あらすじ
歴史のよもやま話から悪ガキ時代を描く自伝的エッセイまで。
2021年1月に亡くなった、半藤一利さんの最後の著作には「人生の愉しみ方」が詰まっている。
昭和史最良の語り部、半藤さんの遺した、昭和から現代まで!
第一章 昭和史おぼえ書き
第二章 悠々閑々たる文豪たち
第三章 うるわしの春夏秋冬
第四章 愛すべき小動物諸君
第五章 下町の悪ガキの船出
第六章 わが銀座おぼろげ史
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Posted by ブクログ
もともと歴史は好きでしたが、薩長が正義の幕末史観を転換させてくれたのが、半藤氏数々の著書でした。
特に、勝海舟を深く知れば知るほど、「半藤先生ありがとう」と心の中で深く深くお礼を申しました。
そんな半藤氏の遺作となるこの本を読むのは、多少気の重いところもあったのですが、読み始めると目からうろこがドサドサ落ちる面白さ。
何よりも、疑問に思ったことはすぐに調べる歴史探偵の姿には、まだまだ追い続けねばならない大きな背中がありました。
いくつか付箋をつけた部分をば。
滝廉太郎が作曲した、有名な『花』の歌詞。
春のうららの墨田川
のぼりくだりの船人が
櫂のしずくも花と散る
ながめを何にたとうべき
これのもともとに『源氏物語』があるのだそうだ。
「胡蝶」の巻、六条院の宴のところ。
女房のひとりがうたう。
春の日のうららにさして行く舟は
棹のしずくも花ぞ散りける
『花』がつくられたころ、『源氏物語』のその部分が元になっているのは常識だったのだろうか。
時代を経るごとに、当たり前の知識が、知る人しか知らないウンチクになっていったのだろうか。
もうひとつ。
正座とは茶道がさかんになってからできた言葉で、それまではあぐらや立て膝が普通だったそうだ。
ぬぬぬ、茶道め!
狭い茶室に大勢の人が座るため、自然と合理的な座り方として考えられたのが正座なのだとしたら、もう、正座はいいではないですか。
今度大河ドラマ見るとき、貴族の皆さまの座り方に注目してみよう。
平安のころは正座はなかったそうだから。
そもそも何でも中国の文化をありがたがって受け入れていた日本で、ただ二つ、宦官と椅子は導入しなかった理由はなんでなのだろう。
宦官はいいけど、椅子はもっと早く導入してもよかったのでは?
今のように部屋に畳を敷き詰めるようになったのは鎌倉時代から(今調べた)だそうなので、それまでの長きにわたり、上流貴族以外は板の間に直座りしていたんだよね。
痛そうだし寒そうだ。