あらすじ
すべての酒飲みに捧げるアル中小説
「この調子で飲み続けたら、死にますよ、あなた」
それでも酒を断てず、緊急入院するはめになる小島容。
ユニークな患者たちとの会話や担当医師との対話、
ときおり訪れる、シラフで現実と対峙する憂鬱、
親友の妹が繰り出す激励の往復パンチ――
実体験をベースに、生と死のはざまで揺らぐ人々を描き、
吉川英治文学新人賞に輝いた著者の代表作が新装版になって再登場!
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
私はアルコール分解できない体で一滴もお酒を飲めない。だから「今夜、すべてのバーで」を読んでも、体感としての飲酒は一つも分からない。でも、この小説に書かれているアルコール中毒の描写がつぶさに書かれたものであることは良く分かった。
飲酒が人生の彩りの一つじゃなくて、生きるための術になったとき、経済的にも健康的にも人生の清算を早めてしまうのかも……と、飲めないながら感じてはいたけれど、それって本当に「感じてただけ」で、「飲酒」についても「アルコール中毒」についても、私は本質の尻尾すら掴めてなかったんだなぁと痛感した。
アルコール、確かな「効用」があるからこそ、「効用」目当てで手を伸ばすと危ないのやも……と、朧げな輪郭を撫でるような気持ちで読んでた。サスサスサスサス……
私の知らない生き方ながら、何か人の生き様への確かな讃歌を感じた一冊。
Posted by ブクログ
「人はなぜ酒を飲むのか」
普段本なんてマンガくらいしか読まないが、この一文に強く目を惹かれ購入しました。
というのも僕自身がアル中一歩手前までいってしまい、痩せ細り、肛門周囲膿瘍なんていう恥ずかしい名前の病気になってしまったことがあるからです。
この物語の中では、たびたび主人公の中の「なぜ人は酒を飲むのか」が事細かに書かれていました。
アル中になるのは酒を「道具」として考える人間だ。とか、自分のことを言われているような気がしてドキッとしたり、フフッと笑ってしまったりする言葉が何度か出てきました。
アル中に対しての共感と、自分が歩んだかもしれない地獄を知って何とも言えないといった感覚とを交互に感じました。
僕の中の「人はなぜ酒を飲むのか」は「有意義な時間」と「無感」を求めるからだと考えていました。
酒を飲むことで、夜寝るまでの時間が幸福で有意義なモノに変わり、更にあれこれと考えてしまう脳を麻痺させる事ができるからだと。
自分の中に自分用の答えがあるのにも関わらず、他人が考える「なぜ人は酒を飲むのか」と照らし合わせ、その通り!と言ってもらうために読み始めたのかも知れません。
しかし、この小説はあくまでも主人公の考えを示しつつも、結局のところ自分で答えを仮定し、楔を打つ事で依存と付き合うしかないと言っていたように感じます。
この小説を読んで大きく考えが変わるということは無いかも知れませんが、依存や欲との考え方や付き合い方の例を示してくれるような気はします。
久しぶりに読書感想文を書いたような気分になって楽しかったです笑
Posted by ブクログ
■はじめに
この小説は、酒をやめたいのに、やめられない。回復はあっても、治癒はない。「依存の深淵」を、「その不安定さ」を、軽妙かつブラックユーモアを絶妙にまぶして描いた、僕的には中島らも文学の最高峰と思ってる大好きな小説。
コラムニストの故小田島隆は39歳の時になったアルコホーリック(アルコール依存性)の経験をもとに綴った『上を向いてアルコール』で、「アルコール依存症は治るのではなく、ただ転がる玉を止めているだけ」と…結論付けた。
初版は1994年なんで、31年ぶりに再読。あまりに時間が経ちすぎて、ほとんど初読気分で読み了えた。
登場人物との関わりの描写では、「あゝ、当時こんなインテリヤクザなおっさんがいたよなぁ…」と想起するやり取りに、当時はまだまだ鷹揚な時代でありました。
30年の時を超えて再読し終えた直後の感想は、「依存」と「人間」の本質に迫る、怖く優しい小説でありました。
■4つの視点から見た読みどころ
①ドキュメンタリー的リアルさに満ちた小説
中島らもが描いたのは「飲まずにはいられない」という衝動の本質。物語は、主人公は中島らもを彷彿とする小島容の入院生活を軸に展開。断酒の辛さ・自己嫌悪・病院での人間模様・回復モード等…を淡々と綴りながら、いかにも中島らもと感じるブラックユーモアや皮肉が散りばめられている。
フィクションでありながら、アルコール依存症患者の心理や回復に向かう身体の変化が生々しく克明に描かれ、経験者でしか書けないノンフィクションのようで、その臨場感が生々しい。
② 「治らない病」としてのアルコール依存症
印象的なのは、身体は治っても「心の依存」は決して消えないという描写。病院のベッドで酒を断つ日々。身体は回復しても、心の中の“酒の声”は消えない。「依存症は治るのではなく、ただ転がる玉を止めているだけ」
中島らもは、依存症を克服した“成功譚”として描くのではなく、酒を求める欲望の執念深さ・厄介さをむき出しにする。この「克服不可能性」の描写が依存の根深さを饒舌に語る。
③中島らも自身の影とユーモア
この小説を書かせたのは、何よりも中島らも自身が強度のアルコール依存に加え薬物依存に苦しんだ経験があるからこそ。自伝的小説ゆえ、そこには過剰な悲壮感はなく、担当医とのディベートに似た会話、院内の人間観察等が読者を重苦しさで押し潰さず、「軽やかさ」が作品全体を包む。それが依存症の根深さを際立たせている効果にもつながっているんではありますが。
④30年後の現代にも響くテーマ
現代はアルコールだけでなく、SNSやギャンブル・ゲーム等、様々な「依存」が社会課題となっている。それだけに、この作品は、「依存の恐さ」「人はなぜやめられないのか」「かくも人間はもろいのか」という普遍的な問いを突きつけてくる。
僕自身も、毎日晩酌するだけに何度もドキッとするシーンに出会した。と書いときながら、この小説を居酒屋で読んでました。我ながら悪趣味ぶりに苦笑い…。
■最後に
断酒の日々の向こうに潜むのは、「終わりなき欲求と脆い心の均衡」。アルコール依存症という「抜け出せない迷宮」を文学の光で照らし出した傑作。まさしく、文学は落語同様、業の肯定であります。
30年経ってもなお、肝臓と心臓を同時に締め付けられた一冊でありました。
Posted by ブクログ
憂さ晴らしで酒を飲むことがある人は必読。
連続飲酒で肝臓が大変なことになり入院した作者の体験を元にしたアル中小説。
酒の影響で肝臓にどうなり命を削ることになるのかが医学的な用語も出てきながら書かれている(ドラッグの名前もたくさん出てくる)。
しかし、啓蒙的な小説という訳ではなく、主人公と同病院に入院する患者の人間模様や命の不条理さが多く書かれている。人それぞれの人生のストーリーや向き合い方に主人公が触れていくことを通して読者である私がそれを追体験している感覚になった。
欠けた何かをアルコールで補うのか、別のピースを探すのか、自分自身にしかその選択はできないのだ。
Posted by ブクログ
どれだけ順風満帆の人生を歩もう、もしくはそれを期待されても、誰も将来を保証しない。本作の主人公が良い証左である。作品内において主人公が丁々発止の会話を主治医と繰り広げられているが、主人公に本人に嫌気があってもこの懐の深い主治医がいなければ本作品は成立しないだろう。
他にも本作品の人物はみな饒舌である。他人と雑談することが苦手が私のような孤独の中での精神病は本当に辛いものがある。
Posted by ブクログ
タイトルと表紙からは、とってもロマンチックなバーで出会う人々との交差が描かれているのかと勝手に想像。
実態は、全くと言って異なる中年男性のアルコール依存を巡るストーリー。
酔っ払うために飲んでいる自分と類似性を感じる。
依存のプロセスとして、これがなければ死んでしまうみたいなことではなく、極度の不安や緊張を覚えた時に「これがあれば何か変わるのではないか」と思考のプロセスに入り込んでくるというのが依存の始まりのようにおもえた。お酒やタバコを知る前は、何か悩みや苦悩に直面したところで、それを使用して逃避しようなどと思うことがなかったからである。
単調で短絡的に快楽を得ているようだが、それが人生を豊かにしているようにも思える。
主人公は中盤で、依存とは何かということについて、自問自答を繰り返す。暇な時間を有用に過ごせる教養があるものは、アル中やその他の依存症にならないのである、といっているのに対して冷や水をかけられたような気持ちになった。
私は、今仕事もなく、暇で昼から酒をのみ読書に耽っているからである。
人生はそんなものでいいのではないかとおもった。
アルコールを通じて当時の親友に出会い、妹に出会い、彼の人生は彩られたのである。
あと、心理学や精神分析学は科学であるのかという疑問に対して先生との対談が面白かった。地動説と天動説のように明確な真理がユングとフロイトの間には存在しない。
「いや、なるほど確かに!」という感じである。
数学的に自明なプロセスを人間社会に持ち込んだり、意味を追求しすぎるということは、生にとって不必要なことではないかと思う。
正直なところ、食って寝てセックスしてれば人間が途絶えることがないわけで、その中で何かを知りたいという知的好奇心が生物としての第四の欲求であり、それが人間が人間たる所以だと思うので、それを疑い始めたら何も信じられなくなってしまう。
何かに依存することや、その気持ちを解明したいと思う、プロセスは複雑でありながら人間としての本質なのではないかと思ってしまった。
中島らもの文章の、自虐的で刹那的な魅力の虜になってしまい、たくさん本買っちゃった!
Posted by ブクログ
面白かった!!
お洒落なバーの話かと思ったら、アル中で死にそうになった男とそれを取り巻く病院関係者、友人、友人の家族の話。酒とは何か、なぜ人は酒を飲むのかについて考えたくなる。なので酒を全く飲まない人にはよくわからないかも?
ウイスキー飲みながら読みたい小説。
Posted by ブクログ
アルコール中毒という「問題」を考える時、酒を飲む、飲まないという自由意志と理性、ということに意識が行きがちであるが、どうしても飲んでしまう、自分自身の意思ではどうしようもない部分があるということを、当事者として深掘りしつつ、物語として結んでいるところが良い。
Posted by ブクログ
アル中の主人公が病院で出会う人々を通して自身の症状と向き合い、生きることにする物語。
自分が体験したことの無い世界を追体験できるのはまさに小説の真髄だろう。
においや感覚を味わったことがないと書けないもので、リアルな経験をさせてもらえた。
程よい登場人物との距離感で、変に引き寄せられることがなく押し付けられないのですんなり入り込めたように思う。
愛している人が好きだ言ったから
自分の好きな人が好きな小説家ということで、読んでみました。
ただひたすらにエモかったです。
刹那的な生き方、退廃的な生き方に対する葛藤と悦び、生と死の狭間で揺れる心の在り方などの描写がひたすらにリアルでした。
Posted by ブクログ
アル中文学至上に燦然と輝く中島らもの名作。学生時代に一度読んだことがあるが、内容はほとんど記憶になかった。当時は普通の小説だと思って読んでいたのかもしれないが、こうしてアルコール依存症の身になって読むと、これは酒害の問題を一早く告発し、その医学的な説明や、哲学的な思索、日本のアルコール行政の問題点(文中では「気違い沙汰」とまで揶揄される)、回復支援団体の活動までを網羅しつつ、一編の素晴しい小説に昇華させている。中島らもが泥酔状態で階段から転落して亡くなったのが 52歳。僕もその歳までは生き延びたか。
Posted by ブクログ
アルコール依存症(アル中)についてちょっと知りたかったし、タイトルもかっこよかったので読んでみました。思いの外面白かった、加えてすごく良い小説だったかも。、作者を調べたらもう亡くなっていた。作者自身もアル中の過去を持ち入院していたときにこの作品ができたと書いてあったので実体験でもあるのですね。名言というか「ハッ」とさせられる言葉も本当に多くて特に好きなのは天童寺さやかがアル中の主人公である小島に対して「生きようとしてても運悪く死んでしまう人たちの中で生きたいの。生きる意志を杖にして歩いていく人たちの流れの中にいて、そんな人たちのためだけに泣いたり笑ったりしたいの(以下略)。」って場面が好き。
Posted by ブクログ
題名だけ見て、お酒の楽しみ方を教えてくれる本かな?と思ったけど、逆にアルコールの怖さとか、なぜアルコールにハマってしまうのかということを考えさせられる本だった。
自分もお酒呑んで楽しくなるの好きだからこその怖さとあるし、仕事で呑まざるおえない人も周りに沢山いるから、自分だけでなく周りの人のことも考えて心配になった。
Posted by ブクログ
あらすじも読まずになんとなく読み始めたらアル中患者の入院記録でたまげた。
しかし、話の展開が面白いのでついつい夢中で読んでしまった。
主人公の「死や破滅を追い求める」性質にはずっと同族嫌悪を感じてイライラしていたので、最終的にはそういったものから主人公が離れられて良かったと思う。
Posted by ブクログ
主人公と全く同じ人生を歩み断酒に至るので、痛い程分かるー!泣
そこら中(コンビニでさえ)に酒は当たり前に売っていて誘惑してくるし、良い年になれば夜は酒がつきもので、、
そんな自分に読書の楽しみを教えてくれた一冊でもあります。(なら星5つにしろよ)
自分を律するのは大変なんだよなぁ、、
Posted by ブクログ
酒と生きる人が、病気で入院することで酒と向き合う。酒が空気と同じようにあって当たり前、なくては生きてはいけないと感じる中で、生きることや酒を飲むこと、人と関わることを考えさせられながらも、何を考えたか感じたかが語られていく。
Posted by ブクログ
めくるめくアル中の解説本
アル中になるのは酒好きではなく酒を道具として考えてるやつっていうのはめっちゃしっくり来た
アル中が酒0にするのは極端過ぎて難しいとは思うけど適量で終えるブレーキは壊れてるんだろうな
酒のクソなところって酔っ払うと判断能力が下がる事だと思う
そんな状態で自律しろっていうのは無理な話
Posted by ブクログ
2025年6月26日、グラビティでパセリを摘み取る手仕事してる方いたのでコメントで声かけたら、
「まず、塩とレモンとオリーブオイルで和えてサンドイッチにします。「ハムマーマレードとパセリサンド」と検索すると出てきますけど、すごく美味しいんです。あとはうーん、ドレッシングと和えてそのままサラダでもりもり食べようかと… 刻んでハンバーグに入れても美味しいし、パンに練り込んだりも好きです[にこやか]」との返事。
プロフィールを読んで品を感じたので、過去の投稿を拝見したら、この本の引用があって、名言を知った。
投稿:
「よく行くショッピングセンターにだれでも座って休憩できる椅子と机があって、そこで語学の勉強をしているスマートな雰囲気の老紳士をよく見かける。平日午後のショッピングセンターにいるにはだいぶおしゃれでかっこいいなと思いつつ、失礼ながら背後から覗いてみると、ウクライナ語を勉強している。おそらく近くの大学(私立文系)か研究機関(国立理系)を退任された先生ではないかと勝手に想像している。それを見るたび「教養とは、学歴でない。自分ひとりで時間が潰せることができる能力である」という中島らもの言葉を思いだす。」
Posted by ブクログ
正直私には難しくて何だか流し読みみたいになってしまった気もする。だけど、この人の表現力に引き込まれてしまったし、言い回しが素敵で悔しくなった。
酒を飲んでいるのか飲まれているのか、依存ってなんだ、生きるってなんだ、人生の幸せって?深くいろんなこと考えてしまう、凄い話だったなぁ。
しばらく時間を置いてから読み返してみたい
Posted by ブクログ
こんなにも愛すべきアル中小説は、国内ではこの本しかないだろう、そう思わずにはいられない。
自分のままで生きていくしかないなぁ、と。
人間は、無一物なのだとどこか哲学にも似た境地に陥ってしまう、そんな作品だった。
Posted by ブクログ
中島らもによる、アル中の話。
ある日飲み過ぎで倒れて入院する主人公が、
医者や患者との出会いの中で
『なぜ人はアル中になるのか。
何故人は酒を飲むのか』という根本的な問いに
ついて考え、人生を再生していく話。
再生出来るかも、というところで
終わるので実際のところは分からないが、
非常に人間的でウソのない内容だった。
物語としてもとても良く出来ていて、
作者の高い文章力と教養を感じさせてくれる。
アルコールは飲まないが、
興味深く読める。
Posted by ブクログ
現代の出来事を描き、過去を振り返る構成がメイン。
時々、アル中、シャブ中、そしてそれを改善するプログラムなど、
学術研究的な記載があるので知的資料にもなる
(ただし、医学科学は進歩するので情報が古い可能性はあるので鵜呑みは注意)
出来事自体はそれほど展開しない。
起承転結はあるが、想像だにしない方向にはいかないので
大筋のプロットで言えば誰でも考えれそうなもの。
なのだけど、(著者経験による)アル中の解像度はもちろん、人物の解像度が高い。
文体の巧さがあって、何も起きてないのに、それでも引き込まれる強みがある。
少しだけ劇的なシーンはあるけど、ジントニックのライムにも満たない。
人間の生々しさ(弱さの中に魅力がある)と、
文体で、ここまで良くなるのか。という小説。
Posted by ブクログ
作中にあるアル中テストやると、13.7点
2点でダメ。1問目の点数が3.7な時点で詰み。
俺は酒の場は好きだけど飲むのは嫌いで、1週間に一度も飲まない週もザラにあるし、遊ぶ時も「酒はいらなくね」という価値観を親しい友達と共有できていたりする。
でも「酒を道具とする人はアル中になりやすい」とあり、納得してしまった。確かに俺は酒を自分の恐怖心とか、恐れとか迷いを消す道具として飲んでた。それが行き着くと、酒を飲んでも途中まで一切酔わない状態になり、その後は本当に人に実害を及ぼす大暴れをすることになる。社会人になってからそういうことは幸いでていないが、最近危なかったタイミングがあった。会話の途中から自制心が消えてしまって、自分を誇示したい変な気持ちが湧いてきて、人に認められたいという欲望がそのままに態度に現れ、そういう時は酒が全く酔わず、精神が流れ坂を下るように舌が周り、そうして舌が渇き、ぐびぐびと飲むうちに限界を迎え、気づくと、(これは大学生の時だけど)大好きな先輩に(しかも女)に喧嘩を売っていたことがあった。(手は出していなかったことだけが救い)
その前日から仲良くみんなで飲んでいて俺の家で泊まり、次の日もみんなで飲むというタイミングだったのだが、これは本当に恥ずかしくて書けないのだが、トリガーとして「その前段階に自分を押し殺している」タイミングがあることに今気がついた。
またもう一つ、社会人になってからあったものとして、ある先輩と飲んだ時、本当に尊敬している先輩なのだが、口調が荒々しくなったことがあり、なぜか俺はそれに気づかず、周りに注意されて初めて「ババア」「死ねよ」などと口にしていたことに気付いた。その時は酒がそれほど回っていなかったタイミングで、それまでには自分を押し殺しているタイミングがあった。
「押し殺す」と言っても、他人が不愉快な思いを俺にさせているわけではなく、むしろ自分が勝手に作った行動で、もっと情けなくいえば勝手に萎縮してしまっているとすら言える。
しかも、普通の人間なら当然我慢できるようなタイミングだし、また俺もそういうタイミング以外は我慢できるはずの、普通の出来事だと思う。
それが起こるのは何故か?親しい人間に自分を一番にしてもらえないという幼児性、我慢と堪え性がない未熟な人格、忘れっぽい性格、色々出てきて、本当にそうだとは思いながら、それが本質ではない気がする。
本質は2022年に自分に自信を失ったことに由来する。中学の時から本ばかり読み人と違う価値観を持ち、ズレた行動をする自分が嫌になった。そのため、高校以降は普通の人になることを目指して、特にコミュニケーションを頑張った。その結果、そこそこのものを手に入れ、それに自信を持っていた。大学の初っ端はみんなが自信がないこともあり、色々とその中で突っ込む経験主義が上手く働いたこともあり、順調に進んだ。それが自信となった。
しかしそこから色々あって悩みを抱え、自分の奥深い精神ばかり考えるようになった。これには車谷長吉が影響し、「不幸」をあえて求めるという価値観の逆転がここで起こった。それは自分のことしか考えないことと同じで、そうするとコミュニケーション能力や、対人、社会的な能力は劣化していった。周りは必要な経験を積み、上昇していった。
そして2022年、アメリカに留学に行く。この時はまだ傷が浅く、人と仲良くやれていた。留学も少ないながらに何人かできて、それなりに楽しく日々を送った。しかし、意図的に大学の友人と距離を取っていた。この断絶が日本に帰ってきた時、自分がどこに帰属しているか分からない、親しい友達を少しばかり他人と思ってしまう感覚が生まれた。多分、ストレスの限界が来ていたことも相まって、記憶力が格段に低下していた。ここから俺は極端に忘れっぽくなり、昔のことを思い出せないようになっていった。
小学校が公立、中学校が私立、高校が公立、大学から東京の私立と、これは高校以降意図して幅広くしたのが原因だが、友人が移り変わって言った。
幼馴染はいるが、年に一回も会わないタイミングも増えていった。(そういう幼馴染や、大学一年生の初期の友達と会う時間を増やしたり、付き合いの長い友達と定期的に連絡を取ることを意識的に行ってから、記憶力が良くなり、メンタルの安定や、悩み、思考の形も定まり、良いことしかなかった。地元が大切、という人の気持ちはこういうところにあるんだと思った)
また、性格を変えることを頻繁に好んでしてきたこともある。自分が受け入れられない価値観を、なんとか苦しみながら受容しようという人工的な取り組みは、精神に変容をきたす。先ほど言ったようにそこに「苦しみ」を増やそうとする価値観が自分の骨になっていたことも加わって(「人生に救いはない」「黙って生きることが大事」「人が幸せな瞬間は一生に一度で良い」という言葉を日記に写経していた)、ただ、そういう価値観をストレスすぎて受け入れられない宙ぶらりんの状態も続いていた。そのため、自分の自我を受け入れられず、それまでの友人が他人に思えたため、他人から自分を評価することもできず、ただ人から自分がどういう人間かを判断してもらう時に唯一癒される時期があったように思う。
大前提として、ガキが何を言ってるんだと思う。暇人。大学をサボってないで、スマホに時間を使わないで、何かしら好きなものを見つけて努力すればよかったのに。
が、俺は人間の精神の構造を自分で考えたり、人の気持ちをこうすればこういうふうに動くのかな、とか考えることがすきだったので、それについては好きという感情で無意識の努力を続けていた。そしてそれは身になったものもあるが、結局いずれはどこかで不調をきたしていたように思う。
これが社会人になり、大きく変わった。まず暇じゃない。新しく社会人という価値観、世間から見られる定規的な物の見方を自分に取り入れたことで、むしろ安定した。目標が一つなので、やることが明確になったのである。
しかし、無能ではあるので、相変わらず危機は抱えていた。それが変わったのが今年の9月ごろにある。それまで考えていたことに決着をつけた。
当時書いたTwitterの文をそのまま書く。
「どちらでもある!自分の人生を連続的運命的に捉えようとする価値観、でもそれから抜けようとすると、大きい目的無しに今あるものを課題と捉えてそれを片付けていくことが大事とする価値観、
何かを理解したり、共感したいと思う人は前者に、成長や達成が欲しい人は後者にハマってく」
「大体この2パターンだと思う
で?
連絡網さんが言ってたどちらも手に入らないはこれのことを指しているのだと思う
でもやっぱりどっちも危険だ!どっちも必要だからどっちも拒否はしない、でも染まり切らない、その中で何かを得るためには、その強さを得るために必要なことは」
「結局自分が何を楽しいと思うか?を知ってから行動することなんだと思う
社会との付き合い方としては全ポジションを取るけど、全部に染まり切らないよ、今俺はどのポジションにいるかな、入りすぎて無いかなと確認する冷静さも必要、」
「自分が何を楽しいと思うか?を知るためには、未確定な未来を考えない、不要な恐れを抱かない、妄想をやめる、
そして日々の振り返りで自分の傾向を把握して何が楽しいと思うかを探ることだと思う
楽しいことをしている自分が、安定、冷静、豊かさに繋がっていく」
「まず楽しいと思えることから!
寂しさとか、悲しさとか、人生の不幸を無理矢理に味わおうとする態度は自分を無理矢理に大きくして、小ささを忘れさせるのには有効だけど、よくよく考えたら必ずやってくるもので、それを無理に味わおうとすると、本当のタイミングでやってきた悲しみに対して、」
「その悲しみから得ることのできる喜びを消すことに繋がる
例えば別れは必ずつきもので、でも終わりがあるからどれだけ大事なのかを理解することができる
これまで無理矢理に悲しみを得ようと、孤独を得ようとしたけれど、結局それは人間ずっとあるから」
「自己実現とかそんなチャラくさい言葉ではなく、自分が楽しいと思えることを見つけて、それをやろう、やってみよう」
「今まで長かった〜
とりあえず必要なことは
日記を書く
楽しいことを探す
上機嫌でいる
不要に未来を考えない、妄想しない
自分のペースを大事にする
長かった〜ほんとに
人生に正解はないけど、一旦これでやってみたいと思えた」
「これが3年間の周り回った悩みを払拭してくれると良いんだけど、あんまり期待しすぎずに楽しむことにする、とりあえず大事にしたいことを守ろう」
そして、今
ジムと読書、酒をあまり飲まない、ヤバそうになったら合わせずに帰る、とかを実践できている。
最近仕事が辛く、上機嫌でいることが難しかったり、睡眠の問題は出ているが、これは一生の付き合いになると予想してる。
ゆっくりと自分が楽しいこと、大好きな人たちと絡んで生きていければと思っている。
Posted by ブクログ
アル中患者として入院した主人公・小島容の視点で、酒におぼれる人生の哀しみや滑稽さ、病と向き合う人々の姿をユーモラスかつ繊細に描く作品。
医療用エタノールを隠れて飲むアル中だったり、平気で患者と殴り合う医者だったり、「本当にいそうだけど、絶対にいなさそうなやつ」の描き方が天才的に面白かった。主人公の「アル中本を肴に酒を飲む」という設定もバカすぎる、、
アル中によって引き起こされる病気や弊害、使用される薬、海外での症例、家庭環境とアル中の因果関係など、アル中にまつわる幅広い学識が生々しく紹介される。
自分自身もお酒が大好きなので、日常生活を見直さないといけないと痛感させられた。
でも、そんな全世界のアル中たちを突き放すだけでなく、むしろどこか優しく寄り添ってくれる文章で、とても心地よかった。
ラストはちゃんとミルクを頼んだが、主人公はこれからどうなることやら、、
軽やかな文章のためか、重いテーマでも読後感が重くなりすぎず、不思議な切なさと温かみを感じることができた。
Posted by ブクログ
アルコールはほろ酔い程度にとどめておくのがいい。
酒は、心に空いた穴を塞ぐことなど出来ない。
分かっていても、装って作った人格を見せること、そうでない素の人格をさらすこと、そのどちらも出来ないから酒に逃避したくなる人間の性。
人は弱い。どんなに強くても、何かの拍子に階段を踏み外し、転落する危うさを持つ。そこから引っ張り上げてくれるのは、やっぱり自分の人生に関わって来た人間で、それは目の前にいてもいなくても、心の中に在り続ける、時に傷付けられ時に胸の奥に火を灯してくれる、そんな存在の力によるものが大きい。
主人公含む、登場人物達のキャラがうまく立っており、アル中をテーマにした作品の中でも随所にユーモアが散りばめられていて、またシリアスなシーンもあり、ストーリー展開も意表を突く部分もありで、飽きることなく読み応えがあった。
Posted by ブクログ
アル中で35歳で入院することになった男性が主人公となりアル中をリアルに描くお話。
飲み過ぎると体がどうなっていくのか、精神状態はどうなるのかなど、実体験的に描かれているのでとても勉強になる。
小説的にはラストの展開がイマイチですが、一読の価値あり。
私もお酒は好きなのですが、この本を読むと毎日お酒を飲む習慣は控えようかなと思いましたので、まずは休肝日を1日増やします。。
Posted by ブクログ
私自身はお酒もタバコもギャンブルもハマらないタイプで、「きっと依存してしまう人には何か理由があるのだろう」たうっすら思って生きてきたけど、少しだけそういう人の人生が垣間見れた気がする。
アル中になるかならないかは「好きか嫌いか」の問題でなく「必要か不必要か」である、というのはほかの依存にも言えることだと思う。好きだからそうしているのではない、という時点でそれは依存だ。
物語を通して、さやかの思いを知る度に、看護師の友人から聞く話を思い出した。この世は理不尽なことばかりで、死にたい人が生きて、生きたい人が死んで、生きていてほしい人が死んで、そういうことばっかりで、「あたしは、自分とおんなじ人たち、生きようとしてても運悪く死んでしまう人たちの中で生きたいの。」というさやかの台詞は悲しいぐらいに現実的だけどまっすぐで素敵だなと思った。