あらすじ
現代文明を築きあげた基礎科学の一つである物理学という学問は、いつ、だれが、どのようにして考え出したものであろうか。十六世紀から現代まで、すぐれた頭脳の中に芽生えた物理学的思考の原型を探り、その曲折と飛躍のみちすじを明らかにしようとする。著者は本書の完成を目前に逝去、下巻は遺稿として刊行された。
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Posted by ブクログ
上下巻共にとても面白かった。
今まで学んできた物理学について、体系的に文章でわかりやすく、それでいて面白くまとめた作者は天才だと思う。
下巻で主に取り上げているボルツマンやマクスウェルの話は正直あまり理解できていないが、それでもこんなに面白い本は初めて。感動。
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熱の分子運動論ではなくてはならないマクスウェルの統計的手法から、ボルツマンはH定理に行き着く。そこには、力学と確率論の融合に対するロシュミットの疑義があり、それをボルツマンはエルゴード定理によって乗り越えようとするが、実験が伴わないという弱点もわかっていている。
この間の紆余曲折を臨場感たっぷりに、体感することができる。本当は数式で追うべき内容で、ところどころ言葉でない方がわかるかもと思いつつも、前回読んだ時よりずっと面白かった。
付録の講演は、現代への警鐘。
まさかAIがこんなに発達し、スマホが跋扈する、便利だけの世界でない現代がやってくるとは、先生も思っていなかったとは思うけど。
恐怖心が、わかっていても危険に手を出させる元となる状況は、今なお続いている。
人間らしい生き方を見つめた学問のあり方と、さまざまな分野の融合の時代が来ているのかもしれない。
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未完だったのか。惜しいが、物理学とは何か、といことは、いかんなく書かれていると思う。統計物理は疎いが、ボルツマンの科学する精神には、感じるものがあった。
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物理学とは何か。
残念ながら、下巻執筆中に著者が急逝してしまい、未完に終わっている。
物理学に則った態度、科学を扱う態度、そんなメタ学問的視点が重視されており、物理学、ひいては科学に携わる人間の必読書といっても過言ではない。
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本書の完成前に著者が病気により逝去されたため、未完となった。上巻に続く内容として、近代原子論と熱の分子運動論に関する解説がなされており、この三章に加え、本書上下巻の原型となった講演、「科学と文明」が収められた形となっている。
朝永先生は晩年、熱現象の物理学への組み込みとそれに関わる分子運動論に熱心に取り組まれたという話であるが、これらを通して、物理学とは何かという事に対し、納得のいく解答を得ようと努力されたのではないか。
科学と文明においては、物理学の原罪について述べられている事が興味深い。知ってしまった事はもう取り消せない。現在の原発のような問題も、原爆の開発と同様に人間の本能に根ざす解決の難しい問題であろう。物理学の手法は自然を人為的に変える事によってベールの向こう側にあるものを見るのであるが、これからはこうした方法ではなく、自然をそのままに観察する事で自然法則を見出すような手法を持つ自然科学にある程度、席を譲る事になるだろうと述べている。これを読んで、寺田の物理学を連想した。要素還元法もやはり限界はあり、複雑なものを複雑なまま理解する手法を見出すのも必要になるのではないか。
物理とは何かという問題を通して、著者が提起された現代科学と人間社会の関わりについて、今こそ一人一人が考える時が来ていると感じた。
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ボルツマンが分子論の立場に立って純粋に力学的な理論からどういうふうに熱学的な量を導くか非常に苦しんでいた。分子運動のエルゴード性については理解に自信がない。相空間で等エネルギー面上の運動について平均を取ることで、「長期のべ時間平均」を得る計算はミクロカノニカル分布を使った計算と同じだ。後者の計算はふつう等重率の原理から出てくるものでエルゴード定理とは関係がないとされる。ボルツマンが統計力学の基礎付けについて苦心したことというのは的外れだったのだろうか??
ボルツマンの良き理解者だったマクスウェルは早世し、信奉者だったプランクは一足遅かった(ボルツマンはロシュミットやマッハの厳しい批判をうけて最後はうつ病で自殺してしまった) 結局彼の理論は実験的な裏付けが得られなかった。著者は完全な理論はそれ自体が正しいかどうかテストする実験を提唱できるものだ、みたいなことを言ってて興味深い。
ボルツマンの理論について言えば、アインシュタインとかスモルコフスキイとかがブラウン運動について分子運動論に実験的な裏付けを与えたそうですが、それはちょうど彼の死のころのことだったそうだ。
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著者の急逝によって、この本にどのような結末が用意されていたのかは永遠の謎となってしまった。しかしそれでも、この本を読んでおく価値はあると思う。
まずは上巻から読んでみると良いと思います。
化学実験の発展により、化合物の生成比が整数であることから、物質の構成要素が存在するのではないかと考えられるようになる。そして、気体の研究から分子の存在が明らかになってくる。この分子が、熱の起源として注目され始めるのである。
気体の分子運動論では、熱は分子の運動エネルギーであり、圧力は分子が壁に衝突する際の力であると考えられる。つまり、熱学における現象は、初めの条件を与えれば、分子の運動方程式を解くことにより明らかにできることになる。しかし、ここで問題になるのが分子の数である。空っぽの牛乳パックの中に入っている空気でさえ、0が20個以上並ぶような膨大な数の分子を含んでいるわけで、分子1個1個の運動方程式を解くなどということは、一生かかっても出来るわけがないのである。
ここで、新たな着想を物理に導入したのがボルツマンである。そもそも、熱の問題を解くのに分子1個1個を個別に考える必要はないのである。なぜなら、温度計にしろ、圧力計にしろ、分子Aがぶつかったから圧力を受けた、などと感じるわけではなく、ともかく何かがいっぱいぶつかったから圧力を受けるわけである。そこでボルツマンは、空間を見えない小さな箱に分けて考えることにした。同様に、分子の速度もある間隔ずつのグループに分けた。例えば、秒速280~290m/sのグループや、秒速290~300m/sのグループという具合である。
分子は自由に動き回るので、その箱から自由に出入りする。しかし、実験的に同じ温度では気体は同じエネルギー持っているので、この保存則も満たさなければならない。そこで、ある小さな箱の中にいる分子は、入れ替わったりはするけれども、速度のグループの割合としては変わらないという仮定をしたのである。例えるならば、あるアパートの201号室には60代の田中さんと40代の鈴木さんが住んでいたのだが、いつの間にか入れ替わって、60代の加藤さんと40代の佐藤さんが住むようになったという感じである。住む人は変わったが、201号室は60代1人と40代1人という構成は変わっていない。このような仮定を置くことによって、ある温度において分子がどのくらいの速度でどこにいるかという分布を考えれば、真面目に運動方程式を解かなくとも、物事を説明することができるようになったのである。
しかし、このようなある種突飛な考えが簡単に受け入れられるわけもなく、おそらくもともと神経質だったボルツマンは、マックスウェルなど援護射撃をしてくれる物理学者もいたのだけれど、マッハなどにボロクソに言われ、鬱になり、自殺してしまうのである。それはさておき、物理学は、自然現象を説明する法則を見出すという方法に加えて、仮定を置き、それを確かめる実験を行うことにより証明するという方法を得たことになる。
本書は、著者の他界により、ここで未完のままに終わっている。しかし、おそらくはこの後に続くはずだった議論を予期させるものとして、「科学と文明」という講演の議事録が掲載されている。
物理学の扱う対象は自然現象であり、それ自体に善悪の区別はないが、物理学を扱う者は人間である。前述したボルツマンとマッハの関係ではないが、最終的には正しい主張をする者も、中途では無理解や中傷、攻撃を受けることもある。ナチスが核を持つのでは、という恐怖は、現実に原子爆弾を生み出してしまう。著者がこれらの事実を受け止め、どのように考えていたのかを知る方法は、もはや永遠にないのである。
Posted by ブクログ
本書を読んで良かったと思えたことは、物理学者が偉大な発見をするまでの経緯を知ることができたことである。分子論について論じられていたが、具体的に得た知見は以下のとおりである。?熱力学第二法則の数式化の苦労(エントロピーの概念の導入まで)を知った。 ?分子論の展開と熱の正体の解明(仮説を導入しその当否を実験によって検証する手法)に至る苦労を把握できた。本書を読むことで、物理学者の偉大さと同時に、その人の業績の積み重ねが今の物理学を作っているのだなということを垣間見ることができた。朝永博士の急逝によって本書が未完となったことは非常に残念だった。しかし朝永博士は他にも多くの著作を遺している。それらを今後も読んでいきたいと思った。
Posted by ブクログ
ノーベル受賞者・朝永振一郎氏が、物理学の流れを書いています。これは下巻。
何十年も前の本ですが、今でもこれを越える本はないんじゃないでしょうか。
Posted by ブクログ
下巻はドルトン、マックスウェル、ボルツマンと解説して原子・分子論から統計力学の発展までを説明する。これは朝永振一郎の遺稿として、ここまでで未完となっている。最後に、朝永の講演会の内容を興した「科学と文明」という、人類と科学技術文明の付き合い方に関する考察が含まれている。
Posted by ブクログ
※上下巻同じレビューです
物理学とは何か、ということをガリレオ、ケプラー、ニュートンあたりから始め、20世紀初頭の物理学あたりまでを科学史的な感じで語っています。
バックグラウンドにある思想や哲学、社会状況にまで言及しているところが面白いです。
ただ、物理学とは何だろうか、と言っておきながら、十全に理解するためには、そもそもある程度物理学を知っている必要があると思いました(笑)
だいたい、大学教養レベルくらいの物理かな?
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
本書の完成を前に著者は逝去された。
遺稿となった本論に加え、本書の原型である講演「科学と文明」を収める。
上巻を承けて、近代原子論の成立から、分子運動をめぐる理論の発展をたどり二十世紀の入口にまで至る。
さらに講演では、現代の科学批判のなかで、物理学の占める位置と進むべき方向を説得的に論じる。
[ 目次 ]
1 近代原子論の成立(ドルトンの原子論;気体の法則、化学反応の法則)
2 熱と分子(熱のにない手は何か;熱学的な量と力学的な量;分子運動の無秩序性)
3 熱の分子運動論完成の苦しみ(マックスウェルの統計の手法;エントロピーの力学的把握;ロシュミットの疑義 ほか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
Posted by ブクログ
下巻は主に力学と熱学についてである。
高校の物理、特に熱力学の分野では圧力とは容器内の分子が容器の壁面に衝突している力の総和である、ということを学ぶ。実際に計算によって圧力を求めたりする。
その際に、容器内の分子は平均的な速度Vを持って、とか壁面には等確率で分子が衝突する、というような仮定をおいて計算する。
実際に、このような仮定をおくと観測値とよく合うけれど、よく考えると力学に確率的な考えを仮定している。
しかし、である。力学に確率の仮定をおくことの合理性は一体何処に依るのか。実は起これは1900年前後で物理学者の間ではかなりの論争になったらしい。
Boltzmannがこの理論の発展に大きく寄与したのであるがこの論争で?精神的に不安定になりついには自殺してしまったようだ。
高校物理ではある程度当たり前だと思っていたが事項がこんなに精緻に議論され、今やどの理系の高校生も学ぶ分野になった。
我々はそうとう精緻な土台の上で物理を学んでいる、ということを改めて実感した。これが、物理学か、と。
朝永振一郎はNovel物理学賞を受賞した当代一流の物理学者である。この人が物理学とは何かを語っているので、真にも学べない、ということはないと思う。