あらすじ
中国の王朝が隋から唐へと移り、朝鮮半島から戦火が迫る。古代日本の律令国家は、そうした極度の軍事的緊張のなかから生まれた。国土防衛と権力集中への模索から、海を介した人々の知的交流、制度にとどまらない文明の継受によって、独自の国制を築く過程を描き出す。東アジアを舞台とした、「日本」誕生のドキュメント。
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Posted by ブクログ
・隋唐の中国統一は東アジアに大きな影響、高句麗は泉蓋蘇文による宰相独裁、百済は義慈王による王族・重臣追放の専制君主型官司制、新羅は金春秋による傀儡女王一人に権力集中・貴族評議の集権化と集権化による国力の強化を図った。倭も蘇我入鹿が高句麗型、中大兄が新羅型の集権化を目指した。
・白村江の敗戦は激震をもたらし、庚午年籍による徴兵、朝鮮式山城の建築、防人等軍事力の強化が図られた。
・唐・新羅とは緊張関係にあったが、唐と新羅との10年に及ぶ戦争のなか、新羅が倭に接近、唐も倭との対立を緩める。
・国号の日本は、唐からみた国号であり、唐と対立した倭とは別の王朝であるとの印象操作もあったのではないか。
・律令の受容にあって、唐律は極めて緻密で体系化されていたので、量刑を軽くするなどを除き、そのまま受容した。ただし唐は礼とのセットであったのに対し、文化の異なる日本は礼をほとんど受容しなかった。
・唐令は日本の文化や政治に合わせる必要があり選択的需要や改変を行った。
・戸令の家族法は中国の宗族と礼によるものであり、日本の文化とはまったく違っていたが、逆に理想形としてそのまま継受。衣服令・鹵簿令・儀令のうち天皇の儀式・衣服等に関するものは、ほとんど継受せず、伝統的な宗教による儀式が法文化されず行なわれた。
・皇帝は律令の外にあり、律令を超える権限行使ができたが、天皇は律令の下にあり、マエツキミの群議に従った。
・戸籍・計帳・班田収授が喫緊の課題であり先行的に整備され、戸令が人民支配の規定とされた、唐令の戸令は貴族の身分把握や選挙が主であった。唐の均田制は永業田もあり、規定では一定だが実際は相違していたし、口分田も場所によって相違していたが、日本では一律に、また女性にも配分された。国造制下のアカチダ(班田)がもとか。
・唐の庸調は、正丁に課す人頭税で現物貨幣である布に換算している税金。日本の調(みつき)は布のほか鉄、のしアワビなど多くの雑物を規定しており、国造が特産物を神に献上するミツキ(みつぎもの)。庸は布・米・塩で徴収されたが、大王の宮で奉仕するトモを国造が差し出し、その生活物資であるチカラシロ。租は収穫高の3%に過ぎず、ハツホ(初穂)として神に収めるもの。
・唐は官制が先にあり、官職につくと官位相当の位が授与されたが、日本では位が先にあり、中央の豪族が貴族として五位以上につき、位田、蔭位も貴族に極めて有利。
・四等官のカミ、スケは長官と次官ではあるが権限はほぼ同等、長官二人制は一般的であり中央貴族が任官。律令以前は南朝の制度導入し三等官で実務官僚がサカン(朝鮮語の史官?)。ジョウ(丞)は漢語の助け。
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<目次>
はじめに
第1章 遣隋使と天皇号
第2章 東アジアの緊張のなかでの権力闘争
第3章 律令制の形成と「日本」
第4章 固有法としての律令法
第5章 官僚制と天皇
第6章 帰化人と知識・技術
第7章 吉備真備と「礼」
第8章 鑑真来日と唐風化の時代
おわりに
<内容>
タイトル以上に7世紀から8世紀の日本史を最新の知識でまとめた内容となっている。特に近年の東アジア史の中の日本、という感じがよく出ている。
Posted by ブクログ
大津透『律令国家と隋唐文明』
軍事脅威が国家の意識を固めさせた、7〜8世紀の日本が隋唐という巨大文明の「波」に揉まれながら、必死に国家像を模索した時代、天智・天武の本気が隋・唐の組織像への解像度を上げ、文化を含めて形を作っていったダイナミズムが時代としか言いようがない
タイトル「律令国家と隋唐文明」、白村江の敗戦後の極度の緊張の中で、唐の先進制度を「生存戦略」として取り入れ、飛鳥浄御原令から大宝律令へと律令国家を構築していく過程を、東アジア史の文脈で描く、制度の輸入に終わらず、古来のヤマト王権の宗教的性格や氏族制を残しつつ、柔軟に日本化させていった日本人の感覚が好印象
この文明受容の流れは桓武天皇(山部王)時代において一つギアが上がった、百済系帰化人出身の母を持つという出自のハンディを背負いながら、大学頭など官僚として実務を積んだ山部王は、律令制導入後の「新しい意識」を最も求めて体現した天皇だった、官僚独自の文脈で中国皇帝像を強く意識し、光仁天皇から新たな朝であると言わんばかりの郊祀の実施、長岡京・平安京への遷都、親政の強化、唐風儀礼の深化など、制度(律令)から「礼」へと文明の受容を二段階に分けて移行した
頭でっかちな理想追求と、現実の政治家としての冷徹さの両面を持ち合わせた桓武天皇の姿は、律令国家が単なる「模倣」ではなく、日本独自の国制を模索する「創造的適応」のプロセスだったこと、ソレが唐の制度を復元した根気強い研究があればこそ解像度の高い論を楽しめるのだなと言いたい(実は途中で挫折しかけた)
危機が日本を変え、隋唐文明がその触媒となった——本書は古代史の入門書としてだけでなく、「日本とは何か」を考える上でも非常に刺激的な一冊で、飛鳥・奈良・平安のつながりがより立体的に見えるようになり、読後感は爽快です