あらすじ
脳が地面に転がるたびに熱狂的な演説で民衆を煽る独裁者フィル。国民が6人しかいない小国をめぐる奇想天外かつ爆笑必至の物語。ブッカー賞作家が生みだした大量虐殺にまつわるおとぎ話。
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Posted by ブクログ
NHK「理想的本箱」、「戦争が近づいた時に読みたい本」の回で初めて知り、今日ようやく読むことができた。
中編程度の長さで、文章も決して難しくなく、児童文学のような雰囲気もあるので、活字に慣れていない人でも読みやすいのではないだろうか。
登場人物たちは機械の部品や植物、触手などで出来ている不思議な生物たち。
しかしその発言内容や行動は、人間にとても近く、特にSNSを見ていると差別主義者やヘイターがよく口にするような言い分のオンパレード。
そして完全に「善人」と言える人物はいないし、完全に「悪人」と言える人物も存在しない。
見たこともない不思議な生物たちの滑稽とも言えるような争いの話なのだが、その行動はナチスをはじめあらゆる人間(もちろん日本人も)が繰り返し、戦争に突入してきた流れの縮図であり、創作内のことでありながら全く他人事とは思えない。
最後、突如現れた創造主によって彼らは解体され、作り直される。
その時創造主はフィルの体は使わず、「モンスター」と名付けて象徴とした。
組み直された本ホーナー国の人々は正体不明のフィルを恐れるけれども、その中にフィルを恐れず、むしろ美しいものと感じる人物が現れーーー話は終わる。
創造主は本来の性質は「善」だと言った。
しかしフィルの部品を取り除いても、結局フィルの火種を摘むことはできなかったのだ。
ナチズムにも、レイシズムにも完全な“終わり”はない。
「いつまで先の戦争の話をしているんだ」と戦争反対を訴える人々を冷笑する人々がいる。
ホーナー国のように、現実でも火種はいつどこに芽生え、再燃するかわからないのだ。
だからいつまでだって訴えなければいけないと改めて感じた。
戦争反対。
憲法改正反対。
第二、第三のフィルは“生まれる”のだ。それはもう防ぎ用がない。
だから民衆は常に目を光らせ、のさばらせないように注意しなければいけないのだ。
Posted by ブクログ
横からぽっと現れた口の達者な人物によってあっという間に国が乗っ取られ、逆らう者を手にかける様子が恐ろしかった。登場人物が人間ではなく、色んなパーツのより合わせで動いているため生々しさは少ないはずだけれど、ある日突然権力者の決定によって殺されてしまうことに変わりはないのだった。
言葉を利用して鼓舞し、揚げ足をとり、押し切り、隙をついて場を支配するフィル。ちょっとしたアイデアから始まったはずなのに、気付けば全員従わざるを得ない状況になっていて、日に日に力関係の変化していく様子が面白かったし同時に怖かった。
長い物に巻かれて自分可愛さに保身に走る者たちや、それとは逆に、おかしいことをおかしいと言える者たちの心理も書いていて、全員が非常に人間らしいのである。特に被害者を責め始めるところがリアルだ。おとぎ話のようではあるが、現実の世界で起きていることと大差はない。
意外だったのは創造主が登場したこと。争いが絶えなかったのに“お前たちは善なのだ”と語るのを見て、これは人間を信じている話なのだと思った。
あれだけ暴君だったフィルも朽ち果て、何も知らない新時代の者にとっては遺跡を見る時のような不思議な癒しとなっているラストが良かった。過去に学び、よりよい世界を夢見ることが何よりも必要な気がする。そして人類にはそれができるはずだという希望が含まれているように思った。
中篇だけれど味わい深かった。
Posted by ブクログ
アメリカの小説家ジョージ・ソーンダーズの中編小説。原書は2005年に発行。本書は2011年に出版された単行本を、2021年に文庫化したもの。
あらすじとしては、一人しか入れないほど小さい「内ホーナー国」と、それなりに広い「外ホーナー国」との間に起こるいざこざと、国境の監視役(自称)であるフィルが暴走し独裁者となる顛末を描いた「おとぎ話」となっている。軽快なユーモアはあるが、正直に言ってつまらないと思いながら読んでいたが、読後しばらく考えてみるとあることに気づく。確かに背筋が寒くなった。
登場人物はどれも奇妙な造形をしており、脳がラックに入っているものや、枝や鹿の角が突き出たもの、シャベルのような尻尾など、イメージを寄せ集めただけで悪意すら感じる。登場人物は少ない上に個性に乏しく恐ろしく愚鈍で、情景描写さえも「小川が流れてりんごの木が生えている」など、小学生でももう少し上手に描けそうなほどお粗末だ。ストーリーも行き当たりばったりで、まるで子どもの人形遊びのようだ。しかし、それこそが作者の意図なのだ。
もし、自分の子どもが人形の手足と文房具を付け替えて、本書にあるような残虐なストーリーを考え出したとするとどうだろうか。恐ろしくなってこないだろうか(私は恐ろしい!)。あとがきで以下のような著者の言葉が引用されている。「この本は、世界を過度に単純化し、〈他者〉とみなしたものを根絶やしにしたがる人間のエゴにまつわる物語なのです。私たち一人ひとりの中に、フィルはいます」
あとがきによると、執筆中のアメリカで9.11が起こっている。ソーンダーズが時代をどのように捉えたかはわからないが、本作のメッセージは政治的なことではなく、人間の根源的な欲求に根ざしているのではないか。つまり男の子の人形遊びが加熱していく姿に、人類の悲惨な歴史をぴたりと重ねたのだ。自分のお気に入りの人形があれば、都合よく強くする。カッコ悪いオモチャは倒すか破壊する。それに飽きたら捨てる。あの巨大な手のように。フィルは私が飽きて捨ててきたオモチャ達だった。
ジョージ・オーウェルの『動物農場』が引き合いに出されるらしいが、少しお門違いであると思う。『動物農場』は人間社会への確かな観察があり、コミュニティの理想が没落していく様をありありと描いているので良くできた「寓話」となっている。しかし本作には社会を観察しようという気はさらさらない。ステレオタイプな独裁者のイメージは、社会批判というにはあまりも稚拙だ。本作は、生活は豊かになっても歴史から何も学ぼうとせず、無知を安っぽいストーリーに埋められてしまう人類の写し鏡なのだ。
作品の批評をするときに、資本主義対共産主義、右翼対左翼、男対女、愛国心対反日などなど単純な二項対立に落としこむことが間々見られるが、それこそ子どものごっこ遊びである。結局、「善対悪」の構図にすり替えられ、〈他者〉はいつも「悪」にされる。そこには建設的な対話はなく、気まぐれなヒーローの勝利しかない。ありとあらゆるところで「分断」が起こっている今、脳のないフィルの暴走は、既にはじまっている。
とはいえ以上の感想こそお門違いかもしれない。あとがきにあるように、(裏読みばかりしてないで)この軽快でグロテスクな物語をゆっくり楽しむこともできる。不思議ともう一度読み返したくなるような、真似のできない魅力があるように感じた。