あらすじ
戦後12年目にシベリア帰還者から遺族に届いた6通の遺書。その背後に驚くべき事実が隠されていた! 大宅賞と講談社ノンフィクション賞のダブル受賞に輝いた感動の書。
敗戦から12年目に遺族が手にした6通の遺書。ソ連軍に捕らわれ、極寒と飢餓と重労働のシベリア抑留中に死んだ男のその遺書は、彼を敬慕する仲間たちの驚くべき方法により厳しいソ連監視網をかいくぐったものだった。悪名高き強制収容所(ラーゲリ)に屈しなかった男たちのしたたかな知性と人間性を発掘した感動の傑作。第11回講談社ノンフィクション賞(1989年)、第21回大宅壮一ノンフィクション賞(1990年)を受賞。
解説・吉岡忍
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
極寒のシベリアに抑留された日本軍兵士達のノンフィクション小説です。
数十万人が捕虜にされ、11年もの長い間強制労働させられたという事実を忘れてはならないと思います。
映画「ラーゲリより愛を込めて」を観ることをお薦めします。映画では小説の半分も伝わらないかもしれませんが、良い映画だと思います。
Posted by ブクログ
本当にノンフィクションなの?と疑うほどのストーリー
山本さんは「最後に勝つのは道義であり、誠であり、まごころである」と遺書に残しました。
しかし、現代の日本を見渡すと、道義に反した振る舞いをする人の方が得をして、生き残っているように思える瞬間があります。その現実は、とても皮肉で、やりきれない気持ちにさせられます。
けれども、時代を越えて語り継がれ、尊敬され続けるのは、やはり道義を大切にして生き抜いた人たちだと私は思います。山本幡男もその一人であり、その姿勢こそが後世の人々の心を打ち続けているのだと感じました。
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生きるために食べる、けど、食べる気力も無くなった時、さいごに生きる力を湧き上がらせるもの…そうですね、そうですよね!!と、胸が熱くなりました。
匿名
どんなに過酷な状況においても日本への帰国を諦めない主人公と、その様子に影響された周囲の人々の心情が細かくに記されており、これがノンフィクションであることに驚きました。
主人公が遺書を残すシーンと、この遺書をなんとしてもご遺族のもとへ届けようとする人々のシーンには大変感動しました。
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「遺書」の文面を読んだ時、涙が止まりませんでした。
戦争という名の下にどれだけの犠牲があったのか…。
強制労働、粗食、収容所内にスパイがいるかもしれない、気が休まる事はなかっただろう。
アムール句会のみんなの俳句が、ときに切なかったです。
Posted by ブクログ
シベリア抑留の方々が大変な苦労をされたことは知っていたが、理不尽さは遥かに想像を超えていた。捕虜になってしまうと、どこの国でもこうなるのか?
そんな状況下でも希望を持ち続ける山本氏らを支えていたのは句会や勉強会。自分がもし同じ状況でも、こんなに知性と感性、知識欲を持ち続けることができるだろうか?
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シベリア抑留の実話です。
想像を越えた10年を超える抑留生活の苛酷な様子を知り、言葉にならない衝撃と悲しみと苦しさでいっぱいです。
ソ連の強制収容所の厳しさは耐えられないほど辛いけれど、何よりも密告する同胞たちがいることに心が痛みました。
そんな身も心も痛めつけられてしまう地獄のような収容所の中ででも、シベリアの青い空を美しいと感じる心を持ち続け、俳句をよみ、文章を綴り、仲間を励まし続けて日本に帰ることを決してあきらめなかった山本幡男さん。
「ぼくはね、自殺なんて考えたことありませんよ。こんな楽しい世の中なのになんで自分から死ななきゃならんのですか。生きておれば、かならず楽しいことがたくさんあるよ」
私もずっと読みながら、
「苛酷な状況に置かれてもなお人間らしく生きるとはどういうことか」
ということを考え続けていました。
そして、山本幡男さんのご遺志を命をかけてでもご遺族に伝えようとした仲間の友情に心打たれます。
山本さんや収容所の俳句仲間の俳句、詩、文章。
本で読むと文字から想いが伝わってきます。
日本の地を踏むことなく、家族との再会も叶わず、シベリアの収容所で亡くなった方々の無念を思うととても悲しいです。
その方々のためにも、日々を大切にして良い生き方をしないといけないなと思いました。
Posted by ブクログ
映画やそのノベライズは、悲惨さが強調されていた。それに対して、この原作は、どのようにして色んな人の希望となったかに焦点を当てていて、前者よりも深みを感じられた。
Posted by ブクログ
大宅賞と講談社ノンフィクション賞のダブル受賞作品。
題名から、文書で届いた遺書に基づく作品かと思っていた。
しかし、強制収容所から出るときには、紙類など記録媒体は持ち出せず、何と抑留されていた仲間たちが頭の中に記憶し、あるいは小片に折りたたみ肌着に縫い付け、日本に帰ってから一字一句を文章化して遺族に届けたという。
彼らの巧まざる努力と知性に、驚嘆するばかり。
その遺書とは、ダモイ(帰国)情報で彼らを励まし、収容所生活に少しでも潤いをと俳句を主宰した山本幡夫のもの。
その彼自身が病に倒れ、帰国を果たせなかったとは。
著者による、帰国した人びとに対する綿密な取材が、リアリティに満ちた感動の傑作となっている。
遺書を託された人物が何度も書き写したという、山本の関心が日本の将来に向いていたという言葉。
「日本民族こそは将来、東洋、西洋の文化を融合する唯一の媒介者、東洋のすぐれたる道義の文化――人道主義を持って世界文化再建に寄与し得る唯一の民族である。この歴史的使命を忘れてはならぬ」
些か誇大的ではあるが、傾聴に値する言葉と言っていい。
重苦しい話が続く中、収容所に紛れ込み、彼らに懐いて、帰国の船を追って海に飛び込んだ犬のクロを救い上げたという逸話には、ホッとさせられる。
Posted by ブクログ
内容は少し難しい。
タイトルからあるように、その人物自体は亡くなるのが分かっているのだけども、『収容所』という場所で
あれほど希望を持って、新しいことをしよう、学ぼうと頑張っていけるものだろうか。
彼が居たからこそ、励まされ、もしかしたら栄養が足りず、精神的に追い込まれ亡くなっていた人もいたかもしれないところを生き延びえたのでは無いだろうか。
あとがきより、最後の遺書が届いたのが30年をも超えてのことだったと。
人を信じるとともに、この世界から早く戦争をなくしてほしい。
Posted by ブクログ
Audibleにて。
「ラーゲリより愛を込めて」でこの原作を知りました。(映画は未視聴)
シベリア抑留ものは辛いシーン(寒さで鼻がもげるとか、遺体が凍るとか)が多いため、山崎豊子の「不毛地帯」以来読めていませんでした。
この物語にも、抑留による辛いシーンはありましたが(私は同胞による吊し上げが辛かった)、それ以上に希望に満ち溢れていました。
東南アジアの収容所ものはいくつか読んでおり、そちらはイギリスやアメリカの管轄のため、比較的人道的な待遇がなされており、文化活動が行われていたのは知っていました。
しかし、国際法違反の非人道的待遇が取り沙汰されることの多いソ連によるシベリア抑留で、そのような活動が行われていたのは知りませんでした。
アムール句会は読みながら心が洗われる思いでした。
創作は光だと感じます。辛い境遇にあっても、創作は心に光を灯してくれる。ダモイを信じ、創作活動を導いてくれた山本幡男氏。私も山本幡男氏?のような人物になりたい。ニーチェの言う超人のような人物だと思います。
V.E.フランクルは、「夜と霧」でどんな絶望の中でも希望を失ったらいけないと説き、キェルケゴールは絶望は死に至る病だと訴えました。
山本幡男氏は古今東西の先哲たちが考えてきたことを、まさに体現しながらいきた人物であるといえます。
氏が生きて、日本に帰ることができたならどんなにか良かっただろうと思いますが、もしそうなっていたらこの物語が広く人々に読まれることはなかったと思います。
ご遺族は本当に辛かったでしょうが、そういう意味で、山本幡男氏の死は意味があったと思います。
残されたモジミさんの苦労も、並大抵のものではなかったでしょうが…。(遠方まで行商の仕入れに行くシーン、「おしん」でそういうのありましたよね。本当に大変だったと思います。よく生きてこられたと敬意を表します。母は強し。)
作中に俳句・短歌も登場しますが、アムール句集も実現できたら良かったなぁと思います。ぜひまとめて読みたい!
素晴らしい作品に出会えて良かったです。取材協力者の名前を見たとき、ああ、この人たちは本当に実在していたんだ!と実感が湧き、改めて涙が出ました。
現在も、国際法違反と言われる戦争が起こっていますが、国際法を違反しても制裁措置がなく、是正はできません。シベリア抑留時代から進歩したのでしょうか。とはいえ、武力で制圧するのも、正解ではなく、山本氏がいう「人道」について、私たちは考えていかなければなりません。
ご長男の顕一さんは偉大なお父さんをもったことでご苦労された面もあるようで、顕一さんのご著書も読みたいと思います。
Posted by ブクログ
二宮和也主演の映画「ラーゲリより愛をこめて」の原作本です。映画、観ました。
原作となっている本書はずいぶん以前に書かれたようで、1989年に単行本が出版されている。解説では、1990年代の今、読むべき本とか書かれているけど、もちろん2023年の現在読んでも価値ある本です。
先に映画を観ているので、ラーゲリの厳しい寒さや、日本人の中にもスパイがいるかもしれないという緊迫感、やせ衰えて死んでいく仲間、懲罰房の恐ろしさなどが読みながら思い出された。映画でも山本が俳句を詠んだり、知的な部分が存分に描かれていたが、本書の中にもたくさん、山本やその仲間が収容所で読んだ俳句や詩が出てくるので、よくこんなに覚えている人がいるな、と感心した。多くの人の記憶と証言を集めて、時間をかけて取材して書かれたのだろう。そのことにも感動。
幼いころ「アンネの日記」を読んで漠然と感じたような感動を、本書にも覚える。人は、どんな厳しい状況にあっても、生きている限り心を失ってはいけない。自分で自分の心を守ることができれば強く生きられる。最後は心なのだと。
映画でも同じ描き方だと思うが、タイトルでもありメインとなるのは「遺書」なのに、ページのほとんどが収容所での出来事と山本と周囲の人たちとの交流に割かれ、遺書が書かれ始めるのはもうページも残り少なくなってからだ。「やっときたか」と思いながら読み進める。そして、遺書を記憶した人々が、ダモイの日を迎え日本の船に乗るシーンは本当に胸が熱くなる。船の中で句会をするなんて映画にはなかった気がするな。いい場面だと思いました。
クロも本当にいたんだな。
読んで良かったです。
Posted by ブクログ
先日、映画「ラーゲリより愛を込めて」のDVDを観た。
シベリアの収容所で帰国を果たせずに病死した男の遺書が、思いもかけない方法で家族に届けられる。
良作でした。
その原作本。
第二次世界大戦終結後、たくさんの日本人がシベリアの収容所に送られたことは聞いたことがあったが、巻頭の地図を見て、収容所の多さと収容者の人数に驚く。正確な数は今も分からず、およそ60万人だということだ。
無知であった。
映画では長くなる説明はされないため、少し背景に分からなかったこともあって、原作本はそれを知る手掛かりとなった。
抑留から2年半後、一般の捕虜の多く(一部?)は帰国が叶った。
しかし、ソ連側から見て「戦犯」に当たる者たちは、これより長きに渡る収容所生活に入る。
主人公・山本幡男はロシア語に堪能。
満鉄時代に調査員だったため、戦犯扱いとなった。
極寒と飢餓と重労働で、日本人捕虜たちは次々と命を落とし、白樺の根元に埋められていく。
「自分もいつかは白樺の肥やし」と言って虚無的になる(「白樺派」と冗談めかして言われた)風潮を山本は嫌った。
明日の見えない収容所生活の中でも、穏やかな笑顔で前向きだった。
彼の作った俳句の会は長く続いた。
俳句に「季語」があるのは日本に美しい四季があるため。
句会の折に山本は語る。
「ぼくたちはみんなで帰国するのです。その日まで美しい日本語を忘れぬようにしたい」
故国の、文化と風土を愛していた。
軍国主義由来の、押し付けられた愛国心とは全く異なる。
博識と、ユーモアにあふれた語りで、絶望の中に生きる収容者たちに束の間の笑顔と生きる希望をもたらす。
山本の人柄は収容者たちの心の拠り所だったのだろう。
過酷な環境の中でも彼らは人間らしさを失わず、友情を育んでいった。
山本亡き後の友人たちは、彼の遺書を家族に届けるという使命を支えに生き抜いたのかもしれない。
収容者の長期残留組の帰国がかなったのは、なんと敗戦から11年後のことでした。
Posted by ブクログ
以前、私の周りにはキャラの濃い友人が多いと書きましたが、その中の1人に本人は読書をあまりしないのに何故か私の読書事情を把握したがる女性がいます。
そんな彼女に「そろそろ部屋で軍歌を流し出しそうやな、そうなったら絶対に遊びに行かへんから言ってよ。」と、あらぬ疑いを掛けられましたので暫く第二次世界大戦関連の本から離れようと思っていたのに、気付けばまた手を出してしまいました。
もういっそ大音量で『日の丸行進曲』でも流してやろうかと思う私ですが、本作は敗戦後にソ連軍に捕われ、極寒と飢餓と重労働で有名なシベリア抑留をされていた山本氏と、山本氏と関わった仲間達のお話です。(嫌な知名度ですけれど)
タイトルでお分かりのように山本氏は残念ながら抑留中に病死をされてしまうのですが、6通の遺書を仲間達があの手この手を使って(この方法が本当に凄い…。こっちまで冷や冷やしました)厳しいソ連監視網をかい潜って持ち出し、遺族の元へ。
遺書すら持ち出させない徹底ぶりにやりかねないなと得心しつつも少し苛立ちましたが…。
これがノンフィクションだと言うのですから、畏敬の念が溢れるあまり敬礼しそうになりました。
本当に凄い。そして仲間をここまで駆り立てる山本さんのお人柄…。
いつも明るく前向きに、41歳の山本さんが「まだまだ若いから未来がある」と生きる希望も体力も失いかけている同胞に勇気を見せ、スポーツ大会では実況で皆を笑わせ、俳句の回を催して皆を癒し…
これはフランクル著の『夜と霧』日本人バージョンだと感動しました。
人種が違えど、どんな時でも希望を失わず周りの同胞を慮り愛情を忘れずに接する。
私に同じ事が出来るとは到底思えません。
最近あまりにも本に泣かされるので、今回は泣くもんか!と耐えていたのですが、祖国に戻って瀬戸内海を見つめ、同胞であった野本さんが山本さんを想って彼に教わった詩を涙ながらに詠む場面で「もう知るかぁー!!悲しいもんは悲しいんやー!!」と軍歌の流れていない部屋で涙腺ダムを崩壊させました。
遺書が遺族の方に届いたのは山本さんが抑留されてから12年後。戦後もご家族の戦いは続いていたんですね。今後の長い人生において挫けそうになった時や人道を外れそうになった時は(そうならない事を切に願いますが)本作を思い出し、戦って下さったご先祖さまやご家族の方に恥じぬような生き方をしようと心に決めました。
手始めに私をおかしな目で見る友人達を笑って許そうと思います。(人間が小さすぎる)
最後に、山本さんの詠んだ句では無いのですが、句会で仲間の方が詠んだ詩があまりにも美しかったので置かせて頂きます。
『祖国近し 手にゆく雪の すぐ溶けて』
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映画のpvで興味を持ち、映画は公開終了後だったので、原作を読んでみました。戦後、シベリアに捕らわれた俘虜の実情は想像もできないほど非情で、そのような世界が現実に存在していたことに驚きました。そんな耐え難く未来の見えない日々の中で、希望を持ち続けて、他人のために行動を起こし、支い支え合っていく登場人物達の想いに感動しました。本を読んだ後、もう一度映画のpvを見たら涙ぽろりでした。映画見たかったです。
Posted by ブクログ
見た目は普通の薄い文庫本だった。
読み進めるにつれ、どんどん重くなり、ページをめくるのも辛くなった。
でもみんなに読んでほしい。課題図書にしてほしいと思ったら、どなたかも書いてあった。
「夢顔さんによろしく」を読んだ時とはまた違う感情が湧き出た。それは、今の自分の環境もあるのだろう。
Posted by ブクログ
戦争の悲惨さもそうだが、その後の十数年も収容所に入れられる悲惨さは筆舌に耐え難い。
フランクルの夜と霧にも似た感情を持つのは私だけだろうか。
どんなに苦しい時でも人に対して明るい影響を与えるような人に切になりたい。
Posted by ブクログ
梯久美子さんの「この父ありて」で角川源義と辺見じゅんの父娘物語を読んで、手にしたこの一冊、近時、映画化されてたんですね。
収容所で書かれた遺言を仲間たちが尋常ならざる方法で祖国に持ち帰り、遺族に伝えたという実話の辺見じゅんが描き切る。
感動で心が震えます。
映画化されると聞いて観る前に読んでみた。山本さんの遺書をなんとしてでも奥さんに家族に伝えたいという生き残った仲間たちの思いが
熱くて感動した。過酷な状況下に置かれても決して夢をあきらめない、日本に帰ることを信じてその日その日を少しでも楽しく過ごせれるように嬉々として周りに働きかける山本さんの姿が読んでいて、変な意味で癒された。
希望を絶対に捨てない、不自由な生活でも制限される生活でも頭の中だけは縛られまいとする山本さんに感銘を受けた。
Posted by ブクログ
シベリア抑留のノンフィクション作品。
山本さんの人間性が素晴らしいし、その人の遺書をなんとか日本の家族に届けようと知恵を絞る仲間の絆に感動。
ちなみに遺書の持ち帰り方は、原作と映画で少し違っていた。
本当に尊い作品でした。
Posted by ブクログ
見事な作品です。
終戦後、シベリアに抑留された無名の男性・山本幡男の生涯を描いたノンフィクションです。しかし、まるで一個の良く出来た「物語」を読んでるような気持ちになります。
ラーゲリについてはソルジェニーツインの『イワン・デニーソヴィチの一日』で読んでいますし、実は亡くなった父もシベリア帰りで少しは話を聞いていました。その分、他の人に比べインパクトは小さかったと思います。
むしろ主人公の生き様が強く印象に残ります。「死せる孔明生ける仲達を走らす」というのは不適切な言い回しかもしれませんが、主人公を慕い、敬った仲間たちが、10年を超える抑留から解放され、シベリアから思わぬ方法で持ち帰り奥さんに伝えた遺書。それが、主人公の誠実で苦難にもへこたれず仲間を鼓舞し続けた素晴らし人間性を示しています。
Posted by ブクログ
山本が遺書について何としても家族に届けてほしい、と懇願したのが、それまでの山本像とは異なるお願いだったので違和感があった。そういう私欲のために他人を使うということをしなさそうな人だったからだ。
しかし最後まで読めば、その違和感は勘違いだと分かる。山本はもちろん家族に届けてほしいという意向はあったが、それ以上に残された俘虜たちに生き延びる強い希望を与えたかったのだろう。遺書を届けてほしいというお願いは、「あなたは生きて日本に帰れるのだ」という山本のかけた強いマインドコントロールでもあるのだ。
残された俘虜たちは何としてもこの遺書を暗記し、生きて帰るのだ、という確かな信念を持つことができた。これが帰還までの生きる寄す処となったことだろう。死してなお希望を与え続けた山本の力に感嘆する。
Posted by ブクログ
戦争が終了した後も、過酷な北の土地で強制労働を強いられていた人達がこんなにもいたことを知らずにいたこと恥ずかしい。
ただこの本はそんな過酷な生活を嘆く内容ではなく、そんな中でも希望を捨てず皆の力になった人がいたこと、そんな人を中心とした人の絆を表現した作品。
今だからこそ、人の絆に触れる作品が必要だと思う
Posted by ブクログ
映画を見て原作も気になり読みました。過酷な状況に負けず辛い生活の中にわずかな楽しみを見つけていく主人公が本当に素晴らしいです。
そんな主人公のために遺書を届ける仲間たちに感動します。
Posted by ブクログ
シベリア抑留の史実に基づいた話なので、覚悟して読みましたが、過酷すぎて何度も立ち止まりました。
極寒、飢え、重労働、次々と仲間が死んでいく、そんな極限状態でも帰国を諦めず、皆を鼓舞してきた山本幡男の人柄が素晴らしい。病魔に倒れた山本の帰国は叶いませんでしたが、仲間たちが危険を承知で遺書を分担し、暗記して、日本の家族に届けます。いかなる文書の持ち出しも禁止していたソ連当局の目をかいくぐり、ノート15ページ分の遺書が少しずつ遺族に届きます。
集団帰国が終了したのが1956年。そんな昔話でもない事実。ロシアがおかしくなっている今、平和ボケした日本人はもっと知るべき事実ではないかと思います。
Posted by ブクログ
第二次世界大戦が終了し、多くの人々には「戦後」が訪れた。
だが、終戦後も長きに渡って拘束されたままの人々もいた。ソ連の強制収容所(ラーゲリ)に囚われた人々である。極寒の地で飢餓と重労働を強いられた日本人抑留者の数は60万に上り、死者は7万人を超えるとも言われる。
外交交渉により、抑留者の釈放が決まり、最後の解放者らを乗せた船が舞鶴港に着いたのは、1956年暮れのこと、実に終戦から11年が経過した後のことだった。
本書は著者が多くの人々に取材してまとめた、ラーゲリを舞台とするノンフィクションである。その軸となるのは、ラーゲリで病に倒れた男が記した遺書だ。厳しく生活を規制され、筆記具なども満足には支給されず、さらには解放時に文書や記録等の持ち出しも堅く禁じられたその地から、男の遺書は仲間により遺族のもとに送り届けられた。いったいどうしてそれが可能であったのか。
男の名は山本幡男。ロシア語が堪能で、収容所では通訳としても活躍していた。
一時はウラル地方のスベルドロフスクに収容され、その後、東に移送されて、ハバロフスクで長い年月を過ごした。
このまま帰れないと悲観する者もいる中で、山本は一貫して「ダモイ(故郷へ、帰郷)」肯定派で、いずれは解放され、自国の地を踏めると信じていた。
その山本が主宰したのが、日本文化の勉強会だった。左翼運動のため外国語学校を中退という学歴ではあったが、山本は学才豊かで、万葉集や仏教にも詳しく、そのわかりやすい話は収容所の皆を楽しませた。後にそれはアムール句会と称する句会となり、山本の話を聞くだけではなく、集まった参加者が俳句や短歌を作り、山本が選評を行う会となった。
「ぼくたちはみんなで帰国するのです。その日まで美しい日本語を忘れぬようにしたい」
単調で厳しい生活の中で、やがてそれは皆の心の支えとなり、日々を生きる糧となった。
著者は抑留者の多くを訪ね歩き、ラーゲリでの生活を聞き取っている。
食糧も十分ではない。寒さも厳しい。碌な道具もないのに、作業は重い。
それでも文化の火を灯し続けようとした山本の姿が浮かび上がる。多くの人々を励ました一方、それは彼自身の支えでもあっただろう。
しかし、山本を病魔が襲う。
仲間たちは病室を訪れ、時に足をさすり、時に苦労して手に入れた滋養のあるものを差し入れる。だが、病状は進み、長くないことは誰の目にも明らかだった。
1人の男が遠慮がちに、家族に向けて遺書を残すことを勧める。
瀕死の山本が必死の思いで書き上げたそれは、涙なくしては読めないものだった。
山本幡男、1954年8月25日死去。享年45歳。
山本の遺書はノートに記されていた。だが、書き残したものは下手をするとスパイ行為とみなされ、処罰されることもある。
原本が処分される可能性も想定し、仲間たちは手分けして遺書を暗記したり、書き写して隠したりした。
艱難辛苦の果てに彼らが帰郷し、遺族の元に遺書が届けられたのは1957年1月のこと。仲間の1人が封書を手に遺族を訪ねた。
しかし、届けられたのはそれ1通ではなかった。別の仲間たちから1通、また1通と遺書の一部、また山本の句や詩が届けられた。時を経て、全部で7通もの遺書が、山本の無念の言葉、そして遺族への励ましを伝えたのだった。
15ページにも渡る遺書は、家族全員へのものに加え、母、妻、子供宛てのものがあった。遺書を守った仲間の1人は、「これは山本個人の遺書ではない、ラーゲリで空しく死んだ人びと全員が祖国の日本人すべてに宛てた遺書なのだ」と思ったという。
山本の残した「海鳴り」という詩がある。
「耳を澄まして聞くと海鳴りの音がする
ろんろんと高鳴る風の響き
亦波の音
(中略)
嗚呼 寒夜の病床に独り目を覚まして
私は ろんろんたる海鳴りの声を聴いてゐる
遠く追憶を噛みしめてゐる」
臨終の床にも、故郷の隠岐の海鳴りが聴こえていただろうか。
極寒の地で、彼らを支えたものは、故郷への思い、そしてそれを綴る言葉そのものであったのかもしれない。
Posted by ブクログ
日本人捕虜が極寒の地、シベリアでどんな生活を強いられてきたのかがよくわかりました。やはり戦争は人を人として見なくなってしまうものなのですね。地獄のような日々の中で生きる希望を多くの人に与えた山本さん。このような日本人が当時は何人かいたんだろうな。戦争を体験しているご老人はやはり強い!!
Posted by ブクログ
Get busy livin’ or get busy dyin’.
Remember Red,
Hope is good thing, maybe the best of things
and no good thing ever dies.
「ショーシャンクの空に」より
Posted by ブクログ
山本氏の妻への手紙がとても印象的だ。「実によくやった!殊勲賞ものである!」と、彼女の奮闘を心から誉める。山本氏の実直さが感じられる。山本氏の妻は実際、子供達を大学に行かせ、大変尊敬に値する方である。
Posted by ブクログ
シベリア抑留の事を正直あまり知らなかったのですが、この本を読んでかなり胸にずっしりと来ました。
山本幡男の生きて帰ると言う強い信念が、周りを動かしたんだなと、色々考えさせられました。