あらすじ
四歳の頃、つなごうとした手をふりはらわれた時から、母と私のきつい関係がはじまった。終戦後、五人の子を抱えて中国から引き揚げ、その後三人の子を亡くした母。父の死後、女手一つで家を建て、子供を大学までやったたくましい母。それでも私は母が嫌いだった。やがて老いた母に呆けのきざしが──。母を愛せなかった自責、母を見捨てた罪悪感、そして訪れたゆるしを見つめる物語。(解説・内田春菊)
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Posted by ブクログ
けっきょくと言ったら変だけど、なんだかんだで佐野さんはお母さんのことを尊敬していて愛していたんだなと思った。
親を愛していてその自覚がある
親を愛していてその自覚がない
親を愛していなくてその自覚がある
親を愛していなくてその自覚がない
時期によって一様ではない。佐野さんは3つ目から1つ目に変化した、ならすと2つ目の感じが多かったのかな、と思った。
同じ親を持つ姉妹でも親への愛情表現は異なるものだなと思った。
自分は父に対しても母に対しても、尊敬していてその自覚がある。幸せなことだと思う。呆けても尊敬は変わらない気がするけど、どんなことを感じるか想像がつかない。呆けた姿を自分も含め他人に見せたくないだろうなというのは想像できる。
親から子に対してもいろんなパターンがあるとも思った。けど、子を愛さない親っているのかな、というのは思う。虐待したり殺してしまう親も、どんなに歪んでいても何らか心の奥底には子を想う心があるのではないか、そうでないことはなかなか信じられないなぁと思った。
それと、佐野さんのお母さんからしてみたら、子を亡くす経験を三回もされている。そういう時代だったとしても、並大抵のことではない。
自分には三人の娘がいる。どの子が死んじゃうことも考えられない。受け入れられない。
けど、万が一死んでしまったら、受け入れて無理やり前を向いて生きていくしかない。残った子に対しても、死んだ子に対しても、父はいつも前向きに生きていた と思われたい、と思った。
Posted by ブクログ
母と娘の関係は難しいと言われる。
母娘に限らず、肉親には、共に過ごした時間と、良くも悪くも、深い愛情や期待がある。
簡単に好いたり嫌ったりできるものではない。親子とて他人だと分かっているけど、そうそう割り切れるものではない。
著者も幼い頃から母親に虐待まがいの扱いを受け続け、母親が認知症を患うまてでは母親を嫌う気持ちを抱き続けていた。
一方で、家族の記憶を反芻する中で、激動の時代を力強く生きて、物理的に家族を支え続けてきた母親への尊敬と同情の念を抱いていることも再認識する。
ときに同じシーンの記憶を二度三度と繰り返し思い返しながら、許せない気持ちと許したい気持ちを行ったり来たりするのはとてもリアルだった。
そして最後のベットで、ごめんなさいを伝えあう場面は思わず涙が出そうになった。
認知症の影響とはいえ、心を溶かした状態で母の死を迎えられたのはとても幸福なことなんじゃないだろうか。
Posted by ブクログ
話があっち飛びこっち飛びしたり、同じエピソードが違う話の時にも出てきたり、その話の肉づけの仕方が独特で、最終的に厚みが出る面白い文章だなぁと思いました。
佐野洋子さんの気持ちはとっても良くわかりますし、本当に勝手なのですが、最後結局気持ち良くなっていて、なんだよって思ってしまいました。
救いがない事だって多いと思うので…
Posted by ブクログ
■ネタバレがあります
佐野さんが、お母様とご本人の一生に渡る関係を書き切った自伝的なエッセイ。
佐野さんは、お母様からの愛情を感じない。ご自身も、お母様をはっきりと嫌っていて、その嫌っていること自体に強い自己嫌悪を感じている。お母様の晩年、老人施設に預けることになったが、それを佐野さんは、お金で母親を捨てたという、これも強い自己嫌悪を感じてしまう。
佐野さん一家は戦前、北京に住み、戦争が終わってから、日本に引き揚げてくる。結局、お母様は7人の子供を産み、うち、3人の男の子を亡くしてしまう。話は、佐野さんの幼少時代から始まり、引き揚げ後の一家の生活ぶりを描く。その中に、自分と母親との関係を織り込みながら。描写は事細かく、繰り返しの多い執拗なものだ。
母親を嫌っていることに自己嫌悪を感じている人間にとって、そういう風に母親のこと、母親との関係を事細かに描くことは、とても辛い作業だと思う。佐野さんが、自分を切り刻みながら書いていることを感じてしまう。
しかし、最後に救いがやってくる。
それは、施設のお母様の部屋で2人で子守唄を歌い母親の白い髪の頭をなでている時に、突然やってきた。
少し長いけれども、この部分を引用する。
そして思ってもいない言葉が出て来た。
「ごめんね、母さん、ごめんね」
号泣と云ってもよかった。
「私悪い子だったね、ごめんね」
母さんは、正気に戻ったのだろうか。
「私の方こそごめんなさい。あんたが悪いんじゃないのよ」
【中略】
何十年も私の中でこりかたまっていた嫌悪感が、氷山にお湯をぶっかけた様にとけていった。湯気が果てしなく湧いてゆく様だった。
本書には圧倒されたが、特にこの部分には言葉もなくなった。
お母様との関係を考えることは、自分を見つめ直すことだと思う。それを考えながら、佐野さんは、自分自身の嫌なところ、とった行動に対する後悔などと向き合ってきたのだろう。
だから、最後に、この救いを得ることができたのだと思う。
Posted by ブクログ
この前の白いしるしの本の中に、
以前借りた人の、貸し出しレシートが挟まっていて、
その人は、
西加奈子さんの白いしるし
夏目漱石のそれからと三四郎
そして、佐野洋子さんのシズコさん
たぶん登場人物の、名前が題名の本が気になって、
この本にたどり着きました。
娘の洋子さんが、母親に対するシズコさんへの思いの本。
読んでて、小説ではほとんどない?
なんども同じことが何回も出てきて、
なんかこの本の良さがわからず、
早く読み終えたいなぁとも思ってた。
でも、最後の22のところから、
紙のロールみたいなものが、
いろんなきれいなもので開くように、
どんどんどんどん開いていった
その訳は、たぶん洋子さんがやっとお母さんに素直になれたからだし、
ずっと、お母さんに対してうまくいかない洋子さんも見ていたからかなぁ?
呆けるって人間を越えられることなのだろうか。
って洋子さんが書いてた。
最後作者の作品見ると、
佐野洋子さんって、100万回生きたねこを書いたかたでした。
小さい頃、にぃーちゃんと私によく絵本を読んでくれた
お母さんが、 読んでくれた絵本のひとつだ。
わたしも、お父さんとお母さんが、
じぃーちゃんばぁーちゃんになるなんで想像できないけど、
お母さんがいつか言って、
長生きするお母さんを見るのも辛い。ようなこと言ってた。
呆けることは長生きのおまけかなっ?
って。
こころもからだも元気にいきたいもんです
Posted by ブクログ
「最後に口紅をつけて口を結んで『ムッパッ』とすると別人の母が仕上がるのだ。」
そうそう95歳の私の母も「ムッパッ」してました。母の名は「シヅ」という。洋子さんは実に正直な人だと思う。最終章に近づくほどに笑いと涙。二人のベッドインの会話は・・・・・
私の母は要介護5を取得。満面の笑顔で私に問う、「どちらさまですか?」。返事はにっこりと笑顔だけ。そして我が家にも佐野さんの絵本「100万回生きたねこ」が有るのにビックリ
米子さんに貸したが音無し
Posted by ブクログ
佐野洋子さんが自身のお母さんへの思いを綴ったもの。幼い頃につなごうとした手を振り払われて以来どうにも合わない思いを抱きながらつき合った日々と、年老いて認知症になった母の姿とを混ぜ合わせて書いている。
母への複雑な思い。読み進めていくうちに、嫌いだと思っていたけど実は好きだった、(わかりやすく)愛されたかったという思いに折り合いがついていっているような気がする。それこそ、手を振り払われた記憶だけでかたくなになっていた気持ちが、この本を書きながら母親とのことを思い返すことで愛されてもいたということや、母親の長短所が見えてきて気持ちの整理になったのではないかな。
母親との確執を書いた本という前知識で読み始めたから、こうして母のことを落ち着いてとらえられるようになれてよかったなと思った。これほど近しい人を憎みながら人生を終えるって、お互いにとってやっぱりさびしいと思うから。
Posted by ブクログ
帰省から戻る時に読み終わって車内で泣くかと思った。感動ではなく悲しいかな。いや寂しいかな。この度の帰省でオカンの老いをとても感じたから。誰にでも来る老いで、その子供はある程度の面倒をみるのは予定路線なんだけれども、なんかどっかで親はずっと元気だしずっとボケないし、ずっと介護しないでずっと楽しく一緒にお出かけとかできるって思ってしまってるんだよな。甘いなーあたしは。両親との関係は概ね良好なあたしではあるが、ヨーコさんの腹の中はわかるわかるってことばっか。女同士だからね。なんかイライラすることばっかよね。口が悪くて大変面白かった。大変面白いしスカッとするんだけど、ハッとする言葉が出てきてボーッと考えちゃってその先ページめくれなかったりも。次の帰省はいつになるかな。いい加減帰るまで優しい気持ちでいたいなー。今度はそうできますように(毎回そう思ってる気がするけど!)
Posted by ブクログ
佐野さんが罪悪感と憎しみの狭間からゆるしを見つめる心情にグッときました
母も歳をとる わたしもそうだけど 自分と母のこともいろいろかんがえました
わかるーーってところもあったし、全然わからないこともあった
良き時に死ぬ 生まれてこない人はいるけど死なない人はいない それもなんだか救われた言葉でした
佐野さん涙が出てよかったです
Posted by ブクログ
合わない母と娘なんてこの世にごまんといる
友人だったら合わなければ付き合わなければいいけど、母娘だとそうもいかない
なんと難儀なことか
でもきっと時間をかけてそれを乗り越えて、歩み寄って、許し合うことが神様の与えた試練だと思うことにしている
なんか自分と母との関係を思い出してしみじみとした
Posted by ブクログ
ぽんぽんとリズム良い文章に、赤裸々でありながらユーモラスな優しさも感じ、あっという間に読み終えた。
時代背景もあるだろうが、厳しい母との葛藤、互いに素直になれない哀しみ、家族の情、生きる厳しさなど、印象深い。
そして、呆けた母への思いの変化が熱をもって綴られ、美しい。
『 母が私との関係を高校の担任に、「嫉妬でしょうか」と云った時、私は見当違いの事を何云っているのだろうと思った。
そして、わかった。もしかしたら本当だったのだ。私は父にそっくりだったのだ。・・・・・
母は本当に私に嫉妬していたのだ。』
『もしかしてこの人、本当には強くない人なのだろうか。』
"謙虚"という言葉が浮かんだ。
わたしの目に映る風景も、5年後、10年後変わっているかもしれない。
傲慢にならないよう、謙虚に!
歳を重ねるごとに可愛いく素直な心で生きたいと想った。
Posted by ブクログ
義母の介護中に読みました。佐野さんの実母との関係は、恐ろしいほど共感することばかりですいすい読めました。この先来るであろう実母との時間を思いながら。義母との介護生活はほんとにいい時間だっただけに、わだかまりのある実母との関係を、未提出の宿題のように思い出していました。
Posted by ブクログ
痴呆は確かに介護する側にとっては大きな負担ではある。
痴呆を認識力や記憶力の低下と捉えたとして、その人の生き様や歴史は変わらないし、大きな足跡なのだと思う。
そう理解できれば、接し方が少しは変わるのかも。
Posted by ブクログ
小説なのか自伝なのかよくわからないけど、おそらく佐野洋子さんご自身の話なんだろう。母を嫌いだったと断言する娘。母と娘の間には多かれ少なかれ何かしらのしこりがあるものだと思う。全く無い人いるのかな?彼女の場合はしこりは小さくはない。その気持ちをつらつらと、それはもう開けっぴろげに、乱暴にも思える言葉で書きなぐる(勿論計算された構成なんだろう)。それでも「嫌い」の裏に説明できない想いと絆がたしかにあって、目頭が熱くなることしばしば。私も母の布団に潜り込みたい。ぷつりぷつりと途切れるような言葉が心地よくて好き。
Posted by ブクログ
佐野さん自身と母親との関係を描いた生々しいエッセイ。呆けた現在の母と、苦しみを与えた過去の母を行ったり来たりするような構成が、その切実さをいや増している。
終戦後、5人の子を抱えて中国から引き揚げ、その後3人の子を亡くした母。さらに夫(佐野さんの父)も亡くなり、女手一つ、完璧な家事と仕事で4人の子供を大学まで行かせた母。一方、ヒステリックで子どもに虐待の様なこともし、見栄と自尊心をこじらせていた母。どちらも同じ母で、すべてを嫌いになれなかったからこそ、佐野さんはさんざん苦しめられたんだろうなと思う。
問題を起こす家族は、物理的に離れること、これが一番なんだと思う。親を捨てたという思いはいつまでもつきまとうかもしれない。けど罪悪感と生きてゆく重い覚悟なんてせずに、「とりあえず離れる」という選択があってもよいのでは。佐野さんのように、いつか許せる日が来るかもしれないんだから。
生後33日でコーヒーの様な血を鼻から出して死んだ赤ん坊や、脱腸していた近所の同級生の母親の描写など、戦後の貧しい日本にはキョウボウな匂いが漂っていたんだなあとしみじみ感じた。死が遠いものになり、ある意味「無菌状態」な今の日本で、「百万回生きたねこ」のような作品は生まれないのかもしれない。
Posted by ブクログ
佐野洋子さんの、母親に捧げる懺悔の書…そういうふうに思えた。
老いた母を老人ホームに入れた事を「金で母を捨てた」と、愛情の無い自分という物を嘆き続ける。
自分を可愛がってくれなかったという記憶を語り、いつのまにか家事に堪能だった母の賛美に変り、叔母の方が気が合った、と書きながら、しかし叔母は家族を愛していたが、家族だけが大事で社会性がなかった、母はその点違う、と、母を見直す。
その書き様は、あざなえる2色の縄のごとし。
複雑な思いがそのまま表れている。
猛烈だった母は、ボケて、だんだんと優しいおばあちゃんになって行った。
最後には赦し合い、見送った後しばらくして、佐野さんも旅立たれた。
ご本人も、この本を著すことが出来て、満ち足りて旅立たれたのではないかと思った。
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私自身が洋子でありシズコでありうると思った。これから先、出来れば生きにくさを棚卸しし、ラクに元気にしたたかに生きるために、自分自身の因果のようなものを客観的に点検させて貰ったような気がする。
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母と娘との間、また家族間にある溝や確執。
世の中、この手のものに無縁の人の方が多いらしく、そういう人々には、上記のような家族関係は理解不可能。そして、そんな人々から出てくる言葉は、「家族なんだから云々かんぬん×××」という類の無神経でつまらないもの。
だから、本書に共感したタイプの人の中には、自身がもつ家族間の確執やネガティブな思いを持っている事実を恥ずかしいと思い、口外もあまりしていないのでは。。。と思う。
しかし、本書はそんな人々に大いなる安らぎを与えてくれる。自分は責められるような人間ではないと許された心持ちになった人は多いのではと思う。人の心をやさしく救ってくれる、すばらしい本!
また数年経ったら、再読したい。また違う気持ちで読めると思うし、のめり込み方も変わっていると思う。
Posted by ブクログ
娘は幼い頃に拒絶の反応を受けて以降、母を冷淡に見つめ距離を取るようになる。母と娘との“きつい”関係を赤裸々に描いた本作。
母を捨てたという自責の念は、母の痴呆とともに和らいでいく。年月を重ねたからこそ気付けることは多い。母娘関係に溝を作る女性たちに対しての、著者なりの肯定とエールを込めた作品なのではないかと思う。甘くは終わらせず、跳ね返すわけでもなく、必ず現実的な適量を与えてくれる佐野さんの作品に救われる人は多いはず。
もう少し年齢を重ねてから、また改めて読んでみたい。
Posted by ブクログ
母と娘。
老後を見てもらうなら、実の娘がいいと言われますが、一説にはお互いに本音でぶつかり合うから、わがままの言いたい放題、したい放題になってしまう、という話を聞いたことがあります。
『100万回生きたねこ』の作者で絵本作家でもあった佐野洋子さんも
そんな母と娘の葛藤を体験した一人でした。
同じ娘でも何人もいたら気の合う子とそうでない子がでてくるものです。
佐野洋子さんとお母さんの関係は、はっきり言って最悪でした。
歯に衣きせぬ物言いの文章を書く佐野洋子さんが、
この作品の中で何回も何回も
「母はキライだ」と、めった斬りにしています。
佐野さんのお母さんは、
父が亡くなった後、弟の嫁さんに実家を追い出され、
仕方なく長女である佐野洋子さんの元へ転がり込みますが、
気の合わない母と娘です。
何回も何回もケンカして、最後には、
痴呆のはじまったお母さんを佐野さんは有料老人ホームに入居させます。
佐野さんは入居させたお母さんを見舞いながら、
母への自責と罪悪感を感じていました。
この作品は佐野さんが、自分の幼少時代を振り返り、
お母さんとの思い出を書き綴ったものです。
母はキライ。でも、ぼけた母はかわいい。
ウソもだましもない、
佐野さんの本当の気持ちが切実と書かれてありました。
そういえば、長女である私も佐野さんと同じ立場。
母とは仲よしですが、
いつかこんな日が来るかもしれないと
読み終わって、密かに覚悟をした作品です。
Posted by ブクログ
時々胸が痛くなる直球な言葉たち。
その度悲しく切なるのは私の中にも多少なりとも同じ感情があって、そう思った瞬間に罪悪感が襲ってくるからだろうか?
母娘の関係は年齢や状況によってどんどん変わっていく。でも母は母で、娘は娘なんだと思う。
Posted by ブクログ
将来、親の介護をする時に思い出すかもしれない。
最初は少し読みにくいと思った文章のリズムや繰り返しのセリフが、だんだんクセになってきて、読み終わったあとにもう一度読みたくなった。
最初の方は兄弟の説明で、わけがわからなくなり、家系図を書きたくなった。
Posted by ブクログ
佐野洋子さんの「おじさんのかさ」と「だってだってのおばあさん」を子どもたちとよく読んで、大好きだった。佐野さんがエッセイストでもあることは知らなかった。ある日お気に入りの本屋さんで見つけて、すぐに読んでにたいと思って購入した。
今でいうと、虐待と呼ぶのだろう。佐野さんは幼いころ、母の「シズコさん」に優しくされないばかりか、手も繋いでもえあえなかった。でも泣いたりしない、謝りもしない、強情な子どもだったという。
弟と兄を子どもの頃に病気で亡くす。
そんな佐野さんが、母との確執とそれが溶けていくまでのさまざまなエピソードを綴っている。
過去と現在がいったりきたりするので読みづらかったけど、でもそのつかみどころがあるようでない感じが、佐野さんの絵本の雰囲気と共通しているように思った。
佐野さんは、大嫌いだった母が「呆け」て初めて、お母さんの体に触れ、母に添い寝し、許すことができたという。
エッセイの中では、戦後幼い子を抱えて中国から引き揚げてきて、貧しさの中、子どもを失い、夫も早くになくしながらも、残った子ども四人を大学に行かせたことを、私にはできないという。それは、母を許したから、自分に酷くした母の根底にあったものを理解しようとすることができたのか、わかっていたけどずっと許せなかったのか…
佐野さんのお母さんはひどい。でもその苦労を思うと、何が良くて何が悪なのか、線を引くのは難しい。
お母さんとの葛藤、幼いころの傷を抱えながら生きていた佐野さん…お母さんのこと許すことができて、きっと本当にうれしかったのだろうな。
いい本との偶然の出会い。うれしい出会いだった。
Posted by ブクログ
名作絵本として名高い「100万回生きた猫」の佐野さんが実母とのこじれた関係を赤裸々につづった自伝は私には共感できる部分がひとつも無くて読み進めるのがとてもつらく時間がかかりました。母との不仲を心苦しく思っている人ならば読む価値はあると思います。
Posted by ブクログ
佐野さんのお母さん シズコさん 大分 本強くたくましく7人の子供をうみ三人男の子なくした夫亡き後よにんの子供たちをりっぱに育てた長女のようこさんとは確執があった晩年 ボケて かわいいおばあちゃんになった
Posted by ブクログ
母親と娘の関係って突き詰めればこんな感じだよねぇと思いました。
お金を払って捨てたという佐野さんは、お金を払わずとも捨ててしまいたいと思っている私より数倍まし。
Posted by ブクログ
病院での待ち時間に読んだ。前から読みたかったのに、癌で亡くなった後になってしまった。時代に決定的に揺さぶられてきた家族の歴史。登場人物たちの、個性豊かな生きざまは、リアルに過ぎて。
たくましいと言っていいほどの母が病院で次第にあくが抜けていくみたいに描かれているところは、死に向かい流れる時間の、ある意味理想の姿のように思えた。その母の、人間から仏に近いような在り様に、佐野さんは、ずっと責めてきた自分が赦されたと感じる。
4歳から触れることのなかった母の手をさすり、包み込む。
病院で、検査の結果を待ちながら、周りの視線気になりつつ涙ぐんでしまった。、