あらすじ
利休と秀吉、真の勝者はどちらだったのか
「茶の湯」という安土桃山時代を代表する一大文化を完成させ、天下人・豊臣秀吉の側近くに仕えた千利休。
茶の湯が、能、連歌、書画、奏楽といった競合する文化を圧倒し、戦国動乱期の武将たちを魅了した理由はどこにあったのか。
利休は何を目指し、何を企んでいたのか。秀吉とはいかなる関係で、いかなる確執が生まれていったのか。
戦場は二畳の茶室、そこで繰り広げられる天下をも左右する緊迫の心理戦
信長、秀吉、家康……死と隣り合わせで生きる者たちとの熱き人間ドラマ
利休の正体は、真の芸術家か、戦国期最大のフィクサーか <電子書籍特典> 茶人 木村宗慎さん・伊東潤対談
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
わからない言葉が頻繁に出てきて説明もなく進むので
そういう所にこだわる人にはおすすめ出来ない
とくに茶器や作法関係の一般に使わない言葉は要注意
辞書ですかと思うこの圧倒的なボリュームに
最初は戸惑いまた始めはあまり面白くない
しかし
信長が死んでからの秀吉との心の合戦になると
途端にペースが変化
めくらざるえない感覚になる
金の茶室の利休の見解や山上宗ニや丿貫との関係など
本当に面白い作品
超絶おすすめ本
菊池雄星も激推ししてる本
Posted by ブクログ
信長、秀吉の影として、政治や武士社会において茶の湯を使って様々な利害調整をした男、千利休。当時茶の湯が無事にとってなくてはならない存在であったことが理解できた。茶の湯は、荒ぶる武士の心を鎮めるとともに、茶道具の価値を高めて富を得るために信長によって利用された。利休の立ち振る舞いや、秀吉との駆け引きなど、当時も今も相手の数手先を読むことの難しさや、武士社会の理不尽さをまじまじと感じさせられた。
個人的に面白いと感じたのは、利休と丿貫(へちかん)、前者は世のためにあらゆることを犠牲にし、後者は茶の湯そのものを極めることを生きがいにした男、対極のような人生だが、どちらの生き方が幸せだったのか、その問いがこの物語の本質であったように思う。
audiobookで聴講。
Posted by ブクログ
山上宗二の死のシーン以外、基本は天下人の茶と同じなんだけど、今回は利休の視点から見ている。信長が上洛し堺を抑えたところから物語はスタートする。その後、天下静謐のために傀儡子として働く利休の後半生を描く。
Posted by ブクログ
漫画「へうげもの」では、千利休が茶の湯の
世界を広めるために豊臣秀吉をうまく利用し
たような内容でした。
その部分は似ています。
しかし大きく異なる点は、利休はさらに先を
見据えていて、茶の湯をもってして世界の静
謐、つまり平和求めていたところです。
最後は秀吉とは意見の相違により切腹となり
ますが、それまでの史実として知られている
出来事に、そんな平和への願いが込められた
暗躍あったのか、とノンフィクションのよう
に読んでしまう一冊です。
Posted by ブクログ
作家と言う者は洗脳が出来ないといけないのだろうか?
当事者は洗脳者のいう選択以外ないと思い込む、たとえとして相応しくないがイジメも今では逃げてしまえと言える時代だが、当該者は相手の言いなりにならざるをえない、DVDも然り
茶道を極め、茶聖と言うにふさわしい美の巨人である千利休は、信長の眼鏡にかない名物を見極める「眼」として茶頭として近づけられたが、信長の真意を聞き、震えそして湧き上がる衝動に身を任せるのだ
「この世の武士のすべてを茶の湯に狂奔させねばならぬ」「茶の湯は武士たちの荒ぶる心を鎮められるからだ」
この考えは秀吉も同じ様に行きつく
このルールがなければ、秀吉と利休の丁々発止のやり取りも色あせて見える
そう思わせる作家とは何とも怖ろしい生物だろうか
奥祐筆の持つ「権」を読者に刷り込み全ての会話がロジックで肯定・否定される時代小説や、デスノートという設定からくるロジカルなやり取りを毎週積み上げる
いずれも衝撃だった
一方、小説に描かれる秀吉はいつも万能であり、その素質で「侘び」という利休のフィールドでさえ比肩する勢いで作品に緊張感を与える
(ほかの作品では「美」で利休を上回っていた)
強大で権力を握る関白を相手にしてこそ、利休の研ぎ澄まされた感性による「天下静謐」の為であればあらゆる策謀を駆使していく生き様がより映える
Posted by ブクログ
この本を読むと千利休と秀吉の関係が思っていたのと違うことに気がついた。
もちろん、歴史解釈の一説として受け止めれば良いのだろうが、圧倒的なリアリティがありこれが本当の姿かもしれないと思うくらいだった。
また、「侘寂」も今まで思っていたのと全く異なるのが新鮮だった。秀吉の黄金の茶室も見方が変わること間違いなし。
一読の価値のある一冊。
Posted by ブクログ
歴史は武士ばかりが目立っているけど、武士以外にも天晴れな人たちは沢山いたんだいういい話でした。武士以上にプライドが高く、策略に長けていて、自分らしく生きるという理想的な生き方かも?
Posted by ブクログ
リーダーとしての在り方、上役との付き合い方、現代にも通じる教訓のようなものが詰まっている。
信念に沿っていきること見事過ぎて真似できない。死をも覚悟して志のもとに生きること、そんな生き方をすると日々見える景色も違うのだろう。
Posted by ブクログ
菊池雄星選手がメディアで、お薦めしていた本。
世の中を戦のない静謐に導こうとした男の物語
石田三成がかなり鼻につく役回りとなっていた。
茶の湯を通して荒ぶる武士たちの気持ちを落ちつかせ目的に誘う姿はまさにフィクサー(傀儡師)
侘びを見つけ、友を心配するノ貫の表現がとても人間らしく忌々しく美しかった。
利休の妻、りきとの会話は年老いた夫婦の中に尊敬と愛が溢れ、理想の夫婦のように思えた。
読後はお茶を飲みたくなる話だった。
Posted by ブクログ
本能寺の変以降の千利休の一生を描いた物語。
秀吉が暴走していく中で、世の中を争いのない静謐に導こうと奔走する正義の人として書かれていた。元々千利休に正義の印象は持っていなかったが、物語として面白く、特に後半は緊迫感もあってドキドキしながら読めた。
Posted by ブクログ
500頁の大作、しかも慣れない歴史小説…
ずっと連れ歩いて、それでも8日間格闘。
しかし、自身の栄養になっていく実感のある作品だった。
本作で生きる利休は、時代のフィクサーに偏っている。
茶の湯の存在も、繰り返し唱えられる「世を静謐へ導く」(荒武者達を抑える事で戦の無い世の中を創る)為、大いに利用されるのである。
そして秀吉は利休に死を言い渡すが、切腹を命じてはいない。
これも作者独自の解釈だろうか。
紹安曰く切腹は武士達の美学の到達点であり、独占していたい自裁の方法である。
一茶頭が、一茶人が切腹に及ぶと言う事は、秀吉に対する侮辱であった…
と、言う。
しかしながら歴史小説は史実に依存し過ぎていても興に欠けるし、余りにファンタジーめいていても鼻白む。
他にも巧妙な仕掛けは、随所に見られた。
例えば利休を死に陥れた罪状は大徳寺山門の金毛閣に設置された利休の木造が不敬であった事、
茶道具を法外な価格で売り捌き売僧と成り果てていた事。
それは広く知られて過ぎているが、原拠を捻出する様に促した人物こそ、紛れも無い利休自身であった。
たった二畳の茶室にて対面で繰り広げられる駆け引きにも、臨場感と緊迫感が立ち込める。
読書体験とはよく言うが、正にそれである。
勿論、真実を知る者は現代に一人も居ない。
「侘」に関する独自の見識も興味深い。
秀吉による侘びの対極にある様なかの黄金の茶室も利休は、紛う事無き侘と言い切る。
皮肉にも黄金の茶室は、形式に堕した侘を否定する象徴となっていたのだ。
…さて、利休ブームの私の中で、その存在は更なる闇と謎に包まれてしまった。
邪道の抹茶スイーツをお供に読書を堪能しながら、このメニューを見たら利休さんは卒倒するだろうなぁ…と愉しく夢想する。
利休さん、令和の抹茶スイーツも悪くありません。
Posted by ブクログ
伊東潤さんが、これで直木賞を取る!と思っていました。何で?
日本の戦国時代、お茶葉をひく石臼が火薬製造に使われた、とか、恩賞を土地から茶道具にした、とか、現実的に茶が使われていた認識でした。
愛、平和の為のお茶だったとは!
Posted by ブクログ
読みごたえあり、かなり時間がかかったが面白かった。
隠居を選ばず、世の静謐といえ大義のために生きる。一つの生き方とそのための立ち回り方を感じた。
後半からのりきとのやり取りグッと来る。
Posted by ブクログ
個人的にはいわゆる歴史小説の作家の中では当代一と思っている人の利休ものとあれば手に取らざるを得まい、という感じで。歴史ものだと最近はあまり人が取り上げないニッチな人物や時代を取り上げる人が多い印象でこの作者も初期は後北条家ものが多かった気がするがここに来てかなり骨太にいわば手垢のついた人物を取り上げられているように思う。利休なんかもそうで特にその死にざまが異様なだけにいろんな解釈の作品がある中で果たしてどんなふうに描いているのかという興味があったのだが...いやもう流石ですという他ないですね、史実はこうだったのでは、とすら思わせられた。革命的な天才である信長が武士の世の次を見越していわば文化で世を統べようと思い立ったその推進役として、また信長の思想をいわば丸パクリした秀吉の別の顔として活躍し自らの理想に殉じた男としての利休を見事に描いている。見事でした。面白かった。
Posted by ブクログ
正当な歴史物という感じ。
視点も千利休一点、順を追って丁寧にかかれた印象。
ただ、私が豊臣秀吉をあまり好きでないので読んでいてどうしても楽しみきれないっていう、もうただの個人的理由ですが、そんな気持ちを漂わせながらよみました
2020.11.21
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Posted by ブクログ
私が授業で習ったときの千利休て、もっとしたたかで策士だった記憶があるのだけど、凛としてて、一本気なとこがあるんだなーと興味深かった。
後半に入り、秀吉との関係性が変わってゆく様、秀吉との間の取り方。流石最後のフィクサーと言われるだけあるわね。
Posted by ブクログ
千利休の見方が変わる一冊。
実際のところは勿論誰にも分からない。イメージ通り、時の権力者に擦り寄り思うがままに操り、裏で権力と財力を恣にした俗人だったかも知れない。
だがこの作品での利休は、茶の湯で『この世に静謐をもたらそうとした』、そのことに生涯とその生命をかけた人物として描かれている。
茶の湯が武人たちの『荒ぶる心を鎮める』という考え方が興味深かった。
信長はそれまで土地であった恩賞を茶の湯の名器であったり、茶の湯を開く資格を与えることであったりに変えた。
そして秀吉は利休と共に更に飛躍して茶の湯を天皇・公家から庶民まで世の中隅々にまで行き渡らせた。
そして利休は秀吉の心を戦から茶の湯へと繋ぎ止めるため、様々な趣向を次々と生み出していった。
信長や秀吉は『己以外のものに野心や欲心を抱かせまいとし』て茶の湯を利用したが、己自身は『欲心』を鎮められなかった。特に秀吉は敢えて止めなかった。
秀吉と利休の関係にヒビが入った一つのきっかけとして黄金の茶室があると勝手に思っていた。利休が追求する侘びの世界とは真逆にある黄金の茶室は、私からみればあまりに露悪的でしかないのだが、そこに利休は秀吉の真の狙いを知る。
勿論これもまた作家さんなりの解釈であって実際のところは分からない。でももしそうだとしたらこれまた秀吉の見方も変わって面白い。
一介の茶人に収まらない、戦を止めるためならどんな交渉も裏工作もやっている利休は、私から見ればやりすぎにしか思えない。だが武人には出来ない、利休にしか出来ない戦いだったのだろう。
これもまたこれまでの見方を覆すところで、利休の掌でうまいこと転がされていたように思っていた秀吉が、この作品では利休と常に闘っている。
止まらない己の欲と、止めようとする利休との闘いの連続は緊迫するばかりで、これではいつ破綻が来ても仕方ないと思う。
だから津田宗及も今井宗久も秀吉から『降りた』。だが利休は降りない。
山上宗二のように徹底的に楯突いて果てることもしない。
利休は秀吉と『共に断崖から身を投げる』道を選んだのだ。
茶の湯を利用した信長も秀吉もその権勢はあっという間に過ぎ去った。そして同じく茶の湯を政治の道具として使った徳川家康を始めとする江戸の時代もとっくに終わり、近代、現代に至った。
だが千利休を祖とする千家はいまだ繁栄している。何と皮肉なことか。まさに利休が死の直前に感じた予感の通りだ。
近頃は文化人や芸能人が政治の世界に近づくことは悪とされ、逆に政治と距離を置き権力に物申すことこそ格好いいとされる風潮がある。勿論それが一概に間違いだとは思わない。
だが千利休のこの半生を読んで、彼が茶人としてだけでよりは何倍も濃い人生を送り、自分のためだけではない大きなもののためにその人生を捧げた傑出した人物だったと思う。
実際のところはわからないが、ただ一つ言えること、彼はその生命と引き換えに茶の湯を守ったのだ。
Posted by ブクログ
野球選手の菊池雄星氏がおすすめしていた本。千利休が「茶の力」で武士の荒ぶる心を鎮めて、平安をもたらすべく戦う様子が新しかった。舞台は本能寺の変の直後からはじまる。その時点で千利休の人格と豊臣秀吉との関係が出来上がっているため、感情を読む時、一瞬取り残されてしまうところがあった。茶で政を制する千利休の信念の核、それが形成されるまでの過程など、そこに至るまでの描写がもう少しあれば違和感がなかったかもしれない。それでも物語としては楽しんで読めた。時代小説はさまざまな解釈があるから夢があっておもしろい。
Posted by ブクログ
信長との出会いからその死まで。利休と秀吉の関係が面白くない訳だはないが、民の静謐を求める思想や、あまりに直接的な言動、全ての背後に先を見通すような利休がいるのには違和感。紹安と宗二の存在は良。
Posted by ブクログ
利休と丿貫の関係性が好きです。自分も友達とはこんな関係でずっといたいと思う。
『史記』に曰く、吾今日老子に見ゆ、其れ猶ほ龍の如きか。老子は孔子をして龍と言わしめた。何かの本で、それでも孔子は老子に倣うのではなく、己の信じる道を行ったという風に描写されていた。
此の老子と孔子の関係は、本作の丿貫と利休に一脈通じるものがある。利休は茶人として丿貫の生き方を尊敬し、憧れてもいた。然し丿貫とは敢えて違う道を選んだ。己の目指す道が修羅と知りながらである。
孔子も利休も己一個の幸福や人生といったものは一顧だにしなかった。其れを追究しさえすれば、老子や丿貫のように生きて、彼らと肩を双べる事は出来ただろう。だが利休も孔子も寧ろ社会の救世の為に自分の人生すら捧げた。己の幸福より世の静謐を望み、其の為に全てを犠牲にした。凡そ茶の湯に纏わる作品とは思えぬほど熾烈な闘争であった。
Posted by ブクログ
以前読んだ有名な利休の某歴史小説が、なんかちょっと違うなぁ…と感じており(のっけから毒を吐いて失礼します)、他のを読んでみたかったのだ(本当は井上靖氏の「本覚坊遣文」が読みたいのだけれど…)さらに感じ悪くてすみません
秀吉と利休は光と影だった
だが光と影が互いの領域を侵そうとすれば、待っているのは破綻だけ…
茶の湯によって天下を統べようとまず企んだのは織田信長
土地には限りがある
茶の湯を流行らせ道具の値打ちを高める
皆の固定観念を変える
そして茶によって武士たちの荒ぶる心を鎮める…
それを引き継ぐ秀吉
力によってこの世に静謐をもたらそうとする秀吉
その力をうまく操り封じ込めようとする利休
利休もまた命をかけて静謐をもたらそうとする
武士と商人
全く違う立場の二人の正面からぶつかり合う緊張感
お互いの腹の探り合いと、時に刃を袂から覗かせるような心理戦のせめぎ合い…
ふぅ、ドキドキしますねぇ〜
後半の秀吉のご乱心ぶりももちろんいただけないのだが、立派に秀吉に楯突いた辛辣で有名な茶人山上宗二のセリフが爽快だ
「そなたの渇きや飢えは死ぬまで続く……
…この世のあらゆるものを手に入れても、そなたの欲は収まらない」
貧しい田舎育ちの秀吉
飢えは恐ろしいことを知っているはずなのに…
ですね
また武士と商人の徹底的な違いがある
それは秀吉の元へは利害関係、力関係による組織…そういった集合体に過ぎないが、利休の周りは違う
尊敬心と仲間意識だ
切腹に関しても興味深い解釈での物語の進行がある
武士は死に際の美しさで後世の評判が定まる
切腹は美学の到達点
武士は切腹という自裁の方法は独占したいはずだ
つまり武士以外が行えば武家の棟梁である秀吉は不快になるはずだ
そう考えた利休は切腹を選択する
という設定なのだ
真相はわからないがこれは注目
このように武士と商人の立場の違いからこの時代が読み解け、このアングルの見せ方は最後まで読み手を惹きつける
家督を背負い生き残りをかける武士たちの知恵と策略も人間ドラマでとても面白いのだが、そこに茶人が政に絡んでくるのだから、そりゃ興味深いに決まっている
利休の歴史小説が多くあるのもこのような特異な立場に注目してされるからだろう
ここでの利休は自分が持つイメージとかなり違ってかなりの善人(笑)
異常なまでの美への固執あまり描かれず、垢の強さは控えめ、愛情に溢れており、「静謐」という強い使命を持って命をかけて秀吉と闘う
なかなか読み応えもあるが、会話形式も結構多いため、500頁という圧は感じずに楽しめた
巻末には茶道具等一覧もある
お茶の世界って実に興味深い
奥深そうで、覗き込んでも全く底は見えない感じ
なかなか気になる世界だ
気にはなるけど何から手をつけたら良いのかよくわからないのも事実
まぁマイペースに少しずつ知識を増やしていきたい
Posted by ブクログ
千利休が豊臣秀吉のフィクサーだった場合の物語。
古田織部や細川三斎など利休七哲が何人か出てきて、武将としての駆け引きや、茶道を極めたいという思いとの苦悩もあり、面白かった。
千利休が、農民など町の人々が戦いで困窮するのを防ぎ、「世の静謐のため」に裏で政治を動かす、という話。
どこまでが史実に基づいているのかは分からないが、「世の静謐のため」という言葉が何度も繰り返され、そもそも利休がなぜ「世の静謐のため」に自らの命を捧げようとしていたのかが、よく分からなかった。
茶道の話は少なかったので、それ目的だと物足りないかも。
Posted by ブクログ
利休の半生(秀吉以降)を描いた作品。
実際に政局にどの程度までか関わっていたかわからないが興味深かった。
茶の湯(茶道)についてはあまり知らないが、作品中で利休が思い描いていたような静謐をもたらすものとして現代ではあまり活用されていない。
確かにこういうことなどで心を整えることは大事かもしれない。
Posted by ブクログ
千利休は単なる芸術家ではなかった。信長、秀吉に仕え、茶の湯を通し、茶室での狭い空間で、秀吉とまさに自らの命をかけて、世の中を静謐に導くべく生き抜いた。
利休らの茶人達の果たした役割は、本当に大きいものであった。現代での単純な文化的側面に留まらず、殺し合いを続ける武将達への、当時の人間の少ない良心だったのかもしれない。
Posted by ブクログ
千利休の茶人人生を描く歴史小説。
先に出版された「天下人の茶」で他者から描かれた千利休と豊臣秀吉の関係と茶事に対する姿勢を千利休本人視点でさらに深掘りしていると思います。
「天下人の茶」を読んでいたので新しい発見はありませんでしたが、本人に語らせることでより明確に茶事と政との関係性とその将来展望がわかりました。
漫画の「へうげもの」で知った丿貫の存在も大きく、嫡男紹安も詳しく描かれていて面白かったです。
巻末の茶道具説明も勉強になりました。
Posted by ブクログ
信長、秀吉の生涯と軌を一にしているので、主要な出来事を押さえるだけでもこのページ数になるのだろう。
裏の実力者感が前面に出ている分、利休の人間的な苦悩などは感じ取れない。
Posted by ブクログ
秀吉と利休の物語。通説などから大きな逸脱はない。
秀吉の人物像、利休との関係性、利休の目的、秀吉の原動力、関係の破綻、死の理由、、
秀吉は自分がどこまでいけるかという欲望に突き動かされる。
利休は静謐を目的に行動する。キリスト教には反発、茶の湯への影響は描かず。
表と裏、武を鎮める茶の湯。
秀吉は茶の湯に興味を失う。能へ。
互いが互いを必要とした関係が破綻、納得ずくの死。
それがありきで死の理由がつくられた。
意趣返しの切腹。
Posted by ブクログ
戦国時代、群雄割拠の中、最後のフィクサー
ただただ世の中の静謐を求め続けた芸術家……
信長により見出だされ、秀吉とともに没することに。
表の顔は秀吉、心の顔は宗易、利休
お互いの領域を越えることなく、着実に静謐に近づく先にあるのは、乱世か太平か?
茶の湯を通し、天下を手にした利休……ここにあり。
最後に手にしたものは何だったのか。
Posted by ブクログ
茶聖、千利休が世の静謐を求めるため、秀吉と時に強調しつつも、徐々に疎んじられついに死を賜るまでを描いている。最初に茶の湯の影響力がどこまで腑に落ちるかで、話の納得感が違ってくるわけで、私の場合はなかなか素直に読めない点があった。しかし、場面場面の展開や新たな解釈は納得できる面もあり、500頁を超えていても、きっちり読み進めることができたのは、安定の伊東節ゆえでしょう。