【感想・ネタバレ】安楽死を遂げた日本人のレビュー

あらすじ

NHKスペシャルで大反響。

ある日、筆者に一通のメールが届いた。
〈寝たきりになる前に自分の人生を閉じることを願います〉
送り主は、神経難病を患う女性だった。全身の自由を奪われ、寝たきりになる前にスイスの安楽死団体に入会し、死を遂げたいという。実際に筆者が面会すると、彼女はこう語った。
「死にたくても死ねない私にとって、安楽死はお守りのようなものです。安楽死は私に残された最後の希望の光です」
日本人が安楽死を実現するには、スイスに向かうしかない。お金も時間もかかる。ハードルはあまりに高かった。だが、彼女の強い思いは海を越え、人々を動かしていく。

〈本作を読んだ多くの方が考えただろうことを、私も考えた。もし小島ミナと同じ境遇に置かれたら、はたしてどのような選択をするだろうか、と。
著者が作中で記しているように、現にそうした状況に直面したわけでもない者の考えなど、しょせんは切迫感に欠けた想像や推測の類にすぎない。ただ、それでも考えてしまう。彼女のように安楽死を望み、それを選択するだろうか、と〉――解説:青木理

(底本 2021年7月発行作品)

※この作品は単行本版として配信されていた『安楽死を遂げた日本人』の文庫本版です。

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感情タグBEST3

Posted by ブクログ

安楽死の問題を通じて、生き方を考える機会となった。
少なくとも、家族には自分の生死への思いを伝えておくことが大切。

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2025年09月09日

Posted by ブクログ

前作とセットで読むことで宮下さんの思考の過程が伝わってくる。
ありのままの姿を伝えようとする真摯な姿勢。
その中でも悩み苦しみ迷う。
その過程を追わせていただき、とても学びの多い一冊だった。
極論に偏らずに答えのない答えを探すことが大切だと感じた。

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2023年11月11日

Posted by ブクログ

誰だって痛いことや苦しいことは嫌だ。
ましてやその先に「死」しかないのだったら、楽に死なせてほしいと思うだろう。
けれどいま日本では、安楽死は認められていない。
そんななか、安楽死を望む人たちが、どのような手続きを取ってどのように行動していったのかを書いたノンフィクション。

そもそも「死」は当事者だけのものなのか。
遺された家族の思いは考慮しなくてもいいのか。

一番よく聞くのは、「寝たきりになって下の世話までしてもらってまで生き続けたくはない」という意見。
たしかに下の世話をしてほしいかとか、寝たきりになりたいかと言われたら、嫌だ。
でも、それで生き続けることができるのなら、生きればいいと思う。
それでも生き続けることができない人のことを考えたら、それっぽっちのことは人間の尊厳とは何の関係もない。
と、子どもの頃、生まれてから一度も病院の外に出たことがないまま亡くなった3歳の女の子とそのお母さんの慟哭を、同じ大部屋からそっと個室に移って静かに人生をフェードアウトしていった私と同年齢の少女を、小学生の頃目の当たりにしてきた私は思うのだ。
だって、、そうしたら健康じゃない人は生きる価値がなくなってしまう。

とはいえ、大切なことだからこそ、考えは人それぞれ。
充分に議論して、選択肢を増やしていただければいいと思います。

ちなみに
「尊厳死」とは、延命治療の手控え、または中止によって導かれる死。
「セデーション」とは、治療に対する体の抵抗によって生じる苦痛を緩和する目的で、鎮痛剤などを投与すること。意識レベルを下げることで苦痛から解放させるとともに、死までの自然な家庭を見守る医療措置。
「安楽死」その苦しみが来る前に即効性の致死薬を投与して迎える死。

私にとっては、意思の疎通が図れなくなった時が、死を迎える時かな。
痛みには強いほうなので、安楽死ではなく、ギリギリまで痛みと共に生きて、最終的にはセデーションがいいと今は思っている。

感想は軽々には書けないので、今回はこの本を読んで考えた安楽死について、でした。

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2023年10月24日

Posted by ブクログ

私の父が前立腺がんで全身転移、最後には緩和ケア病棟でセデーションを行いました。
私自身も、がん専門病院の生命倫理の研究室で事務員として働いていたことから、安楽死は身近で議論されていました。
それでも私の中で日本における安楽死の是非について未処理のまま。
そんな時に、ジムでNHKスペシャルの「彼女は安楽死を選んだ」を見て、ダンベル片手に立てなくなるほど衝撃を受けました。数年後の今年、この本を本屋で見つけて「安楽死を遂げるまで」と共に購入してすぐ読みました。
何度も号泣。
けっきょく、まだまだ日本で安楽死の法が敷かれるのはまだまだ先だな…と思うと共に、私の中で安楽死についてはいったんケリが着きました。
最後には、「家族を大事にしよう、きちんと話をしよう、そしてそれぞれの最期の時にはお互いに納得のいく逝き方を探ろう」と思ったのでした。
私は未婚のひとりっ子。父は既に亡くし、母と祖母ひとりの女3人。最近めっきり弱った祖母は、「前はあんたが結婚しないって決めたならそれでいいって思ってた。でもね、やっぱり、今になってみると結婚して家庭を持つって、幸せよ」と言われて、結婚したくなった今日この頃…笑

もしかしたら私が死ぬ頃には安楽死が法的に認められているかもしれない。どんな死を迎えるかわからないけれど、とにかく、愛に溢れた生き方をしようと心に決めたのでした。

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2021年09月19日

Posted by ブクログ

自分には関係ないと思わず、向き合って考えなければいけないと思った。安楽死、一概に賛成とは言えないものの事情は理解できる点が有り、とても難しい。

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2024年02月16日

Posted by ブクログ

ネタバレ

安楽死を遂げた日本人

著者:宮下洋一
発行:2021年7月11日
小学館文庫
初出:2019年6月(単行本)

安楽死にまつわる世界6カ国での現場を取材した「安楽死を遂げるまで」(2017)を上梓し、高い評価を得た(講談社ノンフィクション賞)著者による、その続編とも言うべき本書。前作を借りに行ったがたまたま貸出中で本書を読む。2冊セットで読まないと価値は半減以下かもしれない。

本書は、前作以降、メルアドを公開している筆者のもとに、メールを寄せた小島ミナという女性が、日本人として合法的に安楽死を遂げるまでをルポしたもの。彼女は多系統萎縮症という病気で、小脳以外の脳幹が萎縮し、全身、とくに胸、肩、腕の痛みはひどく、段々と動けなくなり、食べられなくなり、呼吸も危なくなってくる。イメージとしてALSに近いかもしれない。故郷の新潟で、2人の姉に世話になりつつ暮らしているが、車椅子であっても、なんとかスイスにまで行ける体力が残っているうちに安楽死を遂げたいと強く望んでいた。

最期を迎えたのは、2019年11月、スイスだった。巻末の資料によると、その時点で安楽死または自殺幇助が認められていたのは、オランダ、スイス、ベルギー、ルクセンブルク、アメリカの一部の州、カナダ。オーストラリアは90年代に一部の州で成立したが97年に連邦議会が廃止したものの、2019年6月にビクトリア州で自殺幇助が認められていた。

スイスには、ディグニタスという1998年に設立された世界最大の自殺幇助団体がある。会員数1万382人で、それまでの幇助者数は3248人、外国人も受け入れている。小島ミナが希望していたのは、著者が前作で紹介したライフサークルという団体。エリカ・プライシックという女性の医師が設立した団体で、会員登録した希望者の中から、厳正な審査を経てプライシックが認定した人だけが自殺幇助してもらえる。もちろん、会員登録の段階でも厳しい書類審査があり、ここがまず関門となる。また、年間に行う数を制限していて、その範囲内でしか行わない。

小島ミナは高校を卒業すると韓国に渡り、1年間言葉を学んだ上、ソウル大学に入って4年間を過ごす。帰国後、韓国語の通訳と翻訳をしていたが、英語には強くなく、それが大変な苦労だった。英語で、自分の意志でしっかりと伝えなければいけないが、英語でメールをすること自体にも苦労している。もちろん、医師の診断書など必要書類もすべて英訳する必要がある。

苦労を重ねてライフサークルに会員登録をしたが、自殺幇助は断られてしまった。2020年3月まで空きがないので、ディグニタスかエックス・インターナショナルを試してくださいと返事が来たのだった。3月までは自殺幇助の対象となるかどうかの検討すらできない、ということだった。彼女は3月まで自分の精神状態が持つかどうかという問題があったため、失望していた。ところが、突然、〝キャンセル〟のようなことが起き、2019年の11月に空きが出た。

姉たちは、自分が最後まで世話するからと説得していたが、最終的にはスイスまで2人ともついていき、立ち会うことになる。本人の希望どおりにいかなくてまだまだ現実感がなかったのが、突然、年内に出来ることになった時の気持ちは大変だったことだろう。本人の心境はどうだったんだろう。表面的には希望がかなってよろこんでいるが、覚悟を決めるというのは、やはり時間的なものが必要のようにも思えるが・・・

当日、プライシック医師の兄であるルエディが手伝う。著者は彼の車で移動したが、途中で薬局に寄って「ペントバルビタール」という薬物を入手した。一瞬で死に至らしめる薬物が、数百円で売られていた。ルエディは幇助の際にビデオカメラを設置して、警察に見せる動画を撮影する役割を担っていた。自殺幇助のたび、警察は殺人の疑いがないか1回1回調査を欠かさない。直後には検死官もやってくる。

プライシックは、普段と変わらぬシンプルな服装で現れた。ワインレッドのスウェットパーカーに黒のジーンズ。彼女が白衣を着ることはほとんどないそうだ。必要な説明をし、本人に名前と生年月日を聞き、なぜライフサークルに来たのかを聞くと、点滴の針がささっている、ストッパーを開けるとどうなるかわかるか?と最後の質問をして答えを聞く。そして、「死にたいのであれば、それを開けてください」と。

小島ミナは、一瞬の迷いもなくストッパーをこじ開けた。30秒で眠りに入ると説明されていたが、60秒が経過した。みんなにお礼をいう彼女。やがて頭を支える筋力がふっと抜ける。51年の生涯に幕をおろした。苦痛の声もなにもなく、静かに眠っていった。

その様子は、NHKもルポし、オンエアされた。最後の瞬間、ディレクターは足もとの方でマイクを持ちつつ、涙を流している。カメラマンはぶれないように必死でカメラを支えながら大粒の涙を流していた。

著者は、安楽死を望む人からメールやDMを多くもらうが、ほとんどに返事をしない。彼らが望むのは、ライフサークルなどへの口利きやアドバイス。しかし、安楽死や自殺幇助の手助けをすることにつながる行為は一切しない。それは、著者自身が安楽死に対してはっきりした考えをいまだ持ち得ない面があるのだろう。小島ミナのケースでは、自分がプライシック医師にNHKの取材のことで連絡をとったがために、プライシックが年内に優先的にほどこしてくれたのではないかという心配がよぎっていた。

著者は、安楽死に対して未成熟な日本において、安楽死合法化の議論はまだすべきでないと考えている。

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自立心があり、勉強家というのは、安楽死を選ぶタイプの人間に共通することを、著者は取材を通して学んできた。ある程度の収入があって、子供を持たない人間も希望者に多い。小島ミナはどれもが当てはまった。

スイスでは積極的安楽死が禁止されているため、厳密にいうと「安楽死」という用語は間違いで、自殺幇助といわなければいけない。

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2023年03月25日

Posted by ブクログ

死にたいと思っても、実際は簡単に死ねないのだなと思った。制限はあったとしても、死に方を選ぶ手段が日本にもあればいいのになと感じた。

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2025年03月29日

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