作品一覧

  • メルロ=ポンティ入門

    メルロ=ポンティ入門

    ビジネス・実用

    4.4
    1巻814円 (税込)
    われわれはこの世界に生きており、現代の歴史に属している。それにしては、そのことがぴんとこない。世界や歴史と無関係に、ささやかな人生がここにある。だからといってとるに足らないことなど何一つなく、ものごとを考えて決断する時には、歴史の論理の中を、同じ世界の他者たちとともに生きる。現実的とはどういうことで、真実を語るとはどのような意味か。メルロ=ポンティ哲学をひもときながら、われわれのもとに到来する出来事を真剣に取扱う姿勢について考える入門書。
  • 倫理学原論 ――直感的善悪と学問の憂鬱なすれちがい

    倫理学原論 ――直感的善悪と学問の憂鬱なすれちがい

    ビジネス・実用

    3.0
    1巻1,012円 (税込)
    本書は、倫理学を学びたい人、社会の多様な出来事に倫理的問題を見出だそうとする人に向けて、倫理的諸問題と倫理学の関係を斜めに解き明かし、倫理学の全体像を描き出す。まず倫理・倫理学とは何かを整理し、倫理学という学問の日本における受容史を解説。さらに、倫理学のもつ根本問題――倫理の実践はどうあるべきか、真の善を目的とした行動に人々を駆り立ててよいのか――を根源から考察。学問としての倫理学が真に目指すべきものと、倫理学的観点の面白さとを伝える。
  • 死の病いと生の哲学

    死の病いと生の哲学

    ビジネス・実用

    4.0
    1巻1,012円 (税込)
    批評家ソンタグはこう言っていた。人は「健康な人の国」と「病気の人の国」のいずれかに属する、と。本書は哲学者自身がガンになった経験を通じて、「病気の人の国」の現実を見つめ、生と死について考察した記録である。死への恐怖はなぜ起きるのか。死に直面することでなぜ人は初めて根本的に懐疑し、真に思考するようになるのか。東西の哲学者たちによる病や死、老いについての考察も参照しつつ、「健康な人の国」の人々には見えない世界と人生の諸問題について深く問いなおす。
  • 現代思想講義 ──人間の終焉と近未来社会のゆくえ

    現代思想講義 ──人間の終焉と近未来社会のゆくえ

    ビジネス・実用

    -
    1巻1,397円 (税込)
    「自由で平等な個人」という近代にあった理想。だが、明らかにそれは誤りである。ポピュリズムが跋扈するポスト・トゥルースの現代は、「群れ」社会への転換をすでに遂げている。その転換も昨今急激に生じたのではない。現代思想で論じられてきたその社会の変容を、順に「人間」「国家」「意識」「政治」「道徳」「思考」の六つの主題について解き明かしていく。AIで人間が不要になる、といった皮相な議論よりもはるかに深い次元で人間の終焉を考察し、混迷する人類文明の行く末と、これからの生き方について講義する。
  • 現代思想史入門

    現代思想史入門

    ビジネス・実用

    -
    1巻1,397円 (税込)
    二〇世紀のイデオロギー対立は終焉したが、新たな思想・哲学が出現していないように見える。近代のしがらみを捨てて、いま一度、現代思想の諸地層をもっとつぶさに見ていこう。そこに新たな思考が芽生えるきっかけが見つかりそうだ。生命、精神、歴史、情報、暴力の五つの層において現代思想をとらえ、それぞれ一九世紀後半あたりを出発点として、五度にわたってさらいなおす。現代思想の意義を探りつつ、その全体像を俯瞰する、初学者にもわかりやすい新しいタイプの入門書。

ユーザーレビュー

  • メルロ=ポンティ入門

    購入済み

    コースで言うところの前菜

    入門書としてはあまり評価できない、というのが第一印象であろう。
    これは著者のエッセイである。いつまで経ってもメルロ=ポンティについての解説や解釈などは登場せず、著者の実体験に基づいた様々な「出来事」を淡々と記述し、その支えのためにメルロ=ポンティがたびたび顔を出す。
    だから入門書としてはあまりお勧めできない、と言うのが正直な意見である。
    だが、メルロ=ポンティの思想を「コース」と例えるなら、この書物は非常に上品な「前菜」だと言えるであろう。
    食欲を刺激させられ、まるでこれからくるスープやメインを取りたくなるかのような、そんな書物。
    そうしてはたと気付かされるのだ。
    そうだ「学問」とは、ただ受動的に知を受け取ることではない。
    自らの興味や好奇心を刺激され、そこから自らの意志で向かおうとする、それが「学問」に対する、あるべき姿勢ではないのだろうか、と。
    「人生とは何か」と言う根源的かつ原始的な問いに、我々は船木氏に誘われる。もっと学ばなければ、いや、もっと学びたい、と言う意欲に駆り立てられる。
    「知覚の現象学」や「意味と無意味」をただ機械的に消化し、「知識を蓄えた」などと傲慢になるだけでは「意味」がないのだ。
    この意欲、コースを平らげてもなお食べ続けようとするあくなき意志、本書は、そんな思いを十二分に焚き付けてくれるのだ。
    だから入門書としてはお勧めできないかもしれないが、自らの背中を押し、メルロ=ポンティ、そしてそこから派生する数多の「学問」への冒険心を駆り立てる、素晴らしい一冊である。


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    2022年01月19日
  • メルロ=ポンティ入門

    Posted by ブクログ

    読み終えました。
    次は、『知覚の現象学』です。
    (2015年09月18日)

    2回目です。
    2007年2月12日に、一度、読んでいます。
    (2015年09月02日)

    0
    2015年09月18日
  • メルロ=ポンティ入門

    Posted by ブクログ

    メルロ=ポンティの入門書のはずですが、著者もあとがきで認めている通りにメルロ=ポンティの考えと著者の考えとが混在してしまっていて、メルロ=ポンティの思想を系統立てて理解するのには分かりにくくなっています。しかし、「なぜ、そういう問いを立てるのか」という観点から哲学的な諸問題を論じているので、それはそれで面白いと思います。ただ、本書を購入する人間の動機を考えると、もうちょっと親切であってもいいかなという気はします。むしろメルロ=ポンティの思想をある程度理解している読者向けか。

    0
    2011年11月14日
  • メルロ=ポンティ入門

    Posted by ブクログ

    メルロ=ポンティの解説ではなく、根源的な「問い」に対して、メルロ=ポンティとともに考察していく、という体裁。哲学とは根源に向かい、そこから生きる力を得ていくものであることを実感した。書名と内容の乖離はあるが、内容的には非常に良書。

    以下、気になった記述
    ・人生に意味はない。なぜなら、意味というのは人生の中にあるものであって、人生そのものについて語れるような概念ではないからである。
    ・「われわれは意味の刑に処せられている」
    ・正義の味方がパロディにされた原因に、TVという傍観者的なメディアの存在が考えられる。
    ・TVは、それを見ている多数者を思い出させるような独特のコミュニケーションをしてくる。
    ・TVこそ、だれしも傍観者であるような、最も強力な現代の正義である。
    ・「歴史の与える状況のまえでは、われわれは自由な個人ではなくて、フランス人であったり、労働者であったり、相互にそれぞれの資格でしか働きかけあわない、もっと一般的で匿名的なひとである」
    ・「決断とは引き受けられた状況である」
    ・そうした議論(理屈っぽい問い)は、事情が切羽詰まっていない穏便なときに、理論的に考察する結果として生じるのであるが、実践における真実は、不可避的にそうした議論を虚しくさせる。
    ・わたしがわたしにとっての他者になるのに、時間が必要だ。
    ・疑惑という状態は、行為自身が疑わしいものであるかぎりにおいて、行為そのものから、やむをえざる勢いで沸いてくる。
    ・本来、他者とは、対象に帰属させる以前に、差異について意識されたもののことであり、むしろわたしのなかにあってわたしでなく、あるいはわたしのそとにあってわたしであるような、わたしを否定したりするところの存在である。
    ・「哲学はすべての事実、すべての経験に接しながら、ひとつの意味がおのずから獲得される豊穣な瞬間を捉えようとする。真実とは、存在するのはただ一つの歴史、一つの世界だということを前提しながら、これを事実としても成立させるような生成である。その真実の生成に対して、哲学はこれをわれわれのものとして取り戻し、あらゆる限界を超えて推し進めるのである。」
    ・意味は存在するものではなく、生成するもの。
    ・相手の運命に巻き込まれるのに躊躇するような半身の姿勢では、相手は自分の聞きたい助言しか、聞こうとはしない。
    ・世界の諸対象は、われわれがしぐさを相互に了解しているとき、そのしぐさを巡身体動作のネガティヴな形象として現れる。
    ・「われわれが発見したものは、意味という語の新しい意味である」
    ・構造主義
    ・語る主体とは、他なるものを他なるもののままに抱懐した、そうした奇妙な主体である。
    ・メルロ=ポンティのいう「ひと」は、利己的で無責任な匿名ではなく、出来事に出会うに当たって、これこれの社会的地位や思想や性や見せかけを超えて、ただの人間として立ち会っている、そうした普遍性を持った存在のことである。そこでは、みな剥き出しの身体をもっていて、おなじひとつの世界に属しており、ひとりひとりが自由に出来事に参画する、そのかぎりで出来事を捉え、そして語るひとである。--とりわけ、死に迫られるような極限的な状況では、そこに「ひと」が現れ、、まさにそのひとの存在が賭けられる。(P220)
    ・メルロ=ポンティのいう「わたし」とは、神ならもっているはずの絶対的視点を、決して獲得することはない。
    ・「時間を主体として、主体を時間として理解しなければならない」(P223)

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    2017年10月08日
  • 死の病いと生の哲学

    Posted by ブクログ

    手堅い文章を書く船木亨さんが、かなり砕けたモノローグ風の文章を書いていて新鮮でした。ご自身の体験などをもとにしています。死の病いと生は、新型コロナの時代においてよくよく顧みられなければならないテーマだと思います。ぜひご一読を。

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    2020年08月11日

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