あらすじ
「ああ辛い! 辛い! もう――もう婦人(おんな)なんぞに,生まれはしませんよ.」日清戦争の時代,愛し合いながらも家族制度のしがらみに引き裂かれてゆく浪子と武男.明治31-32年発表,空前の反響をよんだ徳冨蘆花(1868-1927)の出世作は,数多くの演劇・映画の原作ともなり,今日なお読みつがれる.改版(解説=高橋修)
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明治を生きる夫婦の悲哀。時代に翻弄された男女の切なく悲しき物語。映画化すると、こんな感じのキャッチコピーになるだろうか。プロットを辿るとそんな感じだ。確かに読んでて涙溢れた。浪さんが自殺しようとするあたりとか小川さんの語りとか。
深い考察は解説を読んでなるほど、と思った。あんなに深い読解力があれば楽しいだろうな。。
もうおんななんぞにうまれはしない。。。
この作品で最も有名な浪子の臨終間際のセリフ。
自分の不幸が女に生まれてしまったことに起因することを嘆いての言葉。
明治時代、お家の慣習が根強い男性中心の文化。
浪子と離縁を薦める母に対して、武男が逆の立場(武男が結核)で向こうから離縁されては嫌だろうと問うも、母は男と女では違う、と。
売り言葉に買いことば的な発言なのだろうが、一体何が違うのだろうか?女の親はそもそもそんなことはしないということ?それとも男が肺病だったら離縁されても問題ないということ?
現代を生きる自分にとっては、なんて世界だ!?となるものの、数十年数百年後には当然に考えている今の常識が、なんて世界だって!?って思われるようなことがきっといっぱいあるんだろうな。
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儚い生命が病に手折られる哀しさ、二人の仲が引き裂かれる運命の残酷さ。悲運に悲運が重なる浪子が哀れ。
いわゆるお涙頂戴もので、全体的にひたすら浪子が可哀想なのですが、論理的な矛盾を指摘したりするのでなく(だって武雄にも情熱の足りなさを感じるし家制度も腹が立つし、何もここまで浪子に辛苦をなめさせなくてもと思う)、絶望に出会った人物達の心の動きや表現を鑑賞するべきです。
万一この後もし武雄が再婚してもいいんだよ!だって今のこの愛はまぎれもない本物で最高潮だったのだから。
手紙に「玉章とる手おそしとくりかえしくりかえしくりかえし拝し上げ」る浪子。さびしく微笑し妹の為に派手な着物を選ぶ浪子。
愛の情熱の激しさ、文章の格調高さ。浪子の無念はいかばかり!
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悲恋の代名詞というか、昼ドラ的ドロドロ感。
世間体・お家柄重視で結婚に厳しいうえ、戦争まで起こってしまうという時代の波に、不幸にも飲みこまれてしまった悲劇な夫婦のお話。
文語体で書かれてるのに見事に感情移入してしまう。
脇役の方は皆様キャラが濃いです。
そこもまた昼ドラ的。
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擬古文(文語)のため、古文が全然読めない人には現代語訳版を強くオススメします。
浪子の人生悲しすぎる。
当時結核が治らなかったのは知ってるが、そのせいで本人達が望まぬところで離縁(離婚)するというのは驚いた。
実際あったのかな?
個人的には、最後浪子と武男が今生の別れをしてほしかった。
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1900(明治33)年刊。
明治期の日本文学の名作としてよく知られた作品ながら、地の文が文語調であるために私は敬遠してこれまで読まなかったようだ。
本作について、たぶん日本的な微妙な情緒のたゆたう芸術性の高いもの、と勝手に予想していたのだが、どうもそのニュアンスとは異なり、むしろ尾崎紅葉に近い、骨太なストーリー性の強い、ドラマチックな物語であった。
文章はもちろん今風のものと比べれば、文語体なだけに格調は高いようだが、さほど「芸術的」とも思えなかった。当時の読者にとっては平易な文章だったのではないか。完了の助動詞「つ」がやたら出てくるのが気になった。ただの過去形で良さそうなのだが・・・・・・。
本作のおおまかな筋は徳冨蘆花が人から聞いた話に由来するらしい。
女主人公浪子は、新婚ホヤホヤで配偶者と相思相愛のアツアツな関係にあって幸福だったのが、結核に罹患したことから、結核は家族にうつるから家を滅ぼす、という考えにより、悪者の讒言にそそのかされた夫の母親に、夫の不在時に勝手に離縁させられ、どん底に落ちて病が嵩じ、やがて死んでゆく、という悲劇である。
本作が明治期最大のベストセラーとなったのは、このようなメロドラマ的な大枠と、非常に分かりやすい(たぶんあまり深みの無い)心理描写とが相まって、多くの人びとの感涙を誘ったのだろう。
何と、数カ国語に訳されたらしい。が、海外での評価は結局どうであったのだろうか。本人たちの、独立した個人としての意志の自由を否定して、当時の家族制度の頑迷さに甘んじ、どんなに辛くても「仕方がない」となってしまう、あまりにも日本人的な不自由さは、欧米人に理解されたのだろうか。
あまりにも類型的な悪者が登場するなど非近代的な面もあったが、まあ、江戸の読本や坪内逍遙の『当世書生気質』(1885)に比べればはるかに写実的で近代小説らしくはあるし、とりあえず印象深い物語ではあった。
ただ、やはり芸術性ということで言うなら徳田秋声『あらくれ』(1915)のような情緒には劣っている(このコンポジションを欠いたような小説を日本的な美の良さと捉えるならば)と感じる。
本作の良さはほどよい通俗性・感傷性が多くの一般読者を魅了したことにみられるような「わかりやすさ」の点だろう。
ちなみに、この文庫本の巻末には作者の略年譜が載っている。カトリック信者だったようだが、1919(大正8)年に妻の愛子とともに「第二のアダムとイブであるとの自覚を得、新紀元第1年を宣言して世界一周の旅に出る」との記述がある。何だそれは。もしかしてアブナイ人?との疑問が湧いた。
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大学の講義のために購入。
実は最近、初めて恋をして、失恋しちゃったんですよね。そんなセンチメンタルな私が浪子と武男の夫婦生活を見ててると、自由な恋愛を求めることができないことに心苦しさを感じましたね。
「不如帰」の時代は明治。新たな文化が欧米から入ってくる。それは思想も同じ。自由に恋愛して結婚できることなんて新しい価値観だった。当時は結婚は本人同士だけで決められるものじゃなかった。離婚もそう。こうした新しい価値観と古くからある日本の価値観とのズレが2人の仲を引き裂いてしまった。そして、女性の地位が低かった当時だからこそ最期の浪子の叫びは多くの女性の心を掴んだのではないだろうか。愛に飢えていた浪子はほんのひとときだけでも武男と愛しあえて幸せだったのかな。
こうして考えると今の恋愛結婚は幸せなのかもしれない。
「不如帰」って当時は暗く、悲しいイメージがもたれてました。悲しい愛の物語。そんな一冊。
恋愛って幸せだけじゃないんですね…。
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徳富蘆花―不如帰
学校で習うような小説なんて、説教くさいのかと思いきや、これ、完全に昼ドラマです。
夫婦仲は、当時としてはびっくりするほどよい。
ところが、彼ら二人の周囲には敵がたくさんいるのです。
意地悪なお姑さん、冷たい義理の母ーこれが浪子サイド。
育ててもらった恩も忘れて逆恨みする従兄弟、娘可愛さに浪子と別れさせようと画策する出入りの商人山木ーこれが武男サイド。
従兄弟と山木はあくどい商売で繋がってもいる。
そして、従兄弟の千々岩は浪子に横恋慕してるのざます。
浪子の父は心から浪子のことを慈しんでいるけれども、しょせん父親。
しかも戦時中の軍人。
肝心な時にはいない。
それは武男も同じ。
肝心な時、そばにいない。
浪子のなくなった母の姉も浪子の味方ではあるが、やはりいつもそばにいるというわけにはいかない。
きっかけは風邪だった。
こじらせて肺結核に。
当時の肺結核は、死に至る病であり、しかも伝染病。
夫婦は愛し合っているのに、さまざまな思惑にからめ捕られ、武男が戦地に行っている間に離縁ということになってしまう。
短い小説ですが、どろどろした情念あり、清らかな愛情あり。
そして、何も悪いことをしていない夫婦二人は、幸せの絶頂から不幸のどん底に突き落とされるのです。
これは、人気出るでしょう。
離縁させられた絶望から戦地で無茶を重ねる武男の姿などは、かなりくどく感じますが(なくてもいい部分と思われ)、当時はどう受け止められていたのでしょう?
「ああつらい!つらい!もう―もう婦人(おんな)なんぞに―生まれはしませんよ。―あああ!」
死の間際の浪子のセリフは有名ですが、男だって決して自由ではなかった。
武男だって浪子と別れるのは嫌だったけど、親に逆らうことは親不孝であり、別れた妻に会いに行くことは世間体の悪いことであり、それらの障害を武男は越えることができなかった。
人生はままならない。
だからこういう小説は時代を超えて読まれるのだろう。
しかし最後の一文。これは、要りますか?
Posted by ブクログ
『金色夜叉』よりも読みやすかった
「家を守る」ということを重んじる
今の感覚ではあまりピンとこないけれど、当時の読者はどうだったのでしょう
姑のあまりに強引なやりかたに憤りつつも、矢張り仕方がないと思い、引き裂かれた浪子・武男夫婦の不幸に涙したのでしょうか
当時、女性、それも家における子を持たない嫁の立場がどれほど低いものだったのかということ
いろいろなタイプの女性が出てきて面白かった
個人的には千々石が凄く好きだったんですけれど
子供時代の不幸な境遇という点では、彼も浪子に劣らずな感じなんですが
解りやすい悪人に書かれてたけれど、彼にも同情の余地はある、と思ってしまいます
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片岡中将の娘、浪子は10歳で実母に死に別れ継母のもと辛抱と忍耐の日を送る。川島武男という好青年と縁付き伊香保で蕨摘みを楽しむ。幸せも束の間結核を患い、逗子で療養する。
戦地に赴き留守がちな夫。義母と武男に横恋慕した山木豊を娘に持つ山木の策略で離縁されてしまう。
父の深い愛や信心深い婦人の助けの甲斐もなく、失意のうちに儚い生を終えるのであった。
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●幸にして純粋な愛情を分かち合った武男と浪子。武男の母親や従兄弟らが勝手に膨らました嫉妬や私利私欲が、時の家族制度と世間体、仕事や戦争などに乗っかり、二人の間は意思とは反対に引き裂かれてしまう。武男は結核を理由に浪子との離縁を推し進めた母親に異議を唱えるも、その行動自体は、親と仕事への忠義を、妻への愛より優先させたことになる。外界なる家・親・仕事と、個人の意思とのパワーバランスが、この小説ではテーマの一つなのだろう。時代は令和となり、明治より多少は個人を優先できる世の中になってきているようだが、まだまだ滅私他者優先が盤石な時代であることは否めない。否、意思を主張する自由と術とは別もので、相変わらず後者を持たぬ持たせぬ本質的な奴隷制度から抜け出せないことへのねじれ歪みは、また別の問題を引き起こし、マグマ塊のようにいびつなモノに姿を変えた自己表現がエスケープ先を求めている。抜けたい、抜け出せないジレンマを認知しつつも、旧態依然を続ける優柔不断で無気力な時代へのアンチテーゼである。
●文語体の文章を久しぶりに読んだが、滋養高き十穀米のように歯応えがあり、読後に残る質感がいい。
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嫁姑・結核・戦争・父系社会・その他旧弊など、古い価値観や理不尽な環境で引き離される悲恋譚。かなりの胸糞展開と聞いていたため、感情移入し過ぎるのが怖くて一歩引いた視点で読んでしまったので、少し後悔している。
新聞連載の開始は1898年、これは現行法である民法が定められた時期(1~3編:1896年、4・5編:1898年)と重なる。明治維新に伴うハード・ソフト両面の西洋化に伴い、新旧の価値観が激突する時代だったことが想像できる。この小説の中でも、今では考えにくいような価値観が随所にみられる。そもそも物語の根幹部分である、結核になった嫁さんを家に帰すとか、姑の執拗ないびりであるとか(これは不幸な家庭では今でも散々行われているのかもしれないが)、嫁への愛なんかより家を大事にしろとか。
とりわけ、妻か家かの二者択一なら家を取れと母が息子に迫る箇所は、理屈では分かっていても衝撃的だった。
現代のように福祉制度が確立していない時代では、結婚して子どもをつくることは自分の老後を支えることでもあり、子どもができなければ野垂れ死ぬだけだった。石女(うまずめ)なんて今じゃ炎上待ったなしの言葉も、それが言葉として酷いものであったにせよ、子どもを産まねば共同体が滅びるという危機意識が根底にあった。というか、今だって子どもを産まなければ……。
だから、母親が子と嫁の離縁を迫ったときに、息子がモラル面で反撃するも、家庭という概念に負けてしまったところは、当時の価値観に照らせば母親に理があったのかもしれない。理はあるけれどそれは絶対間違っているよという作者の強い意志が、母親をここまで醜悪な悪者に仕立て上げたのだろうか。読者の溜飲を下げるためか、悪役である千々石はあっけなく死ぬが、母親は自分の価値観を曲げることなく最後まで嫁を非難する。まるで、著者が母親に同情する読者を一人残らず消そうとするかのように。
非常に社会派な小説だと、私には感じられた。
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伊香保温泉への旅行のときに読みました。
文語体でも思ったより読みやすかったです。姑の気持ちもわからなくないな、と思います。漱石のこどもが泣いたという映画も見てみたくなりました。
Posted by ブクログ
典型的なメロドラマです。結核が不治の病だったころの話です。出来すぎてるくらいだけど、戦争による出兵と病気のはかない女性と泣く泣く別れるというシチュエーションは泣かせます。思わぬところで偶然再会する場面は、臭いけど、なんだか心に残る。
Posted by ブクログ
今から百年前の日本(明治31・32年)で新聞に連載されて
大反響を呼んだ作品。
当時の家族中心社会に揺れ動く 2人の純愛を描いてます。
はかない。
文章表現は 俳句のようにリズミカルに進むので
寸劇を間近で楽しませてもらってるような軽快さ。
Posted by ブクログ
別に取り立てて面白い筋でもないけど、浪子に感情移入できさえすれば結構面白いのかも。千々岩とか、脇の人物をもっと生かせていたらより面白くなったろうになぁ。
Posted by ブクログ
文体が少し読みにくいけど、今読んでも十分面白かったです。
現代だったら、親と絶縁しているだろう仕打ちに耐え続けている2人を見ると当時、家や孝養の精神がいかに生活に根付いていたかを感じます。
「もう婦人なんぞには生まれはしませんよ。」と言った浪子の時代から見て、果たして現代は女性にとって生きやすい時代になったのだろうか?大分自由にはなったけど一長一短な気もするし、考えさせられます。
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最後、電車の行き帰りで一息に読みました。ほろほろ泣きましたよ。涙腺弱くなっているのかなぁ。こういうお涙頂戴なメロドラマは好き。内容に『文学』的要素は薄いですが、当時の帝国主義時代の日本と日本の家族と、大衆の好みをそこはかと匂わせています。資料としても面白いのでは。
Posted by ブクログ
「お坊ちゃん小説」とは著者の言です。百花繚乱の近代小説時代から見れば確かにそうでしょう。しかし、この小説は、つい数十年前までの恋愛感を語る上で決して避けて通れなかった問題―家の存続と愛する妻、どちらを取るか―を含んでいます。近代日本を振り返る上での小さな敷石。ここから純愛ブームの原点も見えて来るかもしれません。