【感想・ネタバレ】心を病んだらいけないの?―うつ病社会の処方箋―(新潮選書)のレビュー

あらすじ

友達はいないといけないのか。家族はそんなに大事なのか。働かないと負け組なのか。話し下手はダメなのか。「ひきこもり」を専門とする精神科医と、「重度のうつ」をくぐり抜けた歴史学者が、心が楽になる人間関係とコミュニケーションのあり方を提案する。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

マルクスの読み方とか、すごくすとんと落ちた。波長があってしまったというか。ちょっと危ないので間をおいて読んでから感想書きます。

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2022年03月02日

Posted by ブクログ

ネタバレ

初の選書

『ノルウェイの森』のエピグラフでも出てくるフェト、フェストゥムの考え方。祭りの前か最中か後かという考え方と、今ここに集中するという考え方がイントラフェストゥムにつながるという考え方。

同意と無関心と反発の三角関係の中に、共感は存在し得るということ。

条件なしの承認が人が生きていく上で大切であるが、「条件なし」ということの難しさ。

日本教という、「機能している人間」を想定する考え方が日本で通底している
日本教の上に、キリスト教や仏教などが成り立つのが、日本の特色とも言えるかもしれない。
エビデンス・ベースド・メディスンと、ナラティブ・ベースド・メディスン、科学的根拠に基づく医療と物語に基づく医療の話。
本人にとっての心的事実という話。
「同意はしないが共感はする」ということの大切さ。
アドラーの心理学は、ちょっとマッチョなところがあるということ。

「標準家族」という感覚が、ジェンダー論やLGBTや子育てに影響をしている。
日本は小規模な内輪意識が強い。中国や韓国は、もう少し大きな親戚との結束が多いが、日本は日本人街が形成されにくいように、家族単位で内と外の意識が強い。
オンラインサロンの関係性の難しさ。
フロイトが、必ず治療には金銭関係というバリアを張ったように、ある意味では「お金をお願いします」「活動を支援してください」という形で参加費を募っているようなサロンの方が、役割が明確なので健全と言えるのかもしれない。

言論のモジュール化。
つぎはぎか、ツイッターでバズっている文言を使用することで、自分の言語を作る回数が減ってしまうことは、危険なのかもしれない。

ニコ生主になることが、クライアントの健康にポジティブなデータが出たというのは面白い。
日本は、「機能している人間」であることへのこだわりが非常に強い。
『釣りバカ日誌』のハマちゃんや、『美味しんぼ』の山岡士郎のような、仕事ではなく自己実現を趣味でするという感覚が、平成が進むにつれ、そして令和では現実味がなくなっている。

100%の諦め、あるいは100%諦められないという極端さが、心理的に良くない影響を与えている可能性がある。
身体性が持つ意味。ネット上では延々に議論ができるかもしれないが、実際に会って話すと単純に疲れてしまうので、どこかで落としどころが見つかりやすいということがある。
一方で、高校野球のしごきや東洋の魔女の金メダルや、三島のボディビルのように、身体性がむしろ無限性を、精神の無限性を開いていく方向に効用してしまう可能性もある。

近年かなり広まっている発達障害、ADHD、ASD、アスペルガーが広まることによる意義もあるが、それに伴って発生している問題、この本では「バブル」という表現をしているが、そういった側面は見逃せないと。

コミュニケーション能力と共感力は別であるという考え方もある。
AIの限界は、身体がないこと、身体感覚がないこと。

ラカンは「欲望において譲歩するな」と言った。この本では、安い幻想に騙されて欲望が叶ったと勘違いしてはいけない、と書かれている。

文学教育の危機。新井紀子の著書にもあるが、意味を理解する能力こそがAIにない人間の強みであり、文学作品の読解こそが意味を扱う力を育てるという考え方が書かれてある。意味、あるいはニュアンス、意味を価値づけるということでもあるかもしれない。
文面には書いていないけれども、行間から「ああ、人を愛するって大切だな」と伝わる、そのように伝えることが文学から学べることではないのか。
そして、価値を科学的に根拠づけることを突き詰めるのはそもそも無意味・無根拠であることを適切に扱えるのは人文学・文学であると。

2000年の最高裁の判決で、うつ病がストレスなどの外因によってなるということが認められた。もともとはメランコリー親和型という病前性格だけによるものとしか考えられていなかったところに、画期的な判決と言えた。
ツレがウツになりましてのモデルは、映画で書かれたようにずっとサラリーマンとして働いていたのではなく、趣味の音楽で食べようとしフリーランスとして暮らした後、事情があってサラリーマンとして再就職した職場でうつになったというエピソードがある。
仕事一筋の人がギリギリ限界まで働いて過労でうつになるからこそ立派で同情される、という固定観念を屈折させるという映画には、惜しくもならなかった。

働くことだけが人生の価値なのか、自分を承認しない場所を離れることが悪いことなのか。
昭和の価値観、ないしは近代的な成熟モデルは今日でも有効か、そういう問題を議論できる場所が文学部であるはず。
社会関係資本と文化資本がつながって、そういった学びを深めることができる。
社会関係資本は、佐藤優さんが言う直接的人間関係とニアリーイコールのような気がする。

多様性、ダイバーシティはセーフティーネットであるべき。いろんな人がいるんだと知ることがセーフティーネットである。
斎藤先生が実施、啓蒙しているオープンダイアログについて
関係者一同が対等に会話をする。ハーモニーではなくポリフォニー、他者の他者性を理解するための言葉であり、「多くの声」と書いて多声性を大切にする治療の方法のこと。
PDCAサイクル・設計主義の負の側面に関しても認識をするべき。偶然性、偶発性といったものの尊さ、シンプルに有用であること、冗長であることが有用であるということを認識していいのかもしれない。

能力に応じて働き、必要に応じて取るというコミュニズムのスローガン。

二人の思想とか考え方が色濃く書いてあるので、テキストとしてというよりは、平成から令和にかけての精神性と関係のあるトピックスを好きに批評するような本ではあるが、非常にたくさんの切り口と考え方があって、退屈しない本だった。

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2026年02月09日

Posted by ブクログ

ネタバレ

・心の病気でクリニックに通い出すと後悔するタイミングがくる。全然治らない、もっとひどくなってるんじゃないか。そんなときに乗り越える手段が対話である。この人ともっと話してみたいと思える人に出会えることが、病気の有無に限らず、今生きることに悩む人の助けになる。

・過去の悪い点のみを何度も反芻して悔やんだり、未来を先取りして不安になる思考より、意識を今ここに集中させて常に現在しかないとするメンタリティが有効になる可能性がある。(ヤンキー的寛容が鬱を癒す)

・愛情と承認の区別 愛は負けても親切は勝つ
愛情は最終的に相手との一体化を望む感情であるため、治療上はイネイブラーの側面があるため歓迎できない。
・承認は相手を自分と独立した個人としては尊重し肯定すること、友情に近い。
本来友達とは条件なしの付き合いのことであるという認識を持ち、人には共感を通して存在を承認してもらう権利がある。

・精神分析の有名な概念エディプス・コンプレックスをはじめとして、精神分析は悩みの原点を本人の家庭環境に見出し、治療していく理論と思われているが、あくまで心の状態を解釈するためのツールであり、鑑別や区分をするための学問ではない。(物語に基づく医療の系譜)
・心が病むのは親が原因だという精神分析の通俗化ぎ、日本では親の抱え込みや否定につながり、逆に当事者を生きにくくしている側面がある。
毒親ブームにより、親子を善悪二元論で割り切る風潮が強くなっているが、単に被害者意識を持つよりも、その気づきを家族との対話のきっかけにできる
と良い。
・標準家族への幻想の息苦しさはすでに現れ始めている。血縁という必然を求めるよりも、偶然出会った人とでも、関係を作り出して一緒にいられる技法の方が大切である。

・引きこもり脱却のカギ「適度なあきらめ」(できないことを認めないと、先に進めない)
・無限の可能性を煽る教育の問題性:子供には成長過程で、自分はこういう存在で、それ以外にはなれないと自然な諦めを獲得していく。それは幼児期の親子関係だけでなく思春期を通して他者との出会いによって繰り返されていく(主体的なあきらめ)

・発達障害が時代を象徴する病のように語られる背景に、産業構造の変化に伴うコミュ力総必修社会の成立がある

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2026年04月10日

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