あらすじ
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【『この世界の片隅に』片渕須直監督 推薦】東大教授×現役東大生のユニットが戦前から戦後の貴重な白黒写真約350枚を最新のAI技術と、当事者との対話や資料、SNSでの時代考証などをもとに人の手で彩色。戦前の平和な日常と忍び寄る不穏な影。真珠湾攻撃、硫黄島の戦い、沖縄戦、度重なる空襲、広島・長崎の原爆。そして終戦し、残ったのは破壊の跡と復興への光――。カラー化により当時の暮らしがふたたび息づく。
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1930年頃から戦中・戦後の写真を、AIと手動補正でカラー化した写真集。
白黒と比べると、ここまで臨場感が違うかと驚いた。
人々の営み、感情も、戦争の苛烈さも、白黒で見るよりぐっと伝わる。
この写真を眺めながら、戦争経験者の身内と会話ができると、そしてその場に我が子がいれば、このうえない機会になるなと思う。
我が家の場合、時すでに遅し・・・で戦争経験者が身内にいなくなってしまっているが・・・
しかし、本書を著した団体のこの取り組みは、実に意義深いことだと思う。
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先日読んだ「モノクロの夏に帰る」─額賀澪著─
に出てくる写真集のモデルが本書と知り、手に取った。
著者の庭田さん(広島市出身)と東大教授の渡邉さんによる「記憶の解凍プロジェクト」の成果をまとめたものだそう。
まず、AI技術でモノクロ写真を「自動色付け」する。
次に、戦争体験者との対話・SNSで寄せられたコメント・資料などをもとに、手作業で色を補正していく。
とても地道で時間のかかる作業だろう。
しかしこの「人との対話」がとても大切だ。
白黒の世界で凍りついていた過去に色がつくことで、記憶も生き生きと動き出す。
一枚の写真から当時を思い出し、次々と語り出す当事者たち。
戦後79年となる現在、体験者の話を生で聞く機会はもうほとんどない。
本書に収録されている約350枚のカラー化写真とその記録は、本当に大切で興味深いものだ。
いくつか紹介すると
※1932年頃
皆でスイカを食べて家族と親戚の夏の団らん
──どんな時代でも笑顔のひとときは良いな
※1944年
フィリピンでくつろぐ「勤皇隊」隊員たち
その後フィリピン・オルモック湾で特攻を敢行
──六人の笑顔に胸が詰まる
※1945年8月6日 8時15分
広島市への原子爆弾投下
呉市より撮影
オレンジ色に色付け
──SF映画のようだ
※1945年8月8日
翌日の長崎への投下に備えて組み立てられた原爆ファットマンにサインする、開発者のノーマン・ラムゼー博士
──サインするの?驚いた
350枚の中には教科書などで見たことのある写真もあるが、やっぱりカラーだと印象が全く違うんだなぁと驚く。
今、私が、振り返った先に戦争がはっきりと見えるんだ。
私の祖父母は戦争を体験しているはずだが、話は聞かずじまいだった。
(とっくに亡くなっている)
今度実家に帰ったら、祖父母のことを両親に聞いてみよう。
(両親も老齢だ 急がねば)
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白黒写真に色が着くだけで歴史が地続きになるようだ。遠いどこかの世界の過去の出来事ではなく、リアルにあった出来事だと認識出来る。戦前は人々も笑顔に溢れ夜には光もあった。それが時が進むにつれガスマスクを被り、笑顔が無くなっていく。衣装は地味になり、戦争を意識させる言葉が溢れ、子どもたちが軍服を着る。空襲や特攻の生々しさ、極めつけは広島の原爆写真。戦争がじわじわと日常を侵していく不気味さ。カラー写真ってすごいな。
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歴史の事柄として知ってはいた戦前、戦争の時代だったが、カラーの写真で見ることで、その時代、その人達にも生活があり、生きてきて、私達と繋がっているんだ。
ということを強烈に感じた良書だった。
言葉ではうまく表せないが、祖父母が小さい頃の時代を知れ、懐かしく、切なく悲しいが嬉しい気持ちになった。
Posted by ブクログ
昔の白黒写真をカラー化するという、面白い試み。日独伊三国同盟のカラー写真はtwitterで見たことある人も多いのではないか。
試み自体は面白いものの、正直カラー化になんの価値があるのかと思いながら読んだ。しかし、驚きではあるが白黒で見た(昔)の写真が、カラー化によって地続きの過去になっていくのが実感できる。白黒写真というのは空が白いだけで本質的には夜なんだよな。モノの輪郭は掴めてもイメージはつきにくい。
教授室の「第ニ外科歴代教授」掲示などを見ると、過去の教授が白黒で写っている。あまり意識したことがなかったが、白黒写真はそれ自体が過去の象徴である。これがちょっと色づくだけで、過去の想像から、過去の体験へと変わる。例えば、1930年代の繁華街の白黒写真を見ても、目が滑るだけだが、カラー写真になると「桜の季節だ」「白象に乗っている子供がいる。服の色合いからして裕福そうだ」「べっぴん店の広告がある。看板がきれいなところからして、新しい店なのか。あるいは繁盛しているのかもしれない」などと目が留まるところが多い。
写真への自己の投影のようなものが簡単になる。「生まれる前の時代が本当にあったんだ」と実感する感覚が近いだろうか。
手塚治虫の『アドルフに告ぐ』のゾルゲ事件のところで見た、防諜を促すコマと同じような、防諜週間の写真があって感動した。
真珠湾攻撃の写真は必見。それまで戦前の平和な写真から一転、爆発炎上する駆逐艦には息を呑む迫力がある。ドイツがアメリカに宣戦する写真はナチスのカルト性がよく現れている。
戦争の写真では、日本の写真が特攻兵などの記念写真が多いのに対し、アメリカは攻撃している、あるいはされている写真が多い。おそらくだが、日本は度重なる攻撃で記録が残らなかったのに対し、アメリカは生き残ったフィルムが多いのだろう。
爆撃されている最中のエンタープライズの写真など、命知らずの戦場カメラマンの本気が見て取れる。
ドイツのドレスデンの写真は、オーウェルが『荒廃したドイツの未来』で『ドイツの破壊された町々を歩けば文明の持続性について強い疑念を抱かざるにはいられない』と評した街を見て取れる。遮蔽も少なく、フラグメントイーストよりよほどフラグメントである。
米軍の対空砲火、恐るべし。空を縫うような面制圧である。これでは特攻も戦況にさほど影響を及ぼさないであろう。
ライヒスタークの赤旗、少し感動した。
日本兵、やせ細ってて本当に可哀想。腹が減っては戦ができぬ。
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白黒写真をカラー化すると、とても鮮やかに情報が伝わってくる。当たり前だが、被写体の彼らは歴史舞台の登場人物ではなく、日常を生きた人間なんだと強烈に感じることができた。以下は特に印象に残った点。
戦前の穏やかな日常の写真のなかに、たくさんの人々の笑顔があったこと(昔の人は写真ではあまり笑わないと思っていた)。
戦況激化とともに、禍々しいスローガン等でじわじわと追い込まれていくなかでも、日常生活や笑顔が見られた写真があったこと。
写真におさまる日本の航空兵達の顔立ちが、戦況が悪化するにつれ幼くなっていくと感じ辛かったこと。
戦後の焼け野原でもちゃんとデートしていたこと。
戦場となった海と空がとても青かったこと。
戦争について考えるとき、文字を読み想像することも大切だが、この本は写真の持つ情報伝達性が十二分に活かされていて、当時を考えるうえで貴重な本だと思った。
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百聞は一見に如かず、ましてカラーをや。。
モノクロで記憶され続けている自身の昭和初期像を塗替え、歴史上のではなく、今を生きる自分たちの少し過去の延長戦上の日本人として活写されている点は非常に興味深い。特に庶民の日常の何気ない一瞬は、当たり前だけどカラー満載の世界で生きていたのだと改めて痛感させてくれる。言葉のいらない近代史をみせてもらって感動した。
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白黒写真に色を付けるという。たったそれだけなのにいろんな感情が沸き起こってくるのがわかります。
モノクロでは、昔のこと、自分の世代とは異なる、という印象が無意識にあったのですが、カラー化により今の自分と連続している身近な印象を持ちました。また、色彩の鮮やかさで、当時の躍動感、豊かさが感じられた。みんな一生懸命生きていたのです。特攻に行く前の兵士の笑顔とか、たまらない気持ちになりました。
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AIが着色した写真を見せたときに、認知症の方が記憶を思い出し語ったということに心を動かされました。
戦後生まれの自分には時間が止まったように感じる白黒写真。
家族で出掛けたり、西瓜を食べたり。
色鮮やかに蘇ったそこには、今と変わらぬ家族の団欒の姿があり、それが戦火の下で永久に喪われてしまった事実はとても悲しく、胸を打ちます。
子どもたちが戦争を理解できる年頃になったら、この本を囲んで戦争について語り合ってみたいと思いました。
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平和活動を積極的に行う若い著者が被爆者と接する中で、写真に特別な思いがあるのではないかと思い、白黒写真をカラーにするプロジェクトを立ち上げた。
文字より写真、白黒よりカラーの方が、鮮烈だ。どうしても我々には、白黒写真は自分の事とは思えない。遥か昔のことのように感じてしまう。それは今目にしている風景が全てカラーである事と、写真技術が白黒からカラーに進化していったという知識があるからだ。
そこで敢えて白黒写真をAI技術でカラー化していくこの企画は、過去をより実体験として経験してもらうのと同時に、写り込んでいる人や風景が、現在と繋がっているのだということを再認識してもらうための素晴らしいプロジェクトだと思う 。
それは記憶の継承と同時に、敗戦前後で断絶してしまった日本人としての精神性を取り戻すきっかけになるかもしれない。
「記憶の解凍」
素晴らしいネーミングの、素晴らしいプロジェクトだと思う。
Posted by ブクログ
広島出身の庭田杏珠さん(東京大学学生)と渡邉英徳同大学教授の共著で、映画「この世界の片隅で」の片渕須直さんやアーサービナードさんらがプロジェクトに加わり、戦前・戦争と人びとの暮らしをAI(人口知能)でカラー化します。庭田さんは広島出身で、どのように戦争体験者の「思い・記憶」を未来へ伝えていくかを考える中で、カラー化の手法にであいます。また、渡邉さんは2016年からAI技術を応用して白黒写真をカラー化する活動を開始し、庭田さんと出会います。AIでカラー化した写真を当事者の記憶を解凍して色の補正を行い、よりリアルな色合いに仕上げていきます。大正末より、治安維持法で言論統制が厳しかったとはいえ、穏やかな生活から徐々に軍靴の音が近寄り、軍民一体の戦争へ突入していった。途中で目をそむけたくなる場面にも遭遇するが、プロジェクトのみなさんの平和への思いが伝わります。高齢者と共有することで、回想法となり、新たな記憶が甦るかもしれません。
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ヒロシマ以前の風景を復元する「記憶の解凍」プロジェクト。AIを活用し白黒写真をカラー化。息を吹き返した過去は現在につながる。
白黒写真は過去のイメージ。それがカラー写真となることで一気に現実味を帯びる。本書に収録されるカラー写真の多くは戦前の広島の中島地区。4400人が暮らした町は爆心直近。町は全滅し戦後は平和記念公園となる。
個人の収蔵写真を集めカラー化する「記憶の解凍」プロジェクト。原爆で失われる町並みと人命。家族の幸せな風景、来るべき悲劇。
本書には、広島だけでなくほかの多くの写真も収録。朝日新聞に保管された物がおおいのでどこかで見たことのある写真が多い。ミッドウェー海戦、ガダルカナル、沖縄戦や空襲など。そして戦後の戦災孤児などまで。
本書は偶然ながら電子書籍で購入。写真を拡大して見られるし見開きの写真の真ん中も途切れないので、電子版の方がオススメである。
カラー化され息を吹き返した写真。現実味を増したことで。戦争が身近に感じられる。それは遠い過去ではなくごく最近のことであるし、また我々の未来なのかもしれない。
Posted by ブクログ
本書のレビューで多くの方々が書かれているとおり、白黒だと身近に感じにくいことが、カラーになると命が吹き込まれ生々しく伝わってくる。
音・臭い・温度・触覚などが追加されたわけでもなく、単に色が付いただけなのにこの歴然とした違いは何だろうかと思う。
美しく青い海と空や、緑の草木、黄色やピンクの花、これら白黒だと識別しにくいものがカラーだと一瞬で何であるかを理解できてしまうから?
カラーだと今までの自分の生活体験で得た色や形の情報と結び付き易く、脳が即座に活性化させられるのではないだろうか。
飲食でも視覚と臭覚が味覚に影響を与えるように、色によって視覚以外のいろんな感覚が無意識に湧きだして来て絡み合うのだろう。
何百年もの遥か昔のことではない、ほんの数十年早く生まれていたら自分が経験していた社会の生々しい現実がここにある。
本書にページは振られていないので目次がないが、
1941年:戦争前
1941年:戦争開始
1942年:
1943年:
1944年:
1945年:敗戦まで
1945-1946年:戦後
と続く。
真珠湾攻撃で始まり、長崎への原爆投下で終わったとも言える戦争とその前後の生活の写真による記録。
まさに「諸行無常」で「ああ無情」だ。
普通の日常の風景として、幼稚園児が鉄砲(のオモチャ)を持ったり、防毒マスクをつけて戦争ごっこをしている。
人間魚雷、神風特攻隊として九死に一生ではなく十死に零生の戦法で的確に敵艦を狙う(9.11みたいだ)。
空襲に備えて殺処分が取られていた上野動物園のゾウ3頭が一ヶ月間で次々に餓死する。
終戦を迎える1945年には、4月から日本全土がほぼ爆撃され、庶民の生活や精神がボロボロになっているのに8月まで無駄に抵抗を続ける日本の姿。
広島に投下された原子爆弾「リトル・ボーイ」や長崎に投下された原子爆弾「ファットマン」は想像以上に小さい。
米軍は爆撃の前日に原爆にサインして記念写真まで撮る余裕を見せている。
昭和天皇(終戦時は44歳と若い)とマッカーサーの写真もカラー化されている。
戦争が終わったが空襲で校舎を失った品川区の児童たち。天気のいい日だけの青空学校の風景がもの悲しい。
たばこが生活必需品だった時代らしく、終戦からの復興の記録として新発売のたばこ「ピース」を買うために銀座松屋の周りを取り囲み並ぶ大勢の人々の平和な姿。
今日は憲法記念日か。
戦争は愚かな行為だ。本書の写真を眺めていてつくづくそう思う。
自衛権のあり方や国防の定義が曖昧だと言って、戦争を容認するような憲法改正(改悪)には絶対に反対だ。
「色」と記憶の関係
庭田さんのあとがきにあるエピソードを読み、「色」と記憶の抜き差しならない関係性を感じさせられる。当人が思ってもいなかったような記憶が「色」によって呼び覚まされる。思い込んできたことや、記憶からこぼれていたものが。科学技術の発展によって75年前の記憶が蘇ると同時に、その時を経験していない我々へ訴えかける情報に厚みをもたせることもたいへんに興味深い。動画のカラー化というのは以前からあったが、写真というさらに一般人の日常に近い媒体のカラー化は戦前と戦争の風化を抑制する大きな力になるのではないか。
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明治時代、手彩色写真というものがあった。本作はデジタル技術を用いて白黒写真をカラー化。ものによっては被写界深度の関係から合成写真っぽく見えるものもあった。閑話休題。日本が太平洋戦争に突き進み、広島・長崎の原爆被害を含め多大な犠牲を払って、やがて終戦を迎えた時代に写された写真のカラー化は、見る者に圧倒的な現実感と悲壮感を抱かせる。広島から発信される平和活動の一環として、これからも「記憶の解凍」プロジェクトを継続してほしい。
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太平洋戦争前後の白黒写真をAI技術と関係者の話でカラーにした写真集
AI技術の発達に驚いた。
白黒からカラーになることでリアル感が増す人間の認知に驚いた。
戦争について少しは知ってるつもりで、実は想像以上であったことに驚いた。
かつては普通に日常があり、それが戦争で信じられない程に失われた。その後日本は復興して平和であったが、また国際情勢が怪しくなってきた。戦争について考え上で、こういった資料に触れることは大切であると感じる。
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間もなく戦後80年になろうとしている。太平洋戦争前の日本といえば軍国主義が街中に色濃く溢れ、軍艦や戦闘機をはじめとする武器の開発製造に国のあらゆる先端技術が注がれていた。その様な中で、人々の生活全ては戦争に大きく左右され、貧しさに耐えながら、そして、家族を兵士にとられた家ではその無事を祈りながら日々生活を送っていた。写真技術は19世紀には早くも登場していたものの、一般的な家庭へのカメラの普及はまだまだの時代であり、裕福な家庭や報道を職業にする一部の人間しかカメラなどは持てない時代であった。その様な中でも当時撮影された白黒の写真が現在まで各家庭に大切に保管され、特に戦争中の従軍カメラマンの撮影した白黒写真を学習教材などで目にした事もあるだろう。そう、当時の写真はカラーではなく白黒だ。
現在ではカラーは当たり前、私もこれまで何台もカメラを所有してきたが、オートフォーカスや明るさの自動補正、シャッタースピードも自動で調整するなど、大半の操作はデジタルとなった。所謂デジカメは出た当時に100万画素も無かったものが、今ならスマホでも1000万画素は軽く超え、私も昔使っていたような一眼なら4000万〜5000万画素も安く手に入るまでに至った。
更に驚きなのはここ数年で流行し始めた、写っている画像自体の補正技術だ。余計なものが写り込んでいれば人であろうと消してしまい、抜けた部分を周りの風景に同化させるようにして、如何にも元々何も写り込んで無かったかの様に見せるところまで来た。複数枚撮った写真から1番笑顔の写真を拾ってきて、全員が最高の笑顔で写ったように補正してしまう。こうなるともう構図もシャッターチャンスも関係なくなってくる。最早これを写真と言って良いのかも謎だ。
本書は太平洋戦争前後に撮られた多くの白黒写真をAIを駆使してカラー化し現代に色のある世界として甦らせたものだ。とは言っても、完全にコンピュータ処理だけで出来たものではなく、撮影者や被写体、その関係者などとの会話によって、実際の色がどの様なものであったかを記憶を辿り人が更に補正していくといった難しいプロセスを経て完成されたものである。写真は人の記憶を呼び起こさせるものではあるが、前述した様に前後80年近く経過し、その被写体も記憶も失われつつある中甦らせた貴重な資料である。写真が無ければ全く記憶から消えてしまいそうな風景や人も、カラー化された絵から、再び人々の記憶として甦り、喜びや感動を呼び覚ます。
そしてそれが新たな世代に、先人たちの日本の歩んできた道を理解するきっかけの一つになる。軍国主義とは言え、人々の生活の中には、結婚や出産、賑やかな祭りや学校へ通う少年少女達がおり、おしゃれを楽しみ、恋人と過ごす時間があった事は、今と何ら変わらない。またその逆に今は我々日本人からは遠のいた戦争も、いついかなるきっかけで、再び戦禍が訪れるか解らない。誰もが平和を願っていても、日本の周辺にはミサイルを撃ったり、他の国を威圧して脅す様な国もある。日本が防衛費を上げれば上げるほど周辺諸国から見れば脅威になるだろうし、逆に不十分ならそれはそれで危険を招く。
写真に見られる日本の姿から、戦争を経て現在の平和と発展を作り上げるまでには大きな時間がかかった事を実感する。80年と言えばほぼ人の一生と同じ長さだ。戦争が起こればこの平和も一瞬で無くなってしまう。自分が生きているかさえ解らない。私がこれまで撮影してきた写真も一瞬で失われ、記憶を享受できる家族や仲間さえも居なくなってしまうかもしれない。
本書を見る事は歴史に学ぶ事と同じく、二度と戦争を起こさない誓いに繋がるだけでなく、平和と戦禍は紙一重である事を改めて思い起こさせてくれる。戦時中の話をよくしてくれる父もかなり歳をとったが、写真はその瞬間瞬間を記録し、永遠に私達の教えになってくれる。更に現代社会の技術で鮮やかに甦った本書の様な取り組みを今後も続けて欲しい。
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白黒の写真がカラーになると途端に現実として感じられるのはどういう心の動きなのかうまく説明できない。でも確かにその変化が映し出された人々が自分と同じ感情を持った人なのだということがより直接的に心の中に届く。それは人だけでなく景色や日差しの空気感もそう。戦前の沖縄の晴れた空の空気がとてもきれいで印象深い。同じ青空は戦中戦後の写真にも、原爆のキノコ雲が立ち上る写真にも写っているけど。
テクノロジーが人の心を動かす好例。
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白黒写真を現代の技術を使用し、関係者の記憶を活用しカラー化したという本。より一層リアルさが伝わり、写真の時代に入り込んで感じたり、考える事ができた。
それにしても、都市という都市がくまなく徹底的に無差別に破壊された事は人命や文化の喪失他、全ての面で残念。
読者には色んな文献や映画とセットで見てもらえたら、一層良いと思います。
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カラー写真の威力を見せつけられた一冊。AIさん方の尽力でカラー化されたものという。ぼくはモノクロ写真やセピアの写真も味があって好きだけど、戦争の写真をカラーにすると、こんなにもリアルに蘇ってくるものかと感嘆した。
大型戦艦が炎上して沈み、日本各所に空襲があり、ヒロシマとナガサキに原爆が落とされるといった惨劇たる写真もさることながら、壮絶な戦時下に生活している人々の表情が豊かであることに(特攻隊員たちまでもが!!)、胸を締め付けられるような苦しさと同時に、一瞬の安堵を感じた。この本の写真に写っている人々は、私の祖父や祖母以上の年代の人々だが、戦火をくぐりぬけ、先人たちはたしかに生きてきたし、かつ逞しかった。
戦争、人間、、さまざま考えるためにも、手元に置いておきたい一冊である。
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戦前から戦後の貴重な白黒写真。最新のAI技術と、当事者への取材や資料をもとに人の手で彩色。カラー化されることにより、当時の事をイメージしやすくなりました。できる限り再現しよう取りくまれています。「過去の色彩の記憶をたどる旅」
たまたまNHKで見た松本隆さんの「君は天然色」の歌詞「想い出はモノクローム 色を点けてくれ
この歌詞が生まれた松本さんの回想が、ちょうどこの本とリンクしました。
地道な事業を引き続き記録として、残していただけたらなと。
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渡邊先生がニューラルネットワークでカラー化した写真をtwitterにアップしていたのは見ていたので、本書はそれをまとめただけのものと思っていたのですが、この本は更に、当事者のヒアリングを元に色を補正するところまで実施していました。その最後の手処理が大変なのでしょうが、それによってさらにリアルさが増しているように思いました。
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カラーで見るとあの時代を過ごされた方々の凄まじい経験が少しでも分けてもらえるような気がします。
松山空襲の写真を見てよくウチの親父さんは生きていたもんだと今更ながら思います。
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第二次世界大戦の戦前・戦後1941年~1946年くらいまでに撮影された白黒写真をAIの技術と当事者への取材・資料をもとに彩色しカラー化したものが掲載された一冊(355枚とかなりのボリューム)。カラーになるとモノクロだと見えてこなかった景色がリアルに見えてくる、戦争敗北後の1946年の銀座でタバコを買いに大勢の人が行列しているのが一番印象に残ったかな(笑顔の人がちらほらいたという点で)。収録されている写真の中には、映画「この世界の片隅に」「火垂るの墓」に関連する写真もある。
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たくさんの戦前・戦中の写真はあるが、もっぱらシロクロです。わたし達はそれは見て、無機質で静止した「凍りついた」印象を受ける。戦争を他人事にとらえることに一因にもなっている。このカラー化は、戦争を自分のこととして捉えることを助けるだろう。
AIで色をつける事はできる(幕末期写真はそれ)。しかしそれでは未だわたし達の知るカラー写真ではない。その記憶を持つ「生存者」と話し合い、色をつける。その写真を見せて、更に記憶が蘇る。更に写真が真に迫ってゆく。
そうやってよみがえった写真の数々。気がついたことを以下に羅列してゆく。
(ー1941)
・1932年大阪浜寺双葉幼稚園。12人の幼児が小山に登ってメルメットを被り、背中にカバンを背負って、おもちゃの鉄砲を構えて、戦争ごっこをしている。明るい日向の下、新緑の芝生の上のいかにも微笑ましいはずの景色ではあるが、鉄砲を構える幼児たちや旗持ちの姿が、あまりにも堂に入っていて、「これが戦前の風景なんだ」と腹落ちするのである。
・あみ傘をさした着物姿の沖縄県糸満の女性。現代のどの映画女優とも似ていないけど、わたしならば直ぐにスカウトするね。それほどの存在感ある美人。後の白いTシャツ、紺のスカートの女の子は裸足である。
・糸満の漁師のふか捕り名人。木綿紺絣(こんがすり)の一枚を羽織って帯で締めただけの普段着の中年の男の堂々とした筋肉と面構え。こういうのを見ると、弥生時代、貫頭衣一枚で人々が暮らしていたのも頷ける。
・1939年。軍服・モンペ姿の結婚式の挙式での2人。2人とも中学生と見間違うほど幼い。モンペといえども、女性は桜色の着物を着ている。草履の鼻緒も色を合わせて精一杯のおしゃれをしているのを、カラー化で初めて知る。女性はずっと「一度は花嫁衣装を着たかった」とこぼしていた。
(1942)
・岐阜県の田舎の村の囲炉裏をかこんだ8人家族を映した写真。カラーだから、多くが鮮明。モンペの上のカスリが如何に粗末なものか、擦り切れた畳表、ピカピカに磨かれた板塀、使い込まれた鉄瓶、真っ白い陶器の湯呑みなどの「生活」が見える。父母と妹2人兄1人兄嫁と子供3人そして本人の9人家族である。
(1943)
・神戸市にて「働く婦人標準服展示会」という名前の街中の行進を写す。全員10-20代。紺一色か、つちいろ一色。しかし作りは意外とオシャレである。←コロナ禍のもと、こういうファッションショーもあって良いんじゃないか?
(1944)
・一月。土俵入りする大横綱双葉山の写真。ほとんどの娯楽は閉まっていたと思っていたが、相撲はやっていたのか!ほぼ満員。まわしも金の化粧で派手だ。
・マリアナ海戦の軽巡洋艦「バーミンガム」から撮影された、戦い後の飛行機雲を眺める兵員。三つ四つの飛行機が左右から違う円を描いて交差している。もはや2度と見ることは無いだろう(軽戦闘機の交戦はもうあり得ない)、青空の下の飛行機雲である。
・特攻隊員たちの笑顔の記念写真が数枚ある。みんな若くてイケメンである。どうして?と思う。
(1945)
・硫黄島(全滅に近い)で、まる2日死んだふりをして土に埋もれ手榴弾を持っていた兵士が、説得されてタバコをもらっている図。こういうところが、アメリカの余裕だな。
・東京大空襲の後の空撮写真。まるで緑色のタペストリーの半分が灰にになってぶすぶすと燃えているようだ。
・3月17日神戸大空襲の跡。少し焼けて白い立て看板が立てかけられている。「楠公の霊地だ、断じて守れ 湊川警察署」。一面の焼け瓦礫。の中にこれを建てる警察署とは何なのか?霊地とは楠木正成が祀られている湊川神社のこと。
・沖縄戦での有名な「鉄の雨(対空砲火)」の実際の色を初めて見た。空襲する日本軍機に向けて、まるで機織り布の糸のように撃ちて撃ち込んでいる「白色」は実は白い光線と橙色の光線が混じったものだった。こちらの方が確かに現実的だ。
・無数の特攻機の写真がある。米軍の論理からすると、人間ではない奴らの仕業にしか映らなかったのかもしれない。日本人から見たら、人の死んでゆく様を写真に撮ったとしか思えない。
・燃え盛る名古屋の街の空撮。まるで一枚の板が下から上に焼けているように見えるし、見ようによっては美しい。もう2度とあってはならない「戦争の姿」。
・1945年6月25日、沖縄で米軍に投降する「白旗の少女」比嘉富子さんの有名な写真。カラーで初めて観る。ぼろぼろの紺のかすり、茶色のズボン、裸足、痩せこけた肋骨と腕、その辺りにあった山地の枯れ枝に白地の布をくくりつけたと思える急拵えの旗。様々な情報がカラー化する事で見えてくる。
・呉市から見た広島市のキノコ雲。助言を得て若干真っ白から少しオレンジ色がかかっている。正に禍々しく美しい。そして、なんと間近に見えることか!
・福山大空襲跡の城址から見える福山市街地。ほとんど海が、山が見える。現代と比べて信じられない。
・禍々しい、長崎市香焼島から見えた、長崎原爆が落ちた直ぐのキノコ雲。エヴァの世界だ。
(1945-1946)
・マーシャル諸島の捕虜兵士の写真。これで生きていけたのかというくらい痩せている。
・11月千葉県国鉄総武本線日向駅近くの買い出し列車。屋根はもはや無く、まるで布切れの輸送列車のように人が溢れる。人はこんなにも列車に乗れるものなのか。みんな帽子をかぶっているか、手拭いを巻いている。裸頭は1人もいない。
・一転、46年1月25日、銀座松屋呉服百貨店の前に発売のタバコ「ピース」を求めて、延々と「密に」並ぶ壮年男女と学生、数人帰還兵も。みんな比較的いい服を着ている。焼け野原の東京の何処から湧いて出たのか。
・広島八丁堀の福屋デパートは、八丁座という名映画館があるために何度か訪れている。そこから被爆1年後の屋上から写したカップルの写真が最後に載っている。あの繁華街から海が見える。しかし、その頃デパートは既にダンスホールを営業していたという。カップルはその客かもしれない。いろんなことを考える。
Posted by ブクログ
戦前・戦時中の白黒写真をAIと人の記憶でカラー化する「記憶の解凍」プロジェクトの成果の一部。昼休みによく平和公園を散歩するだけに、場所がわかる写真が多くあり、この写真の世界と今は同じ世界なのだ、という事を再認識させられる。
Posted by ブクログ
情報デザインとデジタルアーカイブによる「記憶の継承」について研究されている渡邊教授と、広島出身で平和活動に取り組まれてきた庭田さんが共同で取り組む「記憶の解凍」プロジェクトの成果物のカラー写真が掲載されています。
被爆前の広島の写真をはじめ、戦前・戦中・戦後の広島、沖縄、国内の写真約350枚がびっしり掲載されています。
方法は、AIで自動的に色付けしたものを、地元の人や専門家との対話やその他資料、SNSで寄せられた情報を基に補整、修正する作業を経てできる限りの「再現」を試みたものだそうです。
オンライン・アプリでも最新のものが公開されているみたいです。
それ以外にも、様々なデジタルアーカイブに取り組まれているのですね。
被爆とは全く関係なかった広島というものを想像する機会がこれまであまりなかったかもしれないなーと思いながら、
今も、どんな都市も生活もが、ありえた未来と想定外の未来との間で進んでいるんだなーと、なんだか不思議に感じました。
また、被爆者で今は認知症を患われていた方が、カラー化された写真を見て記憶を蘇らせたのか、思い出を生き生きと語りはじめた、というお話が庭田さんより紹介されていました。
色が付くことで、より物事をリアルに想起できる、想像できる、というのはこのような効果もあるのか、と思ったりしながら、思い出は確かに色と共にあるなーと思ったりしました。
Posted by ブクログ
すばらしい企画。
本書(2020)と、「この世界の片隅に」(こうの史代原作2007-2009、片渕須直監督でアニメーション映画化2016,2019)、ピーター・ジャクソン監督「彼らは生きていた(ゼイ・シャル・ノット・グロウ・オールド)」(2018)が響き合って。
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【『この世界の片隅に』片渕須直監督 推薦!】
戦前から戦後の貴重な白黒写真約350枚を最新のAI技術と、当事者への取材や資料をもとに人の手で彩色。カラー化により当時の暮らしがふたたび息づく――。
■著者からのメッセージ
本書には、「カラー化された」戦前から戦後にかけての写真が収録されています。当時の写真は、もっぱらモノクロです。カラーの写真に眼が慣れた私たちは、無機質で静止した「凍りついた」印象を、白黒の写真から受けます。このことが、戦争と私たちの距離を遠ざけ、自分ごととして考えるきっかけを奪っていないでしょうか。
私たちはいま、AI(人工知能)と人のコラボレーションによって写真をカラー化し、対話の場を生み出す「記憶の解凍」プロジェクトに取り組んでいます。
戦前の広島・沖縄・国内のようす。そして開戦から太平洋戦線、沖縄戦・空襲・原爆投下・終戦。自動カラー化ののち、写真提供者との対話、資料、SNSでの時代考証などを踏まえて仕上げた、約350枚のカラー化写真が収録されています。
しあわせな暮らしが、少しづつむしばまれていくようす。戦禍が日常に。そして焼け跡から生まれた希望。一葉一葉をめくり、眺めながら、過去のできごとに思いを馳せていただければ幸いです。(渡邉英徳)
高校1年生の夏。私は広島平和記念公園で、濵井德三さんと出会いました。濵井さんの生家は戦前、中島地区で「濵井理髪館」を営んでいました。中島地区は現在の平和公園にあたる場所で、原爆投下前は4,400人が暮らす繁華街でした。
濵井さんが疎開先に持参した大切なアルバムを見せてもらうと、戦前のご家族との幸せな日常を写した白黒写真約250枚が収められていました。「ご家族をいつも近くに感じてほしい」という想いから、私はカラー化の取り組みを始めました。
その後も、少しずつ中島地区の元住民との繋がりが広がり、資料や対話を通してよみがえったさまざまな「記憶の色」を再現しています。
写真集の出版にあたり、私自身は子どもたちの目線から写真を選びました。戦争は、戦地で戦う人たちだけではなく、子どもたちを含む一般市民も巻き込まれてしまうものなのだと伝えたかったからです。家族と最後のお別れもできないまま、永遠に一人ぼっちになってしまった、中島地区の濵井さんたちの想いとともに……。
本書を通して、戦争や平和について、自分ごととして想像してほしい。そして、それぞれが感じた想いをまた、大切な友達や家族に伝えてほしいなと思います。これが、今の私にできる戦争体験者の「想い・記憶」のあたらしい伝え方です。(庭田杏珠)