあれば、退く勇気もあるが、いずれにしても「やるべきこと」は断固として実行する気持ちの強さと考えればいい。
不良債権処理にかかわらず、スピード感を持って物事を進めていくことは現在の社会で必須の条件である。住友銀行の頭取就任時に支店長会議で行った挨拶の草稿を見返すと、「スピードは競争力そのもの」という部分を私は「スピードとは他のどんな付加価値よりも高い付加価値だ」と書き直している。当時の住友銀行は「週刊ダイヤモンド」が行ったアンケートのスピードに関する評価で、金融機関中、野村證券に次いで二位という評価を受けたから、決してスピードに劣っていたわけではない。しかし、現状に安住せず、さらに磨きをかけたかったのである。
あとから振り返れば当たり前のことをやっただけなのだけれども、当時は「住友銀行はトップダウン経営が徹底している。だから、スピード感があった」という声があった。外からは、そう見えたのかもしれない。しかし、外部環境の変化、あるいは将来の見通しを契機として考えただけのシンプルな戦略にすぎないのである。違いがあるとすれば、ピンチがチャンスに見える人とそうは見えない人がいるということだろう。