あらすじ
「生物学」はここから始まった! 現在もアップデートされ続ける進化論の礎を読み解く
たまたま起きる変異が自然淘汰を経て、新たな形質として獲得され種が増えていく。進化とは枝分かれの歴史である。進化の原動力を解き明かしたダーウィンの進化論は現在も概ねその正しさが証明されている。一方、弱肉強食、優生思想といった誤解もつきまとってきた。 いま進化論を読むことの意義とは? ダーウィンの理論からエピジェネティクスなど最新の遺伝学まで、人類史を振り返る意味でも、ホモ・デウス化する人間の未来を見通す意味でも、読解必須の書。
第1章 「種」とは何か?
第2章 進化の原動力を解き明かす
第3章 「不都合な真実」から眼をそらさない
第4章 進化論の「今」と「未来」
特別章 ダーウィン『種の起源』以降の発展
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長谷川眞理子
進化生物学者・総合研究大学院大学学長。東京生まれ。専攻分野は行動生態学・進化生物学。1980年から2年間タンザニア野生動物局に勤務。その後イエール大学人類学部客員准教授、早稲田大学政治経済学部教授を経て、2006年より総合研究大学院大学教授。2017年より現職。野生のチンパンジー、ヒツジ、イギリスのダマジカ、スリランカのクジャクなどの研究を行なってきた。最近は人間の進化と適応の研究を行なっている
「進化論」とは、ひとことで言えば「生物とは不変のものではなく、世代を経て次第に変化していくものである」という考え方のことです。
「進化」という概念は古くからありましたが、広く知られるようになった時期は比較的新しく、今から一五〇年ほど前のことです。それ以前のヨーロッパでは「神様が天地創造の際にすべての生き物をつくり、動物も植物も変化することなく今に至っている」と信じられていました。こうしたキリスト教的世界観を根底から 覆し、「進化」の科学的世界観を私たちに示してくれたのが、一八五九年に出版されたダーウィンの著書『種の起源』です。
博物学とは、自然界のあらゆるものを観察し分類する学問と定義されます。そもそも、なぜ人間が自然や生き物について詳しく知る必要があったのかと言えば、自然や他の生き物について知ることが、人類が地球上で生存するために重要な意味を持っていたからにほかなりません。私たちは日々、動物や植物を食べて暮らしています。そのなかには毒のある生き物もいれば、人間を襲う肉食獣もいます。一方で、病気に効く薬草や、人間に役立つ生き物も存在します。おそらく人類は、狩猟採集民として集団で生きるようになった遥か昔から、この世で生き延びるために「食べられるか、食べられないか」「役に立つか、立たないか」「危険か、安全か」といったことを知識として共有する必要があったのだと思います。 地球上に誕生したあらゆる文明において、自然を観察し記述する文化が育まれていたはずですが、博物学はとくにヨーロッパで目覚ましい発展を 遂げることになりた。
また、ヨーロッパにおいて博物学がとくに発展した理由には、キリスト教も関係しています。キリスト教では「神がこの世のすべてを創造した」とされているため、自然や生物の仕組みを知るということは、すなわち「神の意図の全貌を知ること」を意味します。だからこそ彼らは「いかに神様がつくった世界が合理的にできているのかを理解したい」という欲求を持ち、世界のすべてを観察し分類するという方向に向かっていったのかもしれません。
チャールズ・ダーウィンは一八〇九年、イングランドの西部シュロップシャー州シュルーズベリの裕福な家庭に生まれました。父親は医者で、母親は陶器ブランドとして世界的に有名なウェッジウッド社創始者の娘です。子どもの頃のダーウィンは、狩猟や昆虫採集に明け暮れ、勉強には熱心ではない、いわば落ちこぼれでした。でも、決して勉強が嫌いだったというわけではなく、興味があることには一生懸命になるタイプ。化学に興味を持っていた兄が家の温室で行なっていた化学実験には、いつも一緒に熱中していたというエピソードが残されています。 ダーウィンは、やがて家業の医者を継ぐために、エジンバラ大学に進学しますが、残念ながら彼は医者には向いていませんでした。当時は、今と違って麻酔のなかった時代です。恐怖と痛みで泣き叫ぶ患者を押さえつけながら、血まみれになって施術を行なう外科実習の授業が彼には耐えられませんでした。麻酔なしの子どもの手術に立ち会って以来、手術の授業を欠席するようになり、しまいには退学してしまいました。
医学の道を断念したダーウィンは、父親のすすめで今度はケンブリッジ大学で神学を学ぶことにします。息子に社会的に尊敬される仕事に就いて欲しかった父親は、牧師の道をダーウィンに提案し、ダーウィンもそうすることにしたのですが、彼はとくに学業に熱心というわけでもなく遊びほうけてばかりいました。
好奇心旺盛なダーウィンにとっては願ったり 叶ったりの話です。なんとか父親の許しを得た彼は、晴れてビーグル号に乗り込みます。彼には船長の話し相手以外に特別な任務があるわけではないので、船上では読書 三昧 の日々を過ごすことになります。その時に読んだ本のなかでダーウィンが感化された一冊として挙げているのが、地質学者チャールズ・ライエル(* 11) の著書『地質学原理』です。この本には「地球は土地の隆起や土砂の蓄積、風化など、自然法則によってつくられた」という「 斉一説(* 12)」が書かれていました。「神がこの世のすべてを創造したという説から離れて、自然界の普遍法則によって自然を説明する」という新しいモノの見方をダーウィンはこの本で学ぶことになります。 また、旅の途中にガラパゴス諸島をはじめとするさまざまな地に降り立ち、ヨーロッパとはまったく異なる生物、地質、人種、文化に触れたことも、のちの彼にとっての大きな財産となりました。異国の地で見つけた珍しい動植物の生態を記述したり、剝製をつくって本国に送ったりしながら、ダーウィンは生物に関する知識を深めていきます。
ここでダーウィンが言わんとしているのは、「カワラバトという一つの種からでも、外見も習性も大きく異なるさまざまな品種が生まれる可能性がある」ということです。つまり、この世にこれほど多様な生き物がいるのは、最初からすべてが存在したわけではなく、一つのものが変化して生まれたとも考えることができるのではないか、というのがダーウィンの主張です。
ダーウィンは、生き物には個体差や変異が必ずあると考えますから、首の長さがさまざまに異なるキリンがいつもいたと設定します。そこで、高い所にある葉を食べられるほうが生存にとって有利だったと仮定しましょう。そうすると、より長い首を持った個体のほうが生き残って子どもを残す確率が高くなります。そのような「生存競争」を繰り返すなかで、生存と繁殖に有利な変異が次の世代に継承されていくので、次の世代には、前の世代よりも首の長い個体の割合が多くなっていく、ということになります。こうしたプロセスを何百万年も繰り返していくうちに、キリンの首の長さは今のように長くなっていった──と考えるのがダーウィンの理論です。
もう一つの誤解は、「進化の歴史のなかで生き物はだんだん進歩してきた」と考えてしまうことです。「進化」「進歩」という言葉には、 梯子 や階段を一歩一歩上に登っていくようなイメージがあります。ですから私たちは、生物は下等動物から高等動物へと進化し、その頂点に人間が君臨していると考えてしまいがちなのです。 でも、それは大きな間違いです。実際は、進化は梯子のようなプロセスではなく、枝分かれの歴史です。ダーウィンはこれを「特徴の分岐」と呼んで『種の起源』のなかで図版を使って表現しています。1章末で紹介した「生命の樹」と題された図 を見てください。これを見ると、人間が生き物の頂点などではないことがよくわかります。今、私たちとともにこの世界に存在する生き物──ミミズもハトも、イチゴもスギも──すべては、それぞれの枝の最先端に並列に位置しているのです。
第1章の冒頭で「ゴリラはいずれ人間に進化すると考えるのは間違いだ」と私は指摘しましたが、その理由もこの図を見れば明らかです。ゴリラやチンパンジーや人間は、同じ祖先から分かれて進化しましたが、いずれも今は別々の枝の先端に立っています。ゴリラが何百万年もの時間のなかで、さらに別の生き物に枝分かれしていく可能性はありますが、それは決して人間に進化するということではありません。
また、「進化」を、単純なものから複雑で高度なものに変化する過程ととらえるのも間違いです。最初にこの世に現れた生物は単純な構造の単細胞生物で、その後に多細胞の複雑な生物が誕生していったのは事実ですが、必ずしも生き物は複雑な方向へと進化していったわけではありません。たとえば、寄生虫として他の動物の腸のなかで一生を送るようになった生き物には、祖先が持っていた内臓を失ったものもいます。一見、それは退化だと感じるかもしれませんが、生物学では退化は進化の反対語ではなく、退化も進化のなかの一側面ととらえています。
本章では、進化論について想定される疑問・反論と、それに対するダーウィン自身による反証が書かれた章を解説しましたが、いかがでしたか。この部分には『種の起源』の半分以上のボリュームが割かれているため、読み通すには少々エネルギーと根気が必要かもしれません。しかし、実際に読んでみると、実は推理小説の謎解きを楽しんでいるような、わくわくする面白さがあるのです。それはダーウィンの思考プロセスが、データと理論を駆使して犯人を追いつめていく推理小説の流れそのものだからと言えましょう。
つまり、ダーウィンは「それぞれの生き物は独立しているように見えるが、もとをたどれば一つである」と考えていたのです。『種の起源』の最終章の言葉を引用します。 地球上にかつて生息したすべての生物はおそらく、最初に生命が吹き込まれたある一種類の原始的な生物から由来していると判断するほかない。
これまで見てきたように、『種の起源』を読めば、これらがすべて誤解であることは明らかです。科学の理論として、進化理論はこのような考えとは無縁です。また、ダーウィン自身は決して差別主義者などではなく、むしろ奴隷制度や黒人差別に対して反論を唱えていた人物でした。
ダーウィンは大金持ちの息子で、生涯、なんの職業にもつかず、紳士科学者として自宅で研究を続けました。つまりは親の財産で暮らしていたわけですが、自身も株の運用などで財産を増やし、その配当を、自分の子どもたちに定期的に平等に分配していました。
Posted by ブクログ
100分で名著シリーズ、ほんといいですよね。ダーウィン「種の起源」の現代的意義、誤解されやすい点など、余すところなくコンパクトに解説していて、進化論に対する興味ががぜん掻き立てられます。種の起源、読んでないので挑戦します!
Posted by ブクログ
ダーウィン種の起源の解説本。非常にコンパクトにまとまっている。説明はざっくり大雑把。ダーウィンや進化論、進化の仕組みに興味をもってもらうのがこの本の役割なのだろう。
Posted by ブクログ
ダーウィン「種の起源」を今年こそ読もうと思ったが、予想通り数十ページで挫折。そんな時にいつもお世話になるのがNHK出版の「100分de名著」です。
進化生物学者の長谷川眞理子さんが、めちゃくちゃわかりやすく「種の起源」を解説してくれていますので、入門書としては最適でした。
進化論に対する誤解も解けました。
Posted by ブクログ
進化論:生物とは、不変のものではなく、世代を経て次第に変化していくものである。
・個体が増えると、資源を巡る競争が始まる
・競争の環境は流動的
・生存競争の中で最も熾烈なものが同種の固体間の競争である。
・生物には、無駄なものなど一つもなく、この世界は多様な生物が互いに関係し合いながらバランスが保たれている。
Posted by ブクログ
文系と私には、100de名著でも、内容は難しかった。キリスト教の世界観の中で、神とは一線を引く考え方と提示には、さぞかし勇気がいったであろうと思う。
Posted by ブクログ
進化論においては、多様化すればするほど生存する可能性が高くなるのに、人間は同種間で異なる存在を排除して同一化する集団を形成しようとするのだろうか。
その答えは「人間は社会的な生き物である」からだ。生物学的な進化論よりも社会的に生きることが生存においては優先される。「人間の利他的な行動は進化論では説明できない」がおもしろい。
Posted by ブクログ
ダーウィンの進化論の入門書としてはとても良い本だと思います。
恥ずかしながら、これまでの人生で「進化論」と言う言葉は何度も聞いたことがあったけれど、それがどういうものなのかほとんど知りませんでした。
子どもができて、遺伝に興味を持ち、遺伝に関する本をいくつか読み始めたことをきっかけに、原点を知りたいと思い、この本に辿り着きました。
「変異」「生存競争」「自然淘汰」という三つのキーワード、そして「生命の樹」に表された「進化は梯子のようなプロセスではなく、枝分かれの歴史である」という考え方ーこれらの概要をざっくりとでも知ることができ、勉強になりました。
また、自然淘汰が進化を引き起こすことを実証したグラント夫妻の「フィンチの嘴の研究」についての解説もとても興味深かったです。
ただ、ダーウィンの進化論の話から外れて、昨今のウイルスの話などが著者の考えに基づいて書かれており、それらにページを割くのであれば、もっと進化論の説明に割いてほしかったなと思います。