あらすじ
自分のことは話さなくていい。相手のことも聞き出さなくていい。ただ、お互いの「外」にあるものに目線を合わせ、同じ方を向くことができれば、誰とだって会話は続くし、楽しくなる。2020年から非日常になってしまった「会って、話す。」を問い直し、幸せな人間関係を築くための技術と考え方を伝えます。
...続きを読む感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
自分のことも相手のことも話さない。知識をベースに外にあるどうでもいいことを話し結論も評価も不要。どうでもいい話ができるのは、どうでもよくない人とだけ。あなた自身が機嫌よくしていれば、あなたにとっての世界は機嫌がよい。
なんて気付きの多い書き物だろうか。
Posted by ブクログ
★感想
悩まない、
会って話す。
大切な人とは。
小学校勤務時、相手の目を見る、頷くなど子どもたちに伝えていたが
そんな、テクニックはあまりいらないんだと思う。
私(大人)が、子どもたち一人ひとりを目をあたたかく見る。
安心する環境(人、物、事)を調整、支援、受容、応援する。
ピンチや残念と感じることあったからこそ、~的思考、行動を私から。
必然と「あぁ、一緒にいるっていいなぁ」
「○○さんとは合うなぁ」「○○さんはそうなんだ」
の気持ちの共有、解釈になってく気がする。
★再読 響いた言葉memo、引用追記 20251019
対話は技術じゃない、また読む。
序章
・興味もないのに相手の話を聞くふり、相槌?
→そんな会話が人間同士が正直に向かい合う態度といえるだろうか。
心の内面を相手にぶちまける、そんな姿勢が向かい合う二人を幸せにするだろうか。
そんなテクニックが誠実と言えるだろうか?
・対話では、話し手のどちらも、自分がすでに知っているアイデアや情報を共有しようとはしない。むしろ、二人の人間が何かを協力して作ると言ったほうがいいだろう。つまり、新たなものを一緒に創造するということだ」ダイアローグ 対立から共生へ、議論から対話へ(デヴィット・ボーム 金井真弓 訳)
・なにを話すか
田中s 傾聴すれば信頼関係を築ける」とか、まず自分から労力を払えば相手も同じだけ自分に興味を持ってくれるという前提が、間違っていると思うんです。
今野s ギブ&テイクの考え方を否定するんですか。
田中s 会話はギブ&テイクでもwinwinでもゼロサムゲームでも勝ち負けなどでは絶対ない。まずそれを認めることから会話が始まる。
「対話の目的は、物事の分析でなはく、議論に勝つことでも意見を交換することでもない。いわば、あなたの意見を目の前に揚げて、それを見ることなのである」デヴィットの言葉
言葉つながりのダジャレでもいい、窓の外の雲の話でもいい。脈絡がないわけでないが、さりとて議論するでもない。話はちょっとズレますが、で話をあさってに持って行く、話を逸らす力が会話の力。=あさって話法!前ではない、上を向いて話す。そうすることで、対人関係の息苦しさや、話の続かない気まずさから少し楽になれるはず。
・「知らんけど」の万能な言葉
生半可な知識を振り回さず、あまり知らない自分を、正直に相手に差し出す
・ドアの向こうに人がいる。という張り紙を見たことがある?
発言することは、勢いよくドアを開ける行為なのだ。会話するとき、想像力を働かせる。
・会話はテクニックではない。
あなたのそばにもいるだろう。話し下手だけど信頼できる人、ぶっきらぼうだけど愛せる人、なにを言ってもすべるけど可愛く思える人。
本書にもテクニック論は何も載っていない。しかし信頼され愛され可愛がれる本でありたいと願う。
人間は毎日、だれかと話を生活している。会話を成立させるためには、適切な距離が必要。
また、わざわざコミュニケーションを取るのだから、会話を交わしたあとは、会話する前より幸せになっていないと意味がない。それは損得や利益の問題ではない。
★人間の存在そのものが否定されるかどうかが問われているのだ。
★皆が不機嫌な状況に陥ったら、せめて自分一人でもさっと立ち去る。
(理不尽な命令、不本意な仕事、間委員電車など不機嫌の会話、伝染からさっさと隔離する、笑い話にしてしまう、話題を変える、物理的にその場を立ち去る、手段はいくつかある)
不機嫌で人を動かすのは、赤ん坊。ご機嫌で人を動かすのが、おとなである。
★おとなが口を開くのは、
自分の機嫌をよくするためで、それは他人の機嫌もよくする。それこそが社会貢献なのだ。
・永六輔氏の言葉あなたが好きです、というのは最悪な言葉。
おなべをいっしょに食べて同じものをおいしいと思う、夕やけを見て、両方が美しいなと思う、というような同じ感動を〃時点で受け止める、いっしょの環境にいる時に〃感動をする場面にできるだけいっしょにいる。スポーツの応援でもいい。そうすると、使いあっている同じことばにドキンとすることがあって、それが愛なんです。
・リアルで向かい合う(オンラインでなく身体がある)人間が
時間と空間を共有し、目線、表情、反応、間合い、タイミング、チャチャ入れ、ヤジ、無駄話、そういうものがタイムラグなしの常用として存在し、わたしたちはリアルタイムでそれに反応する。
電子書籍と手触りを感じながら自分でめくる神の本の違いと似ているかもしれない。
人は、人と会いたい。人間は、対面したときに生じる「自分と相手の間に生まれる何か」を感じたいのである。
・「書く」より先に「話す」があった
口は開く以上は、何を言うか、どう返すかで人生は決まるとも述べた。だが、もっと重要なこと、
それは「なにを言わないか」である。
考えるは脳の仕事(計算したり悩んだり)だ。
対して「想う」は心の仕事(胸に描いたり、願いを込める)予算を想うとは言わない。
好きな人のことは、考えずに、想うものだ。
★書くより先に、話すがある。話すより先に、考えるがある。考えるより先に、想うがある。
言葉の前に、身体がある。
黙って想い、考えたすえ、どうしてもこぼれ落ち、相手に伝わることばが「話す」である。
そのことばがあなたの人間性であり、そのもっと後には「書く」がある。
☆☆わたしたちはわかりあうことはできない。
だが、感じ合うことはできる。
安っぽい共感ではない、憐憫(れんびん→可哀そうに憐れむこと)でもない、説教でもない、突き詰めたら、わからない。他人のことはわからない。だが、しかし、そこにいっしょにいるということ、
時間と空間を共有することには意味がある。
あなたの目の前の人には、その人だけの思い出がある、
そしてなによりその人がこの世界の中で経た「時間」がある。
「わたしたちが別々に生まれてきた」ということの意味を知る週間ではないだろうか。
別々に生まれたという冷徹で険しい真実を確認し合うからこそ、
人間は初めて「他者」と出会い、共感し、連帯できる可能性を見出すのではないか。
その時はじめて、向かい合っていた視線は同じ彼方を見ることができる。
人間は会話によって風景を発見するのだ。
これこそが会話がたどりつく約束の地なのではないか。
その瞬間、人間は人間に本当の敬意を抱くことができる、わたしはそう思う。
★他人と話す前に、「自分と話せ」
自分自身が自分と楽しく会話できなければ、他者と会話することはできない。
人間は悩んでいる自己、鬱陶しい自我、自分自身が嫌いな自分が消える瞬間(美しい景色を見る、旅等)が
幸せなのだ。そのとき見ているものが風景なのだ。
人は、自分と会話する。過去と会話する、死者と会話する、書物と会話する。
人と人が、会って話すことの究極は、一緒に旅をすること。二人は常に新しいものを見る。
身の上話や悩み相談などをしている暇はない。そこには「外部」しかない。他者と会って会話する時間は、じつに「人生を共に旅する」ことではないか。
★いまいちど、自分がどのように
人と向かい合っているのか?
そして向かい合わないのかを検証して書いてみよう。
話すことは相手を問い詰めることでも、自分を押し付けることでもない。
それは「わたし」と「あなた」が別々に生まれてきて、別の個体として、
なぜかいま、同じ時間と空間にいる意味を問い直す行為ではないだろうか。
会話とは、会って話すことだ。漢字でそう書いてある。~省略~話す「わたし」と「あなた」の間に、意味がないことでもいい、意味があることでもいい、「なにか」が「発見」され、「なにか」が「発生」する。その「なにか」こそ、人間の向こうにある「風景」であり、それを共に見たことが人生の記憶になる。だから人は会って話すのではないだろうか。
あなたはきっと、だれかと「会って、話す」とこで幸せになれる。
知らんけど。
Posted by ブクログ
会話は無理に気負うと億劫になる。
いちいち面白く深い話をしようとしなくていい。
相手は私ほど私に興味はないし、私も相手ほど相手に興味はない。
無理して質問や自分の話をしても疲れるだけ。
二人のことでは無い、外の話をする。
相手がボケけたとして、それにツッコミで返してしまうとマウントになる。
ボケにはさらにボケで返す。
毎回気まずい沈黙が怖くて会話の機会を敬遠していた自分の心を軽くしてくれた。
少しづつ実践していきたい。