あらすじ
《わたしはFをどのように愛しているのか?》との脅えを、透明な日常風景の中に乾いた感覚的な文体で描いて、太宰治賞次席となった19歳時の初の小説「愛の生活」。幻想的な究極の愛というべき「森のメリュジーヌ」。書くことの自意識を書く「プラトン的恋愛」(泉鏡花文学賞受賞作)。今日の人間存在の不安と表現することの困難を逆転させて、細やかで多彩な空間を織り成す、金井美恵子の秀作10篇。
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収録されている順番がもたらす痺れあった
まじかよ全部良かったけど、プラトン的恋愛、アカシア騎士団はすげえ特に好きだ、夢の時間はちょっと集中力足らずでもっかい読もう
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初の小説で太宰治賞次席となった「愛の生活」、泉鏡花賞の「プラトン的恋愛」など、金井美恵子の傑作10編の短編集。
収録されているのは60〜80年代の初期作品。あとがきにある「処女作にすべてが含まれている」ではないが、ほぼ彼女の世界観は完成されていると思う。
表題作や受賞作、また「夢の時間」「アカシア騎士団」などは幾重もの観念、言葉世界が折り重なり、難解な印象。
個人的に好きなのは、作品群の中でも短い「兎」「母子像」「空気男のはなし」。迷いのない筆致と幻覚的な世界がいい。
彼女の観念的な世界と虚無感は心地良い。物語と現実の境目が曖昧で、ふわふわとした感じ。言葉によって世界が認識され、その危うさに弄ばれている快感に浸れる。
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大学の先生に勧められて手に取ったけれども、とんでもない世界に足を踏み入れてしまった気がする。ずいぶん好きでした。描写や比喩がちょっとグロテスクな感じがするので、そういうのが平気なひとはぜひ読んでみて欲しい。繊細な言葉が連なっているので、グロテスクなものも美しく見えてくるのが不思議。
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金井美恵子が、今の私よりもずっと若いうちから私が考えていることを小説のうちにきちんと体現し、かつ、同じようなものを書くのだとしても、それでもあなたではなく私が書く意味、あるいは私ではなくあなたが書く意味があるだろう、ということについても力説してくるので、至れり尽くせりっていうかなんというかもう、スミマセン、と思ってしまう。
私が初めて金井美恵子を読んだのは「道化師の恋」だったのだけれど、この彼女にとってのデビュー作である「愛の生活」の時点から、様々な既存の映画、絵画、音楽が、惜しみなく作中に使われている。
アニエス・ヴァルダの「幸福」という映画は、アントニオーニの「赤い砂漠」よりも、それが「幸福」の名の元に描かれているが故に、ずっとゾッとするだとか、ジム・ダインの歯ブラシを使った絵には、シュルレアリスムのデペイズマンなどという小賢しい(というのは私の表現)技法を超えたものがある、「表現は象徴なんかでなく、もっと本質的な意味で、直接的、行為的なものだ」と語られる…もっともこれは「デペイズマン」があったからこそはっきりと捉え得る感覚なのだろうと私は思うのだけれど…、とにかく彼女はほんとにオリジナリティだとかいうものを信仰していない。19歳の時点でそれを見抜いているのは私からするともう感心するしかないのだけれど、それだけ彼女が真剣に絵を見、音楽を聴き、映画を見るのは、「あなたが何を言わんとしているのか」知りたくて、出来るかぎり肺の痛むのも厭わずに深く深く沈潜していくだけの度胸と好奇心と寂しさがを持っているからだろう。
「愛の生活」では、続く毎日というものを「何を食べたか」という事実(しかしそれさえも本当に確かではない)によってしか区別できない、認識できない、という不確かさへの不安が冒頭から表されながら、夫であるFについての不確かさをテーマにしている。
私はFについて何を知っていると言えるだろう、毎朝食べる朝食のメニューや、習慣をしっていることで、「知っている」と言えるのだろうか? Fを愛しているということはどういうことなのだろう、私はFを愛しているのだろうか、という疑問は、疑問の提示で終わっているようだけれど、彼女の「私はFを愛しているのだろうか」と疑問を持ちながら、Fの所在について思いめぐらし、事故にあった女の子を見て泣きながら、多分おそらくは、もしFが事故にあっていたら?ということを具体的に思い描いたが故に涙しつつ去って行く主人公は、まあ十分にFを愛しているように見えるのだけれど、金井美恵子の問題はそれだけに収まらない「愛」の問題である。
そしてこの問題は続く短編の中で次第にはっきりしてくる。「夢の時間」では不確かな「あなた」を探すアイ(三人称でありながら、あるいは一人称かもしれないこの名前)が登場し、「森のメリジューヌ」で主人公が、愛の対象を感じる為の全ての感覚を奪われ、愛の先の死を予感させ、この音楽のような「森のメリジューヌ」は、舞台が暗転したようにして唐突に終わり、そこに続く「永遠の愛」では、「愛するあなた」は「死」だと描かれる…。
「兎」の中のあるくだりもすごくて、「あとは発作がおさまるのをじっと待っている以外にはないのです。そして発作が本当におさまるのは、死ぬことなのだということを、父親もあたしもわかっていました」(p.174)
今のところの感想としては、ここまで悟っちゃってて、どうやって生きてくんだろうこの人、という感じなので、時代を追って読む楽しみができました。
この短編集は、どこを読んでも「デジャヴュ」への意識を持たされるものばかりで、それだけで通常の女性作家(すみません)をゆうに超え出ている。「オリジナリティ」を嘲笑するように、彼女は作中の言葉遣いも簡単に変える。
「愛の生活」の中で面白かったのは、「あの頃のことは、懐かしさという優しい感情で思い出すのに、一番ふさわしいじきだった、などとわたしはいわない。」というところで、いわない、と言いながら部分的に言っているところなんか、最高でした。ここだけで、この人もう一筋縄じゃいかないな、と。最高のひねくれ正直者。
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『夢の時間』と『黄金の街』が特に好き。
『愛の生活』これ、19歳で書いたの?ってちょっとびっくり。他の作品も読もう。
とても昭和の作品とは思えません
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森のメリュジーヌやばい
ていうか美恵子やばい!
「彼女の微笑の意味の最大の意味は愛であり、その中にしのび寄って来る死、悪意とからかいの針、優しさ、苦痛、空虚、悲しみ、それから燃えあがる意志――。」
「きっと、何かいいことがあるかもしれない。疑わしいことだけれど、何かいいことがあるかもしれない。信じはしないけれど、何か、いいことがあったって、かまわないじゃない?!」
「十全な愛。わたしには愛することが出来るのでしょうか?本当にわたしは愛してしまったのか?わたしが愛しているとしたら何故なのか?わたしは何故愛するのか?わたしが愛しているのはFなのですか?」
いちいち響くことをかく。「愛の生活」をいまのわたしとおなじ19でかいたとは。脱帽。
痛いくらいに愛してみたいとおもった。
窮極の愛をわたしは今生で獲得できるのだろうか(無理だろうなぁでも希望は捨てたくない!)
自分の身体を、心を、完全に犠牲にしてまで誰かを愛してみたい。
「恐ろしいくらい。恐ろしいくらいあたしは墜落して行く。」
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どことなく考えがあちらこちらに行く感じ、太宰の女生徒に似ているような感じもする。本文中に出てくる固有名詞は、ちょっとツンとしているけど厭らしくなくて私は好きだ。
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「愛の生活」「夢の時間」「森のメリュジーヌ」「永遠の恋人」「兎」「母子像」「黄金の街」「空気男のはなし」「アカシア騎士団」「プラトン的恋愛」を収録。
どの話も、緻密に組まれていながらどこかに獣臭さや血なまぐささの漂うような、まるで丁寧に掃除され壁際にはドライフラワーの吊るされた部屋の真ん中に、生血の滴る獣の肉が手つかずで置いてあるような、あるいは誰かが食べたのであろう獣肉の匂いが残っているような、そんな雰囲気を持つ話たちであった。どれもおもしろかったが、黒猫が出てくる「永遠の恋人」と、柔らかで冷たい、微かに獣くさい匂いのする「森のメリュジーヌ」が特に気に入った。逆に「母子像」「黄金街」は近親相姦的要素を持っており抵抗感があった。
星5としてもよいくらいの完成された世界観であったのだが、読後の満足感がそこまで強くなかったため星4とする。実際には星4.5程度というところであろうか。
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2008年11月17日~18日。
女性にしか書けないんじゃないか、といった印象を持った。美しくグロテスクで独りよがりでもあり、人を惹きつける。不在という存在。
「兎」はそんじょそこらのホラー以上に怖い。
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森のメリュジーヌ辺りから雰囲気が一変。
愛の生活のような初々しく瑞々しい文章よりも、後半のなんとも言えない怪しい雰囲気が好きです。
同じ講談社文芸文庫のピクニック、その他短編も読んでみようと思いました
Posted by ブクログ
金井美恵子さんの文体が好きです。
中でも、「森のメリュジーヌ」は何度も読み返しています。
残酷さとそこはかとない艶やかさ、美しい描写と流れるような文のリズム、ゆっくり時間がある時に金井ワールドにトリップするための本です。
Posted by ブクログ
めちゃくちゃつまらないとか、難しいとか、そういうことはまるでなく、けどなんだか、読んでいて退屈な、いや、退屈ですらない、むなしいような気分になってきて、やめてしまった
Posted by ブクログ
最初の二編『愛の生活』と『夢の時間』は、正直少し読みづらかったです。時間と場面が急にとんで過去の話になるなど、話を掴みきれず、私にはまだ早いのかもしれないとも思いました。
しかし、三つ目の『森のメリュジーヌ』からは、おもしろいと思い始めました。10~20ページ程度の短編の方が、濃密で独特な世界観に浸ることができました。
『森のメリュジーヌ』は、常闇の森のなか彼女をさがし、指を燃やすという、幻想的な世界が好きでした。
他に好きだったのは、『空気男のはなし』です。サーカスに出演する空気男モモは、“あたりまえの常識的な種類の食物を、無邪気に、ただ、驚くべきほどの分量の食物を、食べ(p212)”ました。球体のような太り方をしていた彼は、“ゴム風船のように空虚をいっぱいにつめ込むことが出来る(p215)”のでした。
また、『兎』は、グロテスクで、目を覆いたくなる話でした。
Posted by ブクログ
初期作品は読むのがしんどく退屈だった。でも、愛の生活では、19歳でこのような文体(内容ではなく)で早熟な感じがした。
兎以降の短編で入り込みやすくなる。兎はある映画を彷彿させた。
タイトルがいいなと思ったのは、空気男のはなし。
話の雰囲気がいいなと思ったのは、兎、アカシア騎士団。残酷ですけど。
Posted by ブクログ
ちょっと描写の感じが映画っぽい、ねちっこくなく、でもなんかカメラワークに凝ったかんじ。ああそうか要するにヌーヴェルヴァーグっぽいってことかな? このひとすごいなー。
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柄谷行人を「全然だめ」と自信満々に斬って捨てる恐ろしい作家で、どう考えても彼が「全然だめ」なわけはないのだが、本書の一編に目をとおし、ページをめくってゆくにつれ、この文章を書き記した女性がいったのならば、それでいいのかもしれないと、力なく頷く。